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蜻蛉商会のヒトガミ様 ~死にたがりな神様は、過保護なあやかし従者たちに執着され、今日も鳥籠の中から出ることを許されません〜  作者: 御崎菟翔
第二部

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70. 闇の籠

「ああ、それから、眷属に手出しされては敵いませんから、貴方の手で、眷属を闇の内側に捕らえておいていただきましょう」


 ハガネがサッと手で示した場所。床の角に手のひら大の黒い玉があった。その近くの床、四カ所に刻まれているのは神代の文字――『籠の鳥』


「眷属を内に入れ、文字の上の一つでそれを割れば、あの方の力で結界が生まれます。さあ、神よ。貴方の眷属を、そこに」


 笑みを浮かべ、粘りつくように発せられるハガネの声。奏太はその手に繋がれた楓を見やり、奥歯を噛んだ。選ばなければ。あの子を、このままにしておくわけにはいかない。日向の子を――


 奏太はそっと、亘の大きな背を、床に刻まれた文字の方に押した。


「お前たちの体への侵食が心配だけど、あの量で作られた結界に入るだけなら、闇に支配されることはないはずだ」

「何を馬鹿なことを。アレの言いなりになるおつもりですか?」


 亘の地を這うような低い声。けれど、他に方法はない。

 

「あの子は見捨てられないよ。三つの選択肢のうち、選ぶなら、道は一つしかない」

「奏太様!!」


 声を荒らげ、痛いくらいに腕を掴まれる。亘の顔は怒りと悲痛に染まっていた。しかし、ここで亘に言うことを聞いてもらわなければ、救える者も救えない。


「大丈夫だよ、俺は」


 激しく揺れる亘の瞳を、奏太は静かに見つめ返す。それから、亘の服のポケットのあたりを何気ない仕草でトンと叩いた。そこに入っている丸い固さを確かめさせると、亘の瞳がわずかに見開かれる。


 そこにあるのは、ここに来る前、出来るだけ白と金の力を詰め込んだ日石。相手は神ではなくなった闇の女神の力。しかも、あの僅かな量で作られた結界なら、この日石で簡単に破れるはずだ。


 自分は囮に。ハガネに生まれるであろう隙をついて、二人に動いてもらうしかない。奏太は、瞳だけでそう訴えかける。


 三百年も色んな事態をくぐり抜けてきた。こういう展開は初めてじゃない。計画なんて何もない即興。相手に気づかれないように言葉を交わさず、視線だけで確かめ合うしかない。それでも、二人ならどうにかしてくれるだろうという確信があった。今までだって、ずっと、そうだったのだから。

 

 奏太の無謀な企てを悟ったのだろう。亘の瞳に「拒絶」が走った。『そんなこと、させられるわけがない』という声にならない叫びが、視線越しに突き刺さる。

 

「奏太様」

 

 奏太を引き止めるいつもの響き。けれど奏太は、亘の目を真っ向から覗き込み、その怒りを受け止めたうえで、困ったように笑って見せた。

 

「信頼してるって、言っただろ」

 

 奏太もまた、いつもの、「頼むよ、」という眼差しで返した。

 

 奏太の瞳の奥にあるのは、一点の曇りもない、信頼と確信。それを真っ直ぐに突きつけられ、亘は悔しさに奥歯を噛んで、ギュッと目を閉じた。


 もう一度開かれた瞳には、燃え盛る色は消えていた。代わりに塗り潰していたのは、深い諦念。

 

「……貴方という方は……」


 積年のぼやきが詰まった声。その響きの裏にあるのは了承の意。奏太はそれに、フッと小さく笑った。

  

「奏太様……」


 不安気な椿の声。


「大丈夫だよ、椿」


 奏太はもう一度そう繰り返し、今度は日石を忍ばせた自分のポケットを、不自然に見えないように椿へトンと叩いて見せた。

 

 奏太は亘と椿を押して、床の文字のところまで行く。闇の女神の力が詰まったガラス玉。ずっと、闇の発生現場に残されてきたものの正体。全てを飲み込むような暗黒色が渦巻くそれを拾い上げると、奏太は亘と椿の目を順に見た。

 

