9:賢人会議
『検死だと? そんなものは必要ない。すべてはっきりしている』
横で見ていた使用人がせせら笑った。『お前は最初からこの屋敷を乗っ取るつもりだったのだ。それで今夜、旦那さまを誑かして隙を見つけて刺したのだ。シャーロット、お前が殺したことはどう足掻いても変わらない。忌々しい人殺しめ』
男は跪くシャーロットの手を踏みつけた。その瞬間、弾かれたように動いたイヴァによって彼は床に組み伏せられた。このとき、イヴァはまだわずか13才の少年に過ぎなかったけれど、サモア生まれのすぐれた体躯と船で鍛えられた腕力で、体のなまった中年男を圧倒していた。『ぎゃっ、やめろ!』
シャーロットがイヴァを止めるまでに、殴り続けられた男の顔は見るも無残に腫れてしまい、それからすっかり彼は静かになった。
『この男の言うことは公正ではありません。ですから全く関係のない修道女様、あなたにこの場の状況を記録して欲しいのです。どうか』
シャーロットはもう一度深く頭を下げる。訪れた静寂のなか彼女は時間の流れが嫌に遅く感じられ、汗をかいた。永遠に思えるような引き伸ばされた時間が過ぎたあと、『ひどい』と澄んだ声がした。
淀んだ重く汚れた空気の漂う部屋のなかで、それは場違いのように響いた。『とてもひどいわ』
『何がです?』イヴァはうるさげに声の主を見やった。
『あなたたちのような子供が、人を傷つけてしまうこと』
シスター・テリーザは屈み込み、両手でシャーロットの顔を起こした。『人を傷つけるすべを知っていること。それに人を傷つけなければいけなくなってしまったこと。それは、とてもひどいこと』
『事情があるのです。私たちは生きなきゃいけないから。だから!』
『いいわ。調書は書きましょう』
修道女はきっぱりと言った。『安心なさい。子供に罪があるとは思いません』
その時、シャーロットはその凛とした顔つきをようやく確かに見ることができた。彼女の日に焼けたピンクの肌は健康的に引き締まり、若々しい。というより彼女の小柄な背丈も相まって少し幼げにすら見える。けれどその右頬には不似合いの赤い傷跡が一本横に走っていて、彼女の年齢を分からなくさせていた。その口はにこりともせず、安心しろと言ったわりに目つきが厳しかった。
『その代わり、すべて正直に話してください。あなたには言い分があるんでしょう?』
『ええ。もちろん』
シャーロットは今夜の顛末を嘘偽りなく喋った。テリーザは死体を調べながらそれを聴き、白衣のポケットから手帳と洒落た噴水ペンを取り出して、さらさらと絵や図、文を記し、怖ろしい速さでページを埋めていった。
書き取りが終わるとテリーザはイヴァに部屋のカーテンを外させ、彼と協力して死体をそれで包んで玄関の外まで運んだ。小さな体のどこにそんな力があるのか、シャーロットは不思議だった。苦もなくテキパキと作業をこなすテリーザに使用人の男が恐るおそる聞いた。『あの修道女様。死体はどうするんで? 勝手に動かしていいのかね』
『この方の尊厳を守りたいのなら』と言って彼女は顔にかかった赤毛髪を払う。『一刻も早く肉の腐敗を遅らせる処置をする必要があります。ここの湿気と暑さでは、ご遺体が長くは保たないでしょう。ですから、私の指示に従っていただけますか?』
テリーザは首を何度も縦に降る男と、イヴァに教会へ空の棺を取りに行かせた。彼らが屋敷を出て行ったあと、テリーザは玄関ホールに立ち尽くすシャーロットの方に振り返った。シャーロットのそばには、イヴァの言いつけに背いてこっそり部屋を抜け出してきた小さな子供たちが不安そうに集まっていた。
『ねえおねえちゃん。なにしてんの? それ、血?』
『また、せんちょうによばれたの? どこかいっちゃうの?』
シャーロットは足に纏わりつく無邪気な彼らの頭を撫で、くすぐったそうに笑った。
『どこにも行かないよ。ほら、ベッドに戻りな。明日はちょっと忙しくなっちゃうからさ』
『ほんとに? ぼくたちもてつだいする? 』
『ううん、いらない。大丈夫』
子供たちをそれぞれの部屋に追い返して戻ってきたシャーロットにテリーザは言った。
『あなたが正直に話してくれたのだから、私も正直に喋ることにしましょう』
小柄の修道女はそこで初めて口元に笑みを見せた。『あのね』
『ぶっちゃけ、あなたたちは相当怪しい連中だよ、私から見ても』
『そうでしょうね』
『今夜の殺しのことだけを言っているんじゃないわ。あなたたちの存在自体が胡散臭いって言っているの。だってあなたたち、島の人間じゃないでしょ?』テリーザは揺るがない緑の大きな瞳を見て言った。
