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仮面の秘密編

 三月ともなれば冬の気配は次第に遠ざかってきていた。そこまで迫った春休みが待ち遠しくて、私はいつもそわそわしている。冬は外に出たくなくなるから嫌いだ。とは言っても前程嫌いじゃあないんだけど。

「だってクレがいるもんね」

 私は台所に立ったままくすりと笑った。そして泡立て器の入ったボールを片手に抱えて、後ろを振り返る。突然名前が出てきたせいだろう、クレは冷蔵庫を閉めようとしたまま不思議そうにこっちを見ていた。仮面の向こうで瞬きが繰り返された気がする。

 いつも一人で暇で仕方なかった家に、ある時から夜に現れるようになったマジシャンクレ。冬なんて暇の代名詞みたいな季節だったけど、それもクレと一緒ならそんなに退屈じゃなかった。

「どうかしたの? みやちゃん」

「ううん、何でもない。ねえクレ、美味しそうでしょ?」

 私は首を横に振るとボールの中身をクレの方へと向けて見せた。ふわふわ泡だった白い生クリームが、甘い匂いを漂わせている。

 バレンタインのチョコを手作りしてから、私のささやかな趣味にお菓子作りが加わった。それまで料理とか全然したことなかったんだけど、やってみると結構楽しいんだよね。クレがアドバイスくれるから失敗することも少ないし。それにお金も無駄遣いしなくていいし、自分で甘さ調節できるから太りすぎないかなあ、とか思ってみたり。

「うん、そうだね」

「あ、あんまりそう思ってない言い方だ。あれ、ひょっとしてクレって甘いもの苦手だった?」

「そんなことないよ。確かに甘すぎるのは苦手だけど」

 冷蔵庫を閉めて台所で右往左往するクレは、最近よく見せる困ったような笑顔を浮かべていた。私がお菓子作ってるといつもこうなんだよね。心配そうに見に来るんだけど少し不満そうで。

「クレは私がお菓子作るの嫌なの?」

「え? そんなことないよ。どうして?」

「だって行動が変だもん。格好だけじゃなくてさ」

「格好だけじゃないって……もうみやちゃんはしつこいなあ。これがマジシャンクレッシェンドの証なんだよ」

 私はボールを抱えたままクレを横目でにらんだ。クレは全身黒のタキシードに仮面をつけた、要するに変な格好をしている。家の中ではシルクハットはかぶってないしステッキもその辺に置いているけど、でも変な仮面はつけたままだ。前からとってと言い続けてるんだけど決してうなずいてはくれない。これがないとクレッシェンドじゃなくなるから、とか言って苦笑するんだ。

「それ意味わかんないよ、クレ」

 私はつんと横を向きながらまた生クリームをまた混ぜ始めた。するとクレが慌てて近づいてくる気配がする。機嫌損ねたとか思ったのかな? 心配性なんだから、クレは。

「ねえみやちゃん」

「何? クレ……って、あ」

 だけどそこで思わぬことが起きた。

 笑いを堪えながら勢いよく振り返ったら、泡立て器が手から滑ってしまった。それは見事クレの顔に命中して、床へと転がり落ちる。

「あ、あ、あ、クレ大丈夫ー!?」

「だ、大丈夫」

 クレの顔……いや、正確には仮面に生クリームがついて大変なことになっていた。額がちょっと赤くなってるのは泡立て器のせいだろう。私は慌てて傍にあるティッシュ箱へと手を伸ばし、今度はボールまで落としてしまった。嫌な音が響く。

「わっ!?」

「落ち着いてみやちゃん、ほら落ち着いて」

 ボールを拾うべきかクレの顔を何とかするべきか、それとも床を拭くべきか、私は慌てすぎてどうしたらいいかわからなくなった。

 何でこんなことになったんだろう。泣きたくなる。私って本当ドジなんだから。

 でもクレの声が優しかったから少しは落ち着いて、とりあえずこれ以上生クリームがこぼれないようにとボールへ手を伸ばした。さらにひっくり返さないように気をつけなくちゃと、何度か心の中でつぶやく。

「ごめんね、ごめんねクレ」

 しゃがんだままボールを抱えると、私はクレを見上げた。だけどそこにクレはいなかった。いや、いるにはいた。けれども仮面をはずしたクレは、それまで私が知ってたクレじゃあなかった。どこから取りだしたのかわからないけど白いハンカチで、仮面の生クリームを拭っている。