「楓ちゃんを頼むよ。彼女を、何より優先して守って」


 微笑みと共に、ガチャンッ! と、黒のガラス玉を床に叩きつけると、一瞬にしてガラスが割れて飛び散り黒い靄が立ち上がる。文字と文字をつなぐように、靄は円を描くように横に広がり、瞬く間にドーム状の結界に変わった。


「随分と、素直に従ってくださるのですね」


 ハガネは訝るような目をこちらに向ける。


「その子を、失うわけにはいかないんだよ。俺自身が、どうなっても。ただし、俺がアレに入ったあと、他の眷属がどう動いても知らないからな」


 わざと負け惜しみのような事を言えば、ハガネはフッと嘲るように笑った。


「貴方さえ手に入れてしまえば、その後のことなど、どうにでもなります。闇の女神による封印が、そう簡単に眷属如きに解けるわけがありませんから」


 余裕のある笑い。あれに奏太を閉じ込めさえすれば、何をされても無駄だという確信があるのだろう。

 

 奏太は結界の向こう側にいる亘達をチラッと見たあと、自分を入れるために用意されたガラスの棺に向って一歩を踏み出した。


 カツン、カツン……


 静寂の中に、奏太の足音だけが響く。

 揺れる蝋燭の火にガラスの棺がキラキラと反射し、中の造花を鮮やかに映す。


(吐き気がする)


 こんなところに入れて、永遠に飾ろうとするなんて。


 棺の前まで来ると、奏太はゴクリと唾を飲みこんだ。

 

「ああ、やはり、貴方に相応しい」


 恍惚としたハガネの声音にゾワリと首筋が寒くなる。


 視線を向ければ、変わらず、顔色をなくし、ぐったりと意識を失ったままの楓の姿がある。


 まだ、助けられるだろうか。亘達は、上手くやってくれるだろうか。早鐘を打つ心臓の音が、耳に響く。


 奏太は震える手を、スッと棺に伸ばした。その白い指先がガラスの棺に触れ――


 ガチャンッ!


 突然、硬質な何かが割れる大きな音が響き渡った。背後から溢れる白と金の光が礼拝堂いっぱいに広がり、壁を染め上げる。


 それは、本来、奏太自身にしか放つことのできない聖なる光。


 日の力に晒されたハガネの「ギャアッ」という悲鳴が反響する。それと共に、バサリと羽ばたく音が聞こえ、強い風が吹き付けた。


「グッ――、な、何事だ!?」


 ハガネが動揺もあらわに喚くのが聞こえたかと思えば、奏太は後ろ側にグイッと強く腕を引かれた。まるで、どこにも行かせないと言わんばかりに自分を抱えこむ腕。奏太はほっと胸をなでおろしつつ、呆れた声を出した。


「……楓ちゃんを優先しろって言っただろ、亘」

「ハガネの対処は椿がしています」


 言葉の通りに、ハガネの呻きとも悲鳴ともつかない声が耳に届いた。


「ガハッ!! やめろ! 何故、お前達がッ――!!」


 チラッと声の方に目を向ければ、椿がハガネを制圧している姿が見える。椿一人でも問題なさそうではあるけれど……


「危険だから二人で対処して欲しかったんだよ」

「玄にやられた手負い相手です。椿がいれば十分でしょう」


 椿も手練れではある。重要な場面を任せられるくらい、亘も信頼しているのだろう。そう思ったが――


 「グアッ!!」「ウグッ!!」「ガッ!!」という連続するハガネの声が続き、止む様子がない。


「よくも、奏太様を!!」


という椿の声が聞こえたところで、マズイと思った。


「ちょ、ちょっと椿! やり過ぎるな! 殺すんじゃなくて、拘束するんだ!」


 奏太は慌てて声を上げたが、亘は冷たい目でそれを見やるだけ。止めようとしないどころか、飛び出そうとした奏太を、強い力で抱えたまま放そうとしない。


「止めろよ、亘! 殺しちゃマズイだろ!」

「大丈夫ですよ、椿だってそれくらいは承知しているはずです」


 亘はそう言ったが、全く止まる様子のない椿に、一瞬だけ、不安そうな顔を浮かべた。


「……仕方がありませんね」


 一つ小さく息を吐くと、亘はようやく奏太を放して、椿の元に向かう。奏太もそれを追うように、楓の様子を見るためにタッと駆け出した。


 その時だった。

 

