3 寿司と日本酒
則を見送った後、電話機の下の引き出しをごそごそしているばあちゃんが何やらごそごそしている。
「どうしたの?何か探してるの?」
「今日は、遅くなっちゃったからお寿司でも取ろうかと思って。太一も食べていきな」
「やった~。寿司久しぶり。あと俺、今日泊っていく。明日朝早いし」
「わかった。後で布団用意しておくから」
「今日は、寿司か!じゃあじいちゃんは、寿司が来る前に晩酌の準備でもするかな」
いそいそと台所の方へ向かおうとしているじいちゃんを太一は呼び止める。
「じいちゃん待って。お酒飲むならお猪口二つ用意してね」
「おぉ?太一も飲みたいのか?じいちゃんも太一と早く晩酌できるようになりたいけど、太一に飲ませちゃうとばあちゃんに怒られるからなぁ…」
「違うよ。俺じゃなくて、神様の分。神様お酒好きなんだって」
「なんだ、ずいぶんじいちゃんと気が合う神様だな。じゃあ、今日はじいちゃんのとっておきのを開けちゃおうかな?」
足取りも軽やかに台所わきの納戸にじいちゃんは消えていった。
「ばあちゃん。この前もらった高いタオルまだある?」
「あるわよ」
ばあちゃんは、受話器を片手に黄緑色の笹寿司の出前表をめくっている。
「あのタオル神様のお気に入りだから1枚貸して」
「まだ沢山あるよ、お寿司注文したら押し入れから出してくるね」
今夜は笹寿司に出前を頼むらしい。笹寿司は、町内の老舗で野球部の佐々木の実家でもある。
太一の家から自転車で15分ほどの距離にあり、ネタがいつも新鮮でおいしいと評判だ。小さいころからお祝い事の時には、決まって笹寿司だ。
ワクワクしながら待っていると、20時に佐々木の大学生の兄ちゃんが出前の寿司桶を届けてくれた。佐々木より面長だがやはり兄弟だけあって切れ長の二重の目元が似ている。ばあちゃんがだいぶ奮発したらしく松の寿司を注文したらしい。寿司桶にかかっているラップの上から中を覗き込む。ウニやいくらなどがこぼれるほどのった軍艦巻きに、マグロ大トロや中トロ、じっくり煮てタレを刷毛で塗ったアナゴもつやつや光っている。小走りでこたつの上に寿司桶を置く。急いで冷蔵庫から則のばあちゃんにもらって冷やしておいたサイダーとコップも準備する。葉っぱ(道守)をばあちゃんから借りた高級タオルにのせこたつの上にセットしていつもより少し遅めの夕食が始まった。上機嫌のじいちゃんは、いそいそと徳利からお猪口に日本酒を注ぐ。太一もサイダーの栓を抜くとグラスに注ぐ。ばあちゃんは、いつもの日本茶。
「それじゃあ、神様の石が見つかった記念にカンパーイ」
「太一、今日はごちそうだな。さすが太一のばあちゃんは、気前がいいな。こんな上等な寿司初めてだ。太一のじいちゃんはお酒の趣味がいいな。高級な大吟醸の香りがする」
葉っぱの道守は興奮気味で、高級タオルの上でくるくる回転し始めた。
「じいちゃん、お酒の趣味がいいって神様褒めてるよ。ばあちゃんが頼んだ寿司も喜んでる」
「ずいぶん、かわいらしい神様だね。くるくる回ってる」
ばあちゃんが葉っぱを眺めながら目を細めている。
「お酒の趣味がじいちゃんとぴったりだ。今夜は神様と飲み比べだ」
「飲みすぎないでよ。明日は朝から石碑の修理をするんだから」
「はいはい。でも今日は、神様にいいお酒を味わってもらわないと。ねっ、神様!」
「まったく太一のじいちゃんは愉快な男だ。今夜はとことん飲もう!」
葉っぱの回転が一段と早くなる。
太一も、大好きな大トロを口いっぱい頬張る。油に甘みがあって、酢飯との相性も最高だ。
「今夜は、神様とじいちゃんで飲み比べだ!今飲んでるのは奈良のだから次は兵庫の辛口のやつを開けようかな?」
「おっ、それは良い。さすが太一のじいちゃん、いい男だな」
道守はますます上機嫌だ。
「神様、じいちゃんのこといい男だって褒めてるよ」
「じゃあ、さっそく次の酒の準備をしないとなぁ…」
