精霊士は魔術が使えない
カイトの一人称がイヴにより変えられてからしばらくの時が過ぎた頃、ようやく傷ついた身体も満足に動かせるようになり、座学メインの修行から本格的に力を付けるための修行が開始した。
小屋を出て開けた森の一角にてカイトとイヴは対面していた。そんな中、真っ先にイヴが行ったのはカイトの魔術適正の確認だ。
一般的にこの世界の誰もが魔術を使用するための魔力をその身に宿している。
基本的に魔術は大精霊の属性に対応しており、火、水、風、土、光、闇の六つだ。
火、水、風、土は文字通りの魔術を使用する。それは属性への適応率と魔術を行使する才覚が目覚しいほど使用の際の効能や威力を変動させる。
対して、特殊魔術とも称される光と闇は前述の四属性とは少し魔術の効能が違う。
光は魔術を行使する対象の治癒やその者が本来持つ力を増幅する魔術が主となる。直接相手を傷つけることには向いておらず、むしろその逆をいく。
それに対して闇はその使い手の絶対数の少なさと魔術の元となる闇の精霊が魔族を生み出す原因となったこともあり、その効能は意外と知られていない。
それは使い手の少なさはもちろんのことある意味人類にとっての禁忌とされており、研究することですら忌避されていることが一番の理由だ。
そして、そもそも魔術を使用するための魔力を誰もが持っているとはいっても、その魔術に対する適正がなければ、たとえどれほどの努力を重ねようと適正がなければ決して使用することはできない。それは魔術の大元になっている精霊からその者が受け入れられないためだということが長年の魔術研究者たちの結論として現在では結論付けられている。
つまり、逆に考えれば精霊がその者を受け入れていれば理屈の上ではどの魔術に対して適性を持っているということになる。
最も、そんな人間は過去に数えるほどしか存在していなかったのだが……。
「ふむ、やはり全属性の適正ありか。さすが始原の精霊から〝愛し子〟とかいう加護を与えられるだけはあるのう」
神託の儀で使用したものと似た特殊な鉱石で作られた魔術適正を調査する丸石を使い、カイトの属性を調べたイヴはそう呟いた。
魔術適正を調べる際に使用するこの丸石は対象が持つ適正によってその色を変化させる不思議な鉱石で作られている。火と水の属性を持つ場合は赤と水色の二色に分かれたりする。そして、適正属性が多ければ多いほどその色は多色に分かれる。
カイトが手をかざしたその丸石はイヴの言葉通り全属性の色に分かれていた。
赤色、水色、緑色、茶色、薄白色、黒色。色とりどりの六色に変化している。
「ククク。これを研究者共が見たら目を輝かせてお主を捕まえるであろうに。
何が凡人よ。過去にこの色を見せた人間がどれだけいたかなど指折り数えたほうが早いというのに、贅沢な奴じゃ」
イヴの嫌味に彼女に悟られないように内心で密かに舌打ちをするカイト。精霊士の天職も愛し子の加護も彼が望んで得た力ではないし、努力して手に入れた力ではない。
それに、その力があったところで結局彼は守りたかった一番大切な者を守ることができなかったのだ。素直にイヴの皮肉を受け入れることなどできなかった。
「師匠、俺が魔術に対して全属性で適正があることはわかったよ。それで今からは何を教えてもらえるんだ?」
「クク。そう急かすでない。我はどこにも逃げたりなどせぬ」
ようやく訪れた本格的な修行を前に自覚は無くとも力をつけられることに対する期待がカイトには湧いているのであろう。それを察したイヴはどこか焦らすような態度でカイトを抑える。
「お主には少し残念な知らせになるが我は光と闇の属性には適正がなくてな。最も、四大精霊の属性である火、水、風、土の適正は持っておる。
ピンとこぬであろうがこれはすごいことなのじゃぞ? 全属性への適正を持つお主に言ったところで負け惜しみになってしまうだけじゃがな」
かつて存在した魔術学院を首席で卒業し、何の因果か心変わりをした結果人類の敵となるまでその才覚を人類に全体に多大な貢献としてもたらしていたイヴは謙遜した言葉を口にする。最も、それは本当に言葉だけで彼女の態度そのものはどこまでも尊大なものなのではあるが。
「まあ、愛しい弟子がこうも熱心に教えを請うておるのじゃ。師匠としては弟子の期待に応えてやらねばいかぬというものよのう」
そう口にするとイヴは人差し指を突き立て、
「トーチ」
指先の先端にどこからともなく小さな火を灯した。
目の前で突如として起こった魔術の発動にカイトは興味深そうにゆらゆらと揺れる小さな火に目を凝らす。
「これは火属性の魔術の一番初歩的な魔術であるトーチという。基本的にはこのように小さな炎しか生まず、生活の一部や野営の際の焚き火の種火として活用されることが専らじゃ。
じゃが、使い手の技量が伴えばこの初歩魔術ですらこのように変貌する」
