第1話 目覚めた先は、機械の墓場だった
身体を動かすことさえできず、病院で生涯を終えた神代レン。
次に彼が目を覚ましたのは、壊れた機械と宇宙船が積み上がる、遠い未来の廃棄惑星だった。
これは、一度すべてを失った男が、捨てられた魂を修復しながら、自分自身の人生を取り戻していく物語。
ピッ、ピッ、ピッ――。
一定の間隔で繰り返される電子音を、俺はもう何度聞いてきただろう。
朝も。
昼も。
夜も。
目を閉じていても、今が病院であることだけは分かる。
鼻の奥に残る消毒薬の匂い。
薄いカーテン越しに聞こえる、ゴム底の靴が床を擦る音。
遠くで交わされる医師と看護師の短い会話。
天井の照明はまぶしいはずなのに、今の俺には白い染みのようにしか見えなかった。
「神代さん。聞こえますか?」
誰かが俺を呼んでいる。
返事をしようとした。
けれど、喉から声は出なかった。
口を動かしたつもりだった。
実際に動いたかどうかは分からない。
右手の指先へ意識を集中する。
曲がれ。
少しでいい。
ほんの少しだけでいいから、動いてくれ。
けれど、指はシーツの上で静止したままだった。
まるで、俺の身体ではないように。
いや。
もうずっと前から、この身体は俺の意思を聞いてくれなくなっていた。
神代レン、二十八歳。
子どもの頃から病弱だったわけではない。
走ることもできた。
友人と遊ぶこともできた。
短い期間ではあったが、護身術や柔術に近い体術も習っていた。
力で殴り倒すのではなく、相手の重心を崩す。
勢いを受け流す。
身体の動きには、必ず入口と出口がある。
当時の先生は、何度もそう言っていた。
けれど、病気になってからは、技を使う相手どころか、自分の身体さえ思うように動かせなくなった。
最初は足がもつれた。
次に、手へ力が入らなくなった。
調子のよい日には歩けたが、悪い日にはベッドから起き上がることさえできなかった。
入院期間は少しずつ長くなった。
病室で過ごす時間が増えるにつれて、俺の世界はパソコンの画面の中へ移っていった。
故障した小型ロボットの修理動画を見る。
簡単なプログラムを作る。
三次元モデルを組み立てる。
思いついた物語を文章にする。
自分では歩けない場所を、物語の登場人物に歩かせた。
宇宙へ行った。
異世界へ行った。
機械の身体を手に入れた主人公が、壊れた世界を旅する話も書いた。
そんな物語の中では、いつだって身体は動いた。
走りたいと思えば走れた。
手を伸ばしたいと思えば、誰かへ触れることができた。
けれど、現実は違った。
「血圧、下がっています」
「神代さん、分かりますか?」
声が遠ざかる。
電子音の間隔が変わった。
ピッ、ピッ――。
ピッ――。
怖かった。
死ぬことが怖くないわけではない。
まだ読みたい本もあった。
完成させたい物語もあった。
組み立てかけの小型ロボットも、自宅の机に置いたままだ。
それでも、死より怖かったのは、このまま意識だけが残ることだった。
目を開けているのに、動けない。
声を出したいのに、伝えられない。
誰かに身体を持ち上げられ、寝返りを打たせてもらい、決められた時間に薬を入れられる。
世話をしてくれた人たちを恨んでいるわけではない。
むしろ、感謝している。
だからこそ、その親切に頼らなければ何もできない自分が苦しかった。
もう一度でいい。
自分の意思で立ちたい。
自分の足で、一歩だけでも歩きたい。
右手の指へ、残った意識を集める。
動け。
動け。
動いてくれ。
しかし、最後まで指先は動かなかった。
電子音が一本の長い音へ変わった。
ピー――。
誰かが俺の名前を呼んでいる。
その声も、やがて聞こえなくなった。
◇
最初に感じたのは、冷たさだった。
背中に硬い感触がある。
次に聞こえたのは、風の音。
病室の空調とは違う。
