ー草履売りと、三人の約束ー
書斎の大きな机の上に、一冊の本が開かれていた。
その横では、マトリスが首を傾げている。
「今日は、こちらを読んでみましょうか。『三国志』です」
「コッ」
「とても簡単に言うと、大きな国が乱れて、いろいろな人が『自分たちで何とかしよう』と立ち上がるお話です」
マリーは本の端を、小さな手で押さえた。
「人がたくさん出てきますけれど、最初から全員覚えなくても大丈夫ですよ。私も、一度に紹介されたら困ります」
マトリスは机の上を二歩進むと、丸くなった。
「では、始めますね」
*
今からずっと昔、中国に「漢」という大きな国がありました。
ところが、長く続いたこの国は、だんだんうまくいかなくなっていました。
畑の作物が取れず、食べるものに困る人がいます。それなのに、納めなければならない税は重いままです。
一方、宮殿では、偉い人たちが自分の力やお金を増やすことに夢中でした。
「お腹がすいている人の前で、ごちそうを取り合っているようなものですね」
マリーが言うと、マトリスが本をつつこうとした。
「こちらには、ごちそうは載っていません」
そっと本を遠ざけて、続きを読む。
そんなとき、張角という人が現れました。
張角は、病気の人を助けたり、苦しんでいる人たちに教えを説いたりして、多くの仲間を集めていました。
そして、とうとう仲間たちと、漢に逆らって立ち上がったのです。
仲間の目印は、頭に巻いた黄色い布。
そのため、この反乱は「黄巾の乱」と呼ばれます。
「黄色い頭巾で、黄巾です。名前は難しそうですが、そのままですね」
「コケッ」
「ただし、大勢が武器を持って争えば、ますます困る人も出てきます。世の中をよくしたいと思っても、それだけでうまくいくわけではないのです」
反乱は各地へ広がりました。
漢の軍だけでは手が足りず、町や村でも、戦う人を集めることになりました。
ここで、一人の男が登場します。
名前は、劉備。
字は、玄徳といいます。
「字というのは、名前とは別につける呼び名です。劉備と劉玄徳は同じ人ですよ。急に二人に増えたわけではありません」
劉備は、むしろや草履を売って暮らしていました。
立派な城も、大勢の兵もありません。
それでも、苦しんでいる人たちを見て、このままでいいとは思えませんでした。
物語では、劉備が兵を募集する立て札の前で、ため息をついたところへ、一人の男が声をかけます。
「立派な男が、ため息などついてどうした!」
その男が、張飛です。
張飛は肉や酒を売る仕事をしていて、お金にも少し余裕がありました。体が大きく、声も大きく、たいへん力の強い男です。
「まだ劉備は、仲間もお金も足りません。そこへ、『お金なら出せるぞ』という人が来たのですね」
劉備は、自分の思いを張飛に話しました。
乱れた世の中を、何とかしたい。
困っている人を助けたい。
すると張飛も、それなら一緒にやろうと言ったのです。
二人が酒屋で話していると、もう一人、立派な男がやって来ました。
長いひげに、赤い顔。
名前は、関羽。
関羽もまた、兵の募集に応じようとしていました。
話をしてみると、三人の願いは同じでした。
世の中を落ち着かせ、人々が安心して暮らせるようにしたい。
それなら、力を合わせよう。
こうして三人は、仲間になったのです。
*
「ここまで、三人です」
マリーは指を一本ずつ立てた。
「劉備。関羽。張飛」
マトリスの頭が、指の動きに合わせて揺れる。
「劉備は、世の中を何とかしたいと思っている人。関羽と張飛は、一緒に戦う、とても強い仲間です。まずは、それだけ覚えておけば十分ですよ」
そこでマリーは、次のページを開いた。
「そして、有名な桃園の誓いです」
物語では、三人は桃の花が咲く園に集まります。
そこで、兄弟として助け合うことを誓いました。
生まれた日は違っても、苦しいときは一緒に乗り越えよう。
自分だけが得をするためではなく、人々を助けるために働こう。
劉備が兄、関羽が二番目、張飛が末の弟となりました。
「本当の兄弟になったのではなく、兄弟のように力を合わせようと約束したのです」
「コッ」
「ちなみに、この桃園の誓いは、昔の記録で確かめられる出来事ではなく、物語として有名になった場面です。でも、三人がとても親しかったことは伝わっています」
マトリスは、片方の足を羽の中にしまった。
「……もう少しで一区切りですから、起きていてくださいね」
張飛の出したお金などで、三人は武器や馬を用意し、仲間を集めました。
劉備は二本の剣。
関羽は、長い柄の先に大きな刃がついた武器。
張飛は、長い矛を持ちます。
「こちらは、物語でおなじみの姿ですね。見分けやすくて助かります」
いよいよ、出発の日が来ました。
つい先日まで、劉備は草履を売っていました。
今、その隣には二人の仲間がいて、後ろには一緒に戦おうという人たちがいます。
まだ、小さな集まりです。
国の未来を決めるような大きな力は、ありません。
それでも、一人で立て札を見つめていたときとは違いました。
三人は黄巾の軍と戦うため、歩き出したのです。
*
マリーは、しおりを挟んだ。
「今日は、ここまでです。国が乱れて、劉備が関羽と張飛に出会いました。三人で力を合わせることになった。ここが、最初のお話です」
マトリスが立ち上がり、羽をぶるりと震わせた。
「覚えましたか?」
「コケコッ」
「そうですか。それはよかったです」
返事の意味は、わからない。
けれど、聞いてくれたことには違いない。
マリーが本を閉じると、マトリスはすぐ、その手にくちばしを寄せてきた。
「……お話が終わったら、おやつだと思っていませんか?」
マトリスは、もう一度鳴いた。
三国志の第一回は、三人の出会いと、一羽のおやつの時間で幕を閉じた。




