5日目 朝靄の街道で
王都を離れてより5日目の朝、いよいよローレリアン王子と近衛護衛士官のアレンは、民衆が反乱を起こしたオトリエール伯爵領へ入った。
ささやかな日差しが雲間からそそいだせいで、雪原の上には水蒸気が立ちのぼり、一帯の視界はかなりかすんでいる。
頬をこわばらせる冷たい空気に耐えながら、ローレリアンとアレンは馬の首を横に並べ、小声で夕べ泊めてもらった農家の様子の話をしていた。
日が暮れてから一夜の宿を乞うた神官とその召使に対して、農家の家族の態度は、そっけなかったのだ。
玄関へ応対に出てきたのは、その家の主ではなく、主婦らしい年配の女性だった。訪ねてきたのが旅の途中の神官だと知ると、彼女は「納屋にしかお泊めできませんが、それでもよろしければ」といい、そのまま家畜小屋と兼用の納屋へ案内してくれた。
家畜といっしょの納屋で寝られるのならば、乾いた藁の上で休めるし、動物の体温で空気も多少温まっているため、凍えることがない。野外での野宿にくらべれば、はるかにましな状態だと言える。
しかし、一夜の宿を求めてやってきた神官が「納屋で結構ですので」という言葉をそのままの意味に受け取り、「では、納屋にどうぞ」で済ませてしまうなど、世間の常識では考えられない対応なのだ。天候に農作物の実りを左右される農民は普段から信仰を大切にしているから、旅の最中の神官に助けを求められれば、とっておきの蓄えの食糧まで出してきて家族総出で歓待するのが、まっとうな感覚なのである。
「これはあくまでも、わたしの予想ですがね」
冴えない神殿査察官の口調で、ローレリアンは言う。
「おそらく、あの農家には、いま女手しかないのでしょう。
だから、神官とその召使とはいえ、若い男二人を、家の中に泊まらせることができなかったのだと思います。
粗末なものですがと、娘が持ってきてくれた豆と玉ねぎのスープも、あの家でできる精一杯のふるまいだったのでしょうね。
せめて神官様に暖かいものをさしあげようと、あるものをかき集めて作ってくれたのかもしれません」
「そうでしょうね」と、アレンも召使の口調で答えた。
「こんなところにお泊めしてすみませんって、あの娘、恐縮しまくっていましたもんねえ。
納屋にいた家畜も、痩せていましたし。
あのスープ、まさか食べたのは、わたし達だけじゃないでしょうね?
あの可愛い娘さんや女将さんも、食べていますよね?
あの家から、なけなしの食料を奪ったかもしれないなんて、考えるだけで嫌になります」
「好意を無にすれば、あの家の家族にとんでもない罪悪感を残しそうだったので、夕食はありがたくいただきましたがね。家族はおそらく夕食を食べていなかっただろうと、わたしは思います。
スープを受け取るとき、先を急ぐので明日の朝食はいりませんと申し上げましたら、娘さんは露骨に、ほっとしておいでになりましたし」
アレンは柔らかいフェルトの帽子の上から、もしゃもしゃと頭をかいた。
「うわー、嫌だ。嫌すぎる!
信心深い田舎の人間は、神官様を大切にしますからね!
なけなしの食料を捧げてくれる人たちに、そんなことをする必要はないんだって、教えてやりたいですよ!
目の前の神官様は、携帯用簡易祭壇のかくしひきだしに護衛官の拳銃を知らん顔でつっこんでおく、エセ神官なのに!」
アレンの拳銃は昨夜から、ローレリアンの持ち物の中にかくされているのである。この先、反乱民の集団と出くわしたときに召使が最新型の拳銃など身に帯びていたら、たちまち体制側のスパイとまちがわれて、問答無用で殺されてしまうかもしれないからだ。
神官としてのローレリアンがいつも旅先に持ち歩く簡易祭壇は、とてもよくできた代物なのだ。台座の寄木細工の美しい木目を一定の規則に従って動かしていくと、17回目の操作で、やっとかくされたひきだしにたどり着く仕組みになっている。もちろん、はたから見れば細工はただの寄木模様にしか見えず、ひきだしが存在すること自体、見抜くのは困難な作りである。
このひきだしの中には拳銃だけでなく、王子の身分を証明し、さまざまな命令書に実効を帯びさせることができる、指輪型の印章などもしまってあった。
エセ神官呼ばわりされたローレリアンは、さすがに気分を害した様子だ。おだやかな神殿査察官の態度を崩し、朝食代わりのビスケットが包まれていた蝋引き紙を丸め、アレンめがけて投げつける。
「わたしは正真正銘の神官だぞ!