細い隙間を通り抜けるような、低く震える風だった。
俺は目を開けた。
灰色の空が見えた。
「……空?」
声が出た。
自分の声だった。
少し掠れてはいたが、喉が動いた。
息を吸う。
冷たく乾いた空気が、肺へ入ってくる。
胸が上下する。
俺はしばらく、それだけで何も考えられなかった。
ゆっくりと右手へ意識を向ける。
指を曲げる。
人差し指が動いた。
次に中指。
薬指。
小指。
五本の指すべてが、自分の意思に従った。
「動く……」
手首を返す。
肘を曲げる。
腕が持ち上がる。
薄汚れた手のひらが、灰色の空を背景に視界へ入った。
俺は何度も指を開き、握った。
「動いてる……」
喉の奥が詰まった。
笑いたいのか、泣きたいのか、自分でも分からなかった。
頬を温かいものが流れる。
涙を拭うことも、自分でできた。
俺は壊れた透明な覆いを押し上げ、上半身を起こした。
身体が重い。
筋肉が使い方を忘れているような感覚がある。
だが、腕は俺の体重を支えている。
腰が曲がる。
首が動く。
自分の意思で周囲を見回せる。
俺が横たわっていたのは、棺桶にも医療装置にも見える円筒形の容器だった。
透明な外装は半分以上割れ、周囲には黒い配線が垂れ下がっている。
側面の表示板に、消えかけた英字が浮かんでいた。
文字の一部は欠けている。
それでも、二つの単語だけは読み取れた。
**ARK SYSTEM**
その下に、
**BIOLOGICAL REBUILD**
と表示されている。
「バイオロジカル……リビルド?」
生体再構築。
直訳すれば、そんな意味だろうか。
だが、なぜ俺がこんな装置の中にいる。
そもそも、ここはどこだ。
俺は病院で死んだはずだ。
少なくとも、あの長く続く電子音を聞いた。
あれが夢だったとは思えない。
俺は容器の縁へ両手をつき、足を床へ下ろした。
裸足が冷たい金属板に触れる。
膝が震えた。
立てるだろうか。
立とうとして、また身体が動かなかったらどうする。
一瞬、病室の白い天井が頭をよぎる。
俺は息を吸った。
両手へ力を入れ、身体を持ち上げる。
膝が伸びた。
腰が上がった。
視界の位置が高くなる。
俺は立っていた。
「……立てた」
たったそれだけのことで、胸がいっぱいになった。
右足を前へ出す。
一歩目。
足裏が金属板を踏む。
左足を前へ運ぶ。
二歩目。
身体が大きく傾き、俺は近くの壁へ手をついた。
「うわっ……」
危うく転ぶところだった。
それでも笑いがこぼれた。
歩けなかったことではなく、転びそうになったことがうれしかった。
転ぶのは、動いた証拠だ。
足を出したから、身体が傾いた。
そんな当たり前のことさえ、俺には長い間与えられていなかった。
「歩ける……」
もう一歩。
さらに一歩。
動きはぎこちない。
けれど、自分で歩いている。
涙で視界が滲んだ。
俺はしばらく、狭い装置の周囲を何度も歩いた。
子どもが初めて立ち上がったように。
誰かに見られていたら、きっと奇妙に思われただろう。
だが、周囲に人の姿はなかった。
やがて興奮が落ち着くと、俺は改めて周囲を見渡した。
そして、自分が置かれた状況の異常さを理解した。
そこは建物の中ではなかった。
装置の周囲には、金属の残骸が山のように積まれている。
錆びた板。
折れ曲がった柱。
車両らしき機械。
巨大な翼。
人間の腕に似た部品。
頭部を失った人型の機械。
どれも、俺が知っている現代の技術とは違っていた。
数十メートル先には、建物ほどもある巨大な船体が横倒しになっている。
外壁には焼けた痕が残り、途中から大きく裂けていた。
船体の奥からは、幾本もの太い配線が内臓のように垂れ下がっている。
「宇宙船……なのか?」
飛行機には見えない。
あまりにも巨大だった。
遠くの空を、別の何かが横切った。
