14
ヴァレシアは微睡みの中で心地いい感覚に充たされていた。
暖かなで優しい体温が自分の側にあるのは心地がいい。
これはセシルが教えてくれたことだった。
セシルが幼い頃はよく、一緒に寝て欲しいとせがまれたものだった。
「せしりー...?」
手を伸ばすと柔らかな髪の毛の感触が当たった。
その頭を撫でる。
胸の中にある心地よい体温をずっと逃がさないように優しく撫でる。
「...姉さん。」
悲しい声がヴァレシアの耳に届いた。
とても、哀しい声だった。
セシルの声ではない。
誰だ?
自分の胸を鷲づかみにされ微睡みから眼が覚める。
視線を落とすと胸の中には黒髪の頭が埋もれていた。
一際強く胸が掴まれる。
泣きほくろのある少年が自分のベッドに同衾していた。
「犬ウウウウウ!!!!!」
怒号が雷のように落ちた。
絶叫に驚き、ベッドから落ちてしまった。
一体、何が起きたというのだろうか。
辺りを見回し、原因を見つけた。
赤い髪の毛をゆらりと逆立てるヴァレシアがベッドの上に立っていた。
「ヴァ、ヴァレシアさん...。ま、待ってください!」
「何を待つというのだ?私はこれから変態ド畜生を殺処分するだけだ。」
「そ、それを待って戴きたいんです。」
「...死ね。」
「ひいっ!!」
ヴァレシアの足が僕を狙い跳んできた。
かろうじて左に避ける。
先ほどまで居た場所がヴァレシアの蹴りによって崩れさった。
城に風穴が空く。
「なぜ避ける、犬?悪い事をした畜生は罰を受けねばならぬぞ?」
「ば、罰を受ける前に死んじゃいますよ!!」
「死が罰になる。」
ヴァレシアの姿が消える。
どこだ、右?
いや...。
「さらばだ犬。」
「後ろッ!」
咄嗟に体を屈め前に跳んだ。
空間を刈り取るような爪薙ぎが頭上を通りすぎた。
恐ろしい音がした。
「往生際が悪いぞ!!」
「往生する気はありませんよっ!」
「貴様ァっ!?わっ、私の...、私の体を好きに弄んでおいてその良い草はなんだ!!この外道が!!」
ヴァレシアが顔を真っ赤にして言った。
「体をす、好きに弄んだ!?」
僕の顔が熱くなるのを感じた。
「そうであろうが!私としたことが昨日は泥酔したまま寝てしまった。貴様に首輪をつける事無くな...。一生の不覚...。己の恥辱は己で濯ぐ!!」
「まっ、待ってください!!誤解です!!」
「何が誤解なのだ!犬!貴様は私のベッドの中に居たではないか!」
「そ、そうです!でもそれは、夜の風が冷たくてシーツを使わせて貰おうと思っただけなんです!ベッドはとても大きいし、僕が1人寝ても問題ないかなと思って...。」
ヴァレシアに本当の事を説明した。
「その、ヴァレシアさんに迷惑を掛けた事、本当にすみません!何でもします!だ、だから命だけは...。」
ヴァレシアが口を開いた。
「...そうだったのか。よし、犬の言葉信じるとしよう。」
「あ、ありがとうございます!」
しかしヴァレシアの殺気は消えることがなかった。
壁に立て掛けてある剣を手に取り此方に近づいてくる。
「ヴァレシアさん...?あの、わかって貰えたんですよね?それは一体...。」
「ああ。何、これは気晴らしだ。朝から外道を一匹刻んで気分爽快というわけだ。」
「その、外道というのは...?」
ヴァレシアが笑みを浮かべた。
「貴様だ。犬。」
「ひいいっ!!」
思わず目を閉じた。
「お姉様?起きていますか?」
剣が床に落ちる音が響く。
ドアに駆け寄る素足の音がする。
僕はまだ生きている。
「せっ、セシリーかっ、!?」
「はい。お姉様。久しぶりに朝食をご一緒したいのですが...。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!今着替える!」
「?別に着替えなくてもいいじゃありませんか。お姉様のお部屋で食べるのですから。」
「い、いやっ...それが...。」
ヴァレシアが部屋を見回す。
まるで嵐が部屋を通過していったような有様が広がっている。
ヴァレシアと目が合う。
凄い形相で睨まれた。
「お姉様?開けますよ?」
「まっ、待てッ!」
