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赤い瞳とお祓い屋  作者: 相宮祐紀
第四章 鮮赤の瞳
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二十八 理屈

「わたし、こんなすがたではなかったの」

 寿々(すず)はそうくり返すが、葉末《はずえ》にはやはりわからなかった。櫛を置き、肩の上の寿々をみあげる。

「それは、どういうことでしょうか……」

 寿々は鏡のほうを見ていた。ちいさく首を傾けると、切りさげた髪がさらりとゆれた。

「そうね。長いこと霊でいるから、できることが増えちゃった、というか」

「できること……?」

 そうよと、寿々はかろやかにこたえる。

「できることがね、増えちゃったの。どういう理屈かはわからないんだけど、たぶん理屈じゃないのよね。わたしたちがいること自体」

 寿々が足をぶらぶらとさせても、葉末の身体にはぶつからない。ふんわりと冷たい空気のゆれが、胸もとにあたるだけである。葉末はきゅっと唇を噛んだ。

「霊って、死んじゃったときに近いすがたをしてるって葉末、いまは思ってるでしょ。だいたいがきっとそうなんだけど、でもね、わたしはそうじゃないの」

 寿々は葉末の肩からおりると、となりに座って腕にもたれた。やはりふよふよとした頼りない感触が、やわらかく腕のあたりを包む。

「背格好はこんな感じだったけど。でも、着てるものはちがうんだ」

 淡い紫色の袂を、ちょいとつまんで寿々は言った。

「こんな立派なの着てなかったの。これ着てると、いいところのお嬢さんみたいだけどね。長屋住まいで、父ちゃんは工場の日雇いで、母ちゃんは裁縫の内職してた。弟と妹がひとりずついて、かわいかったんだよ。いつもわたしのうしろについてきてね、ああ、話がそれちゃうや。……とにかく、お嬢さんじゃないんだ。死んじゃってからすぐのときはね、最初はつんつるてんみたいな、着物きてたの。でも気に入ってた」

 葉末はひとつうなずいた。ゆっくり手を伸ばして、そっと寿々の肩を抱いた。なぜいま、寿々がこの話をするのか、葉末にはわからなかった。けれども、寿々は話したいのだ。その気持ちにはこたえたかった。

「はい、寿々さま」

「うん。えっとね、でもわたし、お嬢さんに憧れてたから、お華族のお嬢さんみたいな、お着物きてみたくてね。そう思ってたらいつの間にか、こんな格好になってたの。だから話しかたなんかも、お嬢さんらしくしようと思って、ちょっと、気取っちゃってたんだ」

「はい……」

「それでね、わたしのなまえ」

 寿々は袂から手を離し、上から下へ撫でながら言う。

「寿々っていうでしょ、寿《ことぶき》ふたつで。でもほんとはね、漢字なんてなかったの。ひらがなで『すず』、こうやってね」

 袂に細い指先で、ふたつのひらがなをえがいてみせる。葉末はそれをみつめていた。

「寿ふたつで寿々っていうのは、つけてくれたひとがいるんだ。わたしが、なまえに漢字があるのが、うらやましいって言ったらね。漢字、つけてあげるって」

 寿々はどこか懐かしそうに、大きな目をふっと細める。

「そのひとのなまえは、ちょっとおもしろいの。右に作るで、右作《ゆうさく》っていう」

 葉末は一瞬、息をとめた。

 海辺で柳《やなぎ》の話を聞いたときから、考えていたことがあった。なくなった幼なじみの名前は、「すず」だと柳は言っていた。それはもしかして、いつも邸にいる寿々のことではないのだろうかと。けれど、寿々が邸にいることは内緒にするよう約束しているし、柳に「すずちゃん」について根掘り葉掘り聞く気にもならなかった。だからそのままにして、ひと月が経ったのだ。だが、やはり柳の言う「すずちゃん」は、いまそばにいる寿々のことだった。そうでまちがいないだろう。葉末は、静かにうなずいた。

「おふたりは、幼なじみなのですか?」

 たずねると、寿々はにっこりと笑って、葉末の顔を見あげてきた。

「そうだったよ。でもわたし、川に落ちて死んじゃって。それでこんなふうに、霊になったの。それはなんでかっていうとね」

「寿々さま」

 葉末は寿々を抱きしめた。じぶんでもそうすると思っておらず、おどろいたけれどもやめなかった。そして抱え込んだ寿々は、どこまでが寿々かわからなかった。ひやりと冷たい感触と、楚々とした香りが頬をかすめた。

