第8話
――ズンチャッチャー、ズンチャッチャー……!
――ワアアアアーッ!
――ピューピューッ!
「孤児院のクリスマスパーティとはまったくちがうわね。この……真っ赤なドレスも!」
「シェリー! 今宵の君は光り輝いている! 最高にステキだよ! ぼくも最高に幸せだ」
「アレックス……どうもありがとう……」
アレックスこそ、素晴らしい美男子ぶりだ。パーティ会場になっている大学の講堂に集う人々の視線は、彼に釘付けだ。
高い背丈にふさわしいスラリと伸びた長い手足。顔は完璧な黄金比だ。光沢のある金髪が、天井に急きょ吊り下げられたシャンデリアの光を浴び、いつもより輝いて見える。優美にこなす身の動きに、タキシードがピタリと吸いつくようにまとわりついている。
わたしはというと――アレックスの母親から借りた着なれない真紅のドレスに身を包み、まるで学芸会のようだ。派手なドレスはいささか時代遅れで丈が長いが、ふんだんにフリルがほどこしてありとても豪華な作りだ。わたしのぺチャンコの身体には少しゆるかったので、自分で針と糸でサイズを少し詰めた。
ハリネズミヘアーは油で押さえつけ、なんとかキッチリ結い上げた。そこにアレックスが、庭から取ってきた柊の葉と赤い実を飾ってくれた。初めてのメイクは、町の化粧品売り場に勤める下宿人のクララがやってくれた。わたしの唇は、クララが貸してくれた真っ赤なリップで飾りたてられていた。
そこまでしても――わたしの様子はいつもと変わらなかった。それどころか、着飾ったお陰で全体のバランスがひどく崩れていた。これなら、いつもの黒づくめの服装のほうがよかったかもしれない。
彼とはまるっきり正反対の仕上がりだ。自分がいかにアレックスに相応しくないかを、世間にアピールするためにやってきたようなものだ。わざわざクリスマスパーティを選んで。
つまりアレックス・カーライルはどこから見ても完璧な紳士となり、まったく釣り合わない惨めなわたしをエスコートしてくれていた。
「シェリー! 真っ赤なドレスがよく似合ってるよ。それにしても……母上もたいがい、見栄っ張りだな。十代の頃のドレスを寄こすだなんて……。あのクーデターの中、よくもまあ、持ちだしたもんだ。シェリー、そのドレスは、母が父との婚約式で着たものらしい。それで王宮の晩餐会へ出席したこともあるそうだよ」
「おっ……おうきゅう……! あの……アレックス、カーライルの奥さまにくれぐれもよろしくね……。わたし、なんのお礼もできなくて……」
「お礼だなんて! 母がそんなドレスを、いまさら着こなせると思うかい? おや? なんだってみんな、ダンスもしないでこっちを見ているんだ?」
「もの珍しいのよ。わたしたちのようなカップルが……特にドレスを着たシェリーメイがね」
「みんな、何をこそこそと噂話をしているんだ? ぼくたちがそんなにうらやましいのか……面と向かって言えばいいじゃないか。今宵のシェリーがどんなに輝いているかってことを! さあ、外野は放っといて……シェリーメイ、踊ろうか」
「あの……アレックス……踊れないって言ったわよね?」
「ぼくについてきて! 魔法でステップの位置を教えるから!」
「いいの? そんなことに魔法を使って……?」
「今日は無礼講だ! クリスマスは、小さな魔法なら見逃してもらえるんだよ! さあ! お手をどうぞ!」
「アレックスったら……!」
アレックスが腰を折り、大げさに手を差し出した。わたしはその手をしっかりと握りしめ、アレックスと共に中央に進み出てダンスをはじめた。アレックスの巧みなリードと魔法のお陰で、スムーズにステップを踏むことができた。
その様子を大きくとりまきながら、皆が嘲笑って見ていた。
当然だろう。アレックスの母親が貸してくれた赤いドレスと靴に身を包み、金髪の王子さまと踊る田舎むすめ丸出しのわたし。
誰が見たって思わず吹き出したくなる構図だ。
「シェリー……君のその湖のように美しい瞳……引き込まれるよ。今宵、その深さに溺れてしまいそうだ……」
「お酒も飲んでないのに完全に酔ってるわね、アレックス……どこでそんな言葉を覚えたの?」
「君を見ているだけで自然と言葉があふれてくるんだよ、シェリー……」
「あなた……わたしの瞳の色しか見てないでしょ? まわりをよく見渡してご覧なさい。色とりどりの衣装で着飾った美魔女たちが、これみよがしにクルクルと踊り狂っているわよ」
「シェリー……君しか目に入れたくないんだ。他の奴らはみな、ツリーの飾りの1つでしかない。君はてっぺんに輝くスターそのものだ」
