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第17話:英雄は天然につき

第21話まで毎日一話ずつの更新になります。

『無実と判断した場合は右手を挙げてくれ。危険人物の場合は左手だ』


 ヒヨリさんと会う前、作戦会議でパオタロが低く告げた言葉だ。


『左手の場合は即座に撤退しろ。必要とあらば、俺が軍令府に応援を要請する。

 ただし、何があっても戦闘だけは避けろ、いいな?』


 そのやり取りを思い出しながら、俺は後方――潜伏魔法で姿を消したパオタロの気配を意識する。


 ヒヨリさんがなぜ自分たちを襲撃し、ラァラを追い詰め、人々から記憶を奪ったのか。


 その答えを引き出そうとしていた。

 会話の運び次第では、一瞬で危険な局面に踏み込むことになる。


 だからこそ、慎重に言葉を選ばなければならない。


 俺は、次の一手を見据えつつもう一つの魔法――『あの行動に好意があったのか後で分かる魔法』を密かに発動していた。


 この魔法は、相手の行動が本当に『自分を大切に思ってのもの』だった場合にだけ、体がほんのり温かくなる。ただし、その意図で行動したのだと本人が口にしなければ効果は出ないという、条件の厳しい代物だった。


 ――だけど……襲撃したことをヒヨリさんが素直に認めるはずないよな。


 奥歯を噛み締めた。

 相手は国家の英雄ヒヨリだ。そんなことを認めれば、『国の英雄が民間人を襲った』なんて大スキャンダルになる。

 軍令府どころか、この国全体がひっくり返る。


 冷静に考えれば、どれだけ追及したところで、しらを切られる可能性が極めて高い。

 人違いだとか、夢でも見たのではないかとか――逃げ道などいくらでもある。こちらには確かな証拠が一つもないのだから。


 背筋を冷たい汗が伝い、鼓動がやけに大きく響いた。


 ――今はとにかく、ヒヨリさんのことを俺が疑ってるってバレたら終わりだ。


 ここは焦らず、何気ない会話で少しずつ外堀を埋めてやる……。


 まずは、深呼吸だ。

 それで肩の力も抜いて……よし、口角上げろ。うん、笑顔。――よし、いけ。


「いやぁ、にしても昨日、軍令府内で泊まってたのに襲撃されるとか……びっくりしましたよ。大胆な犯行者もいたもんですね」


 するとヒヨリさんは一瞬、動きを止め、小さく「あ、あの……」と呟いた。


「え……ヒヨリさん、何か知ってるんですか?」


 一瞬、ヒヨリさんの肩がびくんと跳ねた。


「はわわっ!?

 あ、えっと、そのぉ……うぅ、ごめんなさい!」


 ヒヨリさんは突然、涙目になり両手を胸元でぶんぶん振り始めた。


「本当にごめんなさい、ヒカル君っ!

 あの部屋に押し入ったのは……実は私なんだけど、危害を加えようとしたわけじゃないの! 本当なんだよ!?」


「え、えぇ!?」


 ――いや、認めるのそれ!?


 あまりに正直すぎる告白に呆然とした。

 次の瞬間、体全体にじんわりとした温もりが広がる。


 ――うわ、完全に発動してる。

   間違いない、『あの行動に好意があったのか後で分かる魔法』の効果だ。


 いや、ちょっと待て。展開早すぎるだろ。

 さっきまでめっちゃ警戒してたのは何だったんだ……。


 『危害を加えようとしたわけじゃない』というヒヨリさんの言葉は――どうやら真実らしい。


「昨日ね、ヒカル君たちの近くに、すごく危険な気配があったの。

 それで部屋に突入したんだよぉ。でも逃げられちゃって、急いで追いかけたんだけど……」


 ヒヨリさんは涙目で必死に続けた。


「森の中で、その姿が急に消えちゃったの。

 それがね、なぜか今ではもう、顔も姿もぼんやり霞んで……

 誰だったのか、全然思い出せなくなっちゃって……」


 彼女は再び申し訳なさそうに顔を伏せ、小さく震える声で謝罪を繰り返した。


 ――つまりヒヨリさんは、最初からラァラを何らかの理由で危険視していて、

   俺やエミリを守ろうとしてくれた……ってことか?


 でも結局は逃げられて、しかもラァラに関する記憶まで奪われた。

 ……となると、これ以上問い詰めても意味ない。


 ――じゃあ一体誰が、人々からラァラの記憶を消したんだ?

   何のために……?


 ラァラ、お前は一体何者なんだ?

 今、どこで何をしてる?


 疑問ばかりが浮かび上がる。だが、少なくとも確かなことがある。


 ――ヒヨリさんが魔女と繋がっている可能性はない。

   そして、この世界には、本当に危険な人物が別に存在する。


 ……そう思った瞬間、張り詰めていたものが少しだけ緩んだ気がした。


「……ごめんね、ヒカル君、エミリちゃん。

 こんなわけ分からないこと言っても信じてもらえないよね?

