54話 裏モノ
北口の夜は、安っぽい物がよく似合う。
ネオン。
ビニール傘。
客引きの声。
コンビニの袋。
ホテル街へ入っていく男女。
全部が少し雑で、少しだけ本物じゃない感じがする。
だから、偽物を売るにはちょうどいいのかもしれなかった。
真島陸は22歳だ。
池袋北口の外れで、夜だけ少し変な物を売っていた。
店はない。
露店でもない。
地面に並べるわけでもない。
ただ、路地の入口や雑居ビルの下で、足を止めた男にだけ小さく見せる。
財布。
ベルト。
ロゴの入ったTシャツ。
それから、昔の映画やアニメの海賊版みたいなディスク。
今どきDVDなんて、まともなやつは買わない。
でも、買うやつはまだいる。
それも、正規でちゃんと買うほどではないやつほど。
陸は最初、それをダサいと思っていた。
コピーの財布も。
偽ブランドのバッグも。
訳の分からない海外ドラマの詰め合わせも。
全部、中途半端で貧乏くさい。
でも貧乏くさい物って、ちゃんと売れるのだ。
本物を欲しがるほど金はない。
でも安物を持つのは嫌だ。
そういう人間はいくらでもいる。
北口には特に多い。
陸がこの仕事をやり始めたのは、知り合いの兄貴分みたいな男に声を掛けられたからだった。
「立ってるだけでいい」
最初はそう言われた。
「欲しそうなやつにだけ見せればいい」
「危なくなったら引けばいい」
そのくらいなら簡単そうに思えた。
実際、最初は簡単だった。
大きい声も出さない。
無理に引っ張らない。
相手が寄ってきたら、バッグの中を少し開いて見せるだけ。
その見せ方だけ覚えれば、あとは流れだった。
陸はそういうのが意外と向いていた。
誰に見せれば止まるか、何となく分かるからだ。
観光客っぽい男。
酔って気が大きくなってるサラリーマン。
女連れで見栄を張りたい若い男。
そういうやつにだけ少し見せる。
逆に、買う気もないくせに値段だけ聞いてくるやつや、警戒しすぎてるやつには最初から見せない。
そうすると、だいたい面倒は減る。
その夜も、陸はいつものように北口の裏手にいた。
ラブホ街へ入る少し手前。
雑居ビルとコンビニの間。
交番からは見えないが、完全に奥でもない位置。
そこが一番やりやすかった。
人通りはある。
でも長く立っていても目立ちすぎない。
陸は黒いショルダーバッグを足元に置いて、スマホを見るふりをしていた。
中には財布が4つ。
バッグが2つ。
ディスクのケースが何枚か。
ディスクの中身なんて、陸も全部は知らない。
古い映画。
アイドルのライブ。
アニメの全話入りとか。
そんなもんだろうと思っている。
でも、たまに妙に欲しがるやつがいる。
値段を聞く時の声が少しだけ低くなる。
そういう時は、ディスクそのものより、表じゃ買えない物を自分は知っているって感じに金を払ってるのだろうと陸は思っていた。
21時を過ぎた頃、最初の客が来た。
40代くらいの男だった。
スーツ。
ネクタイは緩い。
顔が赤い。
でも、完全には酔っていない。
そういう男は悪くない。
財布の紐が緩むのに、歩けないほどじゃないからだ。
「何あるの」
男が小さく聞く。
陸はしゃがんでバッグを少しだけ開く。
ロゴの入った財布を見せる。
男は鼻で笑う。
「そういうのじゃなくて」
その言い方で分かる。
陸はディスクケースを少しだけずらした。
男の目が止まる。
「いくら」
「3」
男は少し考えてから言う。
「高い」
「じゃあいい」
陸はすぐ閉じようとする。
そこで男が止めた。
「2」
「無理」
「2.5」
陸は少しだけ間を置く。
すぐ売るより、その一瞬が大事だった。
相手に「勝った感じ」を出させた方が、あとで揉めにくいからだ。
「それなら」
男は財布を出した。
現金。
受け取る。
ケースを渡す。
それだけ。
10秒もかからない。
男はそのまま、何でもない顔でホテル街の方へ消えた。
陸はいつも、その背中を見ると少しだけ変な気持ちになった。
買う方も、売る方も、何でもない顔をしているところが一番この街っぽいからだ。
22時前、今度は若い男2人組が来た。
大学生みたいな顔。
