08 戸惑いの変化
「師匠!聞いてください!」
「どうした。」
「剣を教えてもらえることになったのです!」
「私の弟子はやめて剣士になると?」
「まさか!違います!薬屋がお休みの日に、剣を教えてもらうのですよ。私は薬師になりますので。」
「分かっているさ。それで、その剣のお師匠様はどこの誰だ?」
「なんだか少し怖いですよ、師匠?」
「大事な弟子に他の師匠が出来たってんだから、ウキウキはしないだろう?」
「‥‥ありがとうございます‥。」
「なんでそこで照れるんだ‥‥。」
「言われ慣れていないので‥。」
エルローザが本気で照れてしまったので、イリスは勢いを失くしてしまった。
んん!とエルローザは咳払いをして調子を整える。まだほんのりと頬は紅いままだが。
「セヴラン様という騎士様です。前に皇太子殿下を助けてしまった時に顔見知りになって、その翌日に偶然お会いして!剣の話になった時にセヴラン様から「剣の手合わせをしないか?」って!仰ってくださったのです!」
「身体を動かすのが好きなんだとは思っていたけれど、本当に剣が好きなんだな。」
「はい!昔はっ‥‥‥。」
「‥‥‥。」
エルローザは不自然に言い淀んだ。それまでの高揚した気持ちが急降下し、花が咲くようだった笑顔から一気に表情が消えた。
しかしイリスは、全く気にしていないと言うように紅茶を飲んでいる。
「‥‥む、昔は‥薬学と同じくらい、剣の稽古もしていたので。」
震えないようにと手を握りながらも、声だけはどうしても震えてしまった。自分から、自分の過去に触れるなんて、今までは無かったのに。エルローザはそう思ったと同時に鼻の奥がツンとしたので、より一層手に力を入れて、息を止めた。
「それなら、剣の師匠が出来てよかったな。エルローザ。」
ハッとエルローザは息をのんだ。これまで意識して、エルベルトとエルローザを使い分けていた。意識していたのは"エルローザ"の時だ。そうだったはずなのに、今、彼女は無意識のうちにエルローザとしての話を始めようとしていた。いや、最初からエルローザだった、ということに気付いた。
イリスは変わらず、夕日色の瞳をエルローザに向けている。その視線にはどこか慈愛が込められているような気がした。
「どちらでもいいさ。どちらも私の弟子だ。」
「師匠‥。」
ぽんぽんとイリスはエルローザの頭を撫でた。それから調子を元に戻し、話を続ける。この切り替えの早さはイリスの美点であり、そして愛弟子に対するイリスなりの気遣いでもあった。この時のエルローザにとっては、心の底から有難かった。
「それで、次の剣の稽古はいつなんだ?」
「え、と‥次の休みは予定が合いませんでしたので、その次の休みです。」
「そうか。それにしても、セヴラン‥セヴラン‥‥どこかで‥‥‥ああ、サジテール侯爵家の次男か!」
「こう、しゃく?」
「なんでエルが知らないんだ。」
「‥家名は初耳です。侯爵家、のご子息でしたか‥‥。」
「そうそう。なんでも長男は放浪中だとかなんとか。それでその次男が次期侯爵だったはずだ。あそこの家系に持病は無いし健康体が多いしで、あまり関わったことはないな。侯爵夫人には、何度か薬を処方したことはあるけどね。」
「そうなのですね。確かに、セヴラン様は強そうでした。背も体格も大きかったです。」
「あー、それは前侯爵に似たんだろうねぇ。今の侯爵は、背はまあまあ高い方だが、こう‥線が細いんだ。長男と三男も背格好は侯爵に似ているよ。」
「セヴラン様のご家族はみんな大柄なのかと思っていました。」
「それなら騎士の家系だったろうよ。だがサジテール侯爵家は文官の家系だ。騎士になったのは数えるほどだろう。」
「では、セヴラン様のお父様と弟君は文官なのですね?」
「ああ。皇族への忠誠も厚い、ご立派な家系だよ。」
「‥‥。」
「会うのが怖くなったか?」
「いえ、怖くはありません。ただ、あの方の仰った言葉が、不思議で。」
「不思議?」
「はい。「貴族なのに私のような平民と普通に話をするのですね」と言った私に、セヴラン様は「生まれと職が違うだけだ」って仰ったのです。その時も不思議でしたが、侯爵家のような高位貴族だと知って、なおさら不思議で‥‥。」
エルローザの話に、イリスは先ほどとは打って変わって、機嫌よさそうに笑みを浮かべた。
「ほう、なるほど。サジテール家の教育は嫌味無しに素晴らしいもののようだ。」
「というと?」
「エルの剣の師匠として、サジテール卿を認めよう、ってことさ。」
「ありがとうございます‥?」
こうして、(要か不要かは別として)イリスの許可も下りたことで、エルローザの休日は殆どを"セヴランとの剣の鍛錬"という予定が占めることになっていったのだった。
「それにしても、師匠ってやっぱり伯爵様だったのですね。」
「どういう意味か聞いても?」
「他意はありません。」
「両手を上げても無駄だよ。胃薬と頭痛薬と咳止めの調合追加で。」
「‥‥了解です、師匠。」