第24話 冒険者失格
風が止まった。
大聖堂の外で、朝日が空に貼りついている。
飛んでいた鳥も動かない。
落ちかけた瓦礫が、空中で静止していた。
「ガンテツ。何を固定した?」
「俺じゃない」
三本目の足を生やした男が首を振る。
世界地図を見る。
山も、海も、人も残っている。
何も滅びてはいない。
何も進んでもいない。
「世界が停止しています」
ゼロナの瞳に、無数のゼロが映った。
「世界滅亡可能回数をゼロにしたことで、管理機能が異常と判断したようです。次の状態への移行を止めています」
「元に戻す!」
インフィニアの右腕が金色に光る。
本人の意思を無視して、《加算》が動く。
【世界滅亡可能回数:0 → 1】
風が動く。
鳥が羽ばたく。
瓦礫が落ちる。
次の瞬間、世界容量の数字が現れた。
【世界容量:0】
空に黒い亀裂が走る。
「ガンテツ、固定!」
「《固定》!」
亀裂の長さが止まる。
だが一本ではない。
北の空。
南の海。
世界中に亀裂が増えていく。
「滅亡を許せば、容量ゼロの世界は壊れる」
プラナが青ざめる。
「滅亡を禁止すれば、世界が止まる」
「そういうことです」
「面倒な世界だな」
「住んでる俺たちが言うことじゃないわ」
インフィニアの左手が世界容量へ向く。
「なら、容量を足す!」
【世界容量:0 → 1】
止まらない。
【1 → 2】
【2 → 3】
数字が、目で追えない速さで増えていく。
【99 → 100】
亀裂が閉じる。
百回分の加算が世界全体へ漏れ、魔物と植物が一斉に増えた。
世界地図が赤く染まる。
「余波が戻りました」
「私が制御する!」
「できなかったから、こうなったんだろ!」
「では何を減らす!」
インフィニアが叫んだ。
「人口か。魔力か。生命か。世界を器に収めるため、何を消せばいい!」
「どれも違う」
「なら答えろ!」
俺は空に浮かぶ数字を見る。
【世界に必要な神の数:1】
「それだ」
◇
数字へ手を伸ばす。
腕が上がらない。
力が入らないわけではない。
《減算》が反応しない。
「どうしたの?」
「使えない」
ゼロナが俺を見る。
その瞳が、大きく見開かれた。
「拓郎の減算可能回数がゼロです」
「さっきので使い切ったのか」
「能力の消失ではありません。世界規模の減算に耐えきれず、機能が停止しています」
世界に一を引ける人間は、俺しかいない。
その俺が、もう一を引けない。
「なら私が足す」
プラナが俺の手を取った。
「待て。何へ足す気だ」
「減算可能回数」
「能力に能力を重ねたら、何が起きるか分からない」
「今日ずっと、そればっかりね」
プラナは笑った。
「分からない。でも、やる」
最初に会った日もそうだった。
俺の攻撃力を一つ足して、オオカミを殴った。
無茶で、単純で、正しかった。
「《加算》」
【減算可能回数:0 → 1】
胸の奥で、小さな歯車が一度だけ回った。
使える。
最後の一回だ。
「本当に相性がいいな」
「今頃気づいた?」
「前から知ってた」
「それ、あとでもう一回言って」
「生き残ったらな」
◇
インフィニアが俺たちの前へ立った。
「させない」
「まだ止めるのか」
「神の管理を消せば、何が起きるか分からない」
「今度は全員で決めた」
「私は認めていない!」
金色の光が爆発する。
管理室の床がめくれ上がった。
インフィニアの背後に、千本の槍が生まれる。
プラナが杖を構える。
ガンテツが三本の足で踏ん張る。
ゼロナがすべての軌道を読む。
俺は最後の一回を守るため、減算を使わず走った。
「左、三歩!」
槍をかわす。
「跳んで!」
床を蹴る。
足元を光が焼いた。
「正面、七本!」
「《固定》!」
ガンテツが七本を止める。
残りが左右から迫る。
「拓郎の逃げ道、一つ追加!」
プラナが壁に穴を開けた。
飛び込む。
穴の向こうは、インフィニアの背後だった。
世界に必要な神の数が目の前にある。
「取った!」
数字へ手を伸ばす。
インフィニアが振り返った。
拳が腹へ入る。
息が消えた。
体が床を転がる。
「拓郎!」
立て。
最後の一回を持っているだけでは、世界は救えない。
届かなければ、ゼロと同じだ。
立ち上がる。
「なぜ分からない!」
インフィニアの周りで光が荒れ狂う。
「神がいなければ、世界は間違える! 人は奪い合う! 増やしても、分けても、足りないと叫ぶ!」
「知ってる」
「なら!」
「間違える権利まで、お前が奪うな!」
床を蹴る。
「正しさを一人で決めるな。世界はお前の持ち物じゃない!」
拳が来る。
避けない。
俺の顔へ届く直前、その腕をガンテツが固定した。
プラナが俺の歩幅を一つ足す。
ゼロナが叫ぶ。
「あと一歩!」
踏み込んだ。
数字をつかむ。
【世界に必要な神の数:1】
「世界最弱の一だ」
最初の鑑定所を思い出す。
笑い声。
攻撃力を一つしか減らせない、役立たず。
誤差。
冒険者失格。
「でも、一から引くには十分だ」
「《減算》」
【1 → 0】
◇
金色の光が砕けた。
音もなく、雪のように降る。
世界地図から容量の表示が消える。
滅亡可能回数も消えた。
世界を外から決めていた数字が、一つずつ見えなくなる。
風は止まらない。
空も割れない。
世界は誰にも足されず、誰にも固定されず、自分の力で次の一秒へ進んだ。
「終わった、のか?」
ガンテツがつぶやく。
「管理機能が消えました」
