第4話 +1の少女
「世界で二番目に弱いって、誰が決めたのよ」
銀髪の少女は、荷馬車の中で頬を膨らませた。
「俺だ」
「取り消しなさい」
「じゃあ一番弱い」
「悪化してるじゃない!」
大声が頭に響く。
俺は毛布を鼻まで引き上げた。
巨岩をどかしたあと、俺は丸一日眠ったらしい。
荷馬車は南の町リーネへ向かっている。車輪が小石を踏むたび、板張りの床が尻を突き上げた。
「病人の横で騒ぐなよ」
「その病人が失礼なことを言うからでしょ」
「俺はまだ病人なのか?」
「体力は十二まで戻ったわ」
「最大は?」
「五十八」
「先が長いな」
「誰かさんが三日間、岩と意地の張り合いをしたせいね」
少女――プラナ・ベルは、俺の額へ手を当てた。
指先に淡い光が集まる。
「《加算》」
【体力:12 → 13】
体の奥に、小さな火が灯ったような感覚がした。
一しか増えていない。
それでも昨日よりは、はっきり効果を感じる。
「これで十三。感謝して」
「残り四十五回か」
「治してもらっている人が回数を数えないで」
「一分に一回なら、最短でも四十五分だな」
「細かい男ね」
「数字は大事だ」
「それは同感」
プラナは笑った。
年は俺より一つ上の十九歳。肩まで伸びた銀髪に、青い目。白い旅装は上等な布でできているが、袖口には何度も縫い直した跡がある。
腰には短い杖を下げていた。
治癒術師らしい。
「お前、何者なんだ?」
「命の恩人に向かって、お前?」
「プラナさんは何者なんですか」
「急に距離を取らないでよ」
「面倒だな」
「今、治療をやめてもいいのよ?」
「プラナ様は、どうして一人で街道を歩いていたのでしょうか」
「よろしい」
満足そうにうなずくと、プラナは荷台の壁へ背を預けた。
「王都から来たの。リーネの治療院で働く予定だった」
「予定だった?」
「手紙が届いたのよ。採用を取り消すって」
「理由は」
プラナが右手の人差し指を立てた。
「一」
「なるほど」
「今ので分かったの?」
「嫌になるほど」
《加算+1》。
傷ついた者の体力を一回復させる。
確かに治癒ではある。嘘ではない。
だが、普通の治癒術師なら一度に五十や百は回復させる。重傷者を前に、一分ずつ待ってはいられない。
プラナの力も、俺と同じだ。
効果がないわけではない。
効果が小さすぎる。
「笑わないのね」
「笑う理由がない」
「普通は笑うわ。《加算》が出たときは皆、天才だって騒いだのに。数字が一だと分かった途端、部屋が静かになった」
「俺のときは爆笑だったぞ」
「負けた」
「勝っても嬉しくない」
二人で笑った。
笑えるようになるまで、俺は三か月かかった。
プラナがどれだけかかったのかは聞かなかった。
「治療院を断られたなら、これからどうする?」
「直接行って、院長に文句を言う」
「採用してもらえると思うか?」
「思わない」
「じゃあ、なぜ行く」
「言われっぱなしは腹が立つから」
「気が合いそうだ」
「嫌ね」
「俺もだ」
馬車が大きく揺れた。
前方で馬がいななく。
「止めろ!」
商人の叫び声がした。
荷台に積まれた木箱が滑る。
俺はとっさに一つを押さえた。プラナも反対側から腕を伸ばす。
「何があった!」
御者台から、ひげ面の商人が顔を出した。
「子どもが倒れた!」
◇
倒れたのは、商隊に同行していた十歳ほどの少年だった。
名前はルウ。
荷馬車の陰に寝かされ、母親らしい女性が手を握っている。
「朝から少し元気がなかったんです。でも、急に震えだして……」
少年の呼吸は荒い。頬が赤く、額には汗が浮かんでいた。
プラナが膝をつく。
「水と清潔な布を。日陰を作って」
さっきまでとは声が違った。
短く、迷いがない。
商人たちが一斉に動く。
プラナは少年のまぶたを開き、呼吸を確かめた。
「熱が高い。いつから水を飲んでない?」
「昨日の夜から、あまり……」
「少しずつ飲ませて。無理に起こさないで」
「治癒魔法は使わないのか?」
商人の一人が聞いた。
プラナの手が一瞬止まる。
「使います。ただ、私の《加算》は一ずつしか回復できません」
「一?」
「そんなので間に合うのか」
空気が変わった。
巨岩を前にしたときと同じだ。
期待が失望に変わる、あの間。
プラナは唇を結んだ。それでも少年から目を離さない。
「間に合わせます」
「拓郎」
ひげ面が俺を見る。
「お前の力ではどうにもならんのか?」
「治す力じゃない」
「そこを何とかしろ。岩を動かしただろ」
「人と岩は違う」
言いながら、少年へ意識を向けた。
【体力:9】
低い。
【疲労度:87】
これを一減らしても足りない。
ほかに見える数字はないか。
汗。
呼吸。
熱。
熱だ。
巨岩の重量を理解したときと同じように、少年の熱を数字として思い描く。
視界がかすかに明滅した。
【体温:41】
「見えた」
「何が?」
「体温。四十一だ」
プラナが顔を上げる。
「減らせる?」
「やってみる」
俺は少年の額へ触れた。
「《減算》」
【体温:41 → 40】
少年の強張っていた指が、わずかに緩んだ。
母親が息をのむ。
「熱が……」
「一度下がっただけだ。原因は治ってない」
「でも、体が耐える時間は作れる」
