あかつきの星
あれから。
数日が経った。
……
少女は。
王城の廊下を歩いていた。
窓から差し込む光。
磨かれた床に。
長い窓枠の影。
すれ違う侍女。
鎧を鳴らして歩く騎士。
いつもと。
変わらない。
……
今日は。
王様に呼ばれた。
理由は。
聞いていない。
……
何の用だろう。
少女は。
廊下の先へ視線を向けた。
「おもち様。」
前を歩いていた侍女が。
肩越しに振り返った。
「もう間もなく到着いたします。」
……
今日。
案内してくれているのは。
セレスでも。
エステラでもない。
別の侍女。
朝から。
二人の姿を見ていない。
ガゼルも。
いなかった。
……
少女は。
前を歩く侍女へ声をかけた。
「……セレス。」
「はい?」
「どこ?」
「セレスは、別の務めに就いております。」
「……エステラも?」
「はい。」
「……ガゼルは?」
「姫様も、本日はご予定がございます。」
……
みんな。
用事がある。
私はさっきまで寝ていた。
……
こつ。
こつ。
……
前を歩く侍女の靴音。
少女は。
その背中を見つめていた。
……
「……私。」
歩幅を広げる。
侍女の隣へ並んだ。
「一人でも、行ける。」
「い、いけません。」
侍女は。
慌てて首を振った。
「姫様から直接、おもち様のことをお願いされておりますので。」
……
ガゼルから。
少女は。
隣の侍女を見上げた。
「……ガゼル。」
「はい?」
「どこ?」
「存じ上げません。」
……
知らない。
……
でも。
ガゼルから。
直接。
頼まれた。
……
少女は。
侍女の顔をじっと見つめた。
「……本当に?」
「えっ!?」
侍女の足が止まった。
「そ、そんなことより!」
侍女は。
少女から顔を背けた。
「陛下のもとへ参りましょう!」
……
こつ。
こつ。
侍女の靴音が。
廊下に響く。
少女は。
遠ざかる背中を見つめた。
……
ガゼル。
どこにいるんだろう。
……
少女は。
侍女の後を追った。
◇
大きな扉。
……
その前には。
二人の騎士が立っている。
磨かれた鎧。
腰に下げた剣。
前にも。
来たことがある。
……
「あの。」
侍女が。
騎士たちの前で足を止めた。
「おもち様を、お連れいたしました。」
「ん?」
一人の騎士が。
こちらを向いた。
その目が。
少女を捉える。
「……あ。」
隣の騎士も。
顔を向けた。
「……また来たのか。」
……
また。
……
少女は。
二人の顔を見比べた。
……
前にも。
いた人たち。
「陛下から、お呼びいただいておりまして。」
侍女が。
そう説明している。
王様。
中にいる。
……
少女は。
扉へ歩み寄った。
大きな取っ手。
手を伸ばす。
「おっと。」
……
ふわり。
……
身体が浮いた。
「……わ。」
……
両脇に。
手。
……
足が。
床から離れている。
……
また。
……
「ちょ、ちょっと!」
侍女が。
声を上げた。
……
少女は。
宙に浮いたまま。
騎士を見上げる。
騎士は。
苦笑していた。
「お嬢さん。」
「前にも言っただろう?」
「勝手に入っちゃいけないんだ。」
……
少女は。
扉へ目を向けた。
……
「……呼ばれた。」
「ああ、聞いてるよ。」
「でもな。」
騎士は。
少女と目を合わせた。
「まずは、取り次ぎをしてからだ。」
……
取り次ぎ。
……
そうなんだ。
……
少女は。
騎士を見上げた。
……
「……私。」
「ん?」
「……持ち上げやすい?」
「……は?」
……
騎士は。
目を瞬かせた。
……
「……よく、持ち上げられる。」
「ああ。まあ、お嬢さんは小さいからな。」
……
小さい。
……
少女は。
宙に浮いた自分の足を見た。
……
床が。
遠い。
……
「……ガゼルは?」
