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真冬の闘争  作者: 小夜
第五章 聖王子が宮を離れて
35/50

5日目 北の街ブラン(前編)

遺体の描写があります。苦手な方はご注意ください。

 ローレリアン王子と護衛官のアレンが狭い城門を通り抜け、オトリエール伯爵領の中心地であるブランの街へ入っていったのは、それからほんの十数分後のことである。


 ブランは中世の趣をそのままに残す古い小さな町だったが、その街路は薄暗くて、うらぶれた雰囲気につつまれていた。


 普通なら、どんな田舎の街でも城門から街の中心である広場に通じる道の両側には商店や旅籠が建ち並び、その街なりの活気を呈しているものである。


 しかし、ブランの街の目抜き通りに面して建っている商店や旅籠は、どれも固く鎧戸を閉ざしていたのだ。そのなかには鎧戸を外から板切れと釘で固定してしまい、看板も外されたり壊れたりといった状態の、もうずいぶんと長く商いをしていない様子の建物もたくさんあった。


 石畳の雪掻きもろくになされていないので、足元はきわめて不安定だ。慎重に馬を歩かせながら、ローレリアンはつぶやいた。


「ブランの街の経済が疲弊しきったのは、昨日今日のことではありませんね。まあ、ある意味、文書でなされた報告どおりの状況を、この目で確認しただけにすぎないのですが」


 アレンは自分の眼光が鋭くなりすぎないように注意しながら、あたりへの警戒に余念がない。


「オトリエール伯爵がいかに理不尽な暴君であったかが、とてもよくわかる光景じゃないですか。領地全体の住人が食うや食わずやの状態に追い込まれたのでは、彼らに物やサービスを売る商売人だって商売あがったりですよ。

 おそらく、そこそこ財力のある者は真っ先に、この街を見捨てたのでしょうね。逃げ出す金も気力もない者は、ここにとどまり、希望のない明日について嘆いている」


「街の城壁の門には、歩哨すらいませんでしたね。

 この街を守る役目を担っていた領主が殺されてしまって、そのあとを継ぐ者もいないというわけです。

 反乱を起こした男たちは、鎮圧にやってくる軍隊と、この街で事を構えるつもりはないのでしょう。

 あの古くて低い城壁しか防御施設を持たないこの街では、城壁の外から射程距離の長い最新型の大砲で弾を撃ちこまれれば、ひとたまりもありません。

 まったく、殺されてしまった領主殿も困ったお方だ。

 ブランの街は、北街道の重要な防衛拠点になる可能性もある街だというのに。

 北の隣国ノールディンは、つねに隙あらば我がローザニアの国土へむけて南下したがっている国ですよ?

 大砲の性能向上にあわせて、防御施設の増強を考えるくらい、この街の領主なら自主的にやってくれなくちゃいけませんよねえ。

 そもそも、そういう役目を担う約束があるから、初代聖王陛下は伯爵のご先祖様に領地を与えたはずなのです」


「自分の役割をちゃんと果たそうとしていれば、領民に殺されたりはしないってことでしょ」


「そのとおりですね」と言いながら、ローレリアンは肩をすくめた。


 街には人気がないが、いくつかの視線は感じる。


 アレンがぐるりと視線を巡らせたとき、何度か木戸が慌てて閉じられる音も聞いた。


 街に残っている住人は、息をひそめて旅の神官と召使の動向を見つめているのだろう。


 さあ、ここからは本気で台本のない芝居を演じきらなければ。


 そう決心したアレンは、いかにも面倒くさそうに、周囲へ聞こえる大声をあげる。


「で、ユーリ様。

 これからどうなさるので?」


 馬で先を進むローレリアンも大きな声で答えた。


「とりあえず、プレブナン大神殿からのご命令通り、神殿へ行きましょう。ブランの街の神殿を視察して来いというのが、お偉方からのお申し付けです」


「はあ、なるほど」


「この街の神殿は通常のお約束どおり、広場に面して建っているのでしょうかね?」


 街の地図など、とっくの昔に頭の中へ納めてあることなどおくびにも出さずに、ローレリアンは馬を進めていく。


「まあ、迷うことはないと思いますがね。ここは小さな町ですから、広場の近くに神殿がなくても、すぐにどこかはわかるでしょう」


「あいかわらず、坊ちゃまは呑気ですねえ。

 俺は気味が悪くて、この街を好きになれそうもありません。

 なんでこんなに人気がなくて、さびれてるんですか」


「クローネくん。わたしのことを坊ちゃまと呼ぶのはやめて欲しいと、いったい何度言ったら、わかってくれるのですか」


「ええーっ、いいじゃありませんか、旅先でくらい。

 俺と坊ちゃまは、子供のころからのつきあいです。

 だから旦那様も俺のことを、坊ちゃまのところへつかわされたわけで」


「ほら、その言い草ですよ。

 もうきみはわたしの召使なのですから、父上のことは大旦那様と呼び、わたしのことこそ旦那様と呼ぶべきなのです。

 『親しき仲にも礼儀あり』ということわざを御存知ですか」


「あのですねえ、坊ちゃま。

 俺とあなたの間に主従関係があると主張なさるのなら、遅配になっている半年分のお給金を、いますぐ払ってください」


「あー、そうですね。

 ええとその、王都へもどったらすぐに払いますから、心配しないでください」


「また、そういうことを言う!