ヴァレシアが何を思ったのか此方に走りよって来た。
「貴様だけは始末させてもらうぞ!犬ウウウウウ!!」
「ちょっ、まっ...」
ヴァレシアの顔が目の前まで迫る
思わず後ずさると何かが音を立てて転がって行った。
昨夜ヴァレシアが飲み干した酒瓶たちだ。
ヴァレシアの足元に転がる。
「なぁッ!?」
ヴァレシアが酒瓶に足を取られひっくり返りそうになる。
「危ない!」
ヴァレシアの腕を強く引いた。
すると、強く引きすぎたせいで今度はこっちがバランスを崩した。
ヴァレシアの腕を掴んだまま後ろに倒れこんでしまう。
「イタタタ...。」
「くっ...。犬、貴様何をした...。」
「お姉様...?あらあら。」
ヴァレシアさんの顔が鼻が当たるほど近い。
褐色の肌がとても綺麗だ。
暗く赤い目に吸い込まれそうになる。
世界が止まったかようだった。
「お楽しみの最中でしたか、お姉様。出直しますね。ふふふっ。」
「ちっ、違う!セシリー!!」
ヴァレシアが急いで立ちあがり、髪とネグリジェを整えた。
「ちょっと...そう!この犬が新しい芸を見せたいと言ったものだから...それで...」
「新しい芸?」
「そうだ!ほら犬!腹を見せるのだ!」
「ヴァレシアさん、それはちょっと無理があるんじゃ...。」
「犬は、わんであろうが?」
「...わん。」
僕は大人しくヴァレシアとセシルに仰向けになってお腹を見せた。
「どうだセシリー?これが服従の証しだ。」
「へえ...。」
セシルが僕の近くへ来てしゃがんだ。
そしてお腹をしきりに撫でた。
暖かな感触がこそばゆい。
「せっ、セシリー!?何をしている!不潔なのだぞそやつはっ!?」
「そうでしょうか?玉のような肌をしているように見えますけれど?」
「そ、そういうわけではなくっ!!」
「では、どういう意味なのです?」
ヴァレシアの顔が赤く染まっていく。
「せっ!セシリー!!」
「ふふふっ。朝御飯にしましょう。お姉様。」
物が散乱する部屋の真ん中で二人がテーブルを囲んでいた。
「こんな場所でセシリーと朝食を摂ることになるとは...。」
「私は楽しいですよ?お姉様。」
「ほ、本当か?セシリー!」
「ええ。ですが...」
セシルの視線が僕に向いた。
「なぜライルさんは床の上に座っているのです?しかも首輪付きで...。」
ヴァレシアが大袈裟に首を横に振った。
「セシリー。犬はこうして食事を摂るものなのだ。無理強いしてテーブルに着かせるなど、可哀想ではないか。」
床に座る僕の前には水が入った皿が1枚あった。
パンは床に直接おかれていた。
「こんなの酷いですよ...。ヴァレシアさん...。」
「んんん?何か言ったかあ?犬ゥ?」
「...わん。」
「そうですか...。」
そう言ってセシルが席を立った。
セシルが朝食の皿を持って僕の隣に座った。
「私もここで朝食を摂ります。これをどうぞ、ライルさん。」
セシルが美味しそうなオムレツの載った皿とフォークを差し出した。
「セシルさん...。」
「ライルさんは華奢な体をしているんですから、もっと食べないといけませんよ。」
そう言って、微笑んでくれた。
思わず天使と錯覚してしまうほどにその笑顔が優しく見えた。
「ありがとうございます...。セシルさん...。」
「いえ。誰かと一緒に食べる朝食は美味しいですからね。」
「セシリー!?何をしているのだ!?」
セシルがぷいと明後日の方向に首を振る。
「ライルさんが席に着くのなら、私もそうします。」
「セシリー...。」
「どうするんです?お姉様。」
「くっ...」
ヴァレシアが僕の顔を見た。
怒りを平静な感情に戻そうとして表情が歪んでいた。
「い、犬。席に着いて、よいぞ...。」
「お姉様。犬ではありません。ライルさんですよ。」
「くっ...う...。」
ヴァレシアが歯を噛み合わせた。
苦虫を噛み潰したような表情に満ちた。
「ライル...!席へ、着いてはくれぬか?朝食にィ、しよう!!」
「は、はい...。」
正直こんな恐ろしい顔を見るなら床の上で食べていた方が良かった。
横に座るセシルを見た。
