59. 町外れの孤児院の闇
「……闇を祓うのに、世話係は必要か? 咲楽」
「燐鳳様の御命令です、奏太様!」
咲楽は元気いっぱいに返事をした。
当初、闇祓いの現場に同行しようとしていたのは燐鳳だった。巽や汐ですら同行させない危険な場所。いくらなんでも無謀だと、主命令で諦めさせたところ、代わりにやってきたのが咲楽だった。
「咲楽」
「は、はい!」
見送りに来た燐鳳に呼ばれ、咲楽が駆け寄っていく。その後ろ姿を見つめる奏太の耳に、玄の低く、吐き捨てるような声が届いた。
「鬱陶しいゴミ虫が」
闇祓いでの奏太の護衛という仕事。朱は当然の顔で、玄は不穏な笑みを浮かべて引き受けた。今、奏太の側にいるのは玄一人だ。
「玄、やめてくれ」
外面こそ穏やかな笑みを湛えているが、玄の瞳は冷酷な色を浮かべている。
「あれもまた、大事なのですか? あのように矮小な妖が?」
「絶対に、手出しはするな」
「へぇ。手を出せば、どうなるのです? 金の瞳を見せてくださるのですか?」
スッと、奏太の背に手が添えられた。
傍目には何気ない仕草に見えるだろう。けれど、獲物を逃さないという支配的な圧迫感に、奏太の全身をざわりとしたものが駆け抜ける。
「逆だよ。お前には絶対に見せない。俺が俺でいられる間は」
「ならば、早く神を解放していただかねばなりませんね」
玄が顔を寄せ、冷たい囁きが耳元に落ちる。
「その虚勢が、いつまで持つか。見ものですね」
玄はそう言い放つと、素早く手を引き、顔を離した。巽と話を終えた亘と椿が近づいてきたからだ。
「奏太様、玄と何か?」
訝しむ亘に、奏太は努めて明るく微笑んで見せる。
「いや、何にもないよ。それより、朱は?」
「先に状況確認へ向かいました。現地で合流する手はずです」
「分かった」
ふと視線を感じて振り返ると、遠くで見送る燐鳳が、探るように目を細めてこちらを見ていた。
「……あれも、邪魔だな」
「何か言いましたか、玄?」
「いや。さっさと闇を祓いに行きましょう。我が君」
椿の問いを軽やかに流し、玄は朗らかにそう促した。
たどり着いたのは、小さな孤児院。建物は真っ黒に染まり、深淵の奥底から這い出してきたような濃密な闇が、全体を飲み込んでいる。
「……ひどいな」
奏太はポツリと呟いた。これほどの闇を形成するには、相応の犠牲が必要だったはずだ。この場所の性質を考えれば、誰がその贄になったかなんて、考えるまでもない。
「国軍の警備は、白の配下を派遣させました。神を侮るような者は居ませんのでご安心を」
凄惨な光景など心底どうでもよさそうに、玄が笑みを浮かべる。
そこへ、ふわりと赤い羽根が舞い落ちた。見上げれば、朱が大きく羽ばたき、降り立とうとするところだった。
「朱、中の様子は?」
「子どもが複数惨殺され、大人が虚鬼に変わったようです。既に始末はつけています。屋敷ごと、闇を祓っていただいて問題ありません」
「……生き残りは?」
「建物全体が闇に侵食されています。たとえ息があったとしても、残っているのは虚鬼だけでしょう」
奏太は苦く眉を顰めた。
「少し前、闘技場の闇の事件で、日石を持った生き残りがいたんだ。陽の気で焼き払う前にきちんと確認したい」
「……可能性は低いと思いますが……」
朱はそう言いながら建物を見やり、重い溜息を吐いた。
「過って生存者を焼き、制約に触れても困りますね。もう一度、確認して参りましょう」
「いや、いいよ。一緒に行く。声をかけながら、少しずつ闇を祓っていくよ。それで、闇の女神は?」
「白の指示で軍が包囲していますが、今のところ姿は見えません」
「そっか。分かった。ひとまず闇祓いを優先しよう」
決意を固め、建物内部へと足を踏み入れる。
内部は重く淀んだ空気が満ち、一歩進むごとに粘りつくような闇が肌を刺した。
「おーい! 誰かいないか!」
しんと静まり返った中に、亘の声が響く。
当初、亘は護衛として奏太の側を離れようとしなかった。
しかし同時に、玄もまた、何を言われようと奏太の背後にぴたりと張り付いて離れない。
玄には協力して生き残りを探すつもりが毛頭なく、亘がそれに噛み付いて行こうとしたので、仕方なく、亘を椿や咲楽と同じく周囲の確認に回さざるをえなかった。玄が素直に奏太の命令を聞くとは思えなかったから。
亘は心底不満そうな顔をしたが、奏太が困ったように「頼むよ」と眉を下げると、「……くれぐれも勝手に動かないでください」と釘を刺し、渋々承諾してくれた。
亘や椿が生存者を呼びかけ、咲楽がその間を小刻みに動き回りながら隙間を探っていく。けれど朱の言う通り、生者の気配は一向に感じられない。
朱は全体を俯瞰しつつ、玄を監視するように時折鋭い視線を寄越していた。
「それほど心配せずとも、我が君はご無事だよ」
玄はその視線の意味を嘲笑うように、朗らかな声を朱にかける。
「いつ、どこに、不届き者が現れるとも分からぬからな」
「心外だな。少しは信用してくれよ」
傍目から見れば、軽口を叩きあっているだけに見える。しかし、三人の間だけに奇妙な緊張感が張り詰めていた。