笑っている。
でも笑ってるやつほど、たまに面倒だ。
「ブランドある?」
「ある」
「マジ?」
「見るだけ」
陸がそう言うと、2人はすぐ寄ってきた。
財布を見せる。
ベルトを見せる。
片方の男が声を上げた。
「これ、パチモン?」
その言い方で、陸はすぐ閉じた。
「買わないならどっか行って」
男は笑ったままだったが、少しだけ引いた。
「いや、見るだけじゃん」
「見るだけの店じゃないから」
そのやり取りをしている時が、一番神経を使う。
怒ると揉める。
でも舐められると、もっと面倒が増える。
北口では、こういう距離感の作り方だけ覚えるのが早くなる。
相手が一歩ふざけたら、こっちも一段だけ冷たくなる。
それくらいでちょうどいい。
結局、2人組は何も買わずに去った。
その背中へ舌打ちもしない。
そういうのをすると、別の面倒を呼ぶことがあるからだ。
陸はコンビニで缶コーヒーを買った。
ぬるかった。
でも北口で飲む缶コーヒーって、だいたいぬるい気がした。
路地へ戻る途中、先輩の黒田からLINEが来ていた。
『今夜、変なのいたらすぐ引け』
『警察じゃなくて別の』
その言い方が嫌だった。
警察より別の方が面倒な夜がある。
たとえば、同じような物を流してる別口のやつとか。
どこへ立つかで揉めるやつとか。
上の人間どうしでは話がついていても、下だけが変に熱くなる時もある。
そういう夜がたまにある。
23時過ぎ、陸は1人の女を見かけた。
20代後半くらい。
キャバ帰りでもなく、コンカフェでもなさそうな服。
でも、北口の空気には慣れている歩き方だった。
女はすぐには寄ってこない。
コンビニの前で立ち止まり、スマホを見てから、少しだけこっちを見る。
欲しい物がある目じゃなかった。
確認する目だった。
「黒田いる?」
女は近づくなりそう言った。
陸は少しだけ黙った。
「何の用」
「渡すだけ」
女は封筒を少し見せた。
陸はそれを見て、すぐ嫌になった。
こういう時、コピー品とかDVDとかの話じゃなくなるからだ。
封筒ひとつで、急に別の夜へ変わる。
「俺じゃない」
「じゃあ呼んで」
女はそれだけ言って、コンビニの灯りの下へ戻った。
陸は黒田へ連絡した。
返事は早かった。
『5分待たせろ』
5分。
その5分の間、陸はバッグを閉じていた。
客が来ても見せない。
女もスマホを見たまま動かない。
北口の夜って、こういう瞬間が急に混ざる。
コピー財布を売っていた路地が、次の5分で別の受け渡し場所になる。
それでも通行人には分からない。
だから成り立つ。
黒田が来たのは3分後だった。
40代。
短髪。
太ってはいない。
でも体の線だけで、普通の仕事じゃないのが分かる男だった。
女は何も言わず封筒を渡す。
黒田も中身を見ない。
「預かる」
それだけ。
女はうなずきもせず、そのまま駅の方へ歩いていった。
陸はそれを見送りながら、少しだけ聞いた。
「何すか、それ」
黒田は封筒をポケットへ入れた。
「お前は知らなくていい」
その返しが、一番この辺らしかった。
知らなくていい。
つまり、同じ場所に立っていても、流れている物の階層が違うということだ。
陸はバッグの中の偽財布を見た。
ロゴだけ立派な安物。
ケースだけそれっぽいディスク。
こういう物を売ってると、自分も結構まずい場所にいる気になる。
でも、本当にまずいやつは、もっと軽い封筒の中に入っているのかもしれなかった。
「今日、上がれ」
黒田が言う。
「何でですか?」
「別口が来るかも」
それだけで十分だった。
陸はバッグを閉じる。
売れ残った財布。
ディスク。
ベルト。
全部軽い。
でも、軽い物ばかり売っている人間ほど、たまに重い夜のそばへ立ってしまう。
北口っていうのはそういう場所だと陸は思う。
安っぽい物を売る路地のすぐ横で、もっとまずい物が、もっと静かに回っている。
それでも通行人には全部同じ夜に見える。
ネオン。
コンビニ。
ホテル街。
立ってる女。
客引き。
偽物の財布。
封筒。
全部が少しずつ雑に混ざっていて、だからこそ北口は、本物より偽物の方が似合う街に見えた。




