創造神、還る
暗い。
どこまでも、暗かった。
上下も左右もわからない。足元に地面があるのか、それとも自分が宙に浮いているのかさえ、はっきりしなかった。
和維は、ぼんやりと目を開けた。
「……あれ?」
声は出た。
少なくとも、そう感じた。
手を動かしてみる。足も動く。身体のどこにも痛みはなかった。
「……僕、どうなったんだっけ」
男の額に触れた。
妙な力を見つけた。
それを取り込もうとして――。
「……ああ」
思い出した途端、和維は顔をしかめた。
「痛かったなぁ……」
あれほどの激痛は、生まれて初めてだった。
いや、そもそも自分がいつ生まれたのか、正確には知らないのだが。
「……で、ここはどこ?」
周囲を見回しても、何も見えない。
闇が、どこまでも続いている。
「ミカ?」
返事はなかった。
「クルト?」
やはり、返事はない。
「……クロス?」
『はいはい。ようやくお目覚めですかな』
聞き慣れた声が、背後から響いた。
振り返ると、道化師の仮面をつけた男が立っていた。
「……いた」
『ええ。おりましたとも』
クロスは、いつもの大げさな仕草で両手を広げた。
『まったく、探す手間をかけさせないでいただきたいものですなぁ』
「いや、僕だって好きでこんなところに来たわけじゃ……」
『そうでしょうとも。好きで死ぬ方など、そうそうおりませんからな』
「……え?」
和維は固まった。
「……今、何て?」
『死んだ、と申し上げましたが』
「……誰が?」
『あなたが』
「……僕?」
『ええ』
しばらく、沈黙が続いた。
「……嘘でしょ?」
『少なくとも、外から見れば完全に死んでおりますなぁ。心臓は止まり、呼吸もなく、治癒魔法にも反応しない。ミカエルなど、もう大変なことになっておりますぞ』
「……うわぁ」
和維は頭を抱えた。
ミカの泣き顔が、容易に想像できた。
「……それ、早く戻らないとまずいんじゃない?」
『もちろんですとも。ただし、その前に少々お話がございます』
「……何?」
クロスは、仮面の奥で笑ったようだった。
『あなたが何をやらかしたのか、きちんと理解していただかねばなりませんのでね』
*
クロスが指を鳴らした。
暗闇の中に、光が灯る。
最初に現れたのは、小さな球体だった。
その隣に、もう一つ。
さらに、周囲へ無数の光点が広がっていく。
「……何これ?」
『あなたと、創造神本体。そして、この世界を構成する次元と時間軸です』
クロスが最初の球体を指さした。
『こちらが、現在のあなた』
続いて、もう一つの球体へ手を向ける。
『そして、こちらが本体ですな』
「……ずいぶん小さいね」
『説明用の模型に、大きさを求めないでいただきたい』
「いや、だって創造神でしょ?」
『その創造神が、今まさに私の目の前で間抜けな顔をしているわけですが』
「……はいはい」
和維は肩をすくめた。
クロスは、二つの球体の間に光の線を引いた。
『まず、あなたが取り込んだものについて、ご説明しましょう』
「……あの黒いやつ?」
『ええ。魔神です』
「魔神?」
『正確には、こちらへ侵入してきた異界の創造神、その力の一端とでも申しましょうか』
クロスが指を動かすと、暗闇の中に黒い球体が現れた。
それは、不規則に脈打ちながら、周囲へ黒い糸を伸ばしている。
『侵略者は、自身の力を分け与えることで、この世界への侵食を進めています。その一つひとつが、あなたの見つけた魔神です』
「……あいつの中に、そんなものが入ってたんだ」
『そういうことですなぁ』
クロスは黒い球体を、和維を示す光球へ近づけた。
黒い球体が、光の中へ吸い込まれていく。
『あなたが魔神を取り込むと、その情報と能力は自動的に本体へ送られます』
和維の光球から、もう一方の球体へ光が流れ込んだ。
『本体は、それを分析する。異界の創造神がどのような法則を用い、どのように侵食を行っているのか。その仕組みを理解することで、対抗する力を獲得していくわけです』
「……なるほど」
和維は頷いた。
「つまり、敵の力を調べれば調べるほど、こっちが有利になるってこと?」
『おおむね、その理解で結構です』
クロスが再び指を鳴らした。
今度は、無数の光点がつながり、巨大な網のようなものを形作った。
その網の外側から、黒い影が押し寄せてくる。
光の網は、黒い影を食い止めていた。
だが、ところどころで激しく明滅し、今にも破れそうになっている。
「……これが?」
『現在の本体です』
和維は、目を見開いた。