背筋に冷たい刃を突きつけられているような感覚。奏太はそれを振り払うように声を張り上げた。
「亘、椿、咲楽! 誰かいた?」
別々の方向から、すぐに応答が返る。
「いえ、何もいませんね」
「こちらも同じです、奏太様!」
「僕が見た限りでも、どこにも居ません!」
三人の返答を確認して、奏太はコクと頷いた。
「それなら、咲楽は俺の後ろに下がって。この辺りの闇を祓っちゃうから」
眷属ではない咲楽だけは、奏太の陽の気に耐えることができない。闇を祓う際は、光が直接当たらないよう、細心の調整が必要だ。
本当は、咲楽は外に残してきたほうが良かったのだが、一応武官とはいえ、か弱い少女のように見える咲楽を鬼の巣窟に一人で残しておく気にならなかったし、咲楽も咲楽で、奏太から目を離さないようにキツく燐鳳に言われていると涙目で訴えてきたため、内部まで連れてくるしか無かった。
一癖も二癖もある者たちの中で、椿と共にクルクルとよく動いてくれるので、助かるには助かるのだが。
「大丈夫ですか、奏太様」
近くまで戻ってきた亘が、心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫だよ。本当に、陽の気しか使わないから。どうしても微妙に混じっちゃうけど、それはどうしようもないから」
「しかし、それでは……」
「大丈夫だから」
奏太はトンと亘の背を叩いて安心させると、咲楽が背後に隠れたのを確認し、前方へ手のひらをかざした。
慎重に力を込めると、眩いばかりの純白の光が溢れ出す。秩序の神の力を継いでから、その白の中には、金色の粒子のきらめきが、砂のように微かに混じるようになった。
浄化の光が室内に広がり、闇をかき消していく。
「わぁっ……!」
咲楽が感嘆の声を上げた。眷属たちには見慣れた光だが、咲楽がこの場に同行したのは初めてのことかもしれない。
「大丈夫か、咲楽」
「はいっ! キラキラして、とっても……とっても、美しいですっ!!」
咲楽は興奮で声を弾ませる。陽の気に晒されて体に問題はないかと確認したかったのだが……問題がないならば、まあいい。
チラッと周囲に視線を向ければ、亘が心底不安そうに、椿もまた、ハラハラしたような顔で奏太の様子を見ていた。
「我が君、もっと、金の御力が見たいのですが」
そっと背中に手のひらが置かれ、玄の囁きが耳朶を打つ。
「……闇を祓うのに、金の力は不要だよ」
奏太は低く突き放すと、ふっと陽の気の放出を止めた。
「それは、残念」
玄の鼻で笑うような声と重なるように、亘が奏太の顔を覗き込んできた。
「奏太様」
「そんなに心配するなよ。大丈夫だっただろ」
ニコッと笑って見せると、亘はほっとしたように息を吐いた。
「それにしても、何故、玄が金の御力を? 奏太様の御身体の状態を知らないのか?」
ジロッと睨む亘に、玄は軽く受け流すように笑う。
「御身体の状態? 俺はただ、純粋に美しいものが見たかっただけだよ」
「玄、この方は――……」
「いいよ、亘。気にしてない」
奏太は、亘がすべてを口にする前に言葉を遮った。
玄が奏太の状態を完全に分かっているかはわからない。屋敷の結界の一件を朱や誰かが伝えていなければ、恐らく知らないはずだ。
そうでなければ、無理やりにでも金の力を奏太に使わせようとしただろう。
玄の暴言にも暴力にも、耐えればいい。
けれど、金の力を多く使うのは致命的だ。抵抗することもできずに意識が持っていかれる。
(心配させたくないとか言って、亘達にあとで口止めしておかないと……)
どうしても、亘達との間に嘘や隠し事が増えていく。今までも、きっと、これからも。こんなつもりじゃ、無かったのに。
奏太は重い溜息を吐き出した。
「奏太様、お疲れが出たのではありませんか?」
「椿も大げさだよ。流石にこの程度じゃ疲れないって。それより、先に進もう」
そう言って一歩を踏み出した、その時だった。
どこからともなく、微かな、本当に小さな子供の泣き声が聞こえた気がした。
最初は、ただの空耳かと思った。
しかし、耳を澄ませば、確かに奥から途切れ途切れに聞こえてくる。
「……この声、どこから聞こえてくるんだろう。さっきは聞こえなかったのに」
「澱んだ闇のせいで、音が遮断されていたのかもしれません」
朱も不可解そうに目を細める。
咲楽がパッと奏太の後ろから飛び出し、音の出所を求めて室内をくまなく探り始めた。
咲楽の動きが止まったのは、大きな布の被せられた、古いオルガンの前。
咲楽がカバーをバサリと取り払うと、そこには子供が潜り抜けて遊ぶような、小さな扉が隠されていた。
大人でも、身を屈めればようやく通り抜けられるほどのサイズ。
「あのような場所があるとは、気づきませんでした」
朱が悔しげに呟いたが、深い闇の中では見落とすのも無理はない。
「あの中に子供が取り残されているのかも。行ってみよう」
奏太は仲間に声をかけ、その小さな扉へと慎重に歩み寄った。




