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リセット  作者: ナオ


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34/59

34話 送迎

 送迎は、運ぶだけの仕事だ。

 

 そう言えば、だいたいのことは軽くなる。

 

 女を拾う。

 ホテルへ送る。

 店へ戻す。

 飛びそうなら電話を入れる。

 酔っていたら水を渡す。

 警察がいたら道を変える。

 

 ただそれだけ。

 

 小杉圭介は、そういう言い方で3年やってきた。

 

 池袋北口の外れ。

 

 コインパーキングに停めた黒いワゴン。

 

 時刻は23時18分。

 

 圭介は36歳。

 

 表向きは配送。

 名刺も一応ある。

 社名だけはまともだ。

 

 でも夜に運んでいるのは荷物じゃない。

 

 スマホが震えた。

 

『1本目、上がり』

 

 店の内勤からだった。

 部屋番号も、女の名前もない。

 あるのは源氏名と時間だけ。

 

『ミオ 23:30 北口ホテル前』

 

 ……圭介はエンジンをかけた。

 

 北口の夜は、いつも同じ顔をしている。

 

 ネオン。

 コンビニ。

 タクシー。

 路地の影。

 立っている女。

 見ている男。

 職質している警官。

 

 全部見慣れた。

 見慣れすぎた。

 

 ホテル前に着くと、ミオはもう外にいた。

 

 細い。

 若い。

 でも若く見せるのが少しうまくなりすぎた顔だった。

 

 髪は巻いてある。

 口紅は少し落ちていた。

 

「おつかれ」

 

 圭介が言う。

 ミオはドアを開けて、助手席じゃなく後ろに乗った。

 

「次どこですか」

 

「西口」

「40分空き」

 

「だる」

 

 それだけ言って、ミオはシートに沈んだ。

 

 店の子はだいたいそうだ。

 送迎の男に愛想は使わない。

 

 使う必要がないからだ。

 

 圭介はミラー越しにミオを見た。

 

 今日は目が死んでいる。

 客がきつかったか。

 単純に疲れているか。

 薬か、酒か、寝不足か。

 たぶん全部少しずつだ。

 

「水ある」

「いらない」

「吐くなら先言えよ」

「吐かない」

 

 圭介はそれ以上しゃべらなかった。

 送迎は、聞き役ですらない。

 ただ空気を荒らさず、時間までに運ぶ。

 それが一番店に喜ばれる。

 

 店の近くで信号に引っかかった時、路肩に警官が見えた。

 

 若いのと、年上。

 年上の方は見たことがある。

 北口をよく回っている男だ。

 圭介は自然に1本奥の道へ入った。

 

 ミオが言う。

 

「警察?」

 

「うん」

 

「別に私はやましいことしてないけど」

 

「店がそう思ってない時あるだろ」

 

 ミオは少しだけ笑った。

 乾いた笑いだった。

 

「ほんとそれ」

 

 西口のビル裏でミオを降ろす。

 

 店の入口は表にない。

 雑居ビルの横の細い階段。

 

 その途中で、別の女とすれ違った。

 

 若い。

 まだ硬い。

 たぶん新人だ。

 

 ミオが小さく言う。

 

「ああいう時が一番だるい」

 

「何が」

 

「まだ自分は違うって顔してる時」

 

 圭介は返さなかった。

 

 そういう顔を、何人も見てきたからだ。

 

 23時58分……次の指示が来る。

 

『ユナ 上がり』

 

『そのまま北口寄って』

 

 北口寄って、の意味は広い。

 

 客の忘れ物。 

 飛びそうな女の確認。

 拾い。

 別の車じゃ足りない時の応援。

 今夜は後者だった。

 

 ラブホ街の外れ。

 

 街灯の下に、ユナが男と立っていた。

 男は40代くらい。

 顔が赤い。

 酔っている。

 でも足元はまだしっかりしている。

 

 揉めてるなと、圭介にはすぐ分かった。

 ユナが先に車へ寄ってきた。

 

「この客、金足りてない」

 

 男が後ろから言う。

 

