エピローグ
プロに施された化粧に、整えられた髪。
ふわっとした真っ白なドレスを身にまとえば、我ながら美しい花嫁の完成だ。
きっと自分のことながら綺麗だなと感動すべきところなんだろう。でも正直、なんだかいつもと違うという違和感が勝ってしまう。
このドレスをまとっているためには背筋を伸ばしていなければならないし、締め付けられてちょっと苦しい。毎日こんなドレスを着ていた昔のお姫様は大変だっただろうな、とか、真っ白なドレスを汚したらどうしようとか、この大事な日に考えることがなんでこんなに残念なんだろう。
たけちゃんと再会し、ヨリを戻した、という状態になってから、およそ一年。
その間に私たちはいろんな話をして、相談を重ね、結婚に向けて動いてきた。
その中でも大きな問題だった、物理的な距離。
結論から言うと、私が東京に移動した。
たけちゃんは大阪に行ってもいいと言ってくれていたけれど、そうするには業種を変えるか、そもそも転職して違う会社に進むか、選ぶことになってしまう。
私も似たような状況ではあったものの、たけちゃんが大学院に行ってまで続けてきた研究に比べ、どちらかというと私は仕事への熱量が低く、こだわりも少なかった。だから二人で話し合って、私が移動することにしたのだ。
もちろん、熱量が低いと言っても、この仕事が大好きで毎日バリバリ働きまくります! という熱意がそこまで強くないというだけであって、嫌いなわけではないしできる限りはやってきたつもりだ。それもあってか、辞めることも視野に入れて上司に相談したところ、辞職ではなく東京支社への移動を提案してくれた。私はそれを受けて、四月から東京に移って仕事を続けている。
その区切りに合わせてどちらも会社に通える範囲に部屋を借り、私とたけちゃんは今、一緒に住んでいる。
そして六月。今日は私たちの結婚式だ。
朝、結婚式場に傘を差しながら向かう。
「たけちゃん、今日も雨だね」
「そんな気がしてた」
「私も」
なぜか私たちの節目の日はだいたい雨だ。最初に付き合うことになった日も、初めてのデートも、そして別れてから再会した日も、今日みたいな雨が降っていた。私はいつからこんなに雨女になったんだろう。もしかしたら私が雨女じゃなくて、たけちゃんが雨男なのかもしれない。それかどちらもそうか、どちらも違うけれど二人でいると雨が降るのかもしれない。
考えたところで仕方のないことだ。
しとしとと降る雨の中、私はたけちゃんと苦笑し合う。
「今日くらいは晴れてもよかったのに」
「まあ、そうだけど。でもジューンブライドを選んだ時点で、俺は絶対に雨だなとは思ってた」
「実は私も思ってた。あ、見て。紫陽花咲いてる」
式場に向かう途中、道端に紫陽花を見つけた。大きくはないけれど、こんもりとした花の集まりに水滴がついていて、とても可愛らしい。
もう写真を撮ってたけちゃんに送るか迷わなくていい。気合いを込めて送る必要もないし、送るのを諦めてスマホを下げる必要もない。
そして花を見ては思い出し、張り裂けそうな気持ちにならなくていい。だって思い出すまでもなく、今は隣にいるのだから。この距離が、とても嬉しい。
「綺麗だね」
「そうだね」
あれ、と思ってたけちゃんを見上げる。綺麗だねと言ったらアルカリ性がどうたらこうたらと言っていたたけちゃんが、いつの間に共感を覚えたのだろうか。なんてちょっと失礼なことを思って笑うと、彼は怪訝な顔をした。
「なに?」
「なんでもない」
「なんだよそれ。気になる」
「いや、アルカリ性がなんとかって言わないんだなって」
「そんな話をしたことがありましたか。いつのことですか。ちなみにこの色は酸性」
「へぇー」
とぼけながらも最後に正解を入れてくる。
そんなどうでもいい会話ができることが、やっぱりとても嬉しい。
式場についてからは一旦離れ、別の控室でそれぞれ支度をする。どうしても私のほうが時間がかかるから、たけちゃんには待っていてもらうことになる。その間に式の手順や流れを再確認するらしく、彼は緊張した様子で係の人に連れられていった。
着替えとメイクが終わったころ、控えめなノックが響き、たけちゃんが入ってきた。
彼は一瞬だけハッとしたような表情をしてから顔を緩める。たけちゃんも身支度を終えていて、正装している。いつもと違う違和感を感じながらも、緊張している様子のたけちゃんに微笑む。
「たけちゃん、似合ってるよ」
「うん、ゆかも似合ってる」
たけちゃんが係の人にこっそり「そこは綺麗だって言うところです」と耳打ちされている。残念ながら聞こえていたけれど、聞こえなかったふりをしよう。
「綺麗だよ」
「本当に?」
「本当だよ。なんでここで嘘言うの。綺麗だよ。本当に」
ちょっと緊張がほぐれたのか、たけちゃんの頬が緩んだ。
「ありがとう。今日しか着れないんだから、たっぷり見ておいて」
「うん、そうする」
「たけちゃんも格好いいよ」
「そうでしょ」
私はブーケを手に取った。私の意見で紫陽花をメインにしてもらったそのブーケは、白いドレスによく似合う。その紫陽花に顔を寄せて、においを嗅いでみる。
「やっぱり紫陽花って、香りはあまり感じないね」
私は「どう?」たけちゃんの顔の近くにブーケを持っていく。たけちゃんは顔を近づけて、くんくんと鼻を動かす。
「あまりないけど、少し青臭いかな。でもちょっとだけ甘い香りもする」
「そう?」
もう一度、私も匂いを嗅いでみる。
「たしかに、青くて少しだけ甘い」
まるで大学生のころの私たちみたいだな、と思った。青くて、間違ったこともして、喧嘩して、だけど楽しくて、幸せで、ちょっとだけ甘かった。
それはもしかして、今もなのかもしれない、とも思う。
「あの時の洗剤の香りは間違ってなかったのかな」
「そうかも」
私たちが付き合うきっかけになった「アジサイの香り」洗剤。あの時以来、同じ洗剤は見かけていない。あのときはもう買わないかなと思った洗剤だったけれど、もし見つけたらもう一度使ってみたいと今は思う。だけど売れなかったんだろうな、とも思う。私たちにとっては特別な香りだけど、一般的な良い香りとは違う気がするから。
時間です、と声を掛けられて、たけちゃんは「またあとで」と言って先に出て行った。
私は父と共に扉の前に控え、今日までの日々を思い出す。
お互い本気で好きだったわけでもないのに、なんとなく付き合い始めて、いつの間にか本気になって。それなのにぶつかり合って、別れて。お互い同じ思いを抱えたまま、連絡も取れなかった時期を越えて、思いをたしかめ合った。
そして今日、結婚する。
音楽と共に、扉が開く。
教会の中には色とりどりの紫陽花が飾られていて、私の行く先にはたけちゃんが待っている。
私はゆっくりと、一歩一歩、歩みを進め、そしてたけちゃんの手を取った。
私たちはまた、同じ道を歩き始めた。
そしてこれからもずっと、一緒に歩いていく。
チラッと隣を歩くたけちゃんを見上げる。彼もまた私を見る。
そして微笑み合う。
紫陽花が咲いている。
優しくて温かい、幸せな香りがした。
了
お読みくださりありがとうございました!