「アレックス……わたしはその足元に転がるプレゼントのリボンの端っこにも引っかからない女よ。あなたぐらいだわ……わたしのことをそんな風に言ってくれる人は。世にも稀少な存在だわね……」
「シェリー……アイラブユー……」
「アレックス……」
――ズンチャッチャー、ズンチャッチャーッ……。
わたしたちは何曲もダンスを踊った。互いの目を見つめ合い、同じリズムに身を任せ、ときに離れときにピタリとくっつきながら。
次第に夜は更けていった。
「こんばんは、シェリー! すてきなドレスね?」
「レイラ!」
美声と共にレイラがやってきた。彼女はいつものように、声だけでなく美しい容姿と共に姿を現した。
「2人とも踊りっぱなしじゃないか。みんなも呆れてるぞ。アレックス、疲れないのか? ぼくはもうクタクタだよ……」
「ルイ、愛する女性の手を握っていると、時間を忘れる。疲労も感じないはずだ!」
「アレックス……ぼくだって、レイラ1人と踊っていればそうなるさ。でも、ぼくはさっきから、たくさんのどうでもいい魔女たちと踊ってるんだよ。君みたいに全員拒否する勇気はないよ。アレックスの分も女性たちの相手をしているんだ。感謝して欲しいな」
「あら? レイラとルイはパートナーじゃないの?」
「会場までは一緒に来たけど、ルイが女子学生たちからダンスの相手に誘われてたいへんだったの。だから遠慮したのよ。わたしは、美魔女たちと争う気はありませんからね」
「レイラ、さっきからすぐにどこかへ行ってしまうと思って心配していたら……彼女たちに何か言われたのかい?」
「ちがうわ。校庭を散策してただけ。今夜は満月で、外がとても明るいんですもの」
「こんな夜更けに? レイラ、いくら学内だとしても危ないわよ」
「シェリー、彼女は大丈夫さ。取り巻きがたくさんいるからね」
「アレックス、でも……」
「アレックスが言うとおりよ、シェリー。ダンスの相手をしてくれってしつこいから、途中で巻いてきてやったけどね?」
「レイラってば!」
レイラは茶目っ気たっぷりに舌を出しながらウインクをして、ルイと踊りを続けた。彼女のダンスの腕前は大したものだった。水の上を滑るかのごとくスイスイと遠ざかっていく。海の色のように濃いブルーのドレスは最新式のデザインで、背の低いレイラの足首が見えるように、ふんわりと裾がひろがっていた。白いシューズがガラスの靴を履くシンデレラのようで、高く結いあげた白っぽい金髪にくくりつけられた真珠の髪飾りが王冠に見える。レイラは完璧なお姫さまになっていた。
「レイラはかわいくてうらやましいわ……」
初めて人を羨ましく思えた。彼女みたいに小柄であれば、ワルツの回転もあんな風に軽やかにできるだろう。男性もリードしやすいはずだ。木の棒で出来たデクノボウのようにギクシャク踊るわたしとは月とすっぽんだ。
レイラの登場でさらにわたしのみっともなさが強調され、まわりからの嘲笑が止むことはない。
「どこがうらやましいんだ? 化学の成績がいいことか? 彼女、発明でこのまえ学生賞を取ったんだろ? あの女学生がすごいのは、それぐらいだろ?」
「アレックス……」
アレックスの目は真剣だ。彼が鈍感でよかった。
「それにしても……受験のときの化学の魔法問題は、けっこう難易度が高かったよな。彼女、魔力が弱いらしいがよく解けたな?」
「えっ? だって……水をかければいいんでしょ?」
「彼女は魔法で解いたと言ってたろ? しかも、マッキントッシュ教授は魔法で解いたのは彼女1人だと言っていた」
「そういえばそうね……どういうことなの? アレックスたちも魔法で解いたんじゃないの?」
「魔法使いの基本行動として、魔法問題にはまず水をかけるんだ。つまり、舐めるって行為だ。魔法学部の連中は百パーセントそれで解いた。ぼくもだ。あの問題を魔法で解こうとすると、すごく時間が掛かるんだよ。試験時間内でギリギリ終わるかどうかだ。だとしたら、彼女は他の問題をハイスピードで解き、魔法問題に時間を掛けたんだ。だから、答えが『魔法が使える化学バカ』なんだよ。さすが、嫌味の天才マッキントッシュ教授! ぼくにも会うたびに遠まわしに何か言いやがる。たとえ言葉を交わさなくとも、目で嫌味を語ってくる。いやはや……!」
「アレックスは本当にマッキントッシュ教授が煙たいのね……」
「ごきげんよう、シェリー、アレックス!」
「マッキントッシュ教授!」
「こんばんは、マッキントッシュ教授。ちょうど、あなたのお噂をしていたところですよ」
「良い噂だといいな、アレックス」
「噂に良いことなんてありませんよ。でも、噂されないよりはずっといいですよね?」