「姫様?」
「……持ち上げないの?」
騎士は。
一瞬。
言葉に詰まった。
「いやいや。姫様を持ち上げるなんて恐れ多いだろう。」
……
恐れ多い。
……
「……どうして?」
「どうしてって……。」
騎士は。
困ったように眉を下げた。
「そもそも姫様は、お嬢さんみたいに勝手に扉を開けようとしないからな。」
少女は。
扉を見た。
「……そうなんだ。」
「ああ。そういうことだ。」
……
少女は。
もう一度。
騎士を見上げた。
……
「……下ろして。」
「大人しくするか?」
「待つ。」
「いい子だ。」
騎士の腕が下がる。
靴の裏が。
床に触れた。
「ちゃんと待つんだぞ?」
「うん。」
少女は。
扉の前に立った。
騎士は。
もう一人の騎士へ顔を向けた。
「陛下にお取り次ぎを。」
「ああ。」
もう一人の騎士が。
扉の前へ進む。
こん。
こん。
扉を叩く音。
「陛下。」
「おもち様がお見えになりました。」
少しして。
扉の向こうから。
低い声が聞こえた。
「入れ。」
騎士が。
扉を開ける。
重い扉が動き。
部屋の中が見えた。
「どうぞ、おもち様。」
少女は。
扉の向こうを見た。
……
王様。
……
一歩。
踏み出そうとして。
ふと。
後ろを振り返った。
侍女は。
扉の手前に立っている。
「……来ないの?」
「はい。私は、こちらでお待ちしております。」
……
そうなんだ。
……
少女は。
もう一度。
部屋の中へ目を向けた。
……
そして。
扉をくぐった。
……
◇
「……来たか。」
……
王様。
……
大きな机の向こうに。
座っている。
机の上には。
何枚もの書類。
王様は。
その一枚に目を落としていた。
……
少女は。
部屋の中を見渡す。
……
いつもなら。
机の近くにいる人。
……
宰相。
……
いない。
……
王様だけ。
……
「どうした。」
「……誰も、いない。」
「ああ。今日は私とそなただけだ。」
……
そうなんだ。
……
少女は。
もう一度。
部屋の中を見回した。
……
「こちらへ来なさい。」
王様が。
手にしていた書類を机へ置いた。
少女は。
机の方へ歩いていく。
……
「……王様。」
「なんだ。」
「……何の用?」
……
王様は。
少女を見つめた。
その口元が。
わずかに緩む。
……
椅子が。
小さく音を立てた。
王様は立ち上がると。
机の横を回り。
少女の前で腰をかがめた。
……
ふわり。
……
身体が持ち上がった。
……
片腕に。
支えられる。
……
また。
……
「身体の調子はどうだ?」
……
身体。
……
少女は。
自分の腕を見た。
……
指を。
開いてみる。
……
握る。
……
痛くない。
……
足も。
身体のどこも。
……
「……治った。」
「そうか。」
王様は。
小さく頷いた。
少女は。
王様を見上げる。
……
「……王様。」
「なんだ?」
「そんなことで、呼ばない。」
……
王様の眉が。
わずかに上がった。
……
「……どうして、呼んだの?」
……
王様は。
一度。
少女の顔を見つめた。
……
それから。
ふっと笑った。
「そうだな。本題に入るか。」
……
王様は。
少女を床へ下ろした。
靴の裏が。
絨毯に触れる。
……
「おもち。」
「……?」
王様は。
少女の前に立ったまま。
口を開いた。
「先日の会談を受け、そなたが特殊魔導兵装として登録されていた件について、正式な抹消手続きを行った。」
……
特殊魔導兵装。
……
登録。
抹消。
……
少女は。
王様を見上げた。
……
「それに伴い、そなたをアステルガード王国の国民として、正式に登録することになった。」
……
国民。
……
少女は。
その言葉を繰り返した。
……
「……国民。」
