不穏Ⅷ
ジョンは頷いて、両手で頬を叩く。
「こちらの世界に来てから、いきなり魔法を使ったのがまずかったのかもしれない。当分は、少しずつ体を慣らす必要がある。そうとは言え、驚かせて申し訳なかった。今は多分、大丈夫だと思うが、どうだろう?」
「今は圧迫感がない。でも、殺気ってあんな感じなのか。漫画の世界だけの話かと思ってたよ」
ジョンが問いかけにロンは自分の胸や腕、顔を触りながら感覚を思い返しているようだった。彼からしてみれば、普通は体験できないことなので、恐怖よりも興味が勝ったといったところだろう。
逆に一番ダメージを受けていたのは、言うまでも無く香織だった。若干、目尻に涙を溜めて肩を震わせている。その様子にジョンは慌てて声をかけようとするが、それを美亜が肩に手を置いて止めた。
「いいのいいの。人に失礼なことをした報いよ。ま、でも、それだとあなたが気に病んじゃいそうだから、これくらいで許してあげるわ。娘たちに手を出したら、次はこんな物じゃ済まさないから、覚えておくように!」
「あたっ!?」
ジョンのこめかみに美亜のデコピンが炸裂する。思わず手で抑えるジョンの脇を通り抜けて、美亜は香織の脳天にチョップを食らわせた。
「み゛っ!?」
「いつまでもメソメソしないの。私のお説教の方が何十倍も怖いはずよ。それとも、最近、起こられていないから――――もう忘れちゃったかしら?」
「ひいっ!」
引き攣った声を上げる香織の背後では、シャルがアリスへ耳打ちをしていた。そこまで、美亜が起こると怖いのか、と。
アリスは何とも言えない表情で答えに窮する。アリスも香織も美亜のお説教が怖いのではない。正確には、お説教の際に真っ暗な押し入れに閉じ込められたことがあり、それが半分、トラウマになっているのだ。
今はもうない和室に置かれていた仏壇の横の押し入れ。そんなところだからか、小さい頃は幽霊がいるなどと祖父母に脅かされていたことも相まって、閉じ込められた時は全力で泣き叫んだ覚えがある。
そして、もちろん、香織が泣き叫ぶ声も。
「うん、まぁ、私たちが幼かったから余計に、かな?」
「ふーん、人は見かけによらないってか」
シャルはそれ以上は追及せずに、香織と美亜へ視線を向ける。
ちょうど、美亜が香織を軽く抱きしめて背中を叩いていたところだった。
「でも、今ので確実に魔法使いって信じられるようになった。だって、トライエースに襲撃された時よりもヤバいって感じがしたからさ」
「それで信じられるのは心外だな」
苦笑しながらジョンは台所へと向かう。不思議そうにする全員の前で蛇口を軽く捻ると、人差し指を立てる。その差す方向には恐らく、流れ出ている水があるはずだった。
少しして、ジョンが手を上げると、いくつもの水でできた球が追随して来る。シャボン玉のようにも見えた。勇輝を中心に惑星のように公転し、時々光を反射して、様々な光を反射する。
「魔力制御の鍛錬でやる技なんだけど、どうだろう? 少しは見て喜んでもらえるかな?」
くるりとジョンの人差し指が一回転すると、水の球の動きが変化する。ある時はサーカスのジャグリングの動き、またある時はビリヤードのように跳ね返る。細長い風船で犬を作るように、水の球を繋げて動物にするなどいくつもの動きを見せた。
香織は震える指で水の球を差すとジョンに問いかける。
「――――これ、触っても大丈夫?」
「もちろん、安心安全無害な水の球。どうぞ、触って魔法に触れてみるといい」
ジョンが指示を出すと、全員の目の前まで水の球が飛んでいく。香織だけでなく、全員が恐る恐る指で水の球をつつく。
「不思議な弾力だな。これ、強く突いたり、叩いたらどうなるんだ?」
「使い手による。未熟ならそのばでまき散らされるし、熟練者なら指が貫通したり、さっきみたいにボールに近い挙動をする」
ロンとジョンの言葉に触発され、アリスたちはどんどんと水の球に遠慮なく触れ始める。もう、先程の張り詰めた空気はどこへやら、大人である響と美亜ですら童心に帰ったかのように、夢中に触っていた。