「わたしも今夜の主役、シェリーメイとアレックスのカップルのことを考えていた。この国の未来を担う優秀極まりない2人のことを」
「そうですか。それは光栄です。ぼくらの未来を占えるんですか」
「それはできないよ。わたしは魔法が使えないからね」
「まったくですか? では……あの受験のときの魔法問題は誰が作ったのですか? バーナビー教授ではありませんよね?」
「……ちゃんとしたお方だ。わたしたちより遙かに地位が高い」
「そうですか……。たしかに……高度な魔法がかかっていました。ぼくでさえ、まともに解いたら他の問題に手がまわりませんでしたよ」
「王立大学の合格者は将来、国を背負って立つ立派な若者たちだ。厳しく審査しないとな。わたしは個人的には、君たちカップルが好きだよ。愛し合う2人を応援したくなる。でも……どうも魔法使いは信用できなくてな」
「ストレートですね。マッキントッシュ教授……魔法使いをと言うことは……皇帝もですか?」
「……それはどうかな? わたしは化学者だ。真実のみを追及している。まやかしや嘘が大嫌いでね」
「ぼくも嘘は嫌いです。特に、愛する人には絶対につかない」
「君はまだこどもだ……ときに嘘も必要となる」
「あなたの言い分は、矛盾していませんか? 嘘をつかないと大人になれないなら、魔法使いはこどもの頃から、大人だっていうんですか?」
「精神的な問題じゃない。2面性があるのが大人の世界だと言ってるんだ。そうでなければ、社会に出てからたくましく生きていけない。魔法使いの世界には嘘が横行している。それが当たり前なんだろう。マジシャンという職業を例えるなら、大嘘つきのベテラン詐欺師だ」
「詐欺師? マッキントッシュ教授、魔法使いは嘘つきでも詐欺師でもないですよ。何もないところから、本当に物質を生み出すんです」
「それが彼らを傲慢にした。ああ、失礼。アレックス、君のことではないよ。過去にそういう魔法使いがいたということだ。彼も天才児だった」
「なにが言いたいんですか?」
「アレックス……こんなところでやめてよ。ダンスを楽しみましょう」
「シェリー……ごめんよ。つい……」
「すまなかった。若いカップルの邪魔をしたな。わたしはこれで……シェリー、アレックス、メリークリスマス!」
「失礼いたしました……」
「マッキントッシュ教授も、ハッピーホリデーを!」
わたしたちはラストナンバーまで踊り続け、満月のなか家路に就いた。
――コツコツコツコツ……。
――カツカツカツカツ……。
大学の裏門の前に差し掛かった。アレックスがわたしの腕を取ったまま、ニッコリと笑いかける。
「シェリー……君とこどものとき孤児院で過ごしたクリスマスが忘れられない。今日のダンスパーティも君と踊れて幸せだったけど、あのときは大勢のこどもたちと一緒でとても楽しかった。大学を卒業したら、たくさん働いて2人で孤児院を建てよう。君の夢だろう?」
「アレックス……あなたの夢は? わたしのために自分を犠牲にしないでちょうだい」
「ぼくの夢は、今も昔も君が幸せになることだ。そのための努力は惜しまないよ」
「それは……うれしい申し出だけど。でも……心苦しくもあるわ。わたしなんかのために……」
「シェリー……心から愛してる。今日はクリスマスだ。ヤドリギの下でキスは拒めないはずだよ」
「アレックス……? 魔法大学のクリスマスパーティは、ヤドリギが禁止されているわ。どこにヤドリギが?」
「見てごらん! ほらっ!」
「あっ!」
一瞬、影が落ちた。アレックスがわたしの頭の上に手をかざしたからだ。その手にはヤドリギが握られていた。
「魔法ね! そんなことして捕まらない?」
「言ったろ? 今日は無礼講だって! シェリー、愛してるよ……」
「アレックス……わたしもよ……」
「やったー! シェリー、本当かい? すっごくうれしい!」
「えっ……? わたし、いまなんて……? アレックス……わたしに魔法をかけたの?」
「いーや。なにもしてないよ。あいにくぼくは、君の心を魔法で盗もうだなんて、そんな卑怯者じゃないからね! ああ、でも……満月の魔法にかかったのかな? 月光が奏でるムーンミュージックと共に……」
「ムーン……マジックに?」
「そうかもね。今宵は満月だ。何が起こるかわからない……。愛するシェリー……アブラカダブラ……」
「…………!」
――パサッ……。
ヤドリギが足元に落下した。
月光の下で2つの影がゆっくりと重なり、やがて合わさる。
その日わたしとアレックスは、初めて恋人同士のキスをした。