 ほんと私、自分でもよくわかんなくなっちゃって……うぅ、ほんとにごめんなさい……!」


 気づけば、ヒヨリさんは涙目のまま、しゅんと肩を落として謝り続けていた。


 ――まったく、この人は……本当に不思議で、つかみどころのない人だな。


「……もういいですよ、ヒヨリさん。わかりましたから」


「え……本当にいいの?」


 ため息とともに小さく微笑んだ。


「俺たちはあなたのことを信用します。いいな、エミリ?」


「はい、ヒカル様がそう仰るならっ!」


 エミリは、安心したように微笑みながら振り向いた。

 英雄ヒヨリが無実だったことがよほど嬉しいのだろう。


 そんなエミリの姿を見て、胸の奥にあった最後の迷いが吹っ切れた。


 小さく息を吐き、意を決して静かに右手を上げた。





 後方で潜伏して様子を伺っていたパオタロは、

 ヒカルが右手を上げた瞬間、小さく舌打ちしてその場を離れた。


 軍令府内の一室に入ると、険しい表情で腕を組み、ひとり考え込む。


 ヒカルの判断を信用しないわけではない。

 だが、どうしても釈然としない部分がある。


「……じゃあ、ハルナさんの件は、一体どう説明すればいいんだ?」


 ヒヨリさんと同じ甲種で同期でもある彼女が『魔女の嫉妬』に巻き込まれたあの事件。


 ヒヨリさんは、あの現象が起きることをまるで予測していたかのようだった。

 止めようと思えば――きっと防げたはずの悲劇。


 それを、なぜ見過ごした?


「考えていても始まらないな……」


 パオタロは小さく呟くと立ち上がり、部屋を出た。

 軍令府の廊下には、薄暗い空気が漂っていた。


「すべては明日の『属性解放の儀』次第だ。

 それで新たな力を手に入れれば、もっと真相に近づけるはずだ……」


 そのとき俺はまだ知らなかった。


 パオタロの疑念は、やはり正しかったのかもしれない――。

 『属性解放の儀』の当日、自分がそう考え直すことになるとは。





――『属性解放の儀』の当日――


 儀式直前、控室として指定されたシングウ城内の小会議室へ向かう途中のことだった。


 日の光が届かない回廊の影に、小さな背中がぽつんと佇んでいるのを見つけた。


 白の制服、ピンクの髪――ヒヨリさんだ。

 ……どうして、こんな場所に。


 彼女は一人、悲しげにうつむいて座り込んでいた。

 昨日パオタロから聞いたヒヨリさんの話が脳裏をよぎり、不安が一気に膨らむ。


 人の気配のない薄暗い回廊は、足音すら吸い込むような静けさに包まれていた。

 石造りの壁にもたれたヒヨリさんの背中は、小刻みに震えている。


「ヒヨリさん……?」


 そっと声をかけると、ヒヨリはびくっと肩を震わせ、泣きじゃくりながらゆっくりと振り向いた。


「グスン……、ヒカルくぅ~ん」


 濡れた睫毛が光を反射し、赤く腫れた瞳が揺れている。

 その瞳にまっすぐ見つめられ、胸の奥が、きゅっと締めつけられるように痛んだ。


「ど、どうしたんですか、大丈夫ですか?」


 戸惑いながら問いかけると、ヒヨリさんはわずかに視線をそらし、唇を震わせながら消え入りそうな声で呟いた。


「ごめんね、ヒカル君……私……もう行かなきゃ……」


「えっ、ちょっと待ってくださいよ、ヒヨリさん!」


 慌てて呼び止めると、ヒヨリさんは立ち止まった。

 振り返ろうか迷っているように見えたが――次の瞬間には無理にいつもの明るい笑顔を作り、懸命に声を絞り出した。


「ヒカル君っ! 私も頑張るから……だからヒカル君も頑張ろうねっ!」


 その言葉が響いた瞬間、空気がわずかに揺れた気がした。

 息が詰まり、まばたきする間に――彼女の姿は、まるで幻のように忽然と消えた。


 残されたのは、床にぽつりと落ちた、ひとしずくの涙だけ。


 ――なんだったんだ、今の……?


 ただの見間違いではない。胸には、ヒヨリさんの震える声と切ない笑顔が焼き付いて離れない。

 もう一度周囲を見回したが、そこにはただ静寂が広がるだけだった。


 深く息を吐く。

 昨日、「信用する」と決めたばかりなのに……。

 その決意が、今になってぐらつき始めている。


 ――ヒヨリさん……何を隠しているんだ?


 胸の奥で膨らんだ疑念が、鋭く、そして冷たく俺を締めつけた。


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