コンビネーション
露骨に不機嫌そうな顔になるロッドの前に つかつかと歩み寄り、
シルクハットを軽く上げ挨拶をするチシャ。そして隣に立つノノルが
再会の喜びを表情に浮かべ、口を開きかけたのをやんわりと制すと、
丁寧にゆっくりお辞儀をした。
「クウォーター卿に先を越されてしまいましたね。誰よりも先に陛下を見つけ、
あなたを襲う恐怖や不安から いち早くお守りしたかったのですが…。
陛下、ワタシの不注意で あなたを危険な目にあわせてしまうところでした。
申し訳ないです。…この罪、許して頂けますカ?」
深々とお辞儀をした姿勢から、頭を上げること無くチシャが尋ねる。
その声音は硬く、痛みを伴っていた。訝しげに眉をしかめるロッド。
ノノルとチシャの間に何があったのかは分からない。しかし、あの偏屈で
他人のことなんて気にもとめず、自由気ままで有名なチシャが
ここまで後悔と自責の念にまみれている姿は初めてだった。
ノノルは 急に謝られたことで困惑していたが、
チシャの問いかけに反射的に頷く。
「えっと。も、もちろん。チシャのこと 許すよ?
だから、そんなに自分を責めないで。」
「…ありがとうございまス。」
すぐにそう答えたノノルに、チシャは顔をあげるとやわらかく微笑んだ。
シルクハットをかぶり直し、心配そうに見上げるノノルへ大丈夫ですヨ、と頷く。
「ちょっとよろしくて?チシャ、あなたが謝る理由については後でお伺いしますわ。
それよりも、陛下の安全が大切ですわよね。どうして外に出れないなんて
おっしゃるのです?理由は?」
ノノルの前へ一歩出ると 腕を組み、釣り目の瞳をチシャに向けるロッド。
その質問にチシャは 今見せますヨ、と言って指をぱちり、と鳴らした。
途端、周りの空間が歪み 一瞬で闇に包まれる。
「わわわっ…。」
ぐにゃぐにゃと歪む床に こけそうになったノノルを、チシャが腕を掴んで助けた。
やがて闇が元に戻り 歪みも直ってくる。そこは 遺跡の中ではなく、
遺跡の外にある木の上だった。三人ともそこに乗っている。
「落ちそう、だね。」
しっかりとチシャの腕に掴まり、下を怖々覗いたノノルが小声で囁いた。
ロッドが安心させるように言う。
「魔法なんで平気ですわよ。本当は遺跡の中にいますから。チシャには
幻灯で外の景色をわたくしたちに見せた意図をお伺いしますわ。」
「お答えします、クウォーター卿。あれが外に出れない原因なのデス。」
チシャが 遠くの方を指差した。表情が険しい。
ロッドも目を細めてその先を見つめた。そして、短い舌打ちが聞こえる。
「やっかいな奴らが来たわね。」
「あれは…。」
それは、魔法使いの群れだった。みな一様に黒い衣を纏い、杖を持っている。
一つの大きな黒い塊となって ぞろぞろと遺跡に向かってくるようだった。
「ガロンゾフの 特殊な魔法使いたちです。厄介さは先の大戦でご存じの通り。
強い攻撃魔法を使ってきます。ワタシたちは見つかってしまったようですネ。」
「このまま捕まったら、戦争になる…。」
焦るノノルに チシャが落ち着くよう言った。手段はあります、と。
「早々にグレテイッシュ卿と会って、ここから脱出しましょう。
彼もすでに到着しています。何食わぬ顔をしてウォルデラに戻り、
ワタシたちは『ここに存在しなかった』ことにすれば問題ありません。
捕えられ、存在を確認されてしまうと厄介デス。」
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あれだけ押しても開かなかった扉が、魔法で手前に引いただけで
あっさりと開いていった。ずずず、と 徐々に視界が開けていく。
「すっげー!さすがライン―…」
感動したようにラウルがラインを振り返った。
その瞬間、轟音とともに扉が完全に開く。
「――…っ!!!避けろ!」
突然トールがそう叫び、ラウルの右腕を思いっきり引っ張って
扉の正面から逸れさせた。ラインも声に弾かれるように
俊敏に反応し、後ろへと飛び下がる。
「っ痛ってぇー…。」
「弓を構えろ!俺が引っ張らなかったら、
そんな擦り傷じゃすまなかったぞ!」
動揺の混じった 焦るトールの声。
すでに右手には、鞘から抜き放たれた剣が握られている。
擦り剥いた腕をさすっていたラウルは いったい何事か、と
痛みに閉じていた目を開けた。
「んだよ…あれ…。」
ラウルの目に映ったものは、門から勢いよく飛び出してきた
三つの頭がついた巨大な獣だった。それは、先ほどまでラウルが
立っていた場所に ドドゴォ!と石塊と土煙を巻き上げながら着地する。
それぞれの首は違う方向を睨んでおり、ぎょろりとトール、ラウル、ラインの
三人を見据えると 恐ろしく尖った牙をむき出した。
ガルルルル…
低い唸り声が 体にびりびり、と響いてくる。トールは急に現れた
強敵にも臆すること無く間合いを計り、剣を斜めに構えた。
先に黒い獣が動くのを 気を張り詰めさせて待っている。
「ライン、無事か?」
強敵の出現に すぐさま背負っていた弓を引き抜いて弦を張り終えた
ラウルは、土煙で姿が見えないラインの名を叫ぶ。
黒い獣の反対側から なんとか無事です、と鋭く返ってくる。
「こいつは一体…。」
「来るぞ!」
ガルァッ!