しかも、次の大神官長を選ぶ選挙権まで持つ、えら~い神官様だ!
まあ、現在のわたしの地位は身分特権で手に入れたようなものだが、仕事はさぼっちゃいない。安息日には講話の説教もするし、国の未来への加護を神々に願う御祈祷だって、朝晩かかさずにやっているんだからな!
その熱心さに免じて、神々だって我々の護身用の武器をお守りくださる程度のことなら、気安くお引き受けくださるはずだ!」
わざと飛んできた紙くずをよけもせず、自分の横面にあてた近衛護衛士官は、軽薄な召使の口調で言い返した。
「痛いなあ。
自分に仕えてくれている者にむかって、物を投げる聖職者なんて、ありえないでしょう。
それに、自分で自分のことを偉いという人間に、本当に偉いやつなんかいませんよ。
あたりに人っ子一人いないからって、やりたい放題はやめましょうね」
一瞬、むっとした表情になったあと、ローレリアンも度の入っていない眼鏡を人差し指で鼻の上にもちあげ、呑気な貴族の三男坊の態度へもどっていく。
「まったく。
主を軽く見て言いたい放題の召使というのも、そうそういないと思いますがね」
ため息のあと、ローレリアンはあたりを改めて見まわした。
アレンが言うとおり、あたりには人影がまったくなかった。彼らが進んでいるのは、オトリエール伯爵領の中央を、さらに北にむけて抜けていく街道だというのに。
伯爵領の入り口にある集落から、ゆったりとした足取りで馬を歩かせはじめてから、すでに一時間が経過している。朝の早い時間とはいえ、街道で誰とも出会わないのは不審すぎる。
街道のまわりの平地は雪に埋もれており、その下が畑なのか牧草地なのかは、土地勘のない彼らには分からなかった。
遠目には、なだらかな山と落葉広葉樹の林が見える。
そんな単調な風景の中に、道だけがうねうねと、どこまでも続いているのだ。
耳に聞こえる音も、自分たちの馬の足音と呼吸音だけ。
ローレリアンのとなりで、アレンがわめいた。
「あああ--------あっ!
なんだか、大声を出したくなりますね。
わめいたところで、返事をしてくれるのは、狐か野鼠くらいでしょうけれど」
ローレリアンは苦笑した。
「道から離れた木立の陰にかくれて、誰かがこっそり、こちらを見ている可能性はおおいにありますがね」
「じゃあ、呑気そうな二人づれの旅の目的を、ここらでひとつ、わめいておきますか」
そう答えたアレンは、また大声をだした。
「ユーリ様ぁ!
この道ってば、本当に街道なんですか?
だれとも行き会わないじゃないですか!
真冬の雪国へ視察旅行なんて、狂気の沙汰ですよ!