『第一あなたがまだ子供だし、それも大勢の小さな子を連れているなんて。保護者はいないわけ?』
『私が保護者です』
『漂流民の少女、農場主の館に押しかけて親切な主人を殺した。心象は悪いわね。あなたが言う、死んだ主人が下衆な考え持っていたということだって証明はできないわ』
『でも修道女様は信じていただけるのでしょう?』
シャーロットは全く動じずにそう言ったので、テリーザはほんの少し気圧されたように感じた。『というか……』
『そもそもなぜご主人はあなたたちを屋敷に招き入れたのかしら。ふつう、部屋がたくさんあるったってあんな大勢の子供を養おうだなんて思う人間はそういないでしょ』
ああそれは、と言ってシャーロットは二階の自分とイヴァの部屋へ案内した。そこには粗末なふたつのベッドが並んでいる。シャーロットとイヴァが苦労して作ったヤシの木のベッドの下は便利で広い隠し場所になっていた。テリーザはシャーロットが取り出したものを見て、問題の根深さにようやく気づいた。『これは…』
『ここにあるのは、あの主人にインゴッドひとつを換金させて作った帝国通貨1千ポンドです。本当はもう少しあったけど、あいつに持っていかれて無くなってしまいました。でもこんなのは私たちの宝のほんのひと山に過ぎない、と言えばみんなすぐに食いつくのです』
シャーロットは札束がぎっしり詰まった麻袋からひと束取り出して、指で音を立てて弾いた。じっと、テリーザの表情を見つめながら。
『もし私を試しているのなら、やめといた方がいい』テリーザはくすりと笑った。『私は世捨て人。都会に戻る気などないし、金はもはや私を買収するに足る価値を持たない……。仕事として引き受けた以上報酬はもらうけど、色をつける必要はないわ』
『みな、そう言うんですよ』シャーロットは札束を数えるのを止めてそれを袋の中へ放り投げ、しらけたように言い捨てた。『本当は喉から手が出るほど欲しいくせに』
『世の中にはお金じゃどうにもならないこともある。あなたがまだ知らないだけよ』
『たいていのことは金さえあればなんとかなる。あんたがその例外かどうかは知らないけど』
『そうね。それは正しい』テリーザはほほえんだ。『だから、それを少しばかりポケットに入れておくと良い。アピアでは役に立つかもしれない』
『言われなくても、そうしますよ』
そのあとシャーロットは主人の部屋に戻って、クローゼットから着替えを見繕った。替えの服など持っていないから、殺した相手のものを借りるしかない。シャーロットは適当にシャツを探し、ほかは主人がヤシ農場に出るときに使っていたジーンズと、紺色の作業帽を失敬した。どれも男物で14歳の成長期の少女には大きすぎたが、贅沢は言っていられない。
『帽子、似合ってるじゃない』部屋の外で殺人者を見張っていたテリーザが褒めた。それが何だかシャーロットは嬉しかった。
『そうなんだ。よかった、似合っているんだ』
そんなどうでもいいようなことでも、素の自身を評価されたのは初めてだった。むしろどうでもいいことだったから、笑みが溢れたのかもしれなかった。シャーロットはそれをずっと借りておくことにした。
戻ってきたイヴァたちが棺に遺体を収めたころには、東の空が白んでいた。
使用人の男は相変わらずイヴァにびくついていたけれど、ふたりとも目の前の仕事に協力しあっていた。イヴァは取引をしたのだとシャーロットに耳打ちした。
『少し、握らせてやりました。これでもうあの男は余計なことを喋りません』
テリーザは男にそのままアピアのアメリカ合衆国領事館へと向かわせた。『この島での慣例として、変死が起きたときはアメリカの領事が検死官を指名することになっています。島にまともな医者は私のほかにおりませんから、私が検死を担当することに変わりはありませんが、それがルールですので』
しばらくして彼は衛兵と文官を連れて戻ってきた。シャーロットの両手には縄がかけられ、棺はどこかへ持ち去られた。領事館へ連行されるシャーロットにイヴァが慌てて縋った。『どうしてこいつらの言いなりになるんだ? もう十分だ。またどこかへ逃げればいいじゃないか』
『もう逃げない、どうせこの島で生きていくしかないんだ。だからここのルールには従わなきゃ』
『必ず戻ってきてください』イヴァはシャーロットの白く華奢な手を両手で握りしめる。『戻ってこなかったら俺が取り戻しに行きます』
紺帽子のシャーロットは目も合わせず不敵な笑みを浮かべていた。その目はヤシ林に囲まれた寂しい赤屋根屋敷を眺め、舟を泊めるのにちょうど良さそうな入江の輪郭をなぞっていた。彼女はもう先を見ていた。
『これはチャンスだ。シャーロットを、”僕“を信じろ』
