52話 ロッカー
最初は、荷物を置くだけの話だった。
会わなくていい。
顔も見なくていい。
時間だけ合わせて、場所だけ間違えなければいい。
それなら普通の受け渡しより安全だと、柴山圭吾は思っていた。
池袋駅のコインロッカーは、そういう人間にちょうどよかった。
多すぎるからだ。
東口。
西口。
地下。
改札外。
通路の角。
誰も全部は覚えていない。
だから、1つ2つ変な荷物があっても、風景の中に沈む。
圭吾は33歳。
西池袋の古いマンションで1人暮らしをしている。
昼は何もしていない。
たまに知り合いの運送を手伝ったり、中古の端末を流したり、そういう細い金でつないでいた。
裏社会の人間です、みたいな顔ではない。
むしろ逆だった。
ユニクロの黒いパーカー。
安いスニーカー。
どこにでもいる少し冴えない男。
そういう見た目の方が、池袋では都合がよかった。
目立たないからだ。
圭吾が最初にロッカーを使ったのは、スマホだった。
飛ばしの端末を、相手と会わずに渡す。
昼の12時までに西口地下のロッカーへ入れる。
番号を送る。
相手は14時までに取る。
それだけ。
簡単だった。
会わないから足もつかない。
そう思っていた。
でも実際は違う。
会わないぶん、誰が何を取ったかが曖昧になる。
曖昧になるから、あとで揉める。
入れた入れてない。
中身が違う。
時間が過ぎた。
取られた。
そういう揉め方が、ロッカーの方がずっと汚かった。
今夜の依頼は封筒だった。
神崎経由で来た。
『西口地下』
『22時半まで』
『小さい方でいい』
『現金じゃない』
現金じゃない。
その一言が少し嫌だった。
現金ならまだ分かる。
端末でもまあ分かる。
でも現金じゃない封筒は、だいたい少しだけ面倒だ。
鍵。
カード。
SIM。
名刺。
念書。
写真。
そういう、物としては軽いくせに、人の生活には深く刺さるものが多いからだ。
圭吾は20時過ぎに池袋へ出た。
西口の駅前はまだ明るい。
大学生みたいな集団。
仕事帰りのスーツ。
キャッチ。
ネカフェへ吸い込まれるやつ。
ホテル街へ向かうやつ。
池袋は人が多いというより、人の使い方が雑だった。
だからロッカーも似合う。
誰の荷物か分からないものが、誰のものでもない顔で並んでいる。
地下へ下りる。
西口地下のロッカーは、夜でもそこそこ埋まっている。
観光客のキャリー。
買い物袋。
コインランドリー帰りみたいな袋。
その隙間に、小さい封筒ひとつくらいならすぐ沈む。
圭吾は空いているロッカーを探した。
大きいのはいらない。
小さいの。
目立たない列。
カメラの角度が少し浅い場所。
そういう条件で選ぶ癖が、もうついていた。
213番。
ちょうどよかった。
コインを入れる。
扉を開ける。
中は空。
そこへ茶色い封筒を入れる。
……薄い。
でも中身は硬い感じがした。
カードか。
USBか。
もしくは鍵かもしれない。
圭吾は中身を見ない。
見たところで得しないことが多いからだ。
でも、重さと手触りだけは頭に残る。
あとで揉めた時、最低限の言い訳になるからだ。
扉を閉める。
鍵を抜く。
写真を撮る。
番号も撮る。
それをそのまま神崎に送る。
『入れたっす』
既読は早かった。
『了解』
それで終わる。
あっさりしすぎていて、逆に少し気持ち悪い。
このロッカーの先で誰が何を受け取るのか、圭吾は知らない。
知らないから、ただの運搬に見える。
でも、知らないままで済む仕事ほど、あとで急に足元へ来ることがある。
地下通路の自販機で缶コーヒーを買う。
ぬるい。
でもこの辺の夜には合っていた。
圭吾は少し離れたベンチみたいな場所に座って、人の流れを見ていた。
受け取りまで確認しろとは言われていない。
でも、たまに見る。
相手の顔を知りたいからじゃない。
何となく、今夜のまずさを確かめたい時があるからだ。
22時を過ぎた頃、1人の女がロッカーの前で立ち止まった。
帽子。
白いマスク。
細いコート。
年齢は分かりにくい。
でも若すぎる感じではなかった。
旅行者の顔じゃない。
買い物帰りでもない。
番号を確認する目だった。
女はスマホを1回見て、213番の前にしゃがんだ。
鍵を回す。
封筒を取る。
そのまま鞄へ入れる。
動きに迷いがない。
初めてじゃない感じがした。
圭吾はそこで少しだけ嫌な感じがした。
慣れているからだ。
この手の受け渡しに慣れている人間は、大抵、受けるだけで終わらない。
次の場所がある。
次の渡し先がある。
そういう夜の途中にいる。
女はそのまま立ち去らなかった。
少し歩いて、柱の影で封筒を開けた。
そこが少し意外だった。
圭吾は視線だけで追う。
女の顔は見えない。
でも、肩が少しだけ止まった。