『本体は、あらゆる次元と時間軸へ自身を展開し、侵略者の力を防いでいます。いわば、絶対防御のための障壁ですな』
「……そんなことになってたの?」
『ええ。ですから、本体は自由に動けないのですよ。防御に力の大半を割いておりますのでね』
クロスが手を振る。
先ほど本体へ流れ込んだ光が、巨大な網へと広がっていった。
黒い影に押されていた部分が、少しずつ輝きを取り戻す。
『ですが、魔神を取り込めば、その力を分析できる。侵略者への対抗手段が増えれば、それまで防御に費やしていた力の一部を、別の用途へ回せるようになります』
「……別の用途?」
『あなたです』
クロスは、和維を指さした。
『本体が防御に余裕を持てるようになれば、その分の力をあなたへ委譲できる。もちろん、現在の封印との整合性を確認し、安全に扱える範囲で、ですがね』
和維の光球へ、本体から新たな光が流れ込む。
先ほどより、球体が少し大きくなった。
「……ああ、そういうことか」
『そういうことです』
クロスは、二つの球体を交互に指さした。
『あなたが魔神を取り込む。本体が分析する。防御に余裕が生まれる。あなたへ、より多くの力を渡せるようになる』
「それで、また魔神を取り込む?」
『ご名答』
クロスは大げさに拍手した。
『創造神たる本体が、あなたという分身体を覚醒させた理由の一つです。』
和維は、しばらく光の模型を眺めていた。
自分が魔神を取り込む。
その力が本体へ送られる。
本体が強くなり、自分もまた、少しずつ力を取り戻していく。
その繰り返し。
「……でもさ」
『何でしょう?』
「だったら、最初から全部の力を渡してくれればよかったんじゃない?」
クロスは、ぴたりと動きを止めた。
『……あなたは、つい先ほど何をなさったのか、もうお忘れで?』
「……あ」
『封じられている権限を勝手に使い、反動で死にかけたどころか、外から見れば完全に死んでいるわけですが』
「……はい」
『そんな方に、最初から全権限をお渡しできるとでも?』
「……すみません」
和維は素直に頭を下げた。
クロスは、満足そうに頷いた。
『よろしい』
「……いや、よくないでしょ。僕、死んでるんだよね?」
『外から見れば、ですな』
「……そこ、重要なところじゃない?」
『ええ。ですから、今から戻る準備をするのですよ』
*
クロスは、和維の光球へ手を伸ばした。
球体の周囲に、幾重もの輪が現れる。
それぞれが複雑な紋様を描きながら、ゆっくりと回転していた。
「……これ、何?」
『あなたに施されている封印です』
「……こんなにあるの?」
『むしろ、よくこれだけの封印を抱えたまま、あれほど無茶なことができたものですなぁ』
「……褒めてる?」
『呆れております』
クロスは、輪の一つへ指を触れた。
淡い光が走る。
その輪が、わずかに広がった。
「……お?」
和維は、自分の身体を見下ろした。
何かが変わった。
劇的な変化ではない。
だが、今まで届かなかった場所へ、少しだけ手が伸びるようになった気がした。
『今回取り込んだ魔神の情報は、すでに本体へ送られています。その解析結果に合わせ、あなたが安全に扱える領域を、少々広げておきました』
「……それって、封印を解いたってこと?」
『一部だけです。全部ではありません』
クロスは、念を押すように言った。
『今後も、魔神を取り込むたびに調整していきます。くれぐれも、今回のように勝手なことをなさらぬよう』
「……努力します」
『努力ではなく、約束していただきたいものですなぁ』
「……わかったよ」
和維は苦笑した。
そして、改めて周囲を見回す。
「……で、どうやって戻るの?」
『簡単です』
クロスが、和維の胸元を指さした。
『あなたは、まだ完全に失われたわけではありません。意識が肉体との接続を断たれ、こちらへ退避していただけですからな』
「……退避?」
『まあ、そういうことにしておきましょう』
「……何か、引っかかる言い方だね」
『気のせいです』
クロスは、和維の背中へ回った。
『さて。そろそろ戻っていただきましょうか』
「……ちょっと待って」
『今度は何ですかな』
和維は、巨大な光の網を振り返った。
その向こうでは、黒い影が今も押し寄せている。
「……本体は、ずっとあれを防いでるんだよね」
『ええ』
「……一人で?」
クロスは、少しだけ沈黙した。
『……そうですなぁ』
和維は、光の網を見つめた。
自分の知らないところで、自分の本体が戦っている。
すべての次元と時間軸に広がり、侵略者を食い止めながら。
そのために、自分という分身体を目覚めさせた。