 さては、この視察旅行を引き受けたのは、特別出張手当をもらうためなんですね!? 確か、紛争地や被災地への視察には、手当てが倍増しで出るといっていましたよね!?」


「こまっている人のために働くのが、神官の本来の役目です。それに、きみの給金を、なるべく早く払ってやらなければなるまいとも思ったのです。

 ですから、文句は聞きませんよ」


「そもそも、俺に払う金がなくなった原因は、なんですか?

 いままでくりかえしてきた言い訳は、お友達に貸したお金が返ってこないとか、身売り寸前の可愛そうな少女を助けてやったとか、下町で旅芸人のめちゃめちゃ面白い芸を見て笑っているあいだに財布をすられたとかいった、間抜けそのものの内容でしたけれど」


「主人にむかって、マヌケとはなんですか、マヌケとは!」


「マヌケと呼ばれたくなかったら、たまにはびしっと、決めてみせてくださいよ!

 真冬の雪国へ視察旅行なんて、最悪の貧乏くじばかり、引き当ててきたりしないで!」


「視察旅行は貧乏くじなんかじゃありません!

 誰かがやらなければならない、立派な任務です!」


「みずから進んで引き受ける人がいないから『誰かがやらなければならない任務』になっちゃう厄介事を、世間では『貧乏くじ』と呼ぶんですよ!」


「だから、この旅行はちが ――」


「いいえ! この旅はあまたある貧乏くじの中でも、最低最悪レベルにあたる貧乏くじです!

 馬の背に乗っているだけで ――、ハックション! 凍えてきちゃう旅は、正真正銘、嘘偽りなく、純然たる貧乏くじです!

 ほ、ほらっ!

 鼻水が凍ってきちゃった!

 これこそまさに、貧乏くじの旅 ――、ハックション!」


 やたらと饒舌なアレンのほうをふりむいて、こいつ、芝居をおおいに楽しんでるなと、ローレリアンは思った。


 普段は余計なことをいっさいしゃべらない寡黙な近衛護衛士官の態度を貫き通しているアレンだが、本当の彼は陽気な男なのだと、親しい者たちはみな知っている。


 ただ、19歳の若さで大国ローザニアの王子の護衛隊を率いるためには、自分がその大任を担うにふさわしい人間であると、つねに証明し続けなければならないのだ。


 だからアレンは、『氷鉄のアレン』『王子殿下の影』という、おのれの異名を、よりそれらしく見せる努力を続ける。


 ローレリアンが、『聖王子』の異名にふさわしい王子であろうとして、日々努力しているのと同じように。


 ―― この旅の間くらいは、好きなだけしゃべりまくるがいいさ。


 そう思うとローレリアンには、アレンのわめき声が愛しくさえ感じられる。


 その気持ちがつい顔に出てしまったもので、アレンから叱られた。


「なにをニヤニヤ笑ってるんですか!

 かわいそうな召使の鼻が凍って取れそうになってるのが、そんなにおもしろいんですか!?」


 大憤慨のアレンからは、本物の怒気がおしよせてくる。


 軍人を辞めても、こいつなら役者で食っていけるなと思う、ローレリアンである。


 そうこう言っているうちに、二騎の馬は広場へたどり着いた。


 小さな街の広場は、やはり小さな広場だった。中央には共同の水場を兼ねた泉水が配してあり、そのまわりが馬車の方向を変えるロータリーとして機能する円形の道となっている。道の幅は一頭立ての馬車がやっとすれ違える程度しかない。


 自分の贅沢な生活を維持することにしか関心がなかった領主伯爵に放置されていた街には、近代化の波など届いてもいないのだ。


 広場のまわりには、神殿の聖堂や役所、街の有力者たちの住まいが建ち並んでいた。


 ブランくらいの規模の街なら、役所の建物は裁判所や税務署も兼ねた複合施設であることが多い。たいていは広場に集まった人々の前で代官などが演説する演台も兼ねた大きなバルコニーが正面にあるので、簡単に役所の建物は他と区別できるのだが。


「うぎゃあ~~~~~~あっ!」


 二騎の馬が広場へ入ったとたん、アレンがこの世の終わりでも見たかのような悲鳴をあげた。


 驚いた馬がその場で跳ね、あわてた召使は不恰好に落馬する。


 あいつめ、ちゃんと怪我をしないように道路わきの雪山の上に落ちたなと眼の端で確認しながら、ローレリアンは役所の建物へ近づいていった。


 背後では、雪山から懸命に這い出してきたアレンが、半泣きの情けない態度でわめいている。


「や、やめてください、ユーリ様!

 処刑された犯罪者の死体の顔を見るなんて、悪趣味ですよ!

 旦那様や奥様がお嘆きになります!

