34話 送迎
送迎は、運ぶだけの仕事だ。
そう言えば、だいたいのことは軽くなる。
女を拾う。
ホテルへ送る。
店へ戻す。
飛びそうなら電話を入れる。
酔っていたら水を渡す。
警察がいたら道を変える。
ただそれだけ。
小杉圭介は、そういう言い方で3年やってきた。
池袋北口の外れ。
コインパーキングに停めた黒いワゴン。
時刻は23時18分。
圭介は36歳。
表向きは配送。
名刺も一応ある。
社名だけはまともだ。
でも夜に運んでいるのは荷物じゃない。
スマホが震えた。
『1本目、上がり』
店の内勤からだった。
部屋番号も、女の名前もない。
あるのは源氏名と時間だけ。
『ミオ 23:30 北口ホテル前』
……圭介はエンジンをかけた。
北口の夜は、いつも同じ顔をしている。
ネオン。
コンビニ。
タクシー。
路地の影。
立っている女。
見ている男。
職質している警官。
全部見慣れた。
見慣れすぎた。
ホテル前に着くと、ミオはもう外にいた。
細い。
若い。
でも若く見せるのが少しうまくなりすぎた顔だった。
髪は巻いてある。
口紅は少し落ちていた。
「おつかれ」
圭介が言う。
ミオはドアを開けて、助手席じゃなく後ろに乗った。
「次どこですか」
「西口」
「40分空き」
「だる」
それだけ言って、ミオはシートに沈んだ。
店の子はだいたいそうだ。
送迎の男に愛想は使わない。
使う必要がないからだ。
圭介はミラー越しにミオを見た。
今日は目が死んでいる。
客がきつかったか。
単純に疲れているか。
薬か、酒か、寝不足か。
たぶん全部少しずつだ。
「水ある」
「いらない」
「吐くなら先言えよ」
「吐かない」
圭介はそれ以上しゃべらなかった。
送迎は、聞き役ですらない。
ただ空気を荒らさず、時間までに運ぶ。
それが一番店に喜ばれる。
店の近くで信号に引っかかった時、路肩に警官が見えた。
若いのと、年上。
年上の方は見たことがある。
北口をよく回っている男だ。
圭介は自然に1本奥の道へ入った。
ミオが言う。
「警察?」
「うん」
「別に私はやましいことしてないけど」
「店がそう思ってない時あるだろ」
ミオは少しだけ笑った。
乾いた笑いだった。
「ほんとそれ」
西口のビル裏でミオを降ろす。
店の入口は表にない。
雑居ビルの横の細い階段。
その途中で、別の女とすれ違った。
若い。
まだ硬い。
たぶん新人だ。
ミオが小さく言う。
「ああいう時が一番だるい」
「何が」
「まだ自分は違うって顔してる時」
圭介は返さなかった。
そういう顔を、何人も見てきたからだ。
23時58分……次の指示が来る。
『ユナ 上がり』
『そのまま北口寄って』
北口寄って、の意味は広い。
客の忘れ物。
飛びそうな女の確認。
拾い。
別の車じゃ足りない時の応援。
今夜は後者だった。
ラブホ街の外れ。
街灯の下に、ユナが男と立っていた。
男は40代くらい。
顔が赤い。
酔っている。
でも足元はまだしっかりしている。
揉めてるなと、圭介にはすぐ分かった。
ユナが先に車へ寄ってきた。
「この客、金足りてない」
男が後ろから言う。
「足りてるって」
「ていうか最初に聞いてた話と違うし」
圭介は運転席から降りなかった。
こういう時、出ると長引く。
窓だけ少し下げる。
「いくら不足」
「ホテル代抜いたら1」
ユナが言う。
男は舌打ちした。
「高えよ」
圭介は男を見た。
よくいる顔だった。
買ってるくせに、最後だけ被害者みたいな顔になるやつ。
「じゃあ今日は帰って」
圭介が言う。
「次から最初に詰めて」
男は眉を上げた。
「何、お前」
「送迎」
「送迎が口出すの?」
「口出してない」
「終わらせてるだけ」
男は少しだけ睨んだ。
でも、警察を呼ばれるほどではない場所で、これ以上揉める気もないらしかった。
財布から札を出す。
数える。
1枚足りない。
ユナが鼻で笑う。
「ほらね」
圭介はポケットから出そうとはしなかった。
そういうのを1回やると、送迎は便利屋になる。
「足りないなら今日はここまで」
そう言うと、男は最後にもう一度悪態をついて去った。
ユナが助手席に乗る。
「ありがと」
「別に」
「今の、店長に言っといて」
「不足の話?」
「うん」
「あとあの客、次つけなくていい」
圭介はエンジンをかけた。
次つけなくていい。
店はたぶん、そう簡単にはしない。
使える客なら回す。
女の嫌さより、埋まる方を取る夜の方が多い。
「今日、あと何本」
「2」
「死ぬな」
「死なない程度にやってる」
その返しに、圭介は少しだけミラーを見た。
ユナはスマホを見ていた。
通知が何件も並んでいるらしい。
店。
客。
たぶん私用も少し。
この仕事をしていると、誰のスマホも似たような死に方をする。
深夜1時過ぎ。
