sepia
史哉は三鷹の自宅をよく訪ねて来る
祖母にとって
一人息子だった
父が亡くなって
唯一の血筋は孫の私だけになった
孫娘の恋人は
祖母を
「おばあちゃん」
と呼んで慕う
母親と死別した
史哉にとっても
祖母と孫娘の女所帯には
独特の温もりを感じるのだろう
祖母が買い物に行くと言えば 私ぬきでもついていく
「朱音と結婚したら三鷹に住もうかな」
と、言い出す始末だ
叶うなら
高齢の祖母に
出来る限りの孝行を
したいと思う
下馬にある史哉の自宅には
父親が不在の時に
2~3度訪ねた事がある
掃除は定期的に
ハウスキーパーを頼んでいるというが
食事は当番制で
準備すると聞いた
「私がいるときに
是非遊びにおいで
史哉と二人でもてなすから」
みゆき通りの
割烹の帰りにそう言われ
ソファでくつろぐ
新聞を広げる
台所に立つ
その人の姿を思い描いた
ほどなくして
その機会は巡ってきた
前夜から落ち着かず
朝早くから目が覚めた
MERCURY DUOの
花柄のワンピースを選んで
胸元に
バタフライペンダントを
さげて 早めに家を出た
移動中に
史哉からのラインで
『ごめん
名古屋出張の飯田主任が
書類を忘れて出たらしいんだ
俺、追いかけることになってさー』
『えー、もう新宿過ぎたよ?』
『親父があれこれ準備してるから、そのまま行ってよ』
『いきなり二人きり?』
『大丈夫 夕方には帰るから』
むろん
引き返すつもりはなかった
下馬の家は
前日にハウスキーパーが入ったので
どこも綺麗に磨きあげられていた
コーヒーを煎れるという
父親と
手伝おうとする私の間の
なんてことない押し問答が
胸一杯に楽しくて
結局ふたりで並んで
台所に立った
「いいねぇ 娘がいると
家の中が華やぐよ
僕は娘もほしかったんだ」
「いなくて良かったです
今 そんな風に思ってもらえるなら」
「朱音さんはニクいことを言うんだね」
「独占欲が強いんです」
「史哉は苦労するな」
会話の合間に
笑い声が響いた
昼は
解凍したピザ生地をのばし
トマトソースの上に
アンチョビやサラミをトッピングしてオーブンで焼き
ビールで乾杯した
昼食のあとは
私が前日に
神楽坂のチーズ専門店で購入した
ブルーチーズとシードルをトレーにのせて
リビングのラグの上に
クッションを並べ
複数並んだタイトルの中から
私が選んだ
『哀愁』
を ふたりで観た
終盤
ウォータールー橋の上で
軍用トラックを見つめる
マイラの瞳が大きく見開かれていくシーンに
どうにも涙が止まらなくなり
そっと膝に置かれた
タオルに気づいて顔を上げた
穏やかで
温かな眼差し…
DVDをケースにしまいながら
「古い映画だからどうかと思ったんだが」
という史哉の父親に
「ヴィヴィアン・リーは
風と共に去りぬがあまりにも有名で でも、他の作品はたぶん観たことないんです」
「僕は 哀愁のヴィヴィアンの方が美しいと感じるよ」
「女性が一人で食べていくことが容易な時代ではなかったとしても やっぱり赦されない事でしょうか」
「現代とは価値観も違う
マイラはロイを愛するほどに 貞潔と選んだ手段の落差に苦しむのだろうね
ロイがそれでもと受け入れたとして幸せになれただろうか」
「そうですね
あー…何だか頭がぼんやりするわ」
「泣いたからさ
そこで少し横になると良い」
「でも」
「ひと眠りすれば史哉も帰ってくる時間だよ」
「お言葉に甘えても?」
「どうぞどうぞ」
クッションに頭を預け
うとうと眠りに落ちる頃
ブランケットを
そっとかけられる
気配を感じた
いつだろう…
同じようなことがあった
怒られたあと 泣き寝入り
小さな体に
ブランケットをかけて
背中をさすってくれた
あの優しい手
手は?
手はどこ…
ふと
迷う手に
温かなものが触れた
そうだ
こんな膝枕だったわ
『パパ…』
言葉になった?
ならなかった?
宙をかく私の手が
その人の体をとらえると
強くしがみついたまま
ふたたび
眠りに落ちた




