表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/8

第3話 褪せない幸福

 突然肩を叩かれて振り返ると、懐かしい顔がぱっと花を咲かせた。

「早いね、待たせちゃったかな」

「いつもの事だろ」


 ■■は、久しぶりに会ったというのに全く変わっていなかった。小柄な身体に、くりくりと大きな瞳。成長しないなと口にすれば怒られるので、何も言わずに彼女が座るのを見ていた。


「どうせ今、私に失礼なことを言おうと思ったでしょ」

「バレたか……お前は成長しなさすぎるんだって、言わない方が良かった?」

「間違いなくよかったね」

 傷ついたように顔を曇らせてみせたが、彼女はすぐに機嫌を回復させると片手を上げて店員を呼んだ。

「すいませーん!」

 ハキハキと注文を済ませる彼女を見ながら、俺は口にしたことと裏腹に大きな変化を感じていた。見た目はもちろん殆ど変わっていないけれど、その性格は随分明るく、自然になったようだ。


「さて、と……まず、これは引越し祝い」

 彼女が差し出した箱には、時計が入っていた。

「なんで、こんないいものを」

「近くに引っ越してきてくれて嬉しかったんだよ、これからは頻繁に会えるじゃない? わざわざありがとう」

「……ありがとう」

 異動があって、職場に合わせて引っ越したのは事実だった。でも、それを希望したのは俺自身であったことも事実だ。

 お金はないし引越しも一苦労だったけど、それでも■■の近くで生活したかったのだ。



 彼女が好きだから、という理由と。


 今後のことをよく考えたいという理由と。



 2つが俺の中にある。なんにせよ彼女の近くで生活して、人生を決めようと思っているのだ。

 そしてこんな気持ちのことを、彼女は当然お見通しなのだろう。


「ねえ辰紀、私にして欲しいことはない?」

「して欲しいこと?」

「そう、少しは何かお願いしてみてよ。私、結構なんでも頑張っちゃうかもよ。お礼がしたいの」

 ふふ、と■■は楽しそうに笑う。

「ほら、いいじゃないひとつくらい。何か言ってみてよ」


 陽だまりのように笑う彼女を見て、思わず肩の力が抜けた。今後のことを考えなくちゃならない。でも、今はここで、■■の隣にいたいと思った。 

 欲しいもの。やってみたいこと。こうなったらいいなという希望。細かい日常の願いから大きな夢まで色々あるけれど、やっぱり今は何もいらない。


 新居の近くに見つけた喫茶店には紅茶の香りが満ちている。ここが俺の思い出の場所になるだろうという確かな確信があった。



「■■、何もいらないんだ。何もしなくていい。俺は何もいらない」



 彼女は困ったように笑っている。これから始まる、少し距離が縮まった2人の生活に期待しながら、不安を抱きながら。



「そこにいてくれるだけでいい。何もいらない」









 自分がカップを置く音で目を覚ました。いや、寝ていたのかは微妙なところで、目を開きながら頭の中にかかった靄の中をさ迷っていた気がする。

 徐々に正気へ戻っていく私は、言葉に詰まって辺りをきょろきょろ見回した。

 店内の様子は記憶の中と変わらない。客の数が違うのと、目の前に美少女の代わりに悪魔がいることくらいだ。

「……い、い」

「はい? 大丈夫ですか?」

「イケメンかよ……」

「貧相な感想、どうも」


 笑顔を崩さない悪魔は、ぴしりと背筋を伸ばしたまま胸や腹を抑える仕草をした。

「いやあ、一緒に資料を見たのを後悔するところでした。胸焼けが止まらないのですが、よく効く薬をお持ちでしたら是非分けて頂きたい」

「そんなの持ち歩いてないんだけど」

「まあ、悪魔に体調不良とかないのですが」


 冗談は置いておいて、と言いながら悪魔は紙資料を手に取った。素早く目を走らせてため息をつく。

「やはりダメですね、どうして資料に記載漏れがあるのか、少しは理由がわかると思ったのですが」

「なんだかぼやけてて、彼女さんの名前も分からなかったよ」

「映像資料は劣化しやすいものなのですが、それにしても損傷が局所的です。普通の劣化ではないでしょうね」


 いま私が座っている椅子に座り、高橋さんは幸せそうだった。

 交際相手とのやり取りってのはああいうもんなのか。

「いや、あれはゲロ甘かと」

「だから人の心を読むんじゃない」

 失礼、と全く失礼だと思っていないような口調で謝罪する。悪魔はどうしてこうなんだろうか。

 記憶で見た高橋さんと比べていると、悪魔は少しだけ表情を曇らせた。長い指がカップの縁を何度もなぞる。


「悔しいとか羨ましいとは思わないのですか?」

「私が、あの彼女さんを?」

 そりゃあ全く何も感じない訳ではないけれど、悔しいと思う気持ちは湧き上がってこない。そもそも交際相手と同等みたいな立場で一丁前に嫉妬なんて、私なんかがしていいはずもないのだ。