「ああ。」
……
王様は。
少女の顔を見ていた。
「ただし、そなたの事情は特殊だ。」
「そのため、王家の徽章を渡しておく。」
……
徽章。
……
王様は。
机へ向かった。
引き出しを開ける音。
……
取り出したのは。
小さな箱。
……
王様は。
少女の前に戻ると。
その蓋を開いた。
中には。
銀色の飾りが入っていた。
……
八つの尖った星。
その周りを。
細い蔦のような模様が囲んでいる。
……
窓からの光が。
銀色の縁に反射した。
……
真ん中には。
透明な石。
……
「……これ?」
「ああ。」
……
王様は。
箱から徽章を取り出した。
「ここに魔力を流してみろ。」
……
魔力。
……
少女は。
差し出された徽章に指を伸ばす。
……
冷たい。
……
指先に。
銀色の縁が触れた。
……
魔力を流す。
……
すると。
透明だった石の奥に。
淡い光が灯った。
……
紫。
……
群青。
……
二つの色が。
石の中へ広がっていく。
……
混ざり合う色。
……
夜空のよう。
……
銀色の蔦にも。
淡い紫が差していた。
……
少女は。
指を離した。
……
石の中には。
紫と群青が残っている。
……
王様は。
その徽章を見つめた。
「これで、そなただけの徽章となった。」
……
私だけの。
……
少女は。
銀色の星を見つめる。
……
「……私の?」
「ああ。そなたのものだ。」
……
王様が。
少女の前にかがんだ。
……
徽章を持った手が。
胸元へ伸びる。
……
かちり。
……
「これでいい。」
少女は。
自分の胸元へ視線を落とした。
銀色の星。
紫と群青の石。
指先で。
その縁に触れてみる。
「……何に、使うの?」
「必要な時に、身につけておけばいい。」
少女は。
もう一度。
徽章を見た。
自分の流した魔力。
それ以外の流れは。
感じない。
「……何が、できるの?」
「何が?」
「……魔力、流した。」
王様は。
少女の顔を見た。
「魔道具だと思ったのか。」
「……うん。」
王様は。
小さく笑った。
「これは、そなたの身分を示すものだ。」
……
身分。
……
「そなたが王国の民であり、王家がその身元を保証していることを示している。」
少女は。
胸元の星に触れた。
「……そうなんだ。」
……
「さて、私からの用件は以上だ。」
王様は。
少女へ目を向けた。
「何か聞きたいことはあるか?」
……
聞きたいこと。
……
少女は。
胸元の徽章に触れていた指を止めた。
顔を上げる。
「……施設は、なくなるの?」
……
王様は。
すぐには答えなかった。
机の上に。
書類が重なっている。
……
「いや。施設そのものがなくなるわけではない。」
「ただ、これまで行われていた研究は中止となった。今後は王国が詳しく調べることになる。」
……
施設。
……
なくならない。
……
少女は。
胸元から手を下ろした。
「……子供は、どうなるの?」
……
王様の眉が。
わずかに動いた。
「……子供?」
「……うん。」
……
王様は。
少女の顔を見つめていた。
「心配するな。」
「もし他にも子供がいるのなら、王国が責任をもって保護する。」
……
保護。
……
少女は。
王様を見上げた。
「……そう。」
……
王様は。
それ以上、何も言わなかった。
……
少女は。
もう一つ。
気になっていたことを思い出した。
「……ガゼルって、どこにいるの?」
「ガゼルか。知らんな。」
……
少女は。
王様を見つめた。
……
「……知らない?」
「ああ。今日は公務も入れておらん。城のどこかにいるだろう。」
少女は。
じっと。
王様を見つめた。
……
王様も。
その視線を受け止めている。
「……本当に?」
「本当だ。」
……
