01-1
あの出来事から一ヶ月が経った。
妹が姉を追い出して当主の座につく、というなかなかにセンセーショナルな話は噂好きな社交界でも大きな話題になったらしい。
そして、それによりダリアは〝稀代の悪女〟として有名になったそうだ。
そうだ、というのは、あれ以来、ダリアは公の場には顔を出していないためだ。だから伝聞でしか状況はわからない。
当分引きこもり生活になるであろうことは予測していたので仕事に支障はない。ダリアにとって一番の問題は、膨大な当主の仕事だ。ダリアは毎日仕事に追われていた。準備はしていたつもりだったが、実際行うとなると予想以上の大変さだ。改めてメアリの有能さを実感する。
前当主だった父親と母親が一度に事故で亡くなってからは、メアリとダリアの二人で領地運営をしていた。
メアリには自分は有能だとさんざん豪語したダリアだったが、実は自分は普通でしかないことをわかっている。そしてメアリが非常に優秀なこともよく知っているのだ。
二人で領地運営と言っても、実際はメアリがかなりの仕事量をこなし、ダリアはその補佐だった。いや、補佐にはランダルというこれまた有能な人材がいる。彼は父の右腕として長く補佐を務めていた人物で、いくらメアリが有能とはいえ、父が亡くなった後に領地運営ができていたのはひとえに彼のおかげであった。
つまり、ダリアは補佐の補佐レベルでメアリと肩を並べるには程遠い。
そんなダリアがメアリと同じ量の仕事をこなすには時間をかけるしかない。休憩時間や睡眠時間を削って仕事をしているせいで、最近では目の下にクマが目立つようになってしまい、見かねたランダルに、少し休憩してきてくださいと、半ば強制的に執務室の外に追い出された。
執務室を出たダリアがどこに行くともなく歩いていると、とあるドアの前に着いた。無意識のうちにここに足が向いていたようだ。木製のドアには可愛らしい花のレリーフがあり、ここが女性の部屋であることを知らせていた。
ここはメアリの私室だ。この部屋の主はもういないが、部屋の中はあの日のままにしておくように指示している。
ドアを開けて中に入ると、ピンクを基調とした女性らしい壁が目に入った。必要な荷物はすべてノーバック家に運んだため、室内は閑散としている。
部屋の中心に残されたロッキングチェアに座り、ゆっくりと揺らすと、揺れに合わせて視界が上下する。
ふと、壁に不自然に残る黒いシミが目に入った。あ……、と懐かしさで思わず声が出た。
ダリアが小さい頃、家に遊びに来ていた幼馴染の男の子に裏庭でボールを投げる方法を教わったことがある。
上手にできるようになると嬉しくてメアリに見せたくなり、幼馴染が土で汚れたボールを拭くための布を用意している隙に、メアリの部屋まで猛ダッシュをした。
室内でボールを投げればどうなるかなど誰でも想像がつくが、幼いダリアにはメアリに見せて褒めてもらうことしか頭になかった。
外からボールを抱え走ってきて、投げるから見て! と室内でボールを構えるダリアに、メアリは慌てた。
メアリから本を借りるためにそこに居たもう一人の幼馴染の少年が止めようとしたが、手に持っていた本をどうするか一瞬迷ったため遅れてしまった。
ダリアは思い切りボールを放り投げた。
投げたボールは壁に勢いよく当たり、それが跳ね返ったところで、慌ててダリアを追いかけてきた幼馴染がボールをキャッチしてなんとか事無きを得た。
さんざん外遊びで使用したボールだったため、結果、ピンクの壁に黒くボールの跡がついてしまった。
ようやく現状を理解したダリアは、泣きながらメアリに謝った。
メアリが怒ってないからと慰めると、ダリアはようやく泣き止み、涙を袖口で何度も拭いた。
その間に、メアリの部屋にいた幼馴染の少年は、弟であるボール投げを教えた男の子と壁の汚れを拭いていたが、壁にこびりついたボールの跡は拭いた程度では取れなかった。
