第三話 婚約破棄に遭遇しましたが、王太子が『僕は童貞なのに!?』と叫んでいます
「お前との婚約を破棄する!」
大広間に響き渡った声を聞いた私、伯爵令嬢であるセシリア・アースキンは、その場で足を止めた。
隣を歩いていた侍女のリタも止まる。
「……聞こえましたね」
「ええ」
ほんの少し前まで、階段から突き落とされたと訴える二人の令嬢を相手にしていた。
正確には、互いを突き落とそうとして階段を一段ずつ下り、最後の三段だけ転げ落ちた二人だったが。
その騒動がようやく終わったと思ったところである。
「帰ってもよろしいでしょうか」
「お嬢様のお屋敷ではございませんので、ご自由かと」
「そうよね」
帰ろう……今日はもう十分だ。
そう思ったものの、大広間からざわめきが聞こえてくる。
「なんでですか、殿下!?」
今度は女性の悲痛な声に、扉の前で立ち止まった。
「……王太子殿下ですの?」
「先ほどのお声は、そうかと」
帰りづらくなった。
王太子の婚約破棄ともなれば、今日開かれている夜会そのものに関わる大事件。
仕方なく広間へ入ると、人々が大きな輪を作っていた。
中央にいるのは、王太子アドリアン・レオポルド・ヴァルディエール。
その向かいには、婚約者である公爵令嬢アメリアが立っている。
そして。
「……あら」
思わず声を漏らした。
アメリア様の腹部が、大きく膨らんでいた。
ゆったりとしたドレスを着ているものの、隠し切れる大きさではない。
夜会に姿を見せるのは数か月ぶりだと聞いていた。体調を崩して領地で静養していたはずである。
「なぜって……妊娠しているからだ!」
アドリアン殿下が震える指で、その腹を示した。
広間がざわめいた。
それはそうだろう。
婚姻前の王太子の婚約者が妊娠している。
しかも王太子自身が、それを理由に婚約破棄を宣言している。
事情を知らない私にも、かなり大きな修羅場であることだけは分かった。
「どうしてそんなことをおっしゃるのですか!この子は殿下の御子です!」
アメリア様は腹を庇うように両手を添えた。
「僕は童貞なのに!?」
広間が静まり返った。
先ほどまであれほど騒がしかったというのに、楽団の奏でる音さえ止まっている。
やがて……
「……殿下が?」
「まあ……」
「二十二歳で……?」
「まだ……?」
ざわっ。
先ほどとは明らかに種類の違うざわめきが広がった。
「そこ!ざわつくな!今、重要なのはそこではない!」
殿下の顔が真っ赤になった。
「殿下!私を愛してくださったではありませんか!」
「だから、僕は君とそういうことをしたことがないと言っているんだ!」
「私のお腹には、確かに殿下のお子が!」
「どうやって!?」
もっともな疑問だ。
私は輪の後ろから二人を見る。
殿下はかなり取り乱しているし、アメリア様は泣いている。
周囲の人々は王太子が童貞だったという情報に動揺している。
誰も話を進めようとしない。
「……お嬢様」
「何?」
「またです」
「言わないで」
リタが黙った。
できれば関わりたくない。
先ほど自分の婚約者と親しい友人の情事を目撃したばかりなのだ。
そのあと階段で令嬢二人が殴り合っていた。
今日はもう、人様の男女関係について考えたくない。
「殿下」
「君は?」
「セシリア・アースキン伯爵令嬢です」
「ああ……」
それでも、気づけば声をかけていた。
なぜか殿下の顔に安堵が浮かんだ。
「君か!」
「はい?」
「先ほど浮気現場で証人を集めていた令嬢だろう!」
広間がまたざわついた。
目を閉じたくなった。
どうしてもう広まっているのだろう。
「見てくれ!?」
「何をです?」
「これを!」
アドリアン殿下がアメリア様の腹を指さした。
「それは私が確認してよいものではないかと」
「違う!この状況を!」
「殿下、私は捜査官ではございません」
「知っている!」
「探偵でもございません」
「それも知っている!」
「ではなぜ私を頼るのです?」
「証人を集めるのが得意だと聞いた!」
いつの間にそんな特技になったのだろう。
仕方なく彼女を見た。
「アメリア様。妊娠なさっていること自体は間違いないのでしょうか」
「ええ」
「医師の診察は?」
「受けました」
「何か月です?」
「五か月です」
「五か月……」
続けて、アドリアン殿下を見る。
「殿下。五か月ほど前に、お二人きりで過ごしたことは?」
「ない!絶対にない!」
「そこまで強くおっしゃらなくても」
「手を繋いだことすら数えるほどしかない!口づけも額に一度だけだ!」
「殿下」
「それ以上は何もしていない!僕の体は清いままだ!!」
「分かりましたから、そろそろお止めくださいませ」
今度は何人かの令嬢が気まずそうに視線を逸らしていた。
王太子は自分の潔白を証明するためなら、どこまで秘密を暴露するつもりなのだろう。