細長い船体。
音は遅れて届いた。
それは灰色の雲の下を進み、機械の山の向こうへ消えていった。
空には月に似た大きな天体が浮かんでいる。
だが、その表面には、輪のような人工構造物が見えた。
俺は自分の頬をつねった。
「痛い……」
夢ではない。
少なくとも、痛みはある。
視線を自分の身体へ落とす。
薄い灰色の保護服のようなものを着ている。
胸や腹へ触れても、硬い機械部品はない。
首筋へ指を当てる。
脈が打っている。
皮膚は温かい。
息を止めれば苦しくなる。
俺の身体は、人間のものだった。
病気になる前の自分に近い。
腕は細い。
筋肉もほとんどない。
だが、手足は動いている。
「死んで……生き返ったのか?」
誰に聞くでもなく呟く。
返事はない。
風が金属片を転がし、からからと乾いた音を立てた。
スマートフォンもない。
財布もない。
食べ物も水もない。
誰かに連絡する手段もない。
病院で死んだはずの俺が、見知らぬ場所で、見知らぬ身体を与えられている。
状況だけを並べれば、昔書いていた物語のようだった。
異世界転生。
未来転移。
あるいは、死後の世界。
けれど、物語の主人公と違い、俺には説明してくれる神も、能力を教えてくれる案内役もいなかった。
「まず、人を探さないと」
自分へ言い聞かせる。
立って歩けることは分かった。
だからといって、ここで生きられるとは限らない。
気温は低く、風も強い。
水がなければ数日も持たない。
俺は最も高く見える残骸の方向へ歩き始めた。
一歩。
二歩。
三歩。
身体は動く。
しかし、すぐに息が上がった。
「はっ……はっ……」
病気の症状は消えている。
それでも、筋力や持久力まで戻ったわけではないらしい。
十数メートル歩いただけで、太腿が張った。
俺は近くの金属板へ手をつき、呼吸を整えた。
焦るな。
生前の身体とは違う。
動くからといって、いきなり走れるわけではない。
少しずつ慣らせばいい。
今度は時間がある。
そう考えた瞬間だった。
ギギギギギ――。
遠くから、金属同士を擦り合わせるような音が響いた。
俺は顔を上げた。
機械の山の向こうで、何かが動いている。
最初はクレーンかと思った。
だが、違った。
六本の脚。
円形の胴体。
前方には巨大な切断刃。
背中には、金属を押し潰すための圧縮装置がある。
昆虫と建設機械を組み合わせたような巨大な機械だった。
機械は積み上がった残骸を次々と切断し、内部へ取り込んでいる。
切断された金属が、種類ごとに背後へ吐き出されていく。
廃棄物を分別する機械。
そう理解した。
「人が乗ってるのか?」
声を上げてみる。
「おーい!」
反応はない。
代わりに、機械の上部にある赤いセンサーがこちらを向いた。
細い光が俺の身体を上から下へ走査する。
短い電子音。
次の瞬間、機械の正面に文字が表示された。
**UNREGISTERED MATERIAL**
未登録物質。
「物質?」
嫌な予感がした。
機械の切断刃が展開する。
巨大な刃の縁に、青白い光が走った。
「ちょっと待て」
六本の脚が一斉に動く。
「俺はゴミじゃない!」
機械が突進してきた。
俺は反射的に走り出した。
今度は歩く練習ではない。
命がかかっている。
だが、身体は頭で思うほど速く動かなかった。
右足と左足の間隔が合わない。
金属片につまずき、前方へ転ぶ。
両手をついた瞬間、背後で轟音が響いた。
さっきまで俺がいた場所へ切断刃が振り下ろされ、厚い鉄板が紙のように二つへ割れた。
「冗談だろ……!」
俺は這うようにして立ち上がり、残骸の隙間へ逃げ込んだ。
狭い場所なら、大型機械は入ってこられない。
そう考えた。
しかし機械は進路を変えず、前方の残骸ごと切断し始めた。
金属板が飛び散る。
火花が俺の保護服へ当たる。
熱い。