中を見て、何かを確認している。
そして、そのまま鞄に戻した。
普通ならそれで終わる。
……でも終わらなかった。
女の後ろから、男が1人近づいた。
黒いダウン。
キャップ。
細い。
圭吾はその顔に見覚えがなかった。
でも動きは分かる。
近づいて、距離を詰める。
声は掛けない。
肩の横に立つ。
逃げにくい位置を取る。
そういう男だった。
女はすぐ歩き出した。
男も後ろからついていく。
揉めているようには見えない。
でも知り合いにも見えない。
その中途半端さが一番まずい。
圭吾は少し迷った。
関わる理由はない。
でも、今夜使ったロッカーの先で何か起きるなら、少しだけ気持ちが悪い。
地下通路を少し離れて追う。
女は西口の方へ上がる階段へ向かった。
男もついていく。
階段の途中で、女が初めて振り向いた。
「何ですか」
小さい声だった。
でも、はっきり嫌がっている声だった。
男は少しだけ笑った。
「中身だけ確認したい」
その言い方で、圭吾はすぐ分かった。
受け取りのあとに、さらにもう1段あるやつだ。
ロッカーから出した時点で終わりじゃない。
本物かどうか。
数量が合ってるか。
それを、別の人間が確認する流れ。
だから女はその場で開けたのかもしれない。
でも、そこまで読んでいたとしても、追う男が後ろにいる時点で、もう少し遅い。
「確認したでしょ」
女が言う。
「いや、こっちも一応」
男の声は穏やかだった。
怒っていない。
脅してもいない。
でも、退かない。
池袋の夜で一番嫌なのは、ああいう男だと圭吾は思う。
優しい顔で、相手に先に諦めさせる位置を取るやつ。
通路の端で、2人は少しだけ止まった。
人は通る。
誰も見ない。
見ても、ただの揉めてる男女にしか見えない。
それもこの街らしかった。
圭吾はそこでようやく近づいた。
「どうした」
女も男も一瞬だけこっちを見る。
その一瞬の嫌な沈黙で、圭吾は少しだけ後悔した。
でも、もう声を掛けてしまった。
男が先に笑った。
「知り合いですか」
「まあ」
圭吾は適当に言った。
女は何も言わない。
でも、否定もしなかった。
その否定しなさも、夜の街ではひとつの返事になる。
「ならいいです」
男はそう言って少しだけ下がった。
その引き方が早すぎた。
本気で詰める気なら、もっと粘る。
つまり、こいつも確認だけのやつだったのだろう。
女が離れる。
男も逆の方へ消える。
それで終わりだった。
終わりのはずだった。
「ありがとうございました」
女が小さく言ったのは、西口の地上へ上がってからだった。
圭吾は横目で見た。
20代後半くらい。
疲れた顔だった。
でも崩れてはいない。
崩れないように慣れている人間の顔だった。
「知り合いじゃないんだろ」
圭吾が言うと、女は少しだけ笑った。
「このへん、だいたいそうです」
その返しで、圭吾も少しだけ笑いそうになった。
たしかにそうだった。
知り合いじゃない。
でも関係はある。
夜の池袋は、そういう人間で回っている。
「何受け取ったの」
圭吾が聞くと、女は少しだけ考えた。
それから言う。
「鍵です」
鍵。
圭吾はそこで黙った。
予想の中にはあった。
でも、実際にそう言われると少し嫌だ。
部屋か。
ロッカーか。
私書箱か。
どれにしても、誰かの生活の入口だ。
「部屋?」
「まあ」
女はそれ以上言わなかった。
圭吾も聞かなかった。
聞けば、その鍵が誰を閉めるためのものか、どこへ入るためのものかまで気になってしまうからだ。
「助かったんで」
女はもう1回だけ言った。
「でも、あんまりこういうの首突っ込まない方がいいですよ」
その言い方が少し面白かった。
助けられた側が、こっちに忠告する。
でも、その忠告の方が正しい気もした。
ロッカーの受け渡しなんて、ただの荷物移動じゃない。
封筒ひとつでも、その先で開くのは部屋かもしれないし、人かもしれない。
圭吾はその夜、女とはそこで別れた。
名前も聞かなかった。
女も聞かなかった。
そういうのが一番池袋っぽかった。
翌朝、神崎からメッセージが来た。
『昨日の件、問題なかった』
問題なかった。
その言い方が少し嫌だった。
たぶん本当に問題がなかったのは、向こう側だけだ。
鍵を渡した。
誰かが受け取った。
次の場所が開いた。
それで流れは成立した。
でも、そこに挟まっていた女や、地下通路で距離を詰めてきた男や、ロッカーに封筒を入れた自分まで含めて、全員が少しずつ気持ち悪いまま残っている。
ロッカーっていうのは、荷物を置く場所じゃないのかもしれないと圭吾は思う。
会わなくて済む代わりに、誰が何を受け渡したかだけが、街の中へ薄く溶けていく場所なのだ。
だから余計に、あとで嫌な感じだけが残る。




