8. 渡したいのは、チョコレートじゃなくて
本編では絶賛潜入捜査中ですが、今回はそれよりも前、王都で二人暮らしをしている時のお話です。
アルアビス王国の主要都市・王都。
王城、軍本部、魔法研究所などを有する区域・"中央"があることで有名だが、国のあらゆる文化が集まる中心地でもある。
国内で最も人口が多いため、各領地から商人が足を運ぶこともしばしばだ。
故に、名産品・特産品が自ずと集まる。
そして今日も、とある領地の商人が、魅惑的な商品と共に王都へやってきた。
* * * *
──王都の中心を真っ直ぐに伸びる大通りは、この都で最も賑わう商店街だ。
そこをぶらぶらと歩き、おいしいものを物色するのが、エリスの主な休日の過ごし方である。
一緒に暮らすクレアは、今日は仕事のため不在。
さて、一人で何を食べようか。
軒を連ねる料理店はどこも名店ばかり。お気に入りの店はいくつもあるが……まずは出店をチェックするとしよう。
エリスは商店街を闊歩し、噴水広場を目指す。
各領地から訪れた商人たちが路上販売をおこなっているのだ。
その領地に足を運ばないと食べられないような珍しいお土産に出会えることもあるため、エリスは出店の偵察を欠かさない。
今日はどんな土地の、どんなグルメに出会えるのだろう。
期待に胸を膨らませながら、噴水広場に辿り着くと……
そこは、いつものようにたくさんの出店が並び、多くの人で賑わっていた。
工芸品や怪しげな宝飾品を扱う店もある中、エリスはくんくんと鼻を鳴らし食べ物屋だけを見て回る。
カナール産の海鮮串焼き。
リリーベルグ産の燻製たまご。
ピネーディア産のミルクまんじゅう。
セイレーン産のピーナッツバタークリーム。
嗚呼、どれも美味しそう……
と、涎を垂らしながら広場を進んで行くと、
「……ん?」
一際多くの客が集まっている出店を見つけ、ふと足を止める。
こんなに人気だなんて、一体何を売っているのだろう。
気になって近付いてみると……人だかりの中心から、商人の威勢の良い呼び込みが聞こえてくる。
「さぁ、アルピエゴ産のチョコレートだよー! ナッツ入りにクリーム入り、甘いのからビターなものまで取り揃えているよ! ぜひ見てってねー!!」
ちょ、チョコレート……!!
瞬間、エリスの目がキランと輝く。
アルピエゴといえば、カカオの産地だ。一度クレアと訪れたことがある。
あそこで飲んだチョコレートドリンクは、ほっぺが落ちるくらいに甘くて美味しかったなぁ……
と、口の中にその味を思い出しながら、人だかりをかき分け陳列された商品を確認する。
触れ込みの通り、様々な形をした一口サイズのチョコレートが綺麗に並んでいた。
ツヤツヤと光るそれは、まるで宝石のようである。
「ふわぁ、おいしそぉ……♡」
エリスがうっとり呟くと、商人がさらに呼び込みをする。
「今日は恋人の街・アルトゥールのお祭りの日! 想いを寄せる相手にチョコレートを送る日だよー! あなたも自分の気持ちをチョコレートに託してみては?!」
なっ……なんだその浮かれたお祭りは!!
さすが色恋の街……また妙なイベントを流行らせようとしているな……?
と、以前「恋人クイズ大会」なる恥ずかしいイベントに出たことを思い出し、エリスは一人赤面する。
しかし、その一方で。
『想いを寄せる相手にチョコレートを』、か……
確かに、口で言うよりは気持ちを伝えやすいのかな……
なんて、クレアの顔を思い浮かべるが……
突然、周りの客が「じゃあこの五個入りセットをください」「わたしも!」とエリスを押しのけるように集まってくる。
そうして、彼女の目の前からチョコレートがどんどん消えてゆき……
やばい、このままでは売り切れてしまう……!!
そう思ったエリスは、
「ぁ……あたしも、一箱ください!!」
……と、気がついたら叫んでいた。
* * * *
「ただいま帰りました」
数時間後。
二人で暮らす家に、仕事を終えたクレアが帰ってきた。
夕食の支度をしていたエリスはビクッと身体を震わせ、「お、おかえり」と彼を出迎える。
「今日は早かったね」
「えぇ。エリスはゆっくり過ごせましたか?」
「う、うん。噴水広場で出店見てきた」
「ほう。何か掘り出し物はありましたか?」
上着を脱ぎながらそう尋ねるクレアに。
エリスは……戸棚にしまっていたチョコレートの箱を取り出して、
「……はい」
と。
目を逸らしながら、それをクレアに差し出した。
彼は、不思議そうにその箱を見下ろし、
「……これは?」
「ちょ、チョコレート。アルピエゴからお店が来てたの」
「あぁ、あのカカオの産地の……それなら間違いなく美味しいでしょうね」
「……あげる」
「え?」
「だから…………クレアに全部あげる」
そう言って、ぐいっと箱を押し付けるエリスを、クレアは驚いて見つめ返す。
「一緒に食べないのですか?」
「……うん」
「どうして……体調でも悪いのですか?」
「そういうわけじゃないけど……」
「……なるほど、わかりました。エリスの仕掛けたドッキリなら、喜んで引っかかります」
「いや、ヘンなものとか入ってないから! 中身は普通のチョコっ! いいから食べて!!」
そう言って、エリスはぷいっと顔を背ける。
ほんのり赤いその横顔を、クレアは微笑みながら見つめ、
「どうしたのですか? はんぶんこもせず、私に全部くれるだなんて」
「別に……いいじゃない、なんかプレゼントしたい気分だったの。他意はないわ」
「……そうですか。では、喜んでいただきますね。ありがとうございます」