「わかった。」
少女は。
小さく頷いた。
……
「……もう、行っていい?」
「ああ。構わんぞ。」
……
少女は。
扉へ向かった。
……
扉の前で。
足を止める。
振り返る。
……
王様は。
まだこちらを見ていた。
……
「……王様。」
「ん?」
……
少女は。
胸元の徽章に触れた。
……
「……ありがとう。」
……
王様は。
一瞬。
目を見開いた。
……
「ああ。」
穏やかな笑みが浮かんだ。
……
少女は。
扉を開けた。
廊下の光が。
足元に差し込む。
……
少女は。
執務室を後にした。
◇
扉の前には。
二人の騎士。
……
その向こうに。
見覚えのある姿。
……
エステラ。
……
さっきまで。
案内してくれていた侍女は。
いない。
「おもち様!」
エステラが。
こちらへ歩いてきた。
いつもの。
黒と白の侍女服。
……
けれど。
なんだか。
いつもと違う。
……
口元が。
ずっと上がっている。
……
「お話は終わりましたか?」
少女は。
小さく頷いた。
「それはよかったです!」
……
妹は。
少女の前にしゃがみ込んだ。
……
目が合う。
……
「では、おもち様!」
少女は。
小さく首を傾げた。
「髪!切りましょう!」
……
髪。
……
少女は。
自分の髪に目を向けた。
……
肩から。
胸元へ。
さらに下へ。
……
白銀色の髪が。
長く伸びている。
……
「……今?」
「はい!今です!」
……
妹は。
大きく頷いた。
少女は。
エステラを見つめた。
……
王様の話。
終わった。
……
次は。
髪。
……
「……どうして?」
「せっかくですから!」
……
せっかく。
……
何が?
……
妹は。
立ち上がった。
……
「さあ、お部屋へ参りましょう!」
少女の隣に並ぶと。
廊下の先へ手を向ける。
少女は。
その手を見た。
それから。
妹を見上げる。
……
やっぱり。
嬉しそう。
……
少女は。
歩き出した。
隣には。
エステラ。
窓から差し込む光が。
二人の足元を横切る。
……
妹の歩幅は。
いつもと変わらない。
……
「……エステラ。」
「はい!なんでしょう?」
「……今日。嬉しそう。」
……
妹は。
少女へ顔を向けた。
「そうですか?」
「……うん。」
「今日はお天気がいいからじゃないでしょうか!」
……
天気。
……
少女は。
窓へ目を向けた。
青い空。
……
白い雲が。
遠くに浮かんでいる。
「……ずっと、晴れてるのに?」
「そうですね。」
「きっとおもち様の心模様が晴れているからなのでしょう。」
……
心模様。
……
少女は。
窓に映る自分を見た。
……
よく。
わからない。
……
「ほら。先ほどから、おもち様もずっと笑顔ですよ?」
少女は。
自分の頬に触れた。
……
笑っている。
……?
……
「ふふっ。冗談ですよ。」
……
少女は。
妹を見上げた。
……
冗談。
……
また。
……
妹は。
口元に手を添えて。
笑っていた。
……
いつも。
冗談ばっかり。
……
……
少女は。
廊下の途中で。
足を止めた。
……
隣を歩いていた妹も。
足を止める。
「……エステラ。」
「はい?」
……
少女は。
妹を見上げた。
……
「……さっき。」
「はい。」
「侍女長が、エステラ探してた。」
妹は。
目を丸くした。
「まあ。そうなのですか?」
少女は。
頷いた。
「それは大変ですね。」
けれど。
妹は。
動かない。
……
口元に手を添えたまま。
少女を見ている。
「ですが、おもち様。」
「……?」
「私はその程度では騙されませんよ?」
「……どうして?」
「ふふっ。」
「あの鬼婆がお探しでしたら、今頃私はここにはいません。」
……
鬼婆。
……
確かに……?