中央の人たちって、いったい何を考えてるんだか!」
街道を見張っている人間に、わざと会話の内容を聞かせようとするアレンの芝居は、かなり上手だった。馬上で身をそらし、手綱を握っていないほうの手を振りまわして、ふてくされた召使そのものの態度である。
笑いださないように気をつけながら、ローレリアンはアレンにだけ聞こえる静かな声で言った。
「ひょっとしたら、伯爵領に住む平民の男たちは、全員が反乱に参加しているのかもしれませんね。だから、この辺には人の気配がないのだろうと考えるのは、妥当な判断だと思います。
案外、昨夜泊めてもらった農家の主も、反乱民と行動を共にしているのかもしれませんよ。
一夜の宿のお礼に、夜が明けてから農家の軒先で加護の御祈祷をしてさしあげましたら、女将さんも娘さんも、ちょっと異様な雰囲気で祈っていましたからね。
あれは、主の無事や、自分たちの将来について、祈っていたのかもしれません。
貴族勢力に指揮された第9師団が出動してくれば、反乱に加担した村には情け容赦なく火が放たれるでしょうし、正義の名のもとに略奪や強姦が行われる。女子供はなによりも、それを恐れているはずです」
アレンは、ふてくされた召使の態度のままで、ローレリアンの話を聞いている。
しかし、ぼそぼそと彼の口から出てくる質問は、態度とまったく違う内容だ。
「第9師団は仮にも王国の正規軍でしょうに」
「末端の兵士には、入隊支度金欲しさに軍へ志願した貧しい農民の子弟が多い。若い娘が身売りするのと同じ感覚です。
地方には、そうした新兵たちに、まともな給金を払っていない部隊もまだあるのです。
貧しい農家出身の兵士はほとんど学校にも行っていませんから、入隊の際にサインする契約書も読めません。見習い期間中の給与は預託金として預かるなどという、とんでもない内容の契約書に、それと知らずにサインしてしまうのです。
そして、ピンハネされた給金は、士官の懐へ入るというわけでね。
古参兵にいじめられ、金も持っていない兵士は、上官から略奪を許されれば喜んでやりますよ。
恥ずかしながら、それが王国軍の現状です」
「なんてざまだ……!」
「そういう馬鹿げた習慣をやめさせるためにも、軍の士官は身分にかかわらず、養成校を出た者で固めていくつもりです。
近代戦には、それにふさわしい教育を受けた指導者が必要ですし。
いつか必ず、軍の内部の腐りきった病巣もえぐりだしてみせます。
ここでも、わたしは国家30年の計を語るわけです」
「そこでまた俺は、リアンには頑張ってもらわなけりゃと、思うってわけですか」
「ええ、頑張りますよ。生きている限りはね。
だから、アレンくんも、めいっぱい頑張ってくださいね。
きみは栄えある王国軍士官学校の一期生なのですから。せいぜい活躍して、士官学校の教育の素晴らしさを宣伝する広告塔になってください」
「はあ、なるほど。そう来ますか」
「国の費用で教育を受けた人には、国のために働いてもらわなければねえ。
投資とは、利益を回収してこそ意味があるものなのです」
「俺は、投資の対象ですか」
「はい。人間への投資は、じつにおもしろいです。
ときには期待した分の何倍もの成果を、返してくれたりしますからね。
わたしは、人材こそが国家の財産だと信じています」
アレンは感心して唸った。
「あなたは本当に、なるべくして王子に生まれついた人なんですねえ」
「それはちがうと思います。
人は環境によって、それらしく育つ生き物なのですよ」
言外に、王子なんかに生まれたくなかったというローレリアンの気持ちを感じとり、アレンは次の言葉を飲み込んだ。
この問題について話を続ければ、ローレリアンの心の傷に、深く切り込んでいってしまうだろう。これから敵地へ入っていこうというときに、ふさわしい話題ではない。
話題を変えなければ。
そう思いながら、アレンは言った。
「それはそうと、今日は我々が王都から離れて5日目です。
そろそろ一般の通信社の書簡を通じて、王都に伯爵領反乱の第一報が届くころかと思うのですが」
ローレリアンは落ち着き払って答えた。
「通信社からの第一報くらいまでなら、国王陛下がなんとかなさるでしょう。すでに宰相殿の名で、各新聞社への検閲を行う手筈は整っているのですから。
問題は、徒歩で街道を行き来する、一般旅客が王都にもたらす噂のほうです。
人の口から口へ伝わる噂は、あなどれません。
噂に惑わされた宮廷貴族たちが暴走を始めようとするのが、あと2日後か、3日後かといったところでしょうか。
ある意味、今日、明日の成果が、我々の命の安全を左右することになるかもしれませんよ」
「ふああ、身が引き締まりますね」
そういって二人がうなずきあった瞬間、一陣の風が雪原の上の霞を払い、開けた視界のむこうに城壁に囲まれた街が見えた。
重い雪の湿気で黒ずんで見える城壁は、王都のそれより、ずっと低かった。アレンとローレリアンが進んでいる街道は、国境を越えて北の隣国まで続く古来からある道だ。街の城壁も、王国建国以前の古い様式にのっとって作られている。
「着きましたね」と、アレンがつぶやく。
「ええ、いよいよです」と、ローレリアンも答えた。
北へむかう街道の要所オトリエール伯爵領の中心の街ブランは、不気味なほどに静まり返っており、白い大地のうえに横たわっているかのように見えていた。




