第45章 米ソ緊張緩和(デタント)1972〜1985(この世界線版) ― 欧州では史実通り、アジアでは“冷戦継続”という二重構造 ―
■ 1972年5月
ニクソン訪ソ・SALT I(史実通り)
この世界線でも、
米ソは核戦争回避のためにデタントを開始する。
● SALT I(戦略兵器制限条約)
• ICBMの上限設定
• ABM(弾道弾迎撃ミサイル)制限
• 核軍拡競争の抑制
● この世界線の違い
中国カードが使えない。
(中国は南北分断、北中国はソ連の衛星国家)
そのため米国は
「日本・インドとの連携」
を中国カードの代替として使い始める。
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■ 1973年6月
米ソ首脳会談(ブレジネフ訪米)
史実同様、
• 貿易拡大
• 科学技術協力
• 宇宙協力
が合意される。
● この世界線の違い
米国はアジア政策で
「日本・インドを軸にソ連を牽制する」
という戦略を明確化。
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■ 1975年8月
ヘルシンキ宣言(史実通り)
欧州では
• 国境不可侵
• 人権尊重
• 経済協力
が進み、緊張緩和が本格化。
● この世界線の違い
アジアでは同時期に
第二次中華戦争(1965〜75)が終結
→ 北中国(満州+華北)は軍事国家化
→ 朝鮮半島全土が赤化
→ 日米印海洋ブロックが形成
つまり、
欧州=緊張緩和
アジア=冷戦激化
という二重構造が成立する。
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■ 1977〜1978年
カーター政権の人権外交(史実通り)
カーターは人権外交を掲げるが、
この世界線ではアジアでの意味が違う。
● 欧州
史実通り、ソ連の人権問題を批判。
● アジア
• 北中国(満州+華北)の弾圧
• 朝鮮の全土赤化
• アフガンの不安定化
• 東南アジアの権威主義
が問題視される。
米国は
「民主化+反ソ・反北中国」
という形で人権外交を展開。
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■ 1979年12月
ソ連のアフガン侵攻 → デタント崩壊(史実通り)
ただし、この世界線では意味が大きく違う。
● 欧州
史実同様、デタントが崩壊。
● アジア
アフガン侵攻は
“アジア冷戦の第二戦線”
として扱われる。
• インドが反ソ武装勢力を支援
• 日本が資金・通信支援
• 米国が軍事支援
• 北中国が補給線の負担で弱体化
• 東南アジアが反共化
→ アジアではデタントは完全に崩壊。
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■ 1980〜1983年
欧州では緊張緩和の再構築、アジアでは冷戦継続
● 欧州
• INF交渉
• 戦略兵器削減交渉(START)
• 西欧諸国との経済協力
→ 緊張緩和が部分的に復活。
● アジア
• アフガン戦争泥沼化
• 北中国の軍事国家化
• 朝鮮半島の赤化維持
• 日米印海洋ブロックの強化
→ 緊張緩和は起きない。
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■ 1985年3月
ゴルバチョフ登場 → “アジアにも緊張緩和の兆し”
ゴルバチョフは史実同様、
• ペレストロイカ
• グラスノスチ
• 軍縮
を進める。
しかしこの世界線では、
アジアの負担が史実より重い。
• 北中国への支援
• 朝鮮半島の維持
• アフガン戦争の後遺症
• インドの台頭
• 日本の経済力
→ ソ連はアジアでの軍事的存在を縮小せざるを得ない。
● 1986〜1987年
ソ連は北中国への軍事支援を削減。
アジアでの緊張が緩和し始める。
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■ 総括:
米ソ緊張緩和は“欧州では史実通り、アジアでは限定的”という二重構造になる
欧州
• SALT I
• ヘルシンキ宣言
• INF交渉
• START
→ 史実とほぼ同じペースで緊張緩和。
アジア
• 北中国の軍事国家化
• 朝鮮半島の赤化
• アフガン戦争
• 日米印海洋ブロックの台頭
→ 緊張緩和は限定的で、むしろ冷戦が続く。
1985年以降
ゴルバチョフの改革で
アジアでも緊張緩和が始まるが、
欧州ほど急速ではない。