プラナが俺の言葉を継いだ。
彼女の指先に光が集まる。
「《加算》」
【体力:9 → 10】
「一分後、もう一度やるわ」
「俺もだ」
「体温を下げすぎないでよ」
「分かってる。一度使えば十分だ。次は疲労を減らす」
「水分は?」
「減らすしかできない」
「役に立たないわね」
「お前にだけは言われたくない」
「口が動くなら元気ね。次、体力を足すわ」
「それは俺じゃなくてルウに使え」
母親が、泣きながら笑った。
一分ごとに、プラナは体力を足した。
俺は疲労を引いた。
濡れた布で首と脇を冷やし、水を少しずつ飲ませる。
派手な光はない。
奇跡も起きない。
数字が一つずつ動く。
それでも一時間後、ルウは目を開けた。
「母さん……?」
母親が少年を抱きしめた。
商人たちから歓声が上がる。
俺とプラナは、その場へ座り込んだ。
「助かったな」
「ええ」
「俺たち、意外と使えるんじゃないか?」
「一人では半人前以下だけどね」
「二人合わせて一人前か」
「そこは二人前と言いなさいよ」
◇
夕方、商隊はリーネへ着いた。
石壁に囲まれた小さな町だ。大通りには赤い屋根の店が並び、中央の時計塔から鐘の音が響いている。
ルウは母親に手を引かれ、自分の足で門をくぐった。
念のため治療院で診てもらうことになった。
俺とプラナも同行した。
白い石造りの治療院には、薬草の匂いが満ちていた。
診察を終えた老治癒術師が、俺たちへ頭を下げる。
「熱冷ましと水分補給が効いたようです。峠は越えています」
「よかった」
プラナが胸をなで下ろした。
老治癒術師は彼女の顔を見て、目を細める。
「あなたがプラナ・ベルですか」
「はい。採用を取り消した院長先生ですね」
「その件は申し訳ない。しかし当院には、即座に大きな傷を治せる術師が必要なのです」
「分かっています」
「紹介状なら書きましょう。薬草係か、受付なら――」
「結構です」
プラナは笑っていた。
だが、白い外套の裾を強く握っている。
「今日は、この子を診ていただきありがとうございました」
丁寧に頭を下げ、治療院を出る。
俺もそのあとを追った。
「文句を言うんじゃなかったのか?」
「言う気がなくなった」
「どうして」
「間違った判断じゃないから」
プラナは足を止めなかった。
「大きな怪我を一瞬で治せる人が必要なの。私には無理。それは事実よ」
「悔しいか?」
「ものすごく」
「なら、気が合うな」
「嫌だって言ったでしょ」
声が少し震えていた。
俺はそれ以上、慰めなかった。
軽い言葉を足しても、悔しさは消えない。
俺たちは冒険者ギルドへ向かった。
宿代を稼ぐ必要がある。
受付で冒険者証を出すと、職員は俺の評価を見て眉をひそめた。
「《冒険者不適格》ですか。単独で討伐依頼は受けられません」
「採取なら?」
「薬草十束。報酬は銅貨二十枚です」
「受ける」
「待って」
プラナが隣から自分の証を出した。
「私も冒険者登録するわ」
「治療院は?」
「断られたもの」
「だからって、なぜ冒険者なんだ」
「あなた一人だと、また道端で倒れるでしょ」
「否定しづらいな」
「それに」
プラナは俺の証と自分の証を並べた。
《減算:-1》
《加算:+1》
「使えない能力が二つ集まったら、何が起きるか見てみたい」
「ゼロになるだけじゃないか?」
「ゼロって、悪い数字じゃないわ」
受付職員が咳払いした。
「パーティー名はどうしますか?」
俺とプラナは顔を見合わせた。
「考えてなかった」
「何でもいいわ。仮で」
「では、《プラスマイナス》で登録します」
「待て。それはさすがに安直すぎる」
「いいじゃない。覚えやすいわ」
「格好悪い」
「吉田拓郎よりは、ファンタジーっぽいわよ」
「俺の名前に何の恨みがある」
訂正する間もなく、登録証へ《プラスマイナス》と刻まれた。
こうして俺たちは、二人きりのパーティーになった。
◇
翌朝。
薬草採取のため、町外れの森へ入った。
「その草は違う」
「同じに見えるけど」
「葉の裏が赤いだろ。そっちは腹を壊す」
「詳しいのね」
「《白銀の牙》で三か月、荷物持ちをしていたからな」
「自慢にならない経歴ね」
「役には立ってる」
薬草を七束集めたところで、鳥の声が止んだ。
俺は手を上げる。
プラナも黙った。
茂みの奥で、枝が折れる。
一つ。
左でも、もう一つ。
低いうなり声が、背後から聞こえた。
「囲まれてる」
灰色の狼が姿を現した。
一頭ではない。
前に三頭。左右に二頭ずつ。
七頭の群れだ。
プラナが短い杖を抜く。
「戦える?」
「剣は曲がってる」
「ほかには?」
「《-1》がある」
「頼もしいような、そうでもないような」
狼が地面を蹴った。
速い。
俺の視界に、数字が浮かぶ。
【攻撃力:34】
【速度:52】
どちらを一減らしても止められない。
その奥。
今まで見えなかった数字が、白く光った。
【吉田拓郎までの距離:8m】
「距離……?」
狼が迫る。
八メートル。
七メートル。
六メートル。
減らせば、敵が近づく。
普通に考えれば最悪の選択だ。
だが俺は、曲がった剣を構えた。
「プラナ。俺から離れるな」
「何をする気?」
「距離を引く」
狼の牙が、目の前へ迫った。