「寿々さま、それはいけません」

 葉末は寿々を抱きしめた腕におそるおそる力をこめた。

「いけません、それを話したら……」

 祓い屋をはじめ、霊が視える者を前にして、己が霊となったわけを語ればその霊は消えてなくなってしまう。いままで、幾度も霊が消えていくところをこの目でみてきたのだ。砂の城がくずれていくように、さらさら、さらさらと消えていくのだ。それは、決してよろこばしい光景などとは言えなかった。祓いのあとはなんとなく気持ちが落ち込んでしまった。そういうときに柳はいつも、茶とあまいものをすすめてくれた。なにかが消えるのをみとどけることは、それだけせつないことだった。まったく知らないひとだったとしても、胸にちいさな穴が開く気がする。それなのに、寿々が消えてしまったら。目の前でいなくなってしまったら。葉末は幾度も首を振った。

「寿々さま、それは、いけません……」

 寿々が、いま話したいのだとしても。そうですかと受けいれることはできない。

「寿々さま……」

「葉末」

 ふと頬に、やわらかな冷たさがふれた。寿々が腕の中で手を伸ばし、頬を撫でてくれていた。

「葉末の字は、わたしすぐわかったの。むかし右作が教えてくれたことあるから」

「え?」

「葉っぱの先のこと、葉末っていうって。字も書けるんだよ、こうやってね」

 寿々は、今度は葉末の膝に指先で字を書き始めた。とてもかすかだけれどわかった。寿々は間違いなく、葉末と書いた。

「ねえ、なんか、お似合いじゃない?」

 寿々の笑みが深まり、いたずらっぽくなる。

「柳に、葉末ってよく似合わない?」

「え?」

 間抜けに一文字、え、とだけしかこたえることができず歯がゆい。葉末は寿々の目をみつめた。黒い硝子玉のように、丸く、つやめいてうつくしい。

「とにかく、葉末。聞いてほしいの。わたしもう、右作のこと、つらい目に遭わせられないし」

 噛んで含めるように言う寿々は、そこはかとなく寂しげで、けれどなにかを決意したようにまっすぐな強いまなざしをしていた。





**





 右作は夢を見ていた。これは夢だと知っていた。なんだか身体がかろやかだった。土にところどころ草の生えた道を、気持ちよく駆けていた。どこへ向かっているのかも、無意識のうちに知っていた。川辺だ。あの川のほとりだ。でも、今日はなぜだかたのしい気分で、浮足立つことも沈み込むこともなく、地に足をつけて走っていた。

 川のせせらぎが聞こえてくる。さらさらと澄んだきれいな音だ。だんだんと近づいてきて、右作は待ち合わせ場所にたどり着いた。そこには、ひとりの女の子がいた。

 裸足に草履をはいており、丈の短いものを着ている。まっすぐな髪は肩の上で、ぱつりと切り揃えられている。黒目がちの大きな目をしたかわいらしい女の子だ。右作はその子の名前を呼んだ。

「寿々ちゃん」

 するとその女の子、寿々はぷうと頬をふくらませた。どうやら、右作が遅かったので怒ってしまっているらしい。右作は寿々に謝った。いまからいっぱい遊ぼうと、ごめんねと幾度も言った。けれど、寿々はこたえなかった。どうしようと思って顔をうかがうと、もう頬はふくらんでおらず、怒ってはいないようだった。そのかわり、どこかおとなびた、落ち着いた笑みを浮かべていた。そのちいさな唇が動いた。

 ────右作、もうだいじょうぶだね。

「寿々ちゃん」

 右作はもういちど呼んだ。その瞬間に目が覚めた。

 見慣れた天井が見おろしてくる。右作は軽く息をついた。水瀬《みなせ》葉末に話をしてから、川に飛び込む夢は減っていた。そしてさきほどのような夢は、いままで見たことのないものだった。

 身を起こし、髪を掻き回す。そうしていると、夢の中の寿々の表情が思い出された。あんなおだやかな、寂しげな顔を見たことはあっただろうか。胸の奥がじくりと痛む。そのとき、部屋の外で声がした。

「お師匠さん。夜分に失礼いたします」

 右作はおどろいてしまった。水瀬葉末の声である。寝る前にそれぞれの部屋に分かれてから、水瀬葉末が声をかけてきたことはない。正確に言えばあるのだが、それは、悪夢から引っ張り出されたあの夜だけだ。なにかあったのだろうか、右作は掻き回した髪の毛もそのままに、急いで部屋の襖を開けた。そこには、きっちりと正座している水瀬葉末のすがたがあった。目が合うなり、彼女はきっぱり言った。

「お師匠さん。だいじなお話があります」

 彼女の心から真摯なようすに、右作はすぐにわかったとこたえた。

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