……
「……エステラ。」
「……ずるい。」
妹は。
楽しそうに笑った。
「おもち様にはまだ少し経験が足りないようです。」
……
経験。
……
少女は。
唇を結んだ。
「次はもう少し上手に騙してくださいね。」
……
次。
……
少女は。
顔を上げた。
「わかった。」
「楽しみにしております。」
妹は。
再び歩き始めた。
少女も。
その隣へ並ぶ。
……
廊下には。
二人の足音が続く。
……
少女は。
その横顔を見た。
……
まだ。
笑っている。
……
やがて。
二人は。
部屋の前に着いた。
……
いつもの。
ガゼルと私の部屋。
……
妹が。
扉を開ける。
少女は。
中へ足を踏み入れた。
……
窓から。
光が差し込んでいる。
……
いつもの寝台。
いつもの机。
……
だけど。
……
部屋の中央には。
椅子。
……
その前に。
大きな鏡。
……
床には。
広げられた布。
……
机の上には。
櫛。
鋏。
それから。
幾つもの小さな道具。
……
全部。
用意されている。
少女は。
振り返った。
……
「……いつの間に?」
……
妹は。
にっこり笑うと。
人差し指を立てた。
その指を。
左右に振る。
「私だけの特別な魔法です。」
……
魔法。
……
少女の目が。
大きく開いた。
「……すごい。」
……
もう一度。
部屋の中を見る。
……
椅子。
鏡。
鋏。
……
さっきまで。
なかった。
……
「……どんな構築?」
「はい?」
「教えて。」
妹は。
口元に手を添えた。
「残念ながらこの魔法は秘密なのです。」
少女は。
妹を見つめた。
「……ずるい。」
頬が。
少し膨らむ。
妹は。
その顔を見て。
また笑った。
「仕方ないですねー。」
「これはなんと。」
「侍女召喚魔法なのです。」
侍女。
召喚。
……
転移魔法……?
座標を指定した……?
でも。
召喚魔法。
精霊を使役する魔法。
侍女は。
精霊……?
少女は。
妹の顔を見た。
……
笑っている。
……
また。
冗談。
「……はぁ。」
妹は。
楽しそうに笑っていた。
「さあ、冗談はほどほどにして、始めましょうか。」
妹が。
椅子を引いた。
「こちらへどうぞ、おもち様。」
「……。」
少女は。
椅子に腰掛けた。
目の前には。
大きな鏡。
……
そこに。
少女が映っている。
……
背後に立った妹が。
白い布を広げた。
肩から。
胸元へ。
布が掛けられる。
……
長い銀色の髪が。
背もたれの後ろへ流された。
……
妹は。
机から櫛を取った。
毛先から。
少しずつ。
髪を梳いていく。
……
櫛が通るたび。
鏡の中で。
銀色の髪が揺れた。
……
「痛くありませんか?」
「……うん。」
……
「そういえば、おもち様。」
「髪型にご希望はございますか?」
……
少女は。
鏡に映る自分を見た。
……
長い。
銀色の髪。
「ない。」
「では、長さはいかがでしょう?」
少女は。
胸元へ流れた髪を手に取った。
指の間を。
銀色の髪が滑り落ちる。
「わからない。」
「ふむ。そうですねぇ。」
妹は。
机の上から一冊の本を取り出した。
少女の前で。
ページを開く。
そこには。
いろいろな人の絵が描かれていた。
……
短い髪。
長い髪。
結んだ髪。
「こちらをご覧ください。」
「……これ?」
「はい。髪型の見本帳です。」
妹が。
ページをめくる。
「このように短くすることもできますし、肩の辺りで揃えることもできます。」
……
少女は。
並んだ絵を眺めた。
「まあ、私も専門職ではありませんので、完全に再現できるわけではありませんが。」
……
妹は。
少女の隣にしゃがんだ。
「おもち様のお好みに、できるだけ近づけますよ。」
……
好み。
……
少女は。
もう一度。
見本帳へ目を落とした。
……
ページをめくる。
……
短い髪。
長い髪。
肩までの髪。
……