「あっ」

 すると私が見上げたことに気づいて、すぐさまクレは仮面をつけた。いつものクレだ。少し赤くなったおでこ以外は、見慣れた姿に戻った。

「タオルも持ってくるね」

 でもそのことについては何も言わず、私はそう口にして急いでボールをテーブルの上に置いた。そしてぱたぱたと洗面所に向かって走り出す。心臓の音が外まで聞こえてそうで、何だか恥ずかしくなった。

 クレの顔見ちゃった。

 いや、見たと言える程じゃあないけど。下からだったから半分は仮面の陰に隠れてたし、一瞬のことだったから。

 でもそれでもわかることがあった。クレの顔は綺麗だった。格好いいというよりは綺麗だ。クラスの男子とはまるで別の生き物みたいに、肌は白いし目は茶色い。

「なのに何で仮面なんてつけてるんだろう」

 洗面所の棚からタオルを二枚取り出して、私はつぶやいた。べたつくと困るから一枚は水拭き用でもう一枚は乾拭き用だ。帰ってきたお母さんにばれるとまずいからね。最近変だとか怪しまれると困るし。

 でもすぐに戻る気がしなくて、その場で私は立ち止まった。タオルをぎゅっと胸に抱きしめて、飛び跳ねんばかりの鼓動を落ち着けようと努力する。

 私が知ってるクレは仮面を付けた怪しいマジシャンだ。ずっと一緒にいたのは強気なのか弱気なのかわからないマジシャン。綺麗な顔をした高校生じゃない。

 そう思うんだけど、でも何だか変な気分になった。最初は警戒してたのに、いつの間にかクレがいるのが当たり前になっていた。二人でいることにも違和感がなくなっていた。正体のわからない男の人と一緒にいるんだと、実感しなくなっていた。

「あーでも、クレからすると私って子どもだし。そう、妹みたいなものだよね」

 それでも何とか私は口の端を上げる。仮面をつけていて良かったと、今さらながらその事実に感謝したくなった。あの顔をずっと見てたんじゃきっと妙に緊張してしまう。今までみたいに気楽に接することはできなかっただろう。

「みやちゃん?」

 すると遅いと思ったのだろうか、扉の陰からクレが顔を出した。私は慌てて頭をもたげ、へらへらと笑いながら首を横に振る。

「あ、何でもない何でもない。今一枚濡らすから。クレ大丈夫? おでこ」

「ん? ああ、大したことないよ。ひょっとして赤くなってる?」

「えーと、少し」

 私は洗面台に向かって蛇口を捻った。今はできる限りクレの顔を見たくなかった。視線が突き刺さってる気もするけれど今は無視だ。やることがあるのって幸い。

「みやちゃん」

「何?」

 私はタオルを絞りながら答えた。声が震えないようにって気をつけたけど、ちょっとかすれたかもしれない。

「みやちゃんは僕の顔好き?」

「え?」

 けれども突然放たれた質問に、驚いて私はクレを見た。そこにいるのはいつものクレだ。変な仮面を付けたマジシャンが、感情の読めない顔で私を見つめている。

「僕は嫌い。女みたいってよく言われるし、なよなよして見えるからね」

「そ、そんなこと――」

「だからこの仮面はクレッシェンドには必要なんだよ。自信たっぷりのマジシャンでいるために」

 そう言うクレが何を考えているのか、私にはさっぱりわからなかった。どうしてこんなこと話すのか理解できない。何を期待してるのかも、わからなかった。

 だけどわかることはある。クレが傷ついてるんだってことだけは。

「でも、私は顔とか関係なくクレが好きだよ。楽しいマジック見せてくれる、一緒にいてくれるクレが好きだよ。だからそんなこと言わないで。私にとってクレは、いつだって素敵なマジシャンだから」

 だから気がついたらそうまくしたてていた。涙まで出てきそうだった。そうだ、たとえクレ自身が信じていなくても、私はクレの実力を信じてる。つまらなかった日常を変えてくれたのは間違いなくクレだ。その力は本物。

「みやちゃん……」

「だからね、いつか、何年後でもいいから、仮面とってみんなにマジック見せてあげてね。そしたら私自慢するから。約束だよ?」

 私は無理矢理笑顔を浮かべた。

 まだクレには仮面の力が必要なのだろう。それは自己暗示をかけるための道具だ。でもきっと、いつかそれを乗り越えてくれるはず。そして師匠に負けないくらいのすごいマジシャンになるんだ。

 そんな素顔のクレなら、きっと私は受け入れられる。ちょっとばかり格好良すぎて恥ずかしくなるかもしれないけれど、それは何とか我慢しよう。

「みやちゃん、ありがとう。僕もみやちゃんが好きだよ」

 クレの口角がほんの少しだけ上がった。

 それは今まで見た中で、一番素敵な笑顔だった。

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