ゼロナの目から、数字の光が薄れていく。
「世界は自律しています」
「なら、これも戻してくれ」
ガンテツが三本目の足を指す。
「忘れてた」
プラナが自分の加算を解くと、光の足が消えた。
「やっと普通に歩ける」
「三本でも速そうだったけど」
「二度と足すな」
インフィニアが立ち尽くしていた。
もう光をまとっていない。
「私は、必要ないのか」
「必要とされないと不安か?」
「六百年、それだけを考えてきた」
「なら、これから考えろ。神じゃなくてもできることを」
インフィニアが自分の胸へ手を当てる。
そこに最後の数字が浮かんだ。
【神として存在できる回数:1】
「これを減らせばいいのか」
「俺の減算はもうない」
「あっても、君には引かせない」
インフィニアは穏やかに笑った。
「最後くらい、自分で引かせてくれ」
「消える必要はない」
「必要がなくなったから消えるのではない。私が選ぶんだ」
金色の欠片が、彼の足元から舞い上がる。
「私の体は管理核そのものだ。この核が残れば、世界はいつか私を足場に管理機能を作り直す」
プラナが唇をかむ。
「怖くないの?」
「怖い」
インフィニアは空を見た。
「初めて救った少年も、最初の世界も、忘れたくない」
エインが管理室の入口に立っていた。
傷だらけの顔で、神を見る。
「俺は覚えている」
インフィニアが目を見開く。
「あの日、あんたが俺を救ったことを。三年しかない俺が、死ぬまで覚えている」
「短いな」
「人間には十分長い」
インフィニアが笑った。
「そうか」
自分の胸から、神の核を取り出す。
一度だけ使える、まぶしい命だった。
「増やすだけでは、世界は豊かにならない」
両手で核を砕く。
【神として存在できる回数:1 → 0】
「あとは頼む、減算者」
「一人に頼むな」
「そうだった」
神は俺たちを見回した。
「あとは頼む。みんな」
光が消えた。
六百年間、世界を支え続けた男は、静かにいなくなった。
◇
半年後。
王都の冒険者ギルドは、朝から人であふれていた。
能力による等級制度が廃止される日だ。
人々の数式能力は、少しずつ薄れている。
プラナの《加算》は、今では一日に一度しか使えない。
ガンテツが固定できるのは、料理の味と鍋の位置くらいだ。
「十分だ」
本人は満足している。
ゼロナの目からも、他人の寿命や存在人数は見えなくなった。
「少し寂しいです」
「楽になったんじゃないか?」
「はい。人の顔を、数字なしで見られます」
俺の《減算》は、あの日から一度も動いていない。
能力が薄れたことで、混乱も起きた。
大きな数式だけを頼りにしていた冒険者は、剣を握り直した。低い数字を理由に門前払いされていた者は、初めて依頼書へ手を伸ばした。
昨日までS級だった男と、登録さえ断られた少女が、同じ教官から薬草の見分け方を習っている。
不満を叫ぶ者もいる。
喜ぶ者もいる。
急に平等な世界になったわけではない。金持ちは金持ちのまま。強い者は、能力がなくても強い。
ただ、生まれた日に見つかった数字一つで、人生のすべてが決まることはなくなった。
それだけでも、最初の一歩にはなる。
受付台に、新しい鑑定水晶が置かれている。
「吉田拓郎さん。再登録をお願いします」
水晶へ手を置く。
昔と同じ光景だ。
違うのは、誰も笑っていないことだった。
水晶が白く光る。
【能力:なし】
【等級:測定不能】
受付係が困った顔で規則書をめくる。
「現在の規則ですと、能力なし、等級測定不能は……冒険者失格です」
ギルド中が静まり返った。
バイロンが吹き出す。
マメタが腹を抱える。
「世界を救っても失格か!」
「二度目だな」
俺も笑った。
ギルド長が規則書を受付係から取り上げ、その場で破る。
「今、古い規則はなくなった。腕と行いで判断する」
「なら合格ですか?」
「試験が要る」
「何をすればいい」
依頼書を一枚、差し出された。
北の村で、川がせき止められている。
魔法ではない。
大雨で岩が崩れただけだ。
「普通の仕事ね」
プラナが俺の肩越しに依頼書を読む。
「能力なしで、巨大な岩をどかせるか?」
バイロンが聞く。
最初に動かした、一万キロの岩を思い出す。
あのときも、一度で消したわけではない。
考えて、削って、仲間と動かした。
「四人いれば何とかなる」
「私は料理担当だ」
「逃げるな、ガンテツ」
「数字が見えなくても、重い物は嫌いです」
「ゼロナまで何を言ってるの」
騒ぎながら、ギルドを出る。
空は広い。
数字は浮かんでいない。
世界があと何年続くのか、誰にも分からない。
答えを決める神も、未来を保証する数字も、もう空にはない。
それでいい。
増やしすぎたら分ける。
足りなければ助け合う。
間違えたら、みんなで直す。
プラナが隣へ並んだ。
「さっきの話、もう一回言って」
「何だっけ」
「私たちの相性」
「忘れた」
「記憶、戻ってないの?」
「それとは別だ」
杖で脇腹を突かれた。
痛い。
触覚があるのは、やはり悪くない。
「相性はいい」
「聞こえない」
「すごくいい」
プラナが満足そうに笑う。
少し先で、ガンテツとゼロナが待っていた。
俺は二度、冒険者失格になった。
一度目は、一しか引けなかったから。
二度目は、その一で世界を神から解放したから。
誤差で十分だ。
世界を変えるには、たった一つあればいい。
――完