突然始まった宴会は、22時半でお開きになった。太一は、ばあちゃんから道守お気に入りの高級タオルと布団を受け取ると、こたつのある部屋の奥の座敷に敷いた。布団の枕左側にタオルを置き葉っぱ(道守)を敷き、石は畳の上に敷いたタオルの上に乗せた。
布団の準備が終わってから太一は、ゆっくり風呂で汗を流した。朝早くから一日動きっぱなしだったが、今夜は石が見つかった達成感と、おいしい寿司でおなか一杯。本当に心地よい。風呂から上がると鼻歌交じりに冷蔵庫を開け則のばあちゃんからもらったサイダー1瓶と駄菓子のつまった袋をこっそり座敷に運ぶ。幸い、じいちゃんはこたつでいびきをかいて居眠り。ばあちゃんは太一の後、風呂に入っているようで見つからずにすんだ。
「さあ、二次会のはじまり、はじまり」
「太一、風呂だったのか。さっぱりしたか?」
「うん。だいぶ汗かいてたから、さっぱりした」
「これ、則のばあちゃんにもらった駄菓子。どれ味見したい?選んで」
「おっ、則のばあちゃんずいぶんいろいろくれたんだな。見たことないやつばっかりだなぁ。迷うなぁ…。じゃあ、衣が付いた細長いやつにするかな。まえに太一の母上が夕飯に作ったカツに見た目はそっくりだが、なんでこんなに薄いんだ?」
「カツの味がする駄菓子だからね。でもおいしいよ」
袋を開けると、ソースと油の香りが広がる。
「本当だ。薄くてもカツの香りだ。これは、これでなかなかだな!」
サイダーの栓を開け、2つのコップに注ぐ。
「じゃあ、今日一日お疲れ様。乾杯!」
風呂上がりのサイダーののど越しは格別だ。夜遅くにハイカロリーな駄菓子を食べる罪悪感もやみつきになりそうだ。
薄いカツをかじりながらため息をつく。
「石、見つかって本当によかった~」
「太一お疲れ様。今日は、則もよく働いてくれた。則にも感謝だな」
「そういえば早乙女先生、大丈夫かな…」
「実は、太一と則がばあちゃんたちの事情聴取受けてた時、ちょっと病院を覗いてきた」
「えっ?そんなことできるの?」
「あの時、石の上に葉っぱを置いてただろ?石も見つかったし試しにやってみたらできた」
「能力が少し戻ってきたのかな?」
「そうかもしれないな」
「で、早乙女先生どうだった?」
「早乙女先生は、顔色もだいぶ良くなってきたし、落ち着いていたよ。もやしが入院で必要なものを持ってきたり、かいがいしく世話をやいておった。早乙女先生がもやしにあれこれ指示していたぞ。あればすでに尻に敷かれているな」
「そっかぁ…。安心した。則もだいぶ気にしていたし」
「まぁ、しばらくは入院になりそうだが、おなかの子も無事だし、ひとまず大丈夫だ」
「そうなんだ。まだ退院はできないんだ」
道守のコップのサイダーをも飲み干し、コップ二つに残りのサイダーを注ぐ。
「でもよかった。安心した。次、何開ける?好きなやつ選んで!」
「じゃあ、透明のパックに入っているいかの串刺しを開けてくれ」
駄菓子屋で大きな瓶の中にぎっしり詰められて売られているいかの酢づけの串と、甘じょっぱいタレをつけたいかの串を、パック詰めしてくれたらしい。太一はシンプルな白い酢ずけの方を頬張る。
「寿司の新鮮なイカもおいしかったが、こっちもなかなかのもんだな。酒のつまみにも良さそうだ」
「さっきじいちゃんにつまみで出してあげればよかったね」
「そうだなぁ、今夜は、いい酒を太一のじいちゃんに沢山ごちそうになったからな。まだ、ふわふわしていい気分だ」
葉っぱの道守は、本当に期限がよさそうにくるくる回転している。
「そうだ!石を見つけた太一に私から、何か褒美をあげよう。何でも一つだけ願い事をかなえてやろう!何がいい?」
「急に何が良いか聞かれてもなぁ…。う~ん…。じゃあ、将来どんな仕事に就くか教えて」
「残念、管轄外だ。わからん」
「じゃあ、彼女はいつできる?どんな人?」
「おっ、恋愛関係か…。残念だが同じく管轄外だ」
「う~ん。制限が多いなぁ。大学は、どこに受かる?」
