1 やっと戻ってきた日常
月曜日、教室に着くと寝ぐせでボサボサ頭の則が滑り込んできた。あまりに乱れた髪型に2週間続いたワックスブームが去ったことを知る。
「土日、太一のおかげで忙しかったから、寝坊した~」
「もとはと言えば、則のせいだろ?」
教室の一番前の席には、黒染めしたばかりのつやつや髪の三高が座っている。耳に開けたばかりのピアス穴が赤くはれて痛々しい。黒縁眼鏡をかけて学ランは一番上のボタンまできっちり留めている。もちろん上履きのかかとも踏んでない。いつもの三高が返ってきた。
佐々木のつちのこ熱も冷めてしまったらしく、朝練の後に、ネズミ捕りを回収。アリが数匹餌にたかっていただけで、結局何も入っていなかったらしい。
チャイムと同時に、もやしが教室に入ってきた。出席簿を持つ左手には、シルバーの見慣れないものが輝いている。
もやしの事情は、全て知っているが、なんだか胸がざわざわする。
「今日は、久しぶりに全員出席で、ほっとしました。朝礼の前に先生から少々、皆さんに報告があります」
もやしの報告という言葉にクラス中が少しざわつく。
「実は、非常に個人的なことなんですが、先週の22日に入籍しました」
(11月22日。いい夫婦の日に入籍か…。なんてベタなことを)
「え~、誰と?」
則がのんびり質問する。
「実は、音楽の早乙女先生と結婚しました」
ざわつきが頂点に達した。どこからか悲鳴まで聞こえる。
「早乙女先生の入院なんですが、少し長引きそうです。実は…、お腹に赤ちゃんがいまして、切迫早産の恐れがあるため、しばらく入院することになりました。その後も出産まで安静が必要だそうです。そのため、代用教員の方を今探しているところです」
あまりの急展開についていけず、みんな目が泳いでいる。
「太一、残念だったな。早乙女先生結婚して妊娠だって」
則が気の毒そうに振り返る。太一は、全て知っていたが、今さら説明するのが面倒で黙ってうなずく。
その日は一日中、もやしと早乙女先生の話題ばかりでもちきりだった。早乙女先生に片思いしていた肉ゴリ(筋肉ゴリラ:体育教師)は、急に熱が出たらしく午後早退していった。よっぽどもやしと早乙女先生の件が堪えたのだろう。マスクをして珍しく猫背でうつむきながらとぼとぼと校門を出ていった。
帰り道、なんとなく道守の石碑の前を通る気にならず、近道をせずに正規の通学ルートで帰宅した。道守のいる日々があたりまえになっていたから、道守の声が聞こえない家の中はやけに静かで変な感じがする。
学ランを脱ぎ部屋着に着替えていると、パートから母が返ってきた。おやつを食べに降りていくと、母の化粧が元通り薄くなっている。ほっと一安心だ。残りの駄菓子のソースカツとペットボトルの緑茶を飲んでリビングのソファーでドラマの再放送を観る。夕方のニュース番組が始まるまでそのままだらだらとすごす。
「ただいま~」
父の疲れた声。
「おかえり~。あら、どうしたの?その段ボール?」
玄関の方で母の驚いたような声。
「実はな…」
ダイニングキッチンの床にどさっと抱えていた段ボール箱をおろす。
「ツチノコTシャツの件、町長の心変わりでボツになった。今どきはやらないだろって。あんなに乗り気だったのに…」
「え~、そうなの?」
「だから、試作品を役場職員に配布して、これが残りの分。太一も着るか?中島君やクラスの子にあげてもいいぞ」
段ボールを開けてみると赤・青・黄・オレンジ・ピンクのTシャツがぎっしり詰まっていた。数えるとなんと20枚もある。
「うわっ、結構派手だね…。さすがに外では着れないな。中島も欲しがるかどうか…」
「じゃあ寝巻にでもしてくれ。沢山あるから母さんも着てくれ」
「いいの?じゃあ、ピンクとオレンジもらうわね。なかなか可愛いのに残念ね」
「あぁ…。町の名物になればと思ったんだがな…」
急速に元の日々が戻ってくる気配がする。
珍しく父が晩酌で500㎖の缶ビールを3つ空けた。よほどツチノコTシャツの件でがっかりしたのだろう。太一は、部屋のごみ箱がいっぱいになっていたことを思い出し、キッチンわきの大きいごみ箱に捨てる。道守と食べた山のような駄菓子のパッケージが次々と出てきて寂しさが増す。道守は、きっと今頃、1年間の報告会の準備で走り回っているのだろう。慌てた様子が目に浮かぶようだ。
肉ゴリは、次の日から3日間めずらしく学校を休んだ。金曜日になって職員室前の廊下を歩く肉ゴリを見かけたが、だいぶ頬がこけて、目の下にクマ、顔色も悪かった。肉ゴリの横を走り抜けた生徒たちがいたので、いつもの調子で注意するかと思ったらまったく気づかない様子で、お得意の頭髪指導もする気配もない。相当重症のようだ。そのまま猫背気味に俯きながら職員室に消えていった。失恋の痛みの恐ろしさに太一は、おののいた。今がまさに人生の春を謳歌するもやしとは、対照的で少し気の毒な気もする。
(大の大人が、しかもあの肉ゴリがあんな風になるなんて…。失恋…怖い…。恐ろしすぎる!)
道守のいない毎日は、驚くほどに単調だ。近道するとどうしても道守の石碑の前を通らなければならないので、しばらく正規の通学ルートで通っている。金曜日の帰り道、なんとなく久しぶりに近道をしようと思い立ち、畦道にハンドルを切る。幸いずっと天気が続いていたのでぬかるんでいない。
楠の下に自転車を止めると、急に風が吹き抜けた。もう道守は、年一回の報告会(忘年会)に旅立ったころか。風で髪の毛がぐちゃぐちゃになる。楠の葉がこすれ独特な爽やかな香りがあたりに漂う。太一は髪を手櫛でなおしながら深呼吸する。楠は、樟脳の原料らしいが、樟脳のにおいと、生の木は全く違ったフレッシュなにおいがするので結構気に入っている。ふと自転車のカゴを見ると多羅葉の葉が2枚付いた小枝が入っているのに気付いた。手に取ると見覚えのある顔の落書きともう一枚には、文字が書いてある。
太一元気か?私は、とても優秀だから報告書を仕上げながら、崩れてしまったバランスも整えたぞ。これが届くころには私は、忘年会の酒盛りの真っ最中だろうな。また駄菓子持ってきてくれ。じゃあ、またな。
相変わらず、軽い感じの文章だ。「またな」の文字に、なんだか本当にまた会えそうな気がする。太一は、小枝を制服のポケットに刺すと自転車をゆっくりと漕ぎだした。正月が来る前には、道守は戻ってくるだろう。その頃に駄菓子でも差し入れてやろう。何を差し入れようか考えていたらなんだかワクワクしてきた。今までのモヤモヤが嘘のようだ。空は、高く晴れ渡り、空気も澄んでいる。道守が吹いていた口笛を真似てみながら、ゆるゆるとペダルを漕いだ。




