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第4話 悪魔は嘘をつかない

 深く沈んでいく感覚がする。椅子に座っていることもカフェにいることすら苦痛で、悪魔が戻ってくる足音をひたすら待っていた。

 いつもの軽やかな音が帰ってきた時は、どれほど安堵したか分からない。


「お待たせしました。大丈夫ですか? 顔色が優れませんが」

「これでツヤツヤしてたら正気じゃない」

「確かに、そこまで心が強い人なら悪魔なんて呼ばないでしょうね」

「うるさいよ……」


 スーツの襟を正しながら座った悪魔は、すっかり冷めた紅茶を飲み干した。

「さて、外に出ましょうか。居心地が悪いでしょう」

「大丈夫なの?」

 あの剣幕を思い出すと寒気がする。強い感情を向けられたのは初めてのことで、まだ心臓が落ち着いてくれない。


「ええ、彼女なら説得の甲斐あって帰りましたよ。もっとも、これから邪魔をしてくる可能性もありますが」

「まさか他人から恨みを買うことになるとは思わなかったんだけど」

「貴重な体験ですね」

 馬鹿にするように言うと、悪魔は伝票を手にして立ち上がった。なんでも、契約後にかかるお金はすべて経費で落ちるのだとか。


「帰りながら、分かったことをご説明しましょう。もっとも先程の女性はかなり混乱していたので、こちらで資料から事実確認を行いました。およその事の顛末は掴んでいます」





 彼女は真っ直ぐに私を見ていたけれど、実際に会ったのは1年前のあの日だけだ。よく覚えていたなあと感心してしまうが、考えてみれば妙なことも多い。

 夜遅くのことだったから、記憶の中の彼女の顔はぼやけている。私はただでさえ人の目を見て話すのが苦手なのだから、直前に高橋さんの記憶を見ていなかったら、きっと誰だか分からなかっただろう。


「気分はどうですか? 早速お話させて頂きたいのですが」

 そう言って、悪魔は新しい紙資料を取り出した。今までにらめっこしていたものより随分枚数が少ない。いくら隣を歩く悪魔が手にしているものと言っても、夕日が眩しくて盗み見ることは出来なかった。


「あなたが彼女と会ったあの夜から、およそ3ヶ月後の高橋辰紀さんの資料です」

 す、と長い指が文の上をなぞる。

「3ヶ月後の8月、高橋辰紀さんと彼女の交際関係は破綻しました。原因は意見の不一致とありますが、以前から不仲が続いていたようです」

「あんなに幸せそうだったのに」

「ええ、2年前の彼らが幸福だったのは間違いないでしょう。記憶で見た日から1年後には破綻が決定的になりつつあったようですが」

 それって、と思わず呟いた。

「ええ、そうです。あなたが彼女と出会った1年前のあの夜、高橋辰紀さんと彼女は大喧嘩をした。もしそれがなければ、203号室で彼の誕生日を迎えていたはずです」



 プレゼントを持ったまま扉を見つめていた横顔を思い出す。泣きも怒りもせず、彼女はぼうっと扉を見つめていた。



「喧嘩をして彼女は部屋を出ました。別れる決意を固めて、と資料には記載されていますね。そしてあなたに会った」

「わ、私何もしてないけど」

「そうですね、あなたは声をかけただけです。その時の彼女がどんな様子だったか覚えているでしょう?」

 もちろん覚えている。声を震わせても、涙を流してもいなかったはずだ。

「あなたが声をかけたことで、彼女はプレゼントをドアノブに掛けて帰宅した。冷静になったのか、その場から早く離れたかったのかは分かりません。そして結局そのあと2人の関係は少し回復したのです。まあ3ヶ月後にやっぱり別れたのですから、いつ別れようが大差なかったと思うのですが」

「辛辣だ……」

「偽りのない感想ですよ」


 しょうもない話ですと笑って、悪魔は資料を閉じた。

「あの時あなたに会わなければ、プレゼントをその場に残さなければ、決意した時にすぐ別れていれば長く苦しむことはなかったのに……なんて、気に病むだけ無駄でしょう? まあ、私の想像ですが」

 人間は理不尽だ。明らかな言いがかりに必死になって、酔って、泣いて怒ってひとを殴ろうとしたりするかもしれない。



 でも本当に? それだけの理由であんな顔をするものなのか?



 悪魔はいつも冷静で、仕事に忠実だ。私の願いを叶えようと真摯に対応する生き物であることに間違いはないのだが。

 ないのだが。

「だがだがと、なんですか。私になにか言いたいことでも?」

「分かってるじゃん」

 心外だと言いたげに口を尖らせる。

「悪魔が嘘をつくとでも?」

「流石に今回は疑ってしまっても仕方ないと思わない? 無理があるっていうか」

「資料、ご自分で目を通されます?」

「いやいい、それはいいんだけど」


 私がこうやって断ると見越して嘘をついているのか、あるいは資料に問題があるのかもしれない。

 感情については詳しい記載が少ないという。理由はわからないけど、高橋さんの彼女に関する記述が欠損していた。他にまだなにかエラーがあってもおかしくはない。


 悪魔を見つめると、眉をひそめながら笑った。


「いいですか、悪魔ほど信頼出来る生き物はいません。私はあなたの願いを叶える」

「分かってるけど」

「それならば、さらに私に願ってください。高橋さんのことが知りたいのでしょう? 何から何まで全てを知ってしまえば、何故交際していた女性があなたを恨んでいるかすら、明らかになる可能性があります」

「彼女自身についての情報は、高橋さんの資料に書かれていないの?」

「そちらについては残念ながら……不甲斐ないですが。ですから、あくまで高橋辰紀さんに関することのみで留めてくださいね」



 さあ願いを、と悪魔は言う。暮れていく陽を見ながら、彼女の叫び声を思い出す。



 腹はくくっているはずだ。私には特別なものなんて何一つ無いけれど、悪魔がある。

 あなたを見たときに感じた、名前も知らない不安と興味が忘れられなくて悪魔を呼んだけれど、まだ、これっぽっちも理解出来ていないのだから。


「好きなものは知れたからなあ。次は……そうだ、家族のことについてとかどうだろう」

「家庭環境を知ることは重要です。相変わらず下手なお見合いみたいですが」

「うるさいったら」


 沈みきる直前の夕陽が、悪魔の瞳に光を灯した。


「では、海へ行きましょうか」




 ……なんで?

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