第壱話 不機嫌の理由
この日、柏木蓮の虫の居所はすこぶる悪かった。
彼の事をよく知る者で、この日ほど彼に話しかけるのを躊躇った事は今までなかっただろう。
それぐらい、少年は不機嫌だった。
そんな中躊躇いもせずに話掛ける事が出来るのはあの少女だけだろうと、今だ朝連の為クラスに顔を出していない一人の少女の事をクラス全員が考えていた。
出来ればこの得も言われぬ居心地の悪さを解消してくれないかと、些細でありながら彼らの本心を限りなく現わしている期待を持ちながら。
そして、その人物は現れる。
「蓮?どしたの?人でも呪い殺せそうな雰囲気出しちゃって」
ヒョコッと顔を出したのは小柄な少女だ。
その姿にクラスメイトの大半が胸を撫で下ろす。
「…朔か」
朔と呼ばれた少女は本名を狩谷朔乃、柏木蓮の幼馴染である。
ザッと身体的特徴を上げるなら、小柄で可愛らしい女の子といった所だ。
ただ付け加えておくならば、かなりの猛者であると上げておくべきだろう。
家が武道家元の旧家で、小さい頃から様々な習い事をさせられている。
柔道、棒術、槍術から、華道、茶道、舞踊まで。
小柄ながら自分の倍はありそうな男を倒すほどの腕前である。
その容姿から守って上げたいと申し出た男を尽く投げ飛ばしたという逸話はまだ記憶に新しい。
そんな彼女を諫める事も出来る蓮は、影で朔乃の彼氏だろうと囁かれているのは本人達も露知らぬこと。
「またなんか考え事?」
「あぁ、先日久しぶりにあの夢を見たんだ」
「夢ってあの?見なくなったって言ってなかった?」
「そのはずだったんだけどな」
苦笑する蓮にはすでに先ほどまで漂わせていた、人を呪い殺せそうな雰囲気はない。
「どうやら違うらしい。それで色々気になってな。調べてみたんだよ」
「調べたって…どうやって?知らない場所なんでしょ?」
「まぁヒントはたくさんあるさ。空にある星座、森林にある木々の形態でだいたいの季節と地域を特定する事は出来る。あとは…そうだな、月の角度とかだな」
「…夢なのに何見てるのよ」
「まぁ慣れた夢だからな」
蓮は気軽に言っているが、それがどれほど高度なものかは朔乃でなくとも検討が付く。
しかしそこは相手が蓮である事を忘れてはいけない。
「…蓮のトコってホント学者肌よねぇ」
朔乃の隣の家にある蓮の家は朔乃の家とは真逆で、祖父母、父母と代々続く学者の家系である。
蓮もそんな家系の血を色濃く受け継ぎ、小さい頃から学者肌だ。
気になった事は何処までも追及し、調べ上げるまでは諦める事すらない。
それを間近で見てきた朔乃は既に『蓮だから』で済ませられるぐらいには幼馴染をよく知っている。
「それで何かわかったの?」
「あぁ、だいたいの場所は判明したよ。○△県のやや山間、□○△山の麓辺りだと思う」
サラリと場所を口にした蓮に、朔乃はいささか疑問を浮かべる。
今までの蓮の行動を思い起こせば、それは確かに不審な点である。
「場所が分かってるのに何で不機嫌なのよ?」
「場所はそこで間違いないと思うんだが…」
「だが?」
「…ないんだよ」
「ない?」
「あぁ、俺が見た湖も、人が住んでいる形跡も、何もその地域にはない。存在しないんだ」
蓮は高校生と言えども拾える情報は全て拾ったのだ。
それも歴史書から現代書、果ては情報源にあやしさの残るインターネットまで駆使し、あらゆる方法で調べてみたものの、その片鱗すら掴めない。
それはすでにその仮定が既に間違っていると考える方が妥当という結論になる。
「じゃぁ間違っているんじゃないの?」
「そんなはずはない」
蓮の不機嫌の原因はそこにあるのだ。
あるべきものが存在しない――その違和感。
「他にヒントはないの?」
「特に何も――ん、待てよ?…あれが民謡ならどうにか…」
何かを考え付いたのか、また自分の思考の中へと篭ってしまった幼馴染にため息を付きながら、朔乃は指定された自分の席へと戻る。
あんなにも漂っていた居心地の悪さを解消してくれた朔乃に、密かに大勢のクラスメイトがまるで神に感謝するかのように祈りを捧げていたことは…当人は知らない。
元の話とはちょっと毛色の違った話になるかもしれません。
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