小さな変化
ギーゼラは一人、魔族国にあるヨトゥンフェイムの屋敷の部屋にいた。
魔神ジャヒーリアでもある彼女は、世界の法則を一時的に歪めて異なる場所に現れることで、この輪廻を壊そうとしていた。だが、彼女にできることは少ない。本格的に動けば、この世界の『神』、そして『監督者』に感づかれる。そうすれば、ジャヒーリア、ギーゼラの存在は完全にこの輪廻から消滅し、二度とは現れることはできないであろう。それだけは避けなければならない。
いずれ消える身であろうとも、それは今ではない。彼女には、果たすべき役割がまだあるのだ。
「ギーゼラ」
「エノラお姉ちゃん」
部屋の扉をノックし入ってきた黒髪の少女に、微笑んでみせるギーゼラ。瞬時に彼女の纏う雰囲気が変わり、幼い少女のそれになる。笑うギーゼラを見て、エノラが言う。
「ここなら、安心できるわね」
「そうだね」
そう言って笑うエノラだが、彼女はまだ何も知らない。この先起こる未来も、自分が何者であるのかも。
辛く、厳しい道。思い出さない方が幸せかもしれないな、とはギーゼラも思う。だが、それではいけないのだ。
ギーゼラの頭を撫でるエノラを見て、彼女は思った。
終わらせなければ、と。
制約は多い。だが、その中でも最善を選んでいく。それが、ギーゼラに出来ることだ。残るは、この世界に生きる者たちと、虹色の髪の少女に任せるほかはない。
さて、と少女は息をつくと、どこからか取り出した紙の束をフ、と息ではき飛ばした。紙は風に乗り飛んでいく。その方向は、クライシュ大陸の方角であった。
ミアベル、タムズ、ゼーレイアの一行は無事、港町サフェにたどり着いた。
ハンノ=イヴリス連邦の端に位置するこの港町は、交易で栄える場所であり、他大陸とを舟で結ぶ定期船が出るイヴリス唯一の場所である。商船などが他大陸に赴くことはあっても、定期船のような人を運ぶ船はそうそうなく、大国ハンノ=イヴリスの支援もあってのことであった。まだイヴリスにおける魔族反乱は始まっておらず、定期船が停止している事態もない。
定期船の切符を三人は買った。ラカークンまでの切符であり、そちらに用のあるミアベルとゼーレイアはまだしも、タムズまで買っていることにミアベルは驚いた。
「どうしてだ」
問うと、タムズは「何となく、さ」と答えた。彼には探し求めている女性の居場所はわからない。それならば、見知った顔とともに旅をするのもまたいいかな、と思ってのことであった。
それがタムズの決めたことならば、とミアベルは言い、ゼーレイアも沈黙していた。
少年は船を見ながら、憧れていた冒険に少しだけ、胸躍らせていた。
そんな彼らを、一人のエルフの女性が見ていた。
船が出港すると、ミアベルとタムズは離れ行くイヴリス大陸を見るために外に出ていた。樫の木で作られた巨大木造船は、ハンノ=イヴリスの軍艦を改修したものであり、揺れに関しても少ない船である。
穏やかなアウラ海の波の音と、風、そして頭上で鳴くウミネコの声を聴きながら、二人は様々な思いを込めて、大陸を見る。
「あっという間に離れていくわね」
「そうだなぁ」
漁村にいたタムズは、何度かこういう景色は視たが、それでもいざ大陸を出るとなると、思いは違う。
ミアベルも、この生命溢れる大地をしっかりと目に焼き付けていた。滅びと死が蔓延した世界。それを忘れないためにも、この景色を目に焼き付けなければと、彼女はしっかりとその輝く瞳を開いていた。
一方、一人船室に篭っていたゼーレイアは魔道具を取り出し、彼女たち一族の主であるアンセルムスに対して連絡を試みていた。
「アンセルムス様、聞こえていますか」
『ゼーレイアか。どうした?』
冷たい声が彼女の脳裏に響く。無事つながったことを嘆息すると、ゼーレイアは告げる。
「現在、ラカークンへ向かう定期船の中におります。あのミアベル=ツィリアとともに」
『ほう』
そこで初めて、アンセルムスが感情を示した。ミアベル=ツィリアの情報は少ない。そのために、この少女の言葉は、聞くに値するものであった。
ゼーレイアはミアベルらと出会った経緯を話し、彼女がこれからラカークンへ向かっていることを離した。目的は不明だが、おそらく魔族国を目指しているのではないか、と自身の憶測を離す。
『やはり、奴は何かを知っているな』
「あまり詳しいことを語りたがらないのですが、このまま情報を探ってみます」
『わかった。本来の任務はいい。お前は奴に張り付いていろ』
「はい、アンセルムス様」
ゼーレイアは頷くと、通信を切る。
ゼーレイアはその真紅の瞳を閉じ、息を吸う。ミアベルが悪い人物ではないことはわかる。だが、アンセルムスの邪魔をするものであるならば、彼女の敵である。
アンセルムスは彼女の一族の恩人であり、兄も彼を主として認めている。ファーレンハイトの一族は、闇の末裔。光と相いれることはできない。
だからこそ、その光がまぶしく、妬ましい。ミアベルの七色の髪も、その輝く瞳も、何もかもが。