どれがいいのか。
わからない。
「エステラ。」
「はい。」
「ガゼルが、好きそうなの。」
……
妹は。
少女へ顔を向けた。
「おもち様。」
「想像してみてください。」
「姫様は、おもち様がどのような髪型になられても、必ず肯定されますよ。」
……
ガゼル。
……
『えっ、おもち!!?』
『かわいい……!!』
『とっても似合ってる……!!』
少女は。
見本帳へ目を落とした。
……
確かに。
……
「……うん。」
「でしょう?」
妹は。
得意げに微笑んだ。
少女は。
ページをめくった。
……
髪。
……
今まで。
考えたことがなかった。
……
けれど。
言われてみれば。
長い髪が。
面倒な時がある。
……
歩く時。
座る時。
何かをする時。
よく床に垂れる。
……
椅子に座ると。
背もたれに挟まることもある。
……
それに。
自分では。
まだ。
うまくまとめられない。
……
少女は。
ページの端をつまんだ。
……
一枚。
また一枚。
……
いろいろな髪型が。
通り過ぎていく。
……
そして。
あるページで。
指が止まった。
……
少女は。
その絵を見た。
……
「……これにする。」
……
妹が。
少女の指先へ目を向けた。
「とてもお似合いになると思います。」
妹は。
見本帳を閉じた。
机の上に置く。
「では。」
「始めますね。」
……
少女は。
鏡の中の妹を見た。
妹は。
銀色の髪を手に取った。
鋏が閉じる。
……
切り離された髪が。
肩を滑り。
床へ落ちた。
鏡の中で。
妹の手が動く。
櫛で梳いて。
髪を持ち上げて。
長さを確かめる。
……
また。
鋏が閉じる。
……
足元には。
切り落とされた銀色の髪が。
重なっていく。
……
少女は。
鏡の中を見ていた。
……
長かった髪が。
少しずつ。
なくなっていく。
……
◇
鏡。
……
少女は。
鏡の中を見つめていた。
……
頭を。
右へ動かす。
……
左へ。
……
軽い。
……
もう一度。
右。
左。
……
いつもなら。
頬に触れていた髪が。
触れない。
……
前が。
よく見える。
……
少女は。
鏡に顔を近づけた。
……
首を傾げる。
……
鏡の中の少女も。
同じように傾いた。
……
こんなに。
見えるものだったのか。
……
「おもち様。お気に召しましたか?」
……
少女は。
鏡越しに妹を見た。
……
「……すごい。」
「ありがとうございます。」
「エステラ。」
「何でもできる。」
……
妹は。
嬉しそうに微笑んだ。
「恐縮でございます。」
そう言いながら。
床に落ちた髪をまとめ。
鋏や櫛を片付けていく。
……
少女は。
もう一度。
頭を動かした。
……
こんなに。
違う。
……
「さて、おもち様。」
……
妹が。
片付けを終えて。
少女の隣に立った。
「このままお支度も済ませてしまいましょう。」
……
少女は。
鏡から顔を上げた。
「エステラ。」
「はい?」
「……また、何かあるの?」
「まずはお着替えしましょうね。」
……
妹は。
衣装棚へ向かった。
扉を開くと。
中から一着の服を取り出す。
……
綺麗な服。
飾りのついた。
華やかな服。
……
少女は。
その服を見た。
……
また。
こういう服。
……
妹は。
服を抱えたまま。
振り返った。
にこりと笑う。
「せっかくですから、姫様を驚かせましょう。」
「きっと、おもち様の新しい髪型をご覧になったら、とても喜ばれますよ。」
……
ガゼル。
……
そうだと。
嬉しい。
……
「……うん。」
……
「では、とびきり可愛くいたしましょう。」
妹は。
衣装を広げた。
白い服。
その上に重ねる。
深い紺色の服。
……
少女は。
椅子から立ち上がった。
肩に掛けていた布を外すと。
妹が。
着替えを手伝ってくれる。
……
袖に腕を通す。
……
白い布が。
手首を覆った。
……