 坊ちゃまのお仕事は、神殿でお祈りすることでしょう!

 お願い、やめてぇ!」


 さんざん文句を言いながらも若い主人の心配をしてくれる召使の制止を無視して、神殿巡回査察官ユーリ・サントマリに扮した王子は、役所のバルコニーの手すりから吊り下げられた男の遺体の前で自分の馬の歩みをとめた。


 馬の背に乗っているローレリアンの視線の高さは、ちょうどバルコニーから吊るされた遺体の視線と同じ高さだった。


 縊死した男の遺体は、予想していたほどには傷んでいなかった。寒風吹きすさぶ気候にさらされていたおかげで、生きることをやめた人間の体は、腐ることもなく、蛆虫に食い荒らされることもないのだ。


 おそらく、バルコニーから吊るされた瞬間、首の骨が折れたのだろう。遺体の首は、正常な人間の首より長くのびている。


 はたして、その骨折の痛みを罪人が感じたかどうかは、定かではない。


 絞首刑は窒息死するまでを苦しまねばならない残酷な処刑法だと思われがちだが、じつは自分の体重のせいで縄が首にくいこみ血管が潰れて脳への血流が遮断されるため、吊るされると同時に失神してしまい、わけがわからないうちに死に至るという、もっとも苦痛が少ない処刑法なのだ。


 ローレリアンは、じっと、うつろな遺体の目を見つめた。


 処刑後、ずっとこの場にさらされていた遺体の目は乾いて縮みはじめており、まるで魚の干物の眼を見るかのようだった。皮膚は、生気のない蝋細工。頭や肩には、降り積もった雪が氷と化して貼りついている。


 遺体を見ても、ローレリアンの心に恐怖の感情は生まれなかった。


 彼は、王国の東の果ての街ですごした少年時代に、嫌というほど貧しい人々が無念の想いの中で死ぬ場面を見てきたし、王子の地位に返り咲いてからだって、数えきれないほどの人の死と向きあって生きている。


 ただ、思うのは。


 これが、おのれの欲望のみに身を任せて、領民から恨まれ復讐を遂げられた為政者の最後の姿なのだということ。


 負った責任を果たせなかった時、為政者が従って来てくれた者たちにささげられるのは、おのれの命だけなのだ。


 ―― わたしは、ローザニアの聖王子と呼ばれ、国民の期待を一身に担う存在だとされているが。道を誤れば国民から憎悪されたあげく、この死体と同じ運命をたどることになるのだろう。


 天を仰いで、王子は祈った。


 ―― どうか、幾千幾万の、世界を司る聖霊と神々よ。わたしの選ぶ道が、正しい方向へ向かうように、お導き下さい。


 ローザニアの民のために、命を捧げる覚悟はできている。

 けれど、わたしは、大国ローザニアを特権階級のみの支配から解放して、新たな国へ生まれ変わらせるまでは死ねない。

 それこそが、この時代に王子として生まれたわたしが果たすべき、責任だと信じているから。


 鞍袋のポケットを探り、旅の友ともいうべき雑役用のナイフを取り出す。このナイフは、時には野宿もしなければならない神殿巡回査察官の旅には、欠かせない小道具だ。薪代わりの枯れ枝を切ったり、パンや干し肉を切り分けたりといった、いろいろな用途に使える。


「ユーリ様、やめて!」


 雪まみれで駆けてくるアレンの目の前に、どさりと、遺体が落ちる。


「ひい~~~~っ!」


 悲鳴をあげて立ちすくんだアレンは、馬を移動させ、さらにナイフを使おうとするローレリアンを見あげて、抗議の声をあげた。


「広場にさらされてる処刑者の死体を勝手に降ろしたりして、いいんですか!?

 下手したら、こっちが犯罪者扱いされて、役人にとっつかまっちゃいますよ!」


 馬上からアレンをにらみ、ローレリアンは言い放った。


「我がローザニアは、いつから処刑のあと遺体を見せしめにさらすような、前時代的野蛮国に成り下がったのですか!

 司法がまともに働かない国は、早晩滅びてしまいますよ!」


 その宣言の最中、もうひとつの遺体が地面に落ちる。


 遺体はドレスをまとった女のもの。


 夫とともに処刑された伯爵夫人だ。


 雪と泥にまみれた石畳に散り広がる長い髪や女の衣裳を見て、ローレリアンは顔をこわばらせ、奥歯を噛みしめた。


 権力者の妻の命運は、夫と一蓮托生なのだ。


 自分が志半ばで力尽きれば、最愛の女性もこうなるのか。


 かっと、頭に血がのぼる。


 何が何でも、勝たねばならない。


 権力闘争に勝ち残り、わたしは必ず、この国を変える!


 この誓いを立てるのは、いったい何度目か。


 苦くむなしい想いに、ローレリアンはさいなまれる。


 宮廷貴族たちは、王子に生まれた彼を、幸運な者よとうらやむが。


 ローレリアン自身は、この宿命をありがたく思ったことなど一度もないのだった。

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