その日が安息日だったこともあり、アピアのアメリカ領事館にはそこの住人がみな揃っていた。館のあるじたる壮年のフォスター領事は突然の報告にも特に動じた様子はなく、入植者街の規定にしたがって町の有力者達へ裁定のために賢人会議招集を伝えた。法律も、国家権力も存在しないウポル島では、この合議会の権威を支えるものなど無論ありはしない。それでもその不十分な自治機構は、よそ者が作った町で有象無象のよそ者たちを裁き、論争を終止させるために唯一使える権力だった。ある人が皮肉を込めてそれを賢人会議と呼んで、いつしか歴史ある名になっていた。
『委員が全員集まるまで時間がかかりそうだ。その前にいくつか確認をさせていただく』フォスター領事は館の公室にテリーザと使用人の男、そして縄に繋がれたシャーロットを入れて、立派な籐椅子に座った。
シャーロットへの質問は簡単なもので、氏名や出身、殺害の経緯などを尋ね、証人となる使用人の男にそれを確認するだけだった。けれどフォスターは丁寧で紳士的に振る舞ったし、シャーロットの弁明も聞き取り、おまけに手の縄を外させパンとスープの朝食まで付けた。
――もっと虐められるかと思ったけど、意外に大したことないな。
『おふたりはそれぞれ検死官、証人として出席いただき、我々からの質問には回答を求めるが、よろしいか』
大人ふたりは頷いて、それからしばらく蒸し暑い領事館の屋敷の中をぶらぶらしていた。けれどいつまで経っても会議は開始されない。誰も屋敷にやって来ないのだ。ずっと黙っていた使用人の男でさえ文句を言い出すくらい延々と待たされた挙句、日が暮れたころになってようやく会議のメンバーたちが揃った。
『これより臨時の会議を始める。議題は昨夜発生した殺人の処置について、町としてどう動くか決めたい』
平屋建ての領事館の大広間に十人ほどの男たちが集まり、長テーブルにつく。シャーロットは皆の見える少し離れた丸椅子に座らされ、側には衛兵が立った。
『まったく、あのガキのせいでせっかくの休日が台無しじゃないか。面倒なことを起こしてくれたものだな』
大柄なドイツ人の領事が訛りのきつい英語で不機嫌そうにそう言って、シャーロットの方を睨みつけた。
『ミスター・ウェーバー。あなたがいちばん遅れていらっしゃったのですぞ。本官などはもう1時間も待ちましたよ』
『あんたも変わらんよ。ウィリアムズさん』
背の低い痩せたイギリスの領事は甲高い声できいきいまくし立て始め、シャーロットは内心呆れてそれを見物していた。
――こいつらがプロシア王国領事ウェーバーと、大英帝国領事ウィリアムズか。
『そのサルのようなキンキン声をなんとかしてくれんか。うるさくてかなわん』
『な、なんですか! 失敬な! あなただってね……』
そこで議長のフォスター米国領事が木槌を打ち鳴らし、にこやかな顔で周りを見回した。
『ウェーバー領事、あなたはもう少し言葉を丁寧になさい』
『悪かったね。こちとら皆様方と違って商人上がりだからよ』
『ウィリアムズ領事も。今回はいつもの土地係争の話題はやめていただこう』
『まあ、ミスター・フォスターがそうおっしゃるなら』
さて、とフォスターはシャーロットの方に向き直り、氏名を検めた。
『シャーロット。きみは昨夜、わが合衆国の市民たるジョーンズ氏の喉をペーパーナイフで切り裂き、殺害した。これに間違いはないかね』
『間違いありません』
『決まりだ。本人も認めているのだし、島外追放が良かろう』ウェーバーが大きな声をあげ、隣に座っていたフランス人の宣教師長がうるさそうに顔をしかめた。『こいつはメルボルン……つまり英領ヴィクトリア植民地出身ということだったな。そこの現地政府に引き渡すのだ』
この意見にほかの参加者も同意を見せる。
『まあ、ウィリアムズさんが自分の仕事を増やしたくないということであれば、わしが引き取ってやってもいい。こいつは浮浪のガキにしては顔立ちも悪くないし、そこらの海上人身売買業者に売りつければ、良い値が付くかもしれんからな』
『ああ、嘆かわしい。現地採用とはいえ仮にも北ドイツ連邦の盟主プロシアの官職にあるあなたがそのような不埒をおっしゃるなど! かの国の未来は暗いですな』
『それでウィリアムズさんは反対なのか、賛成なのか、はっきりしてくれ』
『……本官もとくに反対いたしません。まあ、現実的にはやはりこの場合ヴィクトリア政府に送致することになるんでしょうな。書類作成が非常に面倒ですが、嫌だといえば嘘になりますが』
『お待ちなさい。みなさん、議論を急ぎ過ぎです』議長のフォスター米国領事が話の舵をとった。『ここでこの子供の弁明を私が代読します』
