創造神、侵す
「ミカが翼を出してこちらに来たってことは、相当まずいことが起きているように見えたんだろうね」
和維の声は、決して大きくなかった。
それなのに、周囲の地龍人たちが一斉に身を強張らせた。
「はい、マスター」
ミカは跪いたまま答えた。
和維は、ゆっくりと周囲を見渡した。
砕けた大地。
散乱する武器。
倒れた兵士たち。
そして、こちらを警戒しながらも、その場を離れようとしない男。
「さて」
和維は男へ視線を戻した。
「そろそろ、話を聞かせてもらおうか」
男はしばらく和維を睨んでいたが、やがて武器を下ろした。
「……貴方が、この界の創造神なのか」
「そういうことになってるね」
「ふざけているのか!」
「いや、僕もまだ実感がないんだけど」
いつもの調子で答えかけた和維は、男の表情を見て口を閉じた。
そこにあったのは、単なる敵意ではなかった。
怒り。
憎しみ。
そして、それらを長い年月の中ですり減らしてしまった者の、深い疲労。
「……何があったの?」
男は、ようやく口を開いた。
「我々は、ずっと貴方を探していた」
「僕を?」
「たった一つの約束のために」
男は膝をついた。
「我々はこの界に囚われた。故郷へ帰ることも、死して魂を輪廻させることも叶わず……ただ、彷徨うだけの存在となったのだ」
「どのくらい?」
「四百年だ」
和維は瞬きをした。
「……待って。四百年?」
思わずミカを見る。
彼女もまた、驚いたように男を見つめていた。
「すぐにこっちへ来たわけじゃないの?」
男の表情が歪む。
「我々にとっては、貴方が現れるまでのすべてが、その四百年だった!」
和維は黙った。
そして、左目に意識を向ける。
『クロス。どういうこと? あなたなら知っているはずだ』
『おや。私の出番ですか』
『いいから』
『転移時の誤差ですなぁ。もともとの原因は、天使たちによる探索に時間軸の計算が含まれていなかったことです』
『……それで四百年?』
『ええ。探索指令そのものは忠実に遂行されたのですがね。転送後に時間のずれが判明しまして。事態を重く受け止めた天使たちは、禁じられている自傷、自殺行為にまで及ぼうとした。その時点から、私がマスターとの交信を担当しております』
『ちょっと待って。情報量が多い』
『いつも説明を最後まで聞かないのは、どこのどなたでしたかな』
『今それ言う?』
クロスから返事はなかった。
和維は小さく息を吐いた。
四百年。
日本で暮らしていたころなら、教科書の中でしか触れないような年月だ。
それだけの時間を、故郷に帰れないまま過ごした。
自分が彼らの立場だったら、どうなっていただろう。
想像することはできる。
だが、それだけだった。
「……それは、つらかっただろうね」
男が顔を上げた。
「では!」
「でも、それとこれとは別だよ」
和維は男を見下ろした。
「僕自身に嘘がなければ、お前たちはこの世界の生命を略奪するために来た。そうだよね?」
男は答えなかった。
「自分たちの世界で何があったのかは、まだ知らない。だけど、だからって他人の世界から奪っていいことにはならないよ」
「我々には、他に道がなかったのだ!」
「本当に?」
和維の声は静かだった。
「四百年もあったのに?」
男の顔から血の気が引いた。
「帰りたいと願うのは自由だよ。でも、四百年彷徨ったから許してくれっていうのは、身勝手すぎる」
「貴様に、我々の何がわかる!」
「わからないよ」
和維は即答した。
「だから、知ろうとしてるんじゃないか」
男が息を呑んだ。
「お前たちがどこから来たのか。何を目的としているのか。ほかに何人いるのか。そして、この世界で何をしたのか」
和維は一歩近づいた。
「それを全部調べてから、どうするか決める」
「我々を裁くつもりか!」
「それは誰が決めた?」
和維の声音が変わった。
「誰が決められるのだろうね?」
空気が震えた。
男の背後で、砕けた石の欠片が音もなく浮かび上がる。
「法則は僕が決める」
和維は、まるで当たり前のことを確認するように言った。
「僕が法則だ」
ミカが顔を上げた。
彼女には、その言葉が単なる威嚇ではないとわかっていた。