そう言って納得したクレアに、エリスはほっと胸を撫で下ろす。
よかった。無事に渡せた。
『想いを寄せる相手にチョコレートを送る日』。
あんな触れ込み無視して、食べてしまってもよかったのだが……
その言葉が、なんだか妙に頭から離れなくて。
普段あまり好きな気持ちを口にできていないから、こんな形でも伝えられればと、全て渡すことにしたのだ。
まぁ、クレアはこのイベントを知らないから、ただの自己満足に過ぎないんだけど……
そう脳内でひとりごちて、エリスが夕食の支度に戻ろうとすると、
「そうだ。せっかくなので、エリスが食べさせてくれませんか?」
そんな声が後ろから聞こえ。
彼女は「へっ?」と素っ頓狂な声をあげる。
クレアはチョコレートの箱を手にしながらエリスに近付き、
「あーん、ってしてくださいよ。そしたらもっと美味しくなると思うので」
「なっ……そんなわけないでしょ?! 味なんて変わらないから!!」
「では、エリスが口で溶かしたチョコをキスで味わわせてください。そうすれば貴女の唾液と混ざって確実に味が変わるはず……」
「キモイこと言うな変態! わかったわよ、あーんしてあげるからよこしなさい!!」
エリスは、バッ! と彼の手からチョコの箱をひったくる。
そして箱を開け……綺麗に敷き詰められたそれを一粒つまむと、
「ほら、口開けて」
と、そっけなく言った。
クレアは「えぇー」と残念そうな声をあげ、
「『あーん♡』って言ってくれないのですか?」
「言っても言わなくても味は同じでしょ?!」
「全然違いますよ。エリスだってよく言っているじゃないですか。一人で食べるより私とはんぶんこした方が美味しい、って。ものの味は、その時の心境や状況によって何倍も美味しくなるのですよ? そのことを貴女は身をもって知っているはず……」
「ああもう、早く食べないから溶けてきちゃったじゃない! 言うわよ、言えばいいんでしょ?!」
んんっ。
と、エリスは一つ咳払いをして。
「…………あ……あーん」
恥ずかしそうに頬を染めながら、クレアにチョコを差し出した。
彼は嬉しそうに笑うと、口を開けて……
ぱくっと、彼女の指ごと、それを頬張った。
「ちょ……指まで食べるなっ!」
すぐに抗議するエリスだったが、クレアは離すどころか彼女の手首を掴んで……
溶けて指に纏わりついたチョコレートまで、丁寧に舐め上げた。
敏感な指先を這う舌の感触がなんともくすぐったくて……
エリスは思わず、「んっ……」と声を漏らす。
やがてすべて舐め終えると……
クレアはリップ音を立てながら指を離し、ニヤリと微笑む。
「……とっても美味しかったです。エリスの指」
「指じゃなくてチョコでしょ?!」
「まだたくさんあるので、おかわりもらえたりします?」
「もうしないっ。あとは自分の指でも舐めてなさい!」
ピシャリと言って、エリスは彼にチョコの箱を押し付ける。
そして、指に残る生温かい感触に少しドキドキしながら、再びキッチンへ戻ろうとすると……
「そういえば……実は私も、お土産を買ってきていまして」
そう言って、クレアが鞄を漁り始めるので、
「ふーん。何買ってきたの?」
と、振り返らないまま聞き返すと……
「──チョコレートです」
……と。
後ろから腕を回し、エリスの目の前にそれを差し出してきた。
刹那、彼女は硬直する。
何故なら、それは……
自分が買ってきたものと、まったく同じデザインの箱だったから。
「え…………こ、これ……」
「奇遇ですね。仕事が早く終わったので貴女へのお土産を探していたら、たまたま見つけまして。まさか同じ店を訪れていたとは……私たちって、本当に仲良しですね」
という、楽しそうな声が後ろから降ってくる。
つまり、クレアも……
『好きな人にチョコを』というイベントを、あの店で同じように知って……
知った上で、チョコを渡すあたしの反応を見て、楽しんでいたのか……?!
恥ずかしさに震えるエリスを、クレアは後ろからぎゅっと抱きしめる。
「これ、貴女に差し上げます。意味は……既にご存知ですよね?」
「…………」
「私のは他意しかないので……そのつもりで受け取ってくださいね?」
「…………うぅ……」
「しかし困ったことに、たった五粒のチョコじゃ私の愛は全然伝わらないのですよ。だから……」
──ちゅ……っ。
……と、彼女を振り向かせ、チョコレート味のキスをすると、
「チョコに乗せきれなかった想い……直接、貴女に伝えてもいいですか?」
そう、囁くように言う。
エリスは赤い顔をさらに赤くし、声を震わせる。
「ちょ、直接、って……」
「甘いものの用意も万全ですし……今夜はたっぷり愛しますよ、という意味です」
「へ……?!」
目を泳がせまくる彼女に、クレアは思わず微笑む。
そして、正面からそっと抱きしめると、
「貴女がチョコレートに込めた想い、ちゃんと受け取りました。……ありがとうございます。とても、嬉しかったです」
とびきり優しい声で、そう言うので。
エリスは、胸がきゅうっと締め付けられる。
自己満足でいいと思っていた。
チョコに込めた気持ちなんか、知られなくてもいいと思っていた。
けど……
ちゃんと伝わることが、こんなにも嬉しいものなら。
来年の今日は、もっと素直に『好き』を伝えてみようかな、なんて……
そんなことを考えながら、「うん」と小さく返事をして。
彼の背中に、そっと腕を回した。
*おしまい*
バレンタイン短編(遅刻)、お読みいただきありがとうございました。
本編も引き続きよろしくお願いします!