店の裏口に寄ると、内勤の男が出てきた。
「圭介さん、これ次」
「あと、リオ今日ちょっと怪しいです」
「何が」
「たぶん薬入ってるかも」
圭介は眉をひそめた。
「どっち」
「分かんない」
「市販か処方か、そのへん」
「客前で飛ぶなよって言っとけ」
「言ってます」
言ってる。
でも出す。
そういうのがこの辺の店だ。
「あと、警察さっき北口強めです」
「見た」
「裏から回します」
内勤はそれだけ言って戻った。
息を切らしてもいない。
こういう男たちも、慣れている。
1時42分。
リオを乗せた。
顔色が悪い。
目が合わない。
香水と、別の薬っぽい甘さが少し混ざっていた。
「大丈夫か」
「だいじょぶ」
大丈夫じゃないやつの声だった。
圭介は走りながら、コンビニへ寄った。
水とゼリーを買う。
「食え」
「いらない」
「今吐かれる方がだるい」
そう言うと、リオは少しだけ笑った。
笑ってから、急に窓の外を向いた。
「送迎って楽でいいですよね」
圭介は少し黙った。
「そう見える?」
「だって何もしてないじゃん」
その言い方は間違っていなかった。
圭介は運んでいるだけだ。
殴らない。
客を取らない。
施術もしない。
売上も立てない。
でも、何もしてないわけでもなかった。
「何もしてないから続いてるんだよ」
そう言うと、リオは返事をしなかった。
店の近くで信号待ち。
歩道の端に若い女がいた。
スマホを見ているふりをして立っている。
圭介は一瞬だけ目で追った。
立ちんぼか。
家出か。
拾われ待ちか。
この時間になると、境目は薄い。
リオが小さく言う。
「ああいう子も、たまにここ来ますよね」
「来る」
「かわいそう」
圭介は笑わなかった。
かわいそう、……で済むうちはまだ外側だ。
店に戻ると、黒服がリオを回収した。
荷物みたいに、というと大げさだが、動きは近い。
時間。
次の部屋。
忘れ物。
水。
出勤管理。
圭介は車へ戻る。
スマホが鳴る。
知らない番号。
出ると、女の声だった。
若い。
震えている。
「すみません」
「この番号、ユナさんにもらって」
圭介は嫌な予感がした。
「何」
「店、今日体入したんですけど」
「帰れなくて」
「誰の店」
名前を聞く。
知っている店だった。
良くない方で。
「……今どこ?」
「裏口の階段」
「でも男の人いて」
圭介は時計を見た。
2時08分。
本当なら関わらない方が楽だ。
送迎は拾い屋じゃない。
逃がし屋でもない。
でも、この街では役割がたまに勝手に混ざる。
「動くな」
それだけ言って車を出した。
店の裏へ回る。
階段の影に、細い女が1人いた。
コートも着ていない。
顔が青い。
足元だけで新人だと分かる。
その横で、店の男がスマホを見ていた。
圭介は窓を下ろす。
「何してんの」
男が顔を上げる。
若い。
たぶん下っ端。
「いや、別に」
「こいつ勝手に帰るとか言うんで」
「帰すなって言われてんの?」
「……まあ」
そういう夜だった。
圭介は女を見た。
泣いてはいない。
でも泣く少し前の顔だった。
「乗れ」
女は一瞬だけ止まった。
男の方を見る。
それで圭介は分かった。
この子はもう、自分で帰っていいかどうかを他人の顔で決める段階に入っている。
「早く」
少し強めに言うと、女は助手席に乗った。
店の男が何か言いかけたが、圭介は聞かずに車を出した。
バックミラーに、男の顔が少しだけ小さく残る。
怒っているというより、面倒が増えた顔だった。
「どこまで」
圭介が聞くと、女は少し黙ってから言った。
「池袋駅でいいです」
「終電ないけど」
「それでも」
その声が細すぎて、圭介はそれ以上聞かなかった。
駅前で降ろす。
女は小さく頭を下げた。
「ありがとうございました」
圭介はうなずいただけだった。
礼を言われると、少しだけ嫌になる。
助けたわけじゃない。
今夜、その店の流れから少し外しただけだ。
たぶん別の日には、また別の場所へ入るかもしれない。
それくらい、この街は入口が多い。
2時半。
ようやく最後の送迎が終わる。
コンビニに寄って、缶コーヒーを買う。
店の明かりがガラスに映る。
スーツの男。
立ちんぼ。
酔った女。
警官。
送迎車。
全部が薄く重なって見える。
圭介は思う。
送迎は、運ぶだけの仕事だ。
そう思ってないと続かない。
でも本当は違う。
この車は、人を場所へ運んでいるんじゃない。
少しずつ、戻れない方へずらしているだけだ。
その途中で、水を渡したり、警察を避けたり、吐かないように窓を開けたりしてる。
……やさしい顔のまま。
そこまで考えて、圭介は缶コーヒーを飲んだ。
ぬるかった。
スマホがまた鳴る。
『明日もお願いします』
店からだった。
圭介は少しだけ画面を見て、短く返した。
『了解』
それで夜は、また普通に続いていく。