昨夜の経緯をシャーロットが伝えたままフォスターは読み上げ、あっという間に議場は疑いの声でいっぱいになった。『そんな、都合のいい話があるか。子供を何十人も養っていて、挙句子供に手を出して返り討ちにあったなどと! どうせその子供らは野盗か海賊のたぐいだろう』
フォスターは殺された主人の使用人の男にそれが事実だと証言させたけれど、みな半信半疑だった。続いて発言を求められたのは検死官を担当したテリーザだ。
『嘘ではありません。私は現場を調べましたが、部屋の状況や亡くなった方の傷から、シャーロットの言い分に間違いがないと確信していますわ』修道服に着替えてきたテリーザは、首もとから十字架を取り出した。『主に誓います』
『シスター・テリーザは今回も私に詳細な検死調書を提出してくださった。みなさんが集まるまでくまなく読ませていただいたが、信が置ける内容であった』
『テリーザ。きみは死体いじりよりもやることがあるんじゃないかね』と宣教師のひとりが嫌味を言った。『我々の集まりには参加せず、ひとりで丘の上のボロ小屋に籠るなど! 同じ神に仕える者とは思えんよ』
宣教師団長もそれに加勢した。『まったくだ。お前は数少ない医者であるのに先住民にばかり構ってアピアに住まう同胞たちを診ようともしない。こんな時だけご苦労なことで』
『ボロ小屋ではありません。神聖な礼拝堂と診療所があなた方の目にはそう映ってしまうのですね』とテリーザは冷たく言い返す。『それにあなた方の訴えなどせいぜい風邪か腹下しといったところでしょう。アヘンでも吸っていればすぐ治ります。私は忙しいのです』
『みなさん静粛に。議論に集中し、関係のない話題は出さないで頂きたい。シスター・テリーザ、調書の読み上げをお願いします』
『ありがとうございます。ミスター・フォスター』テリーザは少しだけ笑みを浮かべ、検死結果の説明を行った。
『……正当防衛、ねえ』大男のプロシア領事、ウェーバーは訝しげに呟く。
『そうなると無罪という判断も可能になるわけだ。するとこのガキはどうなる? それとこのガキが引き連れているとかいう大勢のガキどもは?』
『追放されないということはこのまま島に住み着くことになるでしょうな。恐らくアピア周辺に』とフォスター領事。
『冗談じゃない。もう流れ者が近所に住み着くのはまっぴらだ。そんな得体のしれないガキどもを野放しにするのは町にとっても脅威ではないのか? ええ、ウィリアムズさんよ。あんたはどうお考えか。このガキはいちおうあんたのお仲間だろう』
ウィリアムズ英国領事は露骨にむっとして、咳ばらいをした。『私は地主貴族の家系に生まれ育ち、オックスフォードを卒業しているのです。私を軽んじることはすなわち大英帝国への侮辱になりますよ』
『こりゃ傑作だ。小心者のあんた如きが大英帝国の化身とは大きく出たものだな。ははは』
『黙りなさい! たまたま乾燥ココヤシ貿易で上手くいっただけの成金商人が何を言うか!』
『貴様、我があるじゴーデフフロイ様を成金と呼んだな』
がん、がん、がん。槌が叩かれる。議長のフォスターは大きなため息をついて、言った。『お二人とも、時はカネです。今日それをいったいいくら水に流してしまったのかについて想いを馳せてみるのも悪くない』
議場が一触即発の雰囲気に包まれる中、シャーロットは笑いだしそうになるのをどうにか堪えていた。
――こいつらは阿呆だ。喧嘩しか能のない、大人らしい大人ども。
『私はいち領事であり法律家ではないが、弁明内容、証言、そして状況証拠から鑑みても、今回の殺人事件はシャーロットの正当防衛が認められるべきと考える。わが合衆国では応戦し自己を守る行為について罪に問わないことが多いし、恐らくあなた方の国にも同様の事例があるだろう。なにより、このシャーロットはまだ14歳の少女だ。人道的にものを考えようではないか』
フォスターは周りを見渡して諭すように言った。すると宣教師のひとりが口を開いた。
『しかし、やはりウェーバー領事が言うように、町の風紀維持の観点からはよそ者の浮浪児をいっぺんに受け入れることは好ましくないのではないでしょうか? 将来もし団結して暴れられたりしたら、各領事館の衛士たちだけではとても対処できませんよ』
すると苦々しい顔で俯いていたキツネ顔のウィリアムズもぼそぼそと口を開いた。『ミスター・ウェーバーと意見を同じくすることがとってもとっても腹立たしくてなりませんが、本官も同意見です。確かに将来を考えると恐ろしいことです。も、もう先般の襲撃を再現してはなりません……少なくとも本官が在任中は。あのとき本官は殺されかけたのですよ』
――先般の襲撃?