「足りてるって」

「ていうか最初に聞いてた話と違うし」

 

 圭介は運転席から降りなかった。

 こういう時、出ると長引く。

 窓だけ少し下げる。

 

「いくら不足」

 

「ホテル代抜いたら1」

 

 ユナが言う。

 男は舌打ちした。

 

「高えよ」

 

 圭介は男を見た。

 よくいる顔だった。

 買ってるくせに、最後だけ被害者みたいな顔になるやつ。

 

「じゃあ今日は帰って」

 

 圭介が言う。

 

「次から最初に詰めて」

 

 男は眉を上げた。

 

「何、お前」

 

「送迎」

 

「送迎が口出すの?」

 

「口出してない」

 

「終わらせてるだけ」

 

 男は少しだけ睨んだ。

 

 でも、警察を呼ばれるほどではない場所で、これ以上揉める気もないらしかった。

 

 財布から札を出す。

 数える。

 1枚足りない。

 ユナが鼻で笑う。

 

「ほらね」

 

 圭介はポケットから出そうとはしなかった。

 そういうのを1回やると、送迎は便利屋になる。

 

「足りないなら今日はここまで」

 

 そう言うと、男は最後にもう一度悪態をついて去った。

 

 ユナが助手席に乗る。

 

「ありがと」

 

「別に」

 

「今の、店長に言っといて」

 

「不足の話?」

 

「うん」

 

「あとあの客、次つけなくていい」

 

 圭介はエンジンをかけた。

 次つけなくていい。

 店はたぶん、そう簡単にはしない。

 使える客なら回す。

 

 女の嫌さより、埋まる方を取る夜の方が多い。

 

「今日、あと何本」

 

「2」

 

「死ぬな」

 

「死なない程度にやってる」

 

 その返しに、圭介は少しだけミラーを見た。

 

 ユナはスマホを見ていた。

 通知が何件も並んでいるらしい。

 

 店。

 客。

 たぶん私用も少し。

 

 この仕事をしていると、誰のスマホも似たような死に方をする。

 

 深夜1時過ぎ。

 

 店の裏口に寄ると、内勤の男が出てきた。

 

「圭介さん、これ次」

 

「あと、リオ今日ちょっと怪しいです」

 

「何が」

 

「たぶん薬入ってるかも」

 

 圭介は眉をひそめた。

 

「どっち」

 

「分かんない」

 

「市販か処方か、そのへん」

 

「客前で飛ぶなよって言っとけ」

 

「言ってます」

 

 言ってる。

 でも出す。

 そういうのがこの辺の店だ。

 

「あと、警察さっき北口強めです」

 

「見た」

 

「裏から回します」

 

 内勤はそれだけ言って戻った。

 息を切らしてもいない。

 

 こういう男たちも、慣れている。

 

 1時42分。

 リオを乗せた。

 顔色が悪い。

 目が合わない。

 

 香水と、別の薬っぽい甘さが少し混ざっていた。

 

「大丈夫か」

 

「だいじょぶ」

 

 大丈夫じゃないやつの声だった。

 圭介は走りながら、コンビニへ寄った。

 

 水とゼリーを買う。

 

「食え」

 

「いらない」

 

「今吐かれる方がだるい」

 

 そう言うと、リオは少しだけ笑った。

 笑ってから、急に窓の外を向いた。

 

「送迎って楽でいいですよね」

 

 圭介は少し黙った。

 

「そう見える?」

 

「だって何もしてないじゃん」

 

 その言い方は間違っていなかった。

 

 圭介は運んでいるだけだ。

 殴らない。

 客を取らない。

 施術もしない。

 売上も立てない。

 

 でも、何もしてないわけでもなかった。

 

「何もしてないから続いてるんだよ」

 

 そう言うと、リオは返事をしなかった。

 

 店の近くで信号待ち。

 歩道の端に若い女がいた。

 スマホを見ているふりをして立っている。

 

 圭介は一瞬だけ目で追った。

 

 立ちんぼか。

 家出か。

 拾われ待ちか。

 