そう言って視線をイヴは指先で揺れる小さな火に魔力を込める。その瞬間、小さかった炎はゴウと音を上げ、空へと舞い上がる火柱と化した。
その熱量と眩さに思わず目を細めるカイト。
「どうじゃ? 初歩魔術一つとっても使い手がその属性に適正が高く、かつ技量を伴っておればこれだけで対峙する相手を火炙りにすることができる凶器と化す。クク、驚いたか?」
「あ、ああ……」
「うむうむ。師への畏敬の念をしっかりと抱いているようじゃのう。
よいよい。弟子たるもの師は尊敬せねばな」
魔力を指先に込めるのを止め、生み出した火柱を掻き消すイヴ。驚愕の表情を浮かべるカイトを見て大層満足したのであろう。今の彼女はかなり上機嫌であった。
「さて、我ながら生ぬるいやり方だとは思うが、大事な愛弟子をいきなり獅子の谷に落として使い物にならなくすることなどあってはならん。
まずは魔術の基礎の初歩魔術の習得を行うところから始めるとしよう。ああ、器の大きな師を持ってお主は本当に幸福じゃなぁ」
そう口にし、カイトへ近づくイヴ。壊れ物を扱うような手つきでカイトの頬を撫でると、上着の端からカイトの腹に手を這わせてさわさわと彼の身体を弄る。カイトにはこれになんの意味があるのかが理解できないのだが、気分がよくなるとイヴは度々こうしてカイトの身体を弄った。
そうしてひとしきり満足するまでカイトの身体をいじり、最後に彼の首筋に顔を近づけて唇を押し付け、吸いつく。それはまるで彼の全てが自分のものであると自覚させるような行為だった。
「ああ、早く成長せぬか。お主の初めてを全て我が奪い、いつ何時も我のことを忘れることなどできないような身体に早くしてしまいたいと我はこんなにも願っているのに」
ぞっとするほど冷たい声音でそう語るイヴにカイトは怖気を感じるが、同時に得体の知れない快楽も感じてしまっていた。振りほどきたいのにそうできない。こうしてイヴに身体を触られることに嫌悪感を感じながらも身体は何故かずっとこうしていたいと本能的に感じている。
そんな自分が堪らなく嫌で、カイトはこんな風に感じることをイヴと交わした隷属の契約に縛られているせいだと思うことで深く考えないようにしていた。
「そ、そんなことより早く魔術の使い方を教えてくれ」
とっさにこの状況から逃れるために声を上げるが、最初のほうは会館からか上ずってしまう。そんなカイトの反応が面白いのかイヴは笑みを浮かべながら名残惜しそうにカイトからその身を剥がし、
「ククク、仕方があるまい。我としてはいつまでもこうして愛弟子と淫蕩に耽るのも悪くないのじゃが、お主がそういうのであれば今は諦めるとしよう」
カイトの手を取ると先ほど己の指先に流した時と同じようにカイトに対して魔力を流し始めた。
イヴの手を通じて伝わる魔力。己のうちに全く別の存在が侵食する感覚に恐怖を感じながらも、カイトはそれを受け入れる。
「わかるか? 我の魔力が今お主の中に流れておる。まずはこの感覚を掴むがよい。そして、同時に己の中に存在する魔力を自覚せよ」
イヴに言われたとおりにカイトは感覚を研ぎ澄ませる。なるほど、確かに今イヴが流しているものとはまた別の魔力が己のうちに存在するのをカイトは感じる。
「自覚したか? では次のステップじゃ。自覚した魔力を空いた片方の手の指先に向けよ。指はどれでもよい。
魔力を指先に集め、イメージせよ。なに、そう難しくはあるまい。イメージするのは先ほど我が生み出した小さな火じゃ」
イヴに促されるままカイトはイメージする。先ほど己が目にした小さな灯火を。
「イメージしたか? では、唱えよ。トーチと」
「……トーチ」
魔力を集めた指先に先ほど見た灯火を発生させようとカイトは火の初歩魔術の名を呟いた。
「……」
「……」
だが、何も起こらなかった。
「え?」
期待していた成果が得られず間抜けな声がカイトの口から零れる。思わず師であるイヴの顔を見るが、イヴ自身もこの結果は予想外であったのか、彼女にしては珍しく唖然とした表情を浮かべていた。
「……おかしいのう。この程度の初歩魔術など魔力の自覚さえさせてしまえば誰でもできる。まして、こやつは全属性の適正持ち。魔力に不足があるわけでもない。
と、すれば他に理由があると考えるのが普通じゃな。ふむ……」
特に落胆した様子も見せずしばらくこの結果に対してイヴは考えを巡らせていたが、そんな彼女とは対照的にカイトは内心動揺していた。魔術の適正があるのに初歩的な魔術すらまともに発動できない。
こんなことで本当に強くなることができるか? そんな思いがカイトの脳裏に浮かび上がり、彼を焦らせる。
結局この後何度かトーチの魔術を発動させようとしたが、そのどれもが失敗に終わった。結局魔術が発動できない原因が分からず、この日の修行は再び座学へと移った。
落胆するカイトと何かを考えるイヴ。そんな彼らを遠くから光の玉がいくつも見つめていた。