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蜻蛉商会のヒトガミ様 ~あやかし商会の死にたがりな神様は、過保護な最強従者たちに溺愛され、今日も鳥籠の中から出ることを許されません~  作者: 御崎菟翔
第二部

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閑話.隠し事の疑念:side.燐鳳

「燐鳳様。書簡は滞りなく幻妖宮へお送りしました。代わりに、阡殿からこちらが。それから、璃耀様と零雨様からも」


 縁から分厚い書類束を手渡され、燐鳳は深く溜息をついた。

 

 随分前。奏太が鬼界に商会を構えると決めた当初、武官の派遣と共に、屋敷の奥に簡素な書簡授受用の小さな結界の穴を、無理を言って開けてもらっていた。当初は主の動向把握が目的だったが、まさか自らがこれを通して政務に追われることになるとは思いもしなかった。


 蜻蛉商会の武官から、辛うじて事務のこなせる者として忌々しくも縁を選び、手伝わせてはいるが、一向に書類の山は低くならない。幻妖宮を回すための文官たちを、すべてあちらに置いてきたのが仇となったようだ。


「少し、お休みになってはいかがですか? さすがにこれは、奏太様が眠られた後にこなす量ではないかと……」

「あの時、あの方が鬼界へ帰るのを止められもしなかった其方が、私に意見するつもりか?」

 

 主から処分を止められていなければ、とっくの昔に追放していた。いや、主の御心を騒がせる懸念さえなければ、あの事件の直後に捕らえ、即座に処刑していただろう。


「お優しいあの方の御慈悲によって、元の職務に五体満足で就けていることを忘れているようだな」

「……申し訳ございません」


 燐鳳は、縁からの謝罪を無視して、一番上にあった書状へ無造作に手を伸ばして目を通す。

 

 心底どうでも良い内容に、燐鳳は眉を顰めた。

 

「零雨様からの小言など、いちいち持ってくるな」


 四貴族家筆頭、柴川家当主。許可も得ず鬼界へ赴いたことを叱責するその書状を、燐鳳はビリっと引き裂き、縁の足元へ放り捨てた。


 縁はそれに顔を青褪めさせる。


「れ、零雨様からは、必ずや燐鳳様のご返答を持ち帰るようにと厳命が――」

「ならば、其方が代筆せよ。あの方がお帰りになるまで帰るつもりはない。そもそも、雉里の役目は、常に陛下の御側に在る事だ。あちらの仕事も最低限は片付けている。その他の用事があるなら叔父上と阡に言えとな」


 奏太が幻妖宮を離れている間、燐鳳はその役目すら果たさせてもらえなかった。同行の許可をもぎ取った今、その特権を自ら手放すつもりなど毛頭ない。


 それに、人界に向かう前に感じた、目を離した隙に消えてしまうのではという不穏な予感を、昼間、あまりにも明確に突きつけられてしまった。


 あの時のあの光景。思い出すだけで、指先が凍りつくように震える。


(何があっても、失いたくないのだ。あの方を。私の目の届かぬ場所で損なわれるなど、断じてあってはならない)

 

 不意に、控えめなノックの音が静寂を破った。


「燐鳳様、咲楽です」

「今度は何事だ」


 苛立ちを隠さず応じると、咲楽はおずおずと扉を開けて中に入って来る。咲楽はチラと燐鳳の顔色を伺い、助けを求めるように縁へ視線を送る。


「何の用かと聞いている」


 燐鳳が言えば、咲楽はビクッと肩を震わせたあと、その場に膝をついて燐鳳の視線を避けるように視線を床に落とした。


「そ、奏太様の就寝のお手伝いに伺った際に、少々気になった事がございまして……」

「気になったこと?」


 驚くべきことに、鬼界において、奏太は着替えや入浴、就寝の準備といった身の回りの雑事を、すべて己でこなしていたという。

 

 家事や茶の用意などは眷属たちが分担していたようだが、帝位に在るお方をこれほどまで「粗雑」に扱っていた事実を知り、商会に到着するなり武官たちを締め上げる羽目になった。