改めて彼女を見る。
「では、アメリア様。どうして殿下のお子だと思われたのです?」
「思ったのではありません!殿下のお子です!」
「ですが、殿下は身に覚えがないと」
「殿下がお忘れになっているだけです!」
「忘れるものなのでしょうか」
「僕は忘れてない!」
アドリアン殿下が叫ぶ。
「ヤッてないからな!」
「殿下、もう少しお静かに」
「僕の一生に関わるんだぞ!」
それもそうだった。
叫びたくなるのもわかる気がして、ほんの少し考える。
「アメリア様。いつ、どちらで殿下と?」
「それは……」
「五か月前でしたら、日付までは難しくても、場所くらいは覚えていらっしゃるのでは?」
「王宮です」
「王宮のどちらで?」
「……殿下のお部屋よ」
殿下が目を剥いた。
「入れたことすらない!」
「アメリア様。殿下のお部屋には、どのように?」
「普通に……」
「王太子殿下の私室ですので、護衛も侍従もいらっしゃると思いますが」
アメリア様が黙った。
周囲の視線が集まる。
「何時頃でしょう」
「深夜」
「どうやって入ったのです?」
「窓から……」
「僕の部屋は三階だ!梯子でも持ってきたのか!?」
「今、それを確認しております」
「すまない」
アドリアン殿下がようやく黙るころ、アメリア様の顔色が悪くなっている。
「アメリア様」
「……」
「お相手は、本当に殿下なのですか?今でしたら、これ以上話を大きくせずに済む可能性もございます」
「……」
「お子様のお父様は、どなたです?」
「……だって、あの人が……逃げたから……」
小さな声に、アドリアン殿下が固まった。
広間のあちこちで息を呑む音がする。
「誰なんだ!?」
「殿下、落ち着いてくださいませ」
「僕の子だと言われたんだぞ!」
「ですから、今確認しております」
アメリア様はしばらく俯いていたが、やがて泣きながら一人の男性の名を口にした。
聞き覚えのない名。王都に滞在していた楽団員で、すでに国を出たという。
「結婚してくれると言ったの……」
彼女の肩が震える。
「でも、妊娠したと伝えたらいなくなって……。もうすぐ殿下との婚礼なのに、このままでは……」
「それで僕の子にしたのか!?」
「だって殿下なら、捨てないと思って!」
「そもそも僕の子じゃない!」
当然だった。
私は小さく息を吐いた。
「では、今回の婚約破棄については、殿下のおっしゃることにも筋が通っているようですわね」
「今回の!?」
アドリアン殿下が振り返ると、まだ何かあるようで抗議をし始めてくる。
「なぜ『今回の』と付けた!」
「特に意味はございません」
「何か不安になる言い方をされた気がするんだが!」
「お気になさらず」
アメリア様は両親に連れられ、広間を出ていった。
事情については、これから両家と王家で正式に話し合われるのだろう。
ひとまず、私がこれ以上できることはない。
「それでは私はこれで」
「待ってくれ!」
「まだ何か?」
殿下が真剣な顔で近づいてきた。
「君のおかげで助かった」
「私は質問しただけです」
「それでもだ」
そこでようやく、王太子らしく背筋を伸ばした。
「改めて礼を――」
「あの、その前に、一つだけ」
「なんだ?」
「先ほどの発言は、かなり広まると思います」
「先ほど?」
私は控えめに周囲を見た。
「……童貞でいらっしゃるという」
「……」
アドリアン殿下の顔から血の気が引いた。
広間に残っている人々が、一斉に視線を逸らす。
「忘れてくれ」
「私は構いませんが」
「全員忘れてくれ!!」
その願いが叶わないことだけは、私にも分かった。
「では、今度こそ失礼いたします」
「ああ。今日は本当に助かった」
殿下がようやく落ち着きを取り戻した、そのときだった。
「殿下……!」
人垣をかき分け、一人の令嬢が駆け寄ってくる。
見覚えのない令嬢だった。
淡い桃色のドレスをまとい、胸元には赤い宝石を下げている。
「ご無事でよかったです。婚約破棄の声が聞こえて、私、心配で……」
「君は……」
アドリアン殿下が彼女を見ると、そのまま動かなくなった。
「……なんて、美しいんだ」
「殿下?」
突然の温度差に眉を寄せた。
先ほどまで婚約者の妊娠騒動で真っ赤になっていた男とは思えないほど、アドリアン殿下の表情が蕩けている。
「ようやく分かった」
「何がです?」
「僕は今まで、本当の愛を知らなかったんだ」
「殿下?」
殿下は令嬢の手を取ると、たからかに宣言をした。
「僕は、真実の愛を見つけた!」
次々に修羅場に遭遇する令嬢…次はどんな修羅場に遭遇するのか…
気になったら、ブックマーク、★★★★★、よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ
もし、こんな修羅場を見てみたい!などありましたら、感想でもらえると嬉しいです!