『二か月前のアピアは三日三晩にわたって氏族どもに踏み荒らされ、わが帝国の御旗は破られ、領事館は包囲され衛士は首を取られ、威信もなにも滅茶苦茶にされたのです! 頼みのオーストラリア駐留艦隊は日和って動かないし、今も奴らは森の中で再び襲撃をかける計画を立てているやもしれません』
『先に先住民連中の恨みを買ったあんたらが悪いんだ。10年ほど前、ロイヤルネイビーが隣のサバイイ島の集落に大砲を撃ったと聞くぞ。仕返しを受けただけさ』とウェーバー。
『よくもぬけぬけと! あなたたちゴーデフフロイ商会が土地欲しさに氏族へ戦争を煽ったことが先般の襲撃の引き金を引いたのです!』
『おふたりとも落ち着きなさい。子供らの処遇については方法が色々あるはずだ』とフォスターが流石に苛ついた表情を浮かべて声を上げた。『この島と町は狭い。やはりヴィクトリア植民地政府に漂流民保護事案として報告し、現地の救貧院か孤児院に引き渡すのが最上策だと私は考える』
『それがいいでしょうな。宣教師団としては異論ありません』
『ちょっとミスター・フォスター、それは本官の仕事になるのですよ。その、手続きが煩雑で、せっかくの連休が潰れてしまう……。何とか他に方法はありませんか』
『ウィリアムズさんよ。さっきと仰ってることに違いがあるぞ』
『そうだっ! ここウポル島ではなく、隣のサバイイ島にその子供たちを移してしまえばいいのです。慈悲深い氏族どもが面倒を見てくれるでしょうから。それがいい』
その時『だれも』とよく通る声がした。みな声のするほうを見た。
『だれも、僕たちを助けてはくれないんだな』
シャーロットは丸椅子から立ち上がり、きっと長テーブルの面々を睨みつけていた。大きな深緑の目からぽろぽろと雫がこぼれ落ち、ふっくりとした唇と華奢な肩を震わせ、静かに存在を主張する。
『僕たちは命がけでこの島にやって来たのに。けっきょく助けてくれたのは変態だけなんだな。お前らみんな変態以下だ!』
シャーロットは死んだ館主人から借りた、だぶだぶの作業用ジーンズの尻ポケットから札束を取り出し、テーブルの上に投げつけた。弾みで束の縛り紙が切れて、10人の男たちの前につややかな新札がばら撒かれる。それを見て少女は一変し、大人たちへにっこり微笑んだ。
『今日から死んだ主人の屋敷を僕が使うことにする。これはそのささやかな挨拶です。みなさん、どうぞ受け取ってください』
10人の立派な男たちの誰もかれも、茫然として目の前の紙切れを見つめていた。けれど血気盛んなウェーバーは押し殺したような低い声でシャーロットに問うた。
『なんのつもりだ。おい、ガキの癖にどこでそんなものを手に入れた?』
『宝の場所を僕は知っている。それはこんなちんけな入植街なんか一瞬で吹き飛ばすお宝。消えた赤ガラスの金塊の全て』
どよめく議場を見つめるシャーロットの心はなぜか急速に冷めていった。殺した男の顔を思い出して、シャーロットは気分が悪くなった。自分を地獄に引きずり落とそうともがいた男の白茶けていく死に顔を見て、少女は確かに興奮した。「勝った」と思った。そしてこれからも誰かを殺していくだろうという強烈な予感が、その時から頭を離れていない。