「学問だな。私はそっちの分野の専門家ではないからなぁ」
「一体なんだったら叶えてくれるの?」
「う~ん。もっと身近なことにしてくれ。私は、どちらかというと地域密着型だからな」
コップに半分ほど残っていたサイダーを一気に飲み干す。
「あれもダメ、これもダメ。あ~もうわかんない!俺歯磨きしてくる」
コップやサイダーの瓶、お菓子の袋をもって立ち上がる。
(地域密着型って…。願い事ってランプの精みたいに何でもポンポン叶えてくれるわけじゃないんだなぁ…)
洗面所で口の周りを泡だらけにしながら考えたが、何も思いつかない。
「みっちー、だめだ…考えても思いつかないや」
ごろりと布団に寝転がる。
「まだまだ明日まで時間がある。ゆっくり考えればよい」
「じゃあ寝ながら考えるかな」
長く伸ばしてある電気のひもを2回引っ張って豆電球だけにする。
太ももやふくらはぎにじんわり疲れが残っている。風呂あがってからだいぶ時間がたつのにじんわり熱い。
「太一。本当に今日はお疲れ様。石を見つけてくれてありがと。太一を選んでよかった。私の目に狂いはなかった」
「そんなこと言って。適当に罠を仕掛けてひっかけたくせに」
「そうだったかぁ?あの時は、急に能力が使えなくなって焦っていたからあまり覚えてないなぁ…」
「いいかげんだなぁ…。俺は、あれから毎日現実を受け止めるのに必死だったのに。最初は、周りの人にいろいろ変化があるのに、俺だけ何もないのはなんだか寂しかったな。俺も何も知らずに変わる側だったら気楽だったのにって結構思った」
「そうかぁ。そんなことを思っていたのか。太一はいつも一生懸命、何も手掛かりのない中石を探してくれるから、私はいつも感謝していたんだぞ」
「あ~あ、願い事何にしようかな…。この2週間本当に大変だったんだから。大事に決めないと」
「太一、来週出雲から大黒様の使いが返ってくるんだ。それから毎年恒例の1年の報告会兼忘年会に参加するんだ。だからしばらく太一と会えなくなる」
「えっ、会えなくなるの?全然聞いてないよ!」
思わず飛び起きる。
「うん、初めていった」
この2週間ですっかり道守と過ごす毎日が日常になってしまった。
(急に会えなくなるなんて…。もしかしてもう二度と会えなくなる?)
急に胸のあたりがきゅーっと痛くなる。
「忘年会もするんだが、その前に1年間にあった出来事の報告会をするんだが、これが毎年少々気が重くてな。毎年忘年会前の2日間徹夜で報告書を仕上げなくてはならないんだ」
「もっと、前から準備しておけばいいのに」
「そんなこと言ってもなぁ。太一、私は日々この地に住む人々のために奔走しているから毎日忙しいんだ。だから無理だな。明日、石を戻してもらったら2日間寝ずに報告書を作らなくては。ついでに、今年は石碑が壊れた影響で崩れてしまったバランスをもとに戻さなくてはいけないから2日間で間に合うかどうか…。あぁ、気が重い…」
「もう、会えないの?」
「そうだな。太一や太一の家族には世話になったから、寂しくなるな。さすがあの田村田一朗の子孫たちだ」
眼が熱くなってくる。胸も苦しい。
「でも、忘年会から戻ったら、いつも通りこの土地の人々と太一をずっと見守っているよ。ごめんな、最後の夜にこんな話して、太一にはつらい思いばかりさせてしまったな…」
何か言葉にしようとするが、一口でも言葉を発すると涙があふれてしまいそうだ。
「そうだ太一、私に、葉っぱに触れてみてくれ」
黙って手を伸ばし葉っぱに触れる。ついに涙が一筋頬を伝った。
「私と一緒に数を数えて。せーの。いち、にい、さん…。
10まで数えないうちに開けてられないほど瞼が重くなってきて布団に倒れこみ、意識がふっと途切れた。
「ごめんな、太一。でも、今日は朝から疲れただろう。ゆっくり眠ってくれ。この2週間ご苦労様。ありがとう太一」
頬にまだ涙が光っている太一に、道守はそっと布団をかけた。