目の前に立つ少年は、記憶と力を封じられている。
それでも、創造神であることに変わりはない。
男もまた、それを理解したのだろう。
怒りに歪んでいた顔が、別の表情へと変わった。
恐怖だった。
「……お前は」
男が後ずさる。
「本当に、創造神なのか……」
「だから、そう言ってるじゃないか」
和維は肩をすくめた。
そして、男の額へ手を伸ばした。
「まずは、お前の中にあるものを調べさせてもらうよ」
「何をする気だ!」
「大丈夫。今のところ、お前自身をどうこうするつもりはないから」
指先が、男の額に触れた。
その瞬間。
和維の意識に、見たこともない構造が流れ込んできた。
それは魔力とも、神力とも違っていた。
この世界を構成する法則と似ていながら、根本的な部分で噛み合わない。
無理に重ねれば、互いを削り取ってしまうような異質さ。
和維は眉をひそめた。
「……ああ、そういうことか」
男の中にある力は、男自身が生み出したものではなかった。
その向こうに、別の存在がいる。
この世界へ侵食を広げている、もう一柱の創造神。
目の前の男は、その力の一端を宿しているにすぎない。
『クロス』
『はいはい』
『これ、持って帰れる?』
短い沈黙があった。
『……マスター。何をなさるおつもりで?』
『分析したいんだよね』
『それは、まあ、そうでしょうなぁ』
『だったら、取り込んじゃったほうが早くない?』
『いや、ちょっと待っていただけますかな』
珍しく、クロスの返事が早かった。
和維は男の額に触れたまま、首を傾げる。
『何?』
『その領域は、まだ――』
「よし」
『マスター!?』
和維は、異質な力を引き寄せた。
方法はわかっていた。
どう分解し、どう取り込み、どこへ送ればいいのか。
初めて行うはずなのに、手順だけは最初から知っている。
まるで、長い間使っていなかった道具を、久しぶりに手にしたようだった。
男の額から、黒く揺らめく光が立ち上る。
「なっ……何をしている!」
「ちょっと静かにしてて」
和維は目を細めた。
黒い光が、細い糸となって右手へ流れ込む。
複雑に絡み合った力が、触れる端からほどけていく。
その一つひとつが、膨大な情報を持っていた。
異なる世界の法則。
侵食の仕組み。
そして、まだ見ぬ侵略者へとつながる、かすかな痕跡。
「……なるほど」
和維は思わず笑った。
「これなら、いけるかもしれない」
そのときだった。
頭の奥で、何かが軋んだ。
「……ん?」
違和感は、ほんの一瞬だった。
次の瞬間、視界が真っ白になった。
「――っ!」
痛み。
それ以外の言葉が見つからなかった。
頭を割られるようなものではない。
腕を切り落とされるようなものでもない。
身体のどこが痛いのか、そもそも身体というものがどこまであるのか、それすらわからなくなるほどの激痛だった。
「ぐっ……!」
和維の膝が折れた。
「マスター!?」
ミカの声が遠くに聞こえる。
おかしい。
自分の力を使っているだけのはずだ。
取り込んだ異質な力は、確かに分解されている。
処理も、送信も、正常に進んでいる。
それなのに。
封じられているはずの領域から権限を引き出した瞬間、その反動が自分自身へと返ってきた。
――あ。
和維はようやく理解した。
使い方を知っていることと、今の自分に使えることは、まったく別なのだ。
「せい……しん、が……!」
意識が引き裂かれる。
「侵食……される……!?」
口をついて出た言葉は、和維自身にも正確ではなかった。
相手の力が襲ってきたのではない。
自分が、自分の封印を越えてしまったのだ。
「いっ……痛い……!」
視界の端で、ミカが駆け寄ってくる。
手を伸ばそうとした。
だが、指一本動かせなかった。
「ウガァァァァァ――ッ!」
叫び声が途切れた。
和維の身体が、力なく地面へ崩れ落ちる。
「マスター!」
ミカが彼を抱き起こした。
和維の目は開かない。
呼びかけても、揺さぶっても、反応がない。
その一方で、彼が取り込んだ魔神の力は、なおも流れ続けていた。
誰にも見えない場所へ。
すべての次元と時間軸に広がり、侵食を食い止め続けている、創造神本体へと。
和維は、もう何も答えなかった。