痛みがある。
死んだ直後に、また死ぬ。
そんな考えが頭をよぎった。
「落ち着け……」
俺は自分へ言い聞かせる。
相手は機械だ。
生き物ではない。
だが、動く物には必ず重心がある。
六本脚すべてが同じ速度で動いているわけではない。
先生の声を思い出す。
力を見るな。
流れを見ろ。
入口と出口を探せ。
機械が再び前進する。
右前脚。
左前脚。
中央の二本。
後方の二本。
よく見れば、左後ろの脚だけ、わずかに反応が遅い。
だが、弱点が分かっても、俺には攻撃する手段がない。
金属棒を拾って殴ったところで、こちらの腕が折れるだけだ。
逃げ道を探す。
右は崩れた壁。
左は深いスクラップの谷。
後ろは行き止まり。
完全に追い詰められていた。
切断機械の赤いセンサーが点灯する。
切断刃が上がる。
俺は周囲へ視線を走らせた。
使えるもの。
動かせるもの。
何でもいい。
そのとき、残骸の下に一つの光が見えた。
物理的な光ではない。
淡く、細い。
目を閉じれば消えてしまいそうな、青白い筋。
「何だ……?」
光の先に、古い作業ロボットが倒れていた。
人型ではあるが、人間に似せた外見ではない。
頭部には一つの丸いセンサー。
太い胴体。
右腕は肩から失われている。
胸部装甲は割れ、内部の回路が露出している。
側面に、
**WORKER-13**
と刻まれていた。
どう見ても壊れている。
それでも、俺には見えた。
胸部から頭部へ。
頭部から残った左腕へ。
途切れ途切れではあるが、細い光の流れが残っている。
まるで、動きたいと訴えているように。
切断機械が迫る。
逃げる時間はない。
俺はWORKER-13のそばへ膝をついた。
「まだ、動けるのか?」
答えはない。
単眼も消えたまま。
だが、光は完全には消えていない。
俺は胸部の壊れた装甲へ手を伸ばした。
機械の修理なら、多少は見たことがある。
けれど、工具も部品もない。
そもそも、これは俺が知っている技術ではない。
それでも、光の流れだけは分かる。
どこから来て、どこで途切れているか。
まるで、一本の配線図が頭の中へ直接映し出されているようだった。
「ここが……切れてる?」
指先がWORKER-13の胸部へ触れた。
瞬間。
視界が青白く染まった。
知らない映像が流れ込む。
巨大な貨物を運ぶWORKER-13。
崩れた足場から作業員を遠ざけるWORKER-13。
危険警報。
退避命令。
誰かを守るように伸ばされた左腕。
これは記録だ。
この機械が、長い時間の中で繰り返してきた行動。
単純な作業命令の蓄積。
それなのに、その中心に、消えかけた小さな何かがある。
守る。
危険から遠ざける。
目の前の存在を、生かす。
それは命令なのか。
それとも――。
俺の頭の中に、知らない言葉が浮かんだ。
意味を教えられたわけではない。
だが、その言葉が何をするものなのか、なぜか理解できた。
**SOUL REPAIR**
「魂を……修復する?」
切断刃の風圧が背中へ迫る。
考えている時間はなかった。
「動いてくれ!」
俺はWORKER-13の胸へ、両手を押し当てた。
青白い光が、一気に腕の中へ流れ込んだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
第1話では、神代レンが病院で生涯を終え、廃棄惑星ラスト・ナインで人間の身体を得て目覚めるところから始まりました。
次回、レンが初めて発動した《SOUL REPAIR》によって、壊れた作業ロボット《WORKER-13》が再起動します。
しかし、この力は失われた部品や寿命まで元に戻せる万能な能力ではありません。
レンが未来世界で最初に救う存在と、どのような結末を迎えるのか。
第2話「壊れた機械が、俺を守った」へ続きます。