「なんていうか……いや思うところはあるけど上手く表現出来なくて……」

「今後の参考にしますので、せめてもう一言くらい感想を頂きたいのですが」

「うーん……ただ尊い」

「はあ、そうですか。大変参考になります」

 もう少し感情を込めて口にすべきセリフだと思ったが、どうやら心の声に対して聞こえないふりをすることにしたらしい。


 ほんの少し冷めた紅茶を飲むと、やはり檸檬の味が気になった。記憶の影響で少しはマシになると思ったのに、今の私は私だから、ということなのだろうか。


「資料から特定の人間の情報が削除されたり、劣化が早まるというケースは稀にあります。もちろん我々悪魔側に原因がある時もありますが……」

「そうじゃない場合は? どういう理由なの」

「資料に記載されている人間の強い意志というのも考えられます。今回は高橋辰紀さんの資料ですので、彼の意志が資料を損傷させることもあるかと」

 そうだとすれば、相当強い意志でなければならないという。彼女を自分の記録から消してしまうような意志なんて、想像がつかないけれど。

 だって、あんなに幸せそうだったのだから。


「とりあえず資料の件はこちらで調査しますのでお気になさらず。次は何を知りたいか、考えて頂かないといけませんからね。まだまだ始まったばかりです」

「それもそうかあ……次、どうしようかな」

 ゆっくりで結構ですよ、と悪魔は微笑む。お言葉に甘えてぼんやりと高橋さんのことを考えながら、自分の紅茶と悪魔の紅茶を見比べた。

「何か?」

「そっちには檸檬入れた?」

「いいえ、何も」


 考える前に、折角なので美味しくお茶が飲みたい。そもそも大して好きではないけれど。


「私のと交換しよう。悪魔は檸檬も平気でしょ」

「え。いや、どうぞ」

 悪魔が驚いてきょとんとしている隙にカップを交換し、まだ温かいストレートティーに砂糖を投入した。口をつけると甘みが香りを引き出ててふわりと広がる。もちろん苦手な酸味はない。

「こっちの方がだいぶマシ……」

「は、はあ。そうですか」

 悪魔は、釈然としないと言いたげな微妙な表情でカップを見つめた。何故か恐る恐る手にとり、口をつけようとする。



 その時だった。落ち着いたピアノ曲を遮るように、カラカラとドアベルが鳴り響いた。客が途切れないなあと感心している私とは裏腹に、悪魔は大きな音を立ててカップを置いた。


「……どうしたの?」

「いえ」

 明らかに顔が強ばっている。

「ねえ、なにか」


 言いかけて、やめた。靴音が聞こえたかと思うと、悪魔の後ろに女性の姿が見えた。


 言葉が出ない。私はその人を知っている。

 さっきまで話をしていたのだから。



「……あんたの、せいで」

 彼女が浮ついたように呟くのを聞くなり、悪魔は素早く立ち上がると女性の肩を掴んだ。そんな乱暴をするなんて、と注意しようとして気付く。名前も分からなかった彼女は、迷いなく私に殴りかかろうとしていた。


「あんたのせいで!!」

「落ち着いてください。暴力は」

「許せない……離して!! 私はそいつを」


 店内の注目が集まっている。私は呆然として、何も言えないでいた。目の前で何が起きているのか理解できない。

 この人は高橋さんの彼女。あなたは2年前、幸せそうに笑っていた。そして1年前のあの日、203号室の前で私たちは会っている。意味はなくても、確かに言葉を交わしていた。


「落ち着いて。お店の迷惑になります、落ち着いて」



 肩で大きく息をしていた女性は、未だに目をギラつかせながら悪魔の手を振り払った。彼のことなど視界に入らないのか、私を見つめ続けている。


「のうのうと生きているなんて。私、あんたのせいで」



 血走った目をしていることを除けば、記憶で見たままの人だった。何も変わってないんだなと笑う彼の姿を思い出した。


 高橋さんの交際相手である女性は、少し息を整えたかと思うと、ポロポロと涙を零し始めた。

「失礼、少し外で話をしましょう。私が代わりにお話を聞きますので、あなたはここでお待ち下さい」

「でも、」

「そうするべきでしょう。どうかそのままお待ち下さい」



 悪魔に肩を抱かれて外に連れ出されながら、涙で濡れた目を再び私へ向けた。



「あなたのせいで、私たち終わってしまった」











○資料請求届

  資料番号 No.291b

  資料タイトル 『高橋辰紀タカハシ タツキ

  請求理由 No.301b作成の為、及び事実確認の為

  備考及び連絡事項 No.000b及びNo.277bVに欠損を確認。原因は担当が調査中。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