 この時間になると、境目は薄い。

 

 リオが小さく言う。

 

「ああいう子も、たまにここ来ますよね」

 

「来る」

 

「かわいそう」

 

 圭介は笑わなかった。

 

 かわいそう、……で済むうちはまだ外側だ。

 

 店に戻ると、黒服がリオを回収した。

 荷物みたいに、というと大げさだが、動きは近い。

 

 時間。

 次の部屋。

 忘れ物。

 水。

 出勤管理。

 

 圭介は車へ戻る。

 

 スマホが鳴る。

 知らない番号。

 出ると、女の声だった。

 若い。

 震えている。

 

「すみません」

「この番号、ユナさんにもらって」

 

 圭介は嫌な予感がした。

 

「何」

 

「店、今日体入したんですけど」

「帰れなくて」

 

「誰の店」

 

 名前を聞く。

 知っている店だった。

 良くない方で。


「……今どこ?」

 

「裏口の階段」

「でも男の人いて」

 

 圭介は時計を見た。

 

 2時08分。

 

 本当なら関わらない方が楽だ。

 送迎は拾い屋じゃない。

 逃がし屋でもない。

 

 でも、この街では役割がたまに勝手に混ざる。

 

 

「動くな」

 

 それだけ言って車を出した。

 

 店の裏へ回る。

 階段の影に、細い女が1人いた。

 コートも着ていない。

 顔が青い。

 

 足元だけで新人だと分かる。

 

 その横で、店の男がスマホを見ていた。

 圭介は窓を下ろす。

 

「何してんの」

 

 男が顔を上げる。

 若い。

 たぶん下っ端。

 

「いや、別に」

「こいつ勝手に帰るとか言うんで」

 

「帰すなって言われてんの?」

 

「……まあ」

 

 そういう夜だった。

 圭介は女を見た。

 泣いてはいない。

 でも泣く少し前の顔だった。

 

「乗れ」

 

 女は一瞬だけ止まった。

 

 男の方を見る。

 それで圭介は分かった。

 この子はもう、自分で帰っていいかどうかを他人の顔で決める段階に入っている。

 

「早く」

 

 少し強めに言うと、女は助手席に乗った。

 店の男が何か言いかけたが、圭介は聞かずに車を出した。

 

 バックミラーに、男の顔が少しだけ小さく残る。

 怒っているというより、面倒が増えた顔だった。

 

「どこまで」

 

 圭介が聞くと、女は少し黙ってから言った。

 

「池袋駅でいいです」

 

「終電ないけど」

 

「それでも」

 

 その声が細すぎて、圭介はそれ以上聞かなかった。

 

 駅前で降ろす。

 女は小さく頭を下げた。

 

「ありがとうございました」

 

 圭介はうなずいただけだった。

 礼を言われると、少しだけ嫌になる。

 

 助けたわけじゃない。

 

 今夜、その店の流れから少し外しただけだ。

 たぶん別の日には、また別の場所へ入るかもしれない。

 

 それくらい、この街は入口が多い。

 

 2時半。

 

 ようやく最後の送迎が終わる。

 コンビニに寄って、缶コーヒーを買う。

 店の明かりがガラスに映る。

 スーツの男。

 立ちんぼ。

 酔った女。

 警官。

 送迎車。

 

 全部が薄く重なって見える。

 

 圭介は思う。

 

 送迎は、運ぶだけの仕事だ。

 そう思ってないと続かない。

 

 でも本当は違う。

 

 この車は、人を場所へ運んでいるんじゃない。

 少しずつ、戻れない方へずらしているだけだ。

 

 その途中で、水を渡したり、警察を避けたり、吐かないように窓を開けたりしてる。

 

 ……やさしい顔のまま。

 

 そこまで考えて、圭介は缶コーヒーを飲んだ。

 

 ぬるかった。

 スマホがまた鳴る。

 

『明日もお願いします』

 

 店からだった。

 圭介は少しだけ画面を見て、短く返した。

 

『了解』

 

 それで夜は、また普通に続いていく。

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