ゼーレイアは彼女のように強くない。「ゼーレイア」という偽りの名と、仮面を失くしては、彼女はきっと動けない。空虚な自分は、彼女のようには強くはなれない。
ああ、と少女はため息をつき、船室を後にした。
ハンノ=イヴリス連邦首都イスカンブール、軍本部第十二軍司令官ダラス少将の部屋に、とある人物が訪ねていた。
「これは珍しい。君がここに来るとは」
そう言ったダラス少将は、ゆったりとしたグラウキエ大宗主国よりの客を見た。
彼は長年の友人であるアルミオン司祭である。彼との出会いは二人が若いころにまでさかのぼり、以後親交は続いている。
「それで、今日はどうしたかね。君が訪ねてくるとは、本当に驚いたよ」
「実は少し気になる噂を耳に挟みまして」
穏やかな顔の司祭はそう言い、友人を見た。
「気になる噂?」
「ええ。それを大宗主様も気になさっておいでで、こうして私が友人であるあなたに話をすることとなったのです」
「ふむ。聞こうか」
「つい先日、ある人物が我が国のレグナ・コーンウォートと接触しました」
それ自体は別に妖しいことではない。だが、とある侍女が偶然、コンクード内のレグナ司祭の部屋である物を見たのだという。
それは、とある人物との手紙や、大宗主国の転覆を図る文章であったという。
ことがことなだけに、一部の人間のみが知っており、大宗主とアルミオン司祭とあと数名が知るのみであるという。そのとある人物を大宗主の命で調べたところ、暗い噂が多く出てきたという。
「しかし、我らの力だけでは探るのは不可能であるし、彼の者は他の大陸でも暗躍しているという」
「・・・・・・・・そのものとは?」
アルミオン司祭が書類を取り出し、友人であるダラスに渡す。ダラスは、ふむと頷き、資料に目を通す。
「傭兵、アンセルムス・・・・・・?」
「・・・・・・・・」
沈黙したまま頷いたアルミオンはそのまま読むように友人に促す。ダラスはそれを読み続け、驚愕した。
「バーティマ革命に関与している、か。話ができすぎているな」
「どう思いますか」
「ふぅむ。怪しいな、こやつ。こちらでも、調べておこう。わざわざこのためにすまぬな」
「いえ。レア女神の慈愛は生きるものすべてに注がれるべきですから。・・・・・・この先何があるかはわかりません。ご無事で」
「君もな」
二人が握手を交わすと、アルミオンは静かにその場を辞した。ダラスは部下に命じ、丁重に送るように言うと腹心の部下であり、信頼のおける人物へと連絡をした。
「・・・・・・ユグルタ。すまないが、至急の用事がある。来てもらえないか」
ダラスによって呼び出されたユグルタは、その精悍な顔を上官に向けた。ダラスの顔は、深刻な色を示していた。
「ユグルタ。君を呼び出したのには理由がある。とある人物のことを君に調べてもらいたい」
「・・・・・・この人物について、ですか。閣下」
「その通りだ」
ダラスは頷いた。
その人物が過去に行ったことは、ハンノ=イヴリス内で確認できるだけでも多くのことがあった。そして、彼の施したと思われるいくつものトラップ、それらはいずれも成功に隠されており、何らかの目的を持ってのものと思われた。
この人物の動きは調べてみると怪しいことばかりである。
「もしかしたら、先のバラルとアクスウォードとの戦争も、彼の仕業かもしれん。私はそう考えている」
「お言葉ですが、この人物がそれだけの力を持つとは到底・・・・・・」
ユグルタの言葉にダラスはそうだろうな、とうなずく。そして、強い眼光で彼を見る。
「だからこそ、お前に見極めてもらいたい。ユグルタ。この者が、この国に、いや、この世界に害なすものか否か、を」
「・・・・・・・」
しばしの沈黙ののち、ユグルタは上官に対し敬礼をした。
「わかりました、閣下」
「なぁんか、気に入らねえなァ」
風の吹き荒れる外海に近い岬の上に、一人の魔神が座っていた。褐色の肌の魔神、否、異邦人。その名は『狂笑』のハザ。アンセルムスに協力する邪悪な魂の持ち主である。
彼は、この世界に吹く風の中に、何か嫌なものを感じた。
「気に入らねえなあ。気に入らねえ」
ハザは、何度も何度もこの世界を繰り返している。まるでゲームのようにリセットできる世界は、壊しても壊しても何度でも蘇る。こんな楽しい世界、他にはない。
なのに、なぜか胸騒ぎがした。
アンセルムスの言っていたイレギュラー。そんなものは、なかった。前の世界も、その前の世界でも、その前の前でも。
「おい、どういうことだよ、『神』さんよぉ」
かつて自分をこの世界に招聘した存在に問いかけるハザ。だが、答えは返ってこない。
まあ、いい。立ちはだかるものは全部壊せばいい。それに、俺は自由で、誰に束縛されることも怯えることもない。今更何が怖いものか。
うきゃきゃきゃ、と下品な笑いを浮かべたハザは身を翻し、闇の魔力とともにその場から姿を消した。