「……そっか」
和維は、小さく頷いた。
「じゃあ、僕も頑張らないとね」
クロスは、しばらく何も言わなかった。
そして、いつもの調子で肩をすくめた。
『まったく。ようやく、その気になりましたか』
「……いや、最初から結構頑張ってたと思うんだけど」
『頑張る方向を間違えなければ、なお結構ですなぁ』
「……はいはい」
和維が苦笑した、その瞬間。
クロスが、背中を思い切り押した。
「……え?」
『では、いってらっしゃいませ!』
「ちょっ、待っ――!」
足元が消えた。
和維の身体が、暗闇の底へと落ちていく。
「うわああああああっ!」
*
「……マスター」
ミカは、和維を抱き締めたまま動かなかった。
治癒魔法を使い続けることにも、すでに意味がないのではないか。
そんな考えが頭をよぎるたびに、彼女は必死に打ち消した。
クロスが戻ってくる。
そう信じるしかなかった。
クルトは、彼女の傍らに座り込んでいた。
周囲の地龍人たちは、いまだに動こうとしない。
誰もが、奇妙な沈黙の中で、事態の成り行きを見守っていた。
そのとき。
「……ん」
ミカの腕の中で、和維の指が動いた。
「……え?」
彼女は、息を止めた。
和維の胸が、わずかに上下する。
そして。
「……うわっ!」
和維が、突然目を開けた。
「……っ!?」
ミカは、声にならない声を上げた。
和維は、しばらく呆然と空を見つめていた。
「……あれ?」
ゆっくりと首を動かす。
目の前には、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたミカがいた。
「……ミカ?」
その一言で、彼女の表情が崩れた。
「マスターっ!」
ミカは、和維の首へ飛びついた。
「うわっ! ちょ、ミカ!?」
「よかった……! 本当に、よかった……!」
彼女は、和維を抱き締めたまま泣きじゃくった。
和維は、どうしていいかわからず、しばらく両手を宙に浮かせていた。
やがて、そっとミカの背中へ手を回す。
「……ごめん」
ミカは、何度も首を横に振った。
「もう……もう、あんなことは……!」
「……うん」
「絶対に、しないでください……!」
「……できるだけ」
「絶対です!」
「……はい」
和維は、素直に頷いた。
その隣で、クルトが大きく息を吐いた。
「……旦那」
「あ、クルト」
「……あ、じゃないでしょうが」
クルトは、和維の頭を軽く小突いた。
「痛っ!」
「痛いなら、生きてるってことでしょうな」
「……そういう確認方法?」
「まったく……」
クルトは、顔を伏せた。
その肩が、わずかに震えていた。
「……勘弁してくださいよ、旦那」
和維は、何も言えなかった。
ただ、申し訳なさそうに笑った。
*
しばらくして、ようやくミカが和維から離れた。
それでも、彼の袖を握ったまま、決して手を放そうとはしない。
「……ミカ」
「嫌です」
「まだ何も言ってないんだけど」
「絶対に、放しません」
「……そっか」
和維は、諦めたように笑った。
そして、ゆっくりと立ち上がる。
周囲の地龍人たちが、びくりと身を震わせた。
先ほどまで、確かに死んでいたはずの少年。
その少年が、何事もなかったかのように立ち上がったのだ。
和維は、彼らを一瞥した。
そして、空を見上げる。
あの暗闇の中で見た、巨大な光の網。
その向こうから押し寄せていた、黒い影。
まだ、この世界のどこかに魔神がいる。
それらをすべて見つけ出し、取り込まなければならない。
そうすることで、本体は侵略者への対抗手段を増やし、自分もまた、少しずつ力を取り戻していく。
そして、いつか。
この世界を侵している、もう一柱の創造神と向き合うことになる。
「……さて」
和維は、小さく息を吐いた。
「まずは、ほかの魔神を探さないとね」
「……マスター」
ミカが、不安そうに彼を見上げた。
和維は、彼女へ笑いかけた。
「大丈夫。今度は、ちゃんと相談するから」
「……本当ですね?」
「うん」
ミカは、ようやく少しだけ表情を緩めた。
クルトは、そのやり取りを見て、深いため息をつく。
「……旦那。その言葉、忘れないでくだせぇよ」
「わかってるって」
和維は、苦笑した。
そして、もう一度空を見上げる。
自分が創造神だという実感は、相変わらずなかった。
だが、やるべきことだけは、少しずつ見えてきた気がする。
「……ほんと、面倒くさいことになったなぁ」
その呟きに、ミカとクルトは顔を見合わせた。
そして、二人そろって、大きなため息をついた。