続いて。
深い紺色の服。
……
肩を通し。
背中の留め具が。
一つずつ留められていく。
……
腰から広がる裾には。
白いレース。
……
布を動かすと。
裾の飾りも。
一緒に揺れた。
……
胸元には。
大きなリボン。
……
妹は。
少女の背後へ回った。
背中で。
布が引かれる。
……
もう一つ。
大きなリボンが結ばれた。
……
「苦しくありませんか?」
「……うん。」
……
妹は。
少女の肩に触れ。
服の皺を整えた。
それから。
櫛を手に取った。
……
髪を整える。
……
少女は。
鏡の前に立った。
……
服。
……
いつもより。
飾りが多い。
……
少女が。
身体を左右に動かすと。
紺色の裾が。
遅れて揺れた。
……
「あと一つですね。」
……
妹は。
机の上へ手を伸ばした。
銀色の。
八芒星。
……
王様から。
もらったもの。
……
少女は。
胸元に手を当てた。
……
「……それ。」
「はい。こちらもおつけしましょう。」
……
妹は。
少女の左胸に。
徽章を留めた。
銀色の蔦。
その中央に。
透明だった石。
……
今は。
淡い紫と。
深い藍色を宿している。
……
少女は。
指先で。
徽章に触れた。
……
私の。
……
鏡の中で。
小さな星が。
胸元に留まっていた。
「ふふっ。とてもお似合いですよ。」
……
「……ありがとう。」
「どういたしまして。」
妹は。
少女の姿を確かめると。
満足そうに頷いた。
「ああ、そうでした。」
妹は。
一通の封筒を取り出した。
厚みのある。
白い封筒。
……
表には。
丁寧な文字で。
『おもち様』
裏には。
赤い封蝋。
小さな紋章が刻まれている。
「それから、おもち様。こちらを。」
少女は。
封筒を見た。
「姫様からでございます。」
……
少女は。
封筒を受け取った。
「……ガゼルから?」
「はい。どうぞ、開けてみてください。」
少女は。
封筒を裏返した。
赤いもの。
……
固い。
……
指先で。
触れてみる。
……
取れない。
……
「……エステラ。」
「はい?」
「……これ、どうするの?」
妹は。
少女の手元を見た。
「ああ、封蝋ですね。」
「こちらを割って、封筒を開けるんですよ。」
……
割る。
……
少女は。
赤い封蝋を見た。
それから。
封筒を妹へ差し出した。
「……やって。」
「かしこまりました。」
妹は。
封蝋を割り。
丁寧に封筒を開いた。
中から。
折り畳まれた紙を取り出す。
「はい、どうぞ。」
少女は。
紙を受け取った。
広げる。
……
ガゼルの。
字。
……
『親愛なるおもちへ
お昼の鐘が鳴りましたら、いつもの食堂でお食事をご一緒しませんか?
お会いできるのを楽しみにしています。
ガゼル・アステルガード』
……
少女は。
文字を目で追った。
……
お昼の鐘。
……
いつもの食堂。
……
少女は。
もう一度。
手紙を見た。
「……エステラ。」
「はい?」
「……これ、どうしたらいいの?」
妹は。
少女の手元に目を向けた。
「拝見してもよろしいですか?」
……
少女は。
頷いた。
……
妹は。
手紙を受け取った。
一行ずつ。
目を通していく。
……
「……可愛い。」
……
少女は。
妹を見た。
「……かわいい?」
「あっ、失礼いたしました。」
妹は。
口元に手を添えた。
それから。
少女へ手紙を返した。
「姫様のおもち様への想いを感じますね。」
少女は。
手紙を見た。
……
ガゼルの。
字。
「場所は私がご案内いたしますので、そのお手紙は大切にしまっておいてください。」
少女は。
頷いた。
……
手紙を。
もう一度。
見つめた。
……
それから。
鼻先へ近づけた。
……
すん。
……
紙の匂い。
……
もう一度。
すん。
……
やっぱり。
紙の匂い。
……
少女は。
手紙を見た。
……
ガゼルの。
匂いは。
しない。