少しして落ち着いたダリアは三人を見渡し「ごめんなさい。わたしお父様に謝ってくる」としょぼんとして言った。
幼馴染の弟が「ダリアにボール投げを教えたのは僕だから、僕も一緒に謝りに行く。メアリと兄さんはここで待ってて」とダリアの手を取り部屋から出ていこうとした。
すると幼馴染の兄が「僕も行くよ。この部屋に来たダリアを止められなかったし、兄として弟のやったことに責任がある」と、二人を追いかけるよう前に出た。
ダリアは驚いて、男の子の手を振り払うと「だめよ。二人は悪くないわ。私一人で謝りに行く」
三人で言い合いをしていると、その様子を黙って見ていたメアリは
「ねえ、ちょっと手伝って」と壁際に歩いていき、ドレッサーを動かし始めた。幼馴染の二人が慌てて手伝いに行く。
「これをもっと右側に移動させたいの」
ドレッサーを移動させると、壁のシミは隠れて見えなくなった。
メアリは満足げに頷くと
「ほら、これで証拠隠滅。これは四人の秘密よ」
と口元に人差し指を添えて、内緒というように笑顔でポーズを取った。
あのドレッサーはメアリのお気に入りなので、ノーバック家に持っていかせた。
ドレッサーが無くなった場所には、ボールの跡がまだはっきりと残っていた。ボール跡を隠したかった両親はもういない。秘密を守ってくれた姉ももういない。
家から追い出した日の姉の顔がダリアの脳裏に浮かぶ。ノーバック子爵家からは元気にやっていると連絡は来ているが、本当にこんな方法を採ってよかったのか今でも自問自答してしまう。
とはいえ行動を起こしてしまったのだからもうやるしかない。現状維持ではだめだ。今よりもっとマクレディ領を発展させなければいけない。
そうしないと、そうしなければ
「お姉様が幸せになれない」
ダリアは気分を変えるように首を振ると、椅子から立ち上がり部屋から出た。
仕事に戻りたかったが、休憩の終了時間まではまだ余裕がある。休憩を繰り上げて戻っても追い返されるだけだろう。
しかたがないので屋敷の玄関から外に出た。目の前に広がる庭園は陽の光を浴びて輝き、睡眠不足の目には眩しすぎる。ダリアはそのまま屋敷の裏手にまわった。
屋敷の裏手は、華やかな表側の庭園とは違い、ただひたすら広く、殺風景だ。屋敷の近くは芝生が植えられテーブルや椅子が置かれているが、建物から少し離れると管理はほとんどされていない。たくさんの樹木が無造作に植えられていて、大きな池には魚が泳ぎ、使用人が休憩時間に釣りをすることもある。この屋敷は領民にとっての避難所も兼ねているので、万が一に備えているのだ。
もはやちょっとした森のようなそれは、屋敷の者には通称〝裏の森〟と呼ばれている。
ダリアは芝生をゆっくり踏んで、裏の森へ近づく。
ダリアが行くのがわかっていたかのように、裏の森のすこし手前の芝生にはピクニックシートが敷かれ、お茶とお菓子が用意されていた。
ダリアはまっすぐにそこに向かうとシートの上に寝転んだ。
見上げると樹木に鳥の巣箱がいくつかかかっているのが見える。それはダリアが趣味で作ってかけているものだ。
鳥の鳴き声が聞こえる。巣箱を使ってくれているんだろうか。それならうれしい。
小さい頃からここはダリアのお気に入りの場所だ。
以前は毎日のようにここに来ては巣箱の様子を確認していた。古くなったり壊れたりしたものは取り外し、新しい巣箱をかけ直したりしていた。
お陰でちょっとした大工仕事はお手の物だ。小さい頃は両親に危ないからやめなさいと叱られたが、懲りずに何度もやっていたので、最終的には絶対一人ではやらず庭師と一緒にやることという条件で許してもらった。
だが、当主になると決めてからは、巣箱を作るどころか、ここに来る時間すら無くなった。
空を眺めたのはいつ以来だろう、ダリアが樹木越しに晴れ渡った青空を見上げると、視界の端に古ぼけた巣箱が映った。
比較的新しい巣箱が並ぶなか、ひとつだけ古びたボロボロの巣箱。それをしばらく眺めるとダリアは静かに目を閉じた。