妙に楽しそうなセシルがそこに居た。
「美味しいですね。お姉様。」
「ああ。セシリーと食べる朝食はどの戦場で摂る朝食よりも力が湧いてくる。」
「ふふふっ。お姉様ったら。戦馬鹿なんですから。」
そう言ってセシルがヴァレシアの背を強く叩いた。
「んぐっ!?ごほっごほっ...」
ヴァレシアが咀嚼していたものを辛うじて飲みこみ、咳き込んだ。
「はぁ、はぁ...。セシリー、力が、強くなったんじゃないか?」
「そうですか?でもそれなら嬉しいです!私もお姉様のようになりたいので。」
「そうか...。」
ヴァレシアが紅茶を口に運んだ。
「それで、今日はどうして私と朝食を?」
「はい...。実はお姉様に頼み事があるのです。...ライルさんを、私に下さい!」
「...!!!!」
ヴァレシアが口に含んだでいた紅茶が驚いた拍子に僕の顔に吹きかかった。
「うう...。汚ないですよ...。ヴァレシアさん...。」
「だっ、黙れ犬っ!セシリー!!一体何を考えている!?」
ヴァレシアさんが僕を指差した。
「こんな得体の知れぬ奴をどうすると言うのだ!?それにこやつにはやって貰わねばならないことが...。」
「私は...この城から、出たことがありません...。」
セシルが思い詰めたように言った。
「外の世界の話がどうしても聞きたいのです!」
「それなら私が幾らでも...」
「お姉様のお話は戦絡みのモノばかりでつまらないのです。」
セシルがキッパリと言い切った。
「つまっ、らない...。」
ヴァレシアがショックを受け固まった。
「外の人々の営み...、世界の美しさ、不思議な光景...。そう言ったお話をライルさんからお聞きしたいのです!」
セシルが眼をキラキラ輝かせヴァレシアに詰め寄った。
ヴァレシアが気圧される。
「うぬぬ...。」
そういえば、セシルが僕と昨夜会った場所は城の外のはずだ。
おかしい。
「あの...昨日の夜...。いっ!」
お尻の横に鋭い痛みが走った。
見るとセシルの手が僕の尻をつねっていた。
「なんだ?犬?」
「どうしたんです?ライルさん?」
これは、余計なことを言うなというセシルからの牽制だ。
僕は口をつぐんだ。
「な、何でもありまセン...。」
「ふむ。変な犬だ。」
セシルが話を続けた。
「お姉様!どうかお願いします!」
「...っ!だ、ダメだ!」
ヴァレシアが立ち上がった。
「例えセシルの頼みでもこればかりはダメだ。世界の話を聞きたいなら旅商人でも招こうそれなら良いだろう?」
優しく言い聞かせるような声音でヴァレシアが言った。
「お姉様のいじわる!!」
セシルが両手で顔を覆った。
「どうして、私のしたいようにさせてくれないのです!?お姉様はいつも私を子供扱いします!お姉様にとって私の意思なんてどうでも良いんですか!?」
セシルが肩を震わせながら言った。
「セシリー...。」
ヴァレシアが困りきった表情を浮かべていた。
今にも泣き出しそうなセシルの報へ手を伸ばし止まった。
そして、僕の方を見て堪えるような悔しそうな顔をした。
「?」
「くっ...!」
ヴァレシアが歩き回り背を向けた。
「...はぁ。わかった。セシリー...。お前に犬を渡そう。」
「お姉様!」
セシルがパッ!と両手を顔から離し、満面の笑みを浮かべた。
「ただし、今日の昼間の間だけだ。こやつにはやらねばならぬ事がある。」
「はい!わかりました!」
セシルがヴァレシアの隣に立ち頬に軽くキスをした。
「せっ、セシリー!?」
「ありがとうございます。お姉様っ!」
セシルの可憐な笑みにヴァレシアの顔がとろけてしまっていた。
見たことのない程だらしの無い顔をしている。
「い、いやぁ。セシリーの為なら...」
「それでは行きましょうか。ライルさん。」
ヴァレシアからサッと離れたセシルが僕の手を取って歩き始めた。
「...ハッ!?せ、セシリー!?何処へ行くつもりなのだ!?」
「どこってそれは...。」
セシルがなぜか僕を見て恥ずかしそうに目を伏せた。
「...秘密です。」
「なにいいいい!?」
ヴァレシアの怒号が朝の城内に響き渡った。