……
少女は。
手紙を折り畳み。
封筒へ戻した。
妹は。
懐から銀の懐中時計を取り出した。
……
蓋を開き。
針を確かめる。
……
「ちょうどよい頃合いですね。」
……
妹は。
時計をしまうと。
少女へ手を差し出した。
「では、参りましょうか。」
◇
廊下。
……
少女は。
妹の隣を歩いていた。
……
いつもと。
同じ廊下。
……
窓から差し込む光が。
床に長く伸びている。
少女が歩くたび。
紺色の裾が揺れた。
……
けれど。
……
視線。
……
向こうから歩いてきた侍女が。
少女を見た。
……
すれ違ったあとも。
振り返っている。
……
その隣の侍女も。
……
「……?」
少女は。
自分の服を見下ろした。
白いレース。
紺色の裾。
……
何か。
ついているのだろうか。
……
そのとき。
……
がしゃん。
……
背後で。
何かが床に落ちた。
……
少女は。
振り返った。
騎士。
……
廊下の途中で。
荷物を抱えた騎士が立っている。
その足元には。
幾つかの荷物が散らばっていた。
けれど。
騎士は。
拾おうとしない。
少女を見ている。
「……可憐だ……。」
……
可憐。
……
少女は。
首を傾げた。
「……エステラ。」
「はい?」
「……可憐って、なに?」
妹は。
騎士へちらりと目を向けた。
「おもち様のような方を表す言葉ですよ。」
……
私のような。
……
少女は。
騎士を見た。
……
騎士は。
慌ててしゃがみ込んでいた。
床には。
まだ。
荷物が落ちている。
……
少女は。
騎士のもとへ歩いていった。
……
足元の荷物を。
一つ。
拾い上げる。
「……これ。」
「はっ!?」
「い、いえ!」
「そのようなことは!」
騎士は。
慌てて手を伸ばした。
少女は。
荷物を差し出す。
「あ、ありがとうございますっ!」
騎士は。
荷物を受け取った。
それから。
急いで残りを拾い集めると。
背筋を伸ばした。
「そ、その!」
「大変お似合いでありますっ!!」
……
似合う。
……
少女は。
自分の服を見下ろした。
それから。
騎士を見上げる。
「……ありが、とう?」
騎士は。
さらに背筋を伸ばした。
少女は。
首を傾げる。
「おもち様が可憐なのはわかりますが、お手を煩わせるのはいただけませんね。」
妹の声。
騎士が。
そちらを向いた。
「……げっ。」
妹は。
にこりと笑っている。
「ああ。もしかして、こうしておもち様に近づこうと……?」
「ち、違っ!!」
「まあ。怖い怖い。」
「節操がないのも大概にしてくださいね。」
騎士は。
妹を睨んだ。
「お前のその発想のほうがよっぽど怖いぞ!!」
騎士は。
荷物を抱え直すと。
足早に去っていった。
妹は。
その背中を見送っている。
……
笑顔。
……
少女は。
妹を見上げた。
「……エステラ。」
「はい?」
「……楽しそう。」
「そう見えますか?」
少女は。
頷いた。
妹は。
まだ笑っていた。
「では、参りましょうか。姫様がお待ちですから。」
……
ガゼル。
……
少女は。
妹の隣へ戻った。
二人は。
廊下を歩いていく。
……
胸元には。
王様からもらった徽章。
少女は。
指先で触れた。
……
銀色の星。
その中央には。
淡い紫と深い藍色。
……
それから。
大切にしまった封筒を思い出す。
……
ガゼルの字。
……
少女は。
廊下の先へ目を向けた。
いつもの食堂。
何をするのだろう。
「おもち様。」
妹の声。
少女は。
顔を上げた。
廊下の先に。
見慣れた扉がある。
食堂。
妹は。
扉の前で足を止めた。
「さあ、おもち様。」
少女も。
足を止める。
「姫様がお待ちですよ。」
……
少女は。
扉を見た。
……
この向こう。
……
ガゼルが。
いる。
……
妹が。
取っ手に手をかける。
……
かちゃり。
……
扉が。
開かれた。