「まあ、あれほど力を与えてやったのに、失敗するなんて!」


 不意に聞き覚えのある甲高い声が聞こえて、背筋にゾワッとしたものが走った。


 声の方を見上げれば、礼拝堂を照らすランプの笠に腰掛け見下ろす、少女の姿。漆黒の長い髪と闇に濡れた瞳。白い肌に浮き上がる艷やかな深紅の唇が歪む。


 亘が咄嗟に奏太の元に戻り、背に守るように間に入った。


「陽の子孫の捕まえ方も、使い方も教えてあげたうえに、あんなに力を分けてあげたのに、全部台無し」

「――闇の女神」

 

 奏太の低い声音に、闇の女神は忌々しそうに、その場にいる者達を見下ろした。


「奴隷商も鳴響商会もダメ、ハガネもダメ。ほんと、なんてしつこいのかしら。そろそろ、大人しく捕まってくれない?」

「お前こそ、誰かの影に隠れて、コソコソと。三百年前に滅びたはずのお前が、なんで、今頃になって」


 奏太が言うと、闇の女神はほんの少しだけ、驚いたような顔になる。

 

「あら、気づいていないの? 神の力は消滅するんじゃなくて、この世を構成する一部に還るだけ。そこに、私自身の存在を繋ぎ止め、守るものがあったとしたら?」


 闇の女神はそう言うと、スッと奏太の方を指差した。


「神の器。そこにあるのは、秩序の神の力だけではないでしょう?」

「それは、どういう――」


 そこまで言いかけて、奏太は気づいてしまった。目を大きく見開き、自分の胸に手を当てる。


 そこにあるのは、奏太の中に抑え込んだ、ドス黒い闇の力。人だった頃に注ぎ込まれ、人である自分を殺した力。

 

 秩序の神の力を取り込んでなお、維持し続けてきた人の体の中にある、祓いきれないままの、闇の女神の――


「……まさか、俺の体が……お前を……?」


 声にした途端、全身が粟立った。あまりの悍ましさに、奏太は口元を覆う。


 奏太はこの三百年、人の身に縋りついて来た。けれど、そのせいで、闇の女神の存在を完全に祓いきれず繋ぎ止めてしまっていた、ということだ。


 今まで発生してきた闇は? それに飲み込まれ自我を失い死んでいった犠牲者達は? それは、奏太が人を捨てていれば、防げたはずの――

 

 闇の女神はニタリと妖艶に唇の端を吊り上げた。


「助かったわ。日向奏太。愚かな、陽の子孫」


 足元が、フラリと揺れる。

 

「せっかくだから、貴方にお土産をあげる」


 闇の女神はそう言うと、パチンと指を鳴らした。それと共に、椿の悲鳴が響く。


「奏太様!!」


 奏太は咄嗟に声の方に視線を移した。異変があったのは椿ではなく楓。胸のあたりから、まるで闇があふれ出るように楓の肌を這い、覆っていく。


「ふふ。陽の力で相殺できるかしら?」

「あの子に、何を……」

「あれも、陽の子孫でしょう? 忌々しい一族。そして、貴方が守りたかったもの。ちゃんと、守り通せると良いわね」


 闇の女神はそう言うと、もう一度、パチンと指を鳴らした。すると、今度は闇の女神自身の周囲に濃い黒の靄が一瞬で立ち上がる。それが繭のように女神の体を飲み込んだかと思えば忽然と、闇ごとその姿を消し去った。


 闇が、楓の体を蝕んでいく。奏太自身の、甘えのせいで――


 その時、バンッと乱暴に扉が開いた。そこにあったのは、玄の姿。


「我が君、闇の女神は? こちらに来たはずですが」


 その声に、奏太は答えられなかった。


「……あの子を、救わなきゃ」

 

 自分のせいで、日向の子を失うわけにはいかない。


「奏太様」


 奏太は自分を守る亘の体を押しのけ、呼び止める声も無視して、楓の元に駆け出した。


 その傍らに膝を着くと、楓の顔は青白く染まり、浅く弱々しい息をしている。黒の靄に侵食されて、その命は、今にも力尽きそうになっていた。


「……ごめん……俺のせいで……」


 奏太はそう小さく語りかけると、自分のポケットに入れていた日石を楓の体の上に置き、その体に手を翳す。自分の中にある金の力を集め、陽の気とともに、楓の体ごと包み込むように注ぎこんだ。

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