 やむなく咲楽を身の回りの世話係として付けたが、当の奏太は困り果てたような顔をしていた。


『堅苦しくなるし、自由にさせてよ。部屋の中に常に護衛が三人もいるのだって、ホントは嫌なのに』


 奏太はそう言ったが、現に独りで就寝している最中に連れ去られたのだ。眷属一名と武官二名でも、燐鳳に言わせれば心許ない。


(無能な眷属を置くくらいなら、妖界から精鋭を三名追加したかったが……)


 燐鳳としては、出来るだけ守りの確実性を上げておきたかったのだが、亘か椿、先代眷属の内の誰かを必ず側に置けと眷属達がうるさく、室内の密度が上がることを厭った奏太との折衝の末、妖界の武官は二名までと押し切られてしまった。


 そこに更に、身の回りの手伝いをさせる者を入れようとしたのがお気に召さなかったらしく、世話係をねじ込むのに随分と苦労する羽目になった。


『部屋がむさ苦しくなるから自分でやる』


と言い張るので、咲楽を呼びつけ、奏太の前で殊更しおらしい態度をとらせ、


『咲楽であれば良ろしいですね』


と押し付けることで何とか了承させたが、そもそも、最初からこの屋敷に相応の奉公人がいれば、これほどの手間をかける必要もなかったのだ。


(この商会でのあの方の生活環境は、あまりにも杜撰すぎる。返す返すも腹立たしい)


「それで?」

「……先ほど、奏太様の寝台を整えていたのですが……何故か、敷布に血の跡があり……」

「血の跡?」


 書類を持つ燐鳳の指がピクリと動いた。


「は、はい。それで、どうなさったのかとお尋ねしたのですが、何でもない、覚えていないと仰るばかりで……誰にも言うなと釘を刺されたのですが……流石にお伝えしない訳にはいかないかと……思いまして……」


 咲楽の声が次第に小さくなる。


「万が一のことがあればと洗濯に出された衣類を改めて確認したところ、襟首の内側にも、血の擦れたような跡が……」


 首元からの出血。それも、敷布に染みるほどの。

 

 人界から妖界、そして鬼界へと至る道中、燐鳳は常に奏太と共にあったが、異変などなかった。あの方の側を離れていた時間は――玄と二人きりで話をすると部屋に戻られた時。そして、咲楽が就寝準備に入る直前。

  

「その場にいた眷属や他の武官達に心あたりは?」

「ちょうど亘殿が席を外しており、朱殿が付き添っておられましたが……。奏太様から口止めをされているのか、視線を交わされた後は、一言も語らず黙秘を貫いておいでで……」

「……朱殿、か」


 昼間、主の部屋で見せつけられたあの威圧を思い出す。

 あの方の眷属と称してはいるが、その実、彼らが崇拝し、忠誠を誓っているのは「日向奏太」ではなく「秩序の神」そのもの。


 人界から付き従う者たちと、先代から仕える者たちとでは、見据えている先が根本的に異なっている。


「可能性があるのは、玄殿との話し合いの最中か? しかし――」


 燐鳳は、細い指先で机を規則的に叩く。


 ただの話し合いで血を流すようなことがあるだろうか。しかも、相手は、どれほど『秩序の神』を崇拝していようと、あの方の眷属だ。

 

 先代眷属との間で、主は何かを隠しているのだろうか。


「あの方のことだ。傷そのものは、既にご自身の力で修復されたのだろう。……正攻法で問い詰めたところで、何も仰ってはくれぬだろうな」

 

 誰に言うともなく発した言葉が、夜の空気へ溶けていく。


 ようやくこの手に取り戻したと思ったあの方は、知れば知るほど、霧の向こうへと遠ざかっていく。示された「期限」と、隠された「傷」。


「……これでは、仕事など手につかぬな」


 燐鳳は目元を片手で覆い、深く、重い吐息を漏らした。

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