動いた。
黒い獣は一声吼えたかと思うと、巨体に合わない恐ろしいスピードで
トールとラウルの方に向かってきた。大きく開いた口からは、
血の色に染まったかのような真っ赤な舌が覗いている。
「くっ…!」
トールが左に避け、ラウルは右に避けることで突進をかわす二人。
黒い獣は スピードを落とすこともせず、そのまま遺跡の壁に激突した。
衝撃で ずずん、と部屋が揺れ、天井から砂や岩が落ちてくる。
「何だってんだよ、あれっ!」
ラウルが怒鳴る。落ちてくる砂や岩を払いのけながらも、黒い獣からは
一瞬たりとも目は離さない。隙を突いて合流したラインは魔導書を開くと
眼鏡に手を当てた。額には、うっすらと汗が浮かんでいる。
「ケルベロス、ですかね。書物でしか見たことはありませんでしたが…。
地獄の門の前に存在すると言われる、残忍で凶暴な番犬です。」
ケルベロス――そう呼ばれた黒い獣は、まるで邪悪に微笑むかのように
口の端を上げた。そして避けた三人に向かって またもや突進を仕掛けてくる。
「…行くぞっ!」
迷いを完全に断ち切ったような声で トールはケルベロスの後ろに回りこむと、
巨体目がけて剣を振るった。早業の一撃によって切りつけられた傷が出来るのと同時に、
大きくケルベロスが吼える。
「そーらっ!」
トールが時間を稼いでる間、ケルベロスとの距離を大きく開けていた
ラウルは矢を放った。真っ直ぐ、そして素早く、矢はラウルの狙い通り
ケルベロスの足の付け根に刺さる。間髪入れぬうちに二本目、三本目も
同じように足の付け根へと刺さった。
「ライン!」
「任せたぞ!」
痛みに悶絶するかのように 今や体を どこそこ構わずにぶつけ大暴れしている
ケルベロスから逃げながら、ラウルとトールは希望の魔術師を振り返った。
「無駄にはしません。」
長い呪文の詠唱を止め、ラインは 魔導書に手を乗せた。
かっ、と 白い魔方陣が浮かび上がる。
そして、
グルアアアアアアア!
と、恐ろしい断末魔とともに ケルベロスの体は光に包まれた。
長い悲鳴の尾を引きながら その存在はどんどん薄れていく。
消滅呪文であろう。光が小さな粒になって消えたとき、
そこにはもう何もいなかった。
「はぁ…やったのか?疲れたぜ…。」
ラウルが呼吸を整え 警戒を緩めながら弓を下ろそうとする。
しかしすぐに、よく通る 澄んだ少年の声で制された。
「ダメです ラウルさん!弓を下ろしてはいけません!すぐに復活します!」
「…構えて。」
少年の声に続くように 低くて静かな声が注意を促した。扉の奥からだ。
慌てて弓を上げ ラウルは扉へと視線を向ける。そしてこちらへと駆け抜けてくる
声の主を認めると、あーっ!と声を上げた。
「パスティートに、シュトラ!やっと会えたなっ!」
最初にラウルたちの元へと到着した、黄金色の瞳と髪をもつ高い声の主。
まだ幼さの残る顔立ちから、まるで小動物のような愛らしさも感じられる。
彼は、パスティート=チェリーリフ卿。高貴な護衛の服に身を包んでいないと
どこにでもいるような子どもにしか見えない容姿ではあるが、実力は折り紙付き。
『金鷲の神童』と呼ばれ、その才溢れる器を認められて 最年少の護衛卿と
なった異例の少年だ。武器である魔剣に魔法の力を宿らせ、多彩な攻撃を仕掛けて
相手を翻弄する魔法剣を使った戦い方に長けている。
「お会いできて嬉しいです。けど、まだ油断しちゃだめですよ!」
ラウルの言葉に パスティートは少し笑顔を見せたものの、すぐに
右手に携えていた、トールの持つ長剣よりは少し短い魔剣を構え直した。
続いて パスティートの後を追ってきたのは、シュトラ=クロー卿。
片目を戦争で失っていて、その目を覆い隠すかのように包帯を巻いている。
戦場の中でも一際美しく、華麗に敵を倒すその姿に 畏怖の念を込めて各国から
呼ばれるようになった名は『金鷲の神舞』。双剣を自在に操り、敵が大勢であろうとも
一瞬のうちに地へ伏せ倒すほどの力を持った武人だ。高貴な護衛の中でも
彼の寡黙さは群を抜いており、言葉数は少ないながらも 周りとはうまく
コミュニケーションを取っている。
短髪に長身の彼は、その体躯に合わない 俊敏かつしなやかな動きで
パスティートの横に並ぶと、双剣を握り直して姿勢を屈めた。
「…来るよ。」