1944年 第1機動艦隊 全艦リンガ泊地集結
第1章
1944年 第1機動艦隊 全艦リンガ泊地集結と猛訓練(1944年2〜6月)
■ 1944年2月
トラック島空襲と前進基地喪失
1944年2月17〜18日、米第58任務部隊による大規模空襲がトラック島を襲い、 日本海軍
の前進基地は壊滅的打撃を受けた。
この結果、連合艦隊は次の二点を痛感する。
前進基地依存の危険性
機動部隊の温存と再建の必要性
ここで初めて、 「南方に安全な大規模拠点を設け、全艦を集結させて訓練する」 という
発想が生まれる。
■ 1944年3月上旬
リンガ泊地を新拠点に選定
連合艦隊司令部は、以下の理由からリンガ泊地を主力拠点に決定する。
南方油田に近く、燃料補給が安定
シンガポールの海軍施設を利用でき、整備能力が高い
敵航空圏外で、安全性が高い
大規模艦隊の停泊・訓練が可能
史実のタウイタウイ移動とは異なり、 ここでは 「全艦をリンガに集結させる」 という明
確な方針が採られる。
■ 1944年3月中旬〜下旬
空母部隊の回航開始 ― 正規空母3隻が南下
内地および南方に散在していた空母部隊は、 整備を終えた順にリンガ泊地へ向かう。
● 3月15〜25日
正規空母
大鳳
翔鶴
瑞鶴
がシンガポール経由でリンガ泊地へ回航。
この時点で、空母3隻の稼働状態は史実より良好で、 搭乗員の再編と訓練計画が同時進行
で進められる。
■ 1944年4月上旬
戦艦部隊の合流 ― 大和・武蔵・長門・金剛・榛名
4月1〜10日、戦艦部隊が続々とリンガ泊地に到着。
● 戦艦
大和
武蔵
長門
金剛
榛名
これにより、 日本海軍の全主力戦艦が南方に集結する という、史実では実現しなかった
状況が成立する。
た。
特に金剛・榛名は機動部隊随伴戦艦として重要で、 空母部隊との連携訓練が可能となっ
■ 1944年4月中旬〜下旬
軽空母・巡洋艦・駆逐隊も集結し、艦隊が完成
4月15〜30日には、以下の艦艇がリンガ泊地に到着。
● 中型・軽空母
隼鷹
飛鷹
龍鳳
千歳
千代田
● 重巡・軽巡
利根型・最上型・阿賀野型など、航空偵察・防空指揮に適した艦が揃う。
● 駆逐艦
秋月型(防空)
陽炎型(雷撃)
夕雲型(汎用)
これにより、 **第一機動艦隊は史実を上回る“完全編成”**となる。
■ 1944年4月下旬〜5月
リンガ泊地での猛訓練開始
ここから約1ヶ月半、 日本海軍は太平洋戦争中で最大規模の訓練を実施する。
● 空母航空隊訓練
発着艦訓練(昼夜)
集団攻撃訓練
艦隊防空
対空火力制圧(ロケット弾)
戦闘機比率60%の新編成
陸上基地との共同訓練
特に、 **三式一番二十八号爆弾(ロケット弾)**の運用訓練は 史実では存在しない大き
な差となる。
● 戦艦部隊訓練
対空戦闘
主砲射撃訓練
水上戦闘隊形
夜戦訓練
大和・武蔵・長門・金剛・榛名が揃って訓練するのは、 史実を含めてもこの世界線だけ
の現象である。
● 駆逐隊・巡洋艦隊訓練
対潜哨戒
雷撃戦
防空指揮
連携航行訓練
特に秋月型の防空能力は、 後のマリアナ沖海戦で大きな効果を発揮する。
■ 1944年5月下旬
渾作戦中止と決戦準備の徹底
史実ではビアク救援のため渾作戦が発動されるが、 この世界線では 「決戦準備を優先」
して中止される。
これにより、 第一機動艦隊は 一切の消耗なく、完全な状態で6月を迎える。
■ 1944年6月初旬
米軍サイパン侵攻 → あ号作戦発動
6月11日、米軍がマリアナ諸島を空襲。 6月15日、サイパン島に上陸。
これにより、 あ号作戦が発動される。
第一機動艦隊はリンガ泊地を出撃し、 ボルネオ北方 → フィリピン東方へ進出。 史実と
は異なり、 最高の練度・整備状態で決戦に臨むことになる。




