絶望の中の希望
大宗主国滅亡後、そこに住んでいた人々はクライシュ大陸から逃れ、ある者はイヴリス、ある者はラカークン、またある者は中央大陸へと逃れた。
クライシュ大陸は魔力が乱れ、自然環境が激変した。魔神たちの戦いにより、魔物たちはその魔力により凶暴になり、異質な変化を遂げていた。クライシュ大陸に残らざるを得なかった人々は、無慈悲に魔物に食い殺され、その生命を散らした。
大宗主が生きていたことにより保たれていたあらゆるバランスが崩れ、クライシュ大陸は滅亡の危機に陥っていた。
クィルは散り散りに逃げていた仲間たちと奇跡的に合流することができた。
クィルたち一行は魔族と人間の生き残りを従えてラカークン大陸へと引き返した。北のイヴリスでは苛烈な人と魔族の戦いが現在進行中であり、それはクィルの理想とは異なるものである。共存の夢は未だ彼の中にあり、そちらに向かうということは考えていなかった。
だからと言って、中央大陸に行く、という考えはなかった。魔神同士の戦いでアルトリザリコンは崩壊し、船を手に入れることができなかったのだから、仕方のないことであった。
止む無く彼らはラカークンに舞い戻ってきたのだが、ラカークンも様相は一変していた。
バラルとの戦争はもはや戦争の体を成していなかった。ラカークンにあったのは、緩やかな崩壊であった。
アクスウォード滅亡により、セアノ単独ではラカークンをまとめ上げることは不可能であり、反乱の鎮圧もいまだできてはいなかった。アンセルムスの工作により、あらゆるものが骨抜きにされてしまった。
混乱の極まる大陸内では、クィルたちを気にするまでの余裕は存在しなかった。
かつての楽園のあったベスティア大森林の奥部にも、凶悪な魔物がうようよと発生しているために近寄ることはできなかった。世界そのものの均衡が崩れており、ある者は「世界の終末が来る」と本気で考えていた。
クィルはたとえ滅亡しようとも、その瞬間まで生きている、と言い逃げ延びてきた人々を励ました。人と魔族、それにエルフやドワーフと言った異なる種族が彼のもとにはいた。種族の壁を乗り越え、助け合い、ここまで逃げ延びてきた人々であった。クィルは彼らとともに、小さな集落を作り、そこで穏やかな日々を送ろうと考えた。
勿論、いろいろと問題はあったが、彼の仲間がそれを助けてくれた。最大の理解者エノラに、セラーナ、セウス、リクター、リナリー。そのほかの多くの人々の願いが、クィルの理想とするものを作り上げた。規模こそ小さかったが、それはヒトと魔族、あらゆる種族との共存は不可能ではない、ということをクィルに示してくれた。
小さな集落を見て、感極まるクィルの手を握り、エノラはほほ笑んだ。
グラウキエ大宗主国崩壊より三か月が過ぎた。その間に、世界情勢はまたも変化していた。
北の魔族軍は現在、クライシュ大陸から逃れてきた人間を狩ることに忙しいらしい。そのおかげか、本来予定していたファムファート大陸侵攻は大幅に遅れていた。
ファムファート大陸では、バーティマの躍進が続いていた。戦争による疲弊、病魔によりバラルの戦力は大きく損なわれていた。ラトナ騎士団は団長クロヴェイルの不調に、副官ミランダの処刑により内部がぎすぎすしていることもあり、バーティマ勢を食い止めるのが精いっぱいであった。パラメスからの援助なしでももはや武器の調達も戦力の補充もできるバーティマがバラルの帝都オーフェンに攻め込むのも、時間の問題であった。
クライシュ大陸ではようやく魔神の決着が収まった、と噂されているが、真相は不明である。人間が近づくことはできず、魔物たちが闊歩するクライシュ大陸にわざわざそれを見に行こうとする者はいない。
魔神ハウシュマリアとキュレイア。どちらが勝ったか、などともう多くの人々にとってはどうでもいいことであった。それよりも、明日の食事の方が切実な問題となっていた。
中央大陸にも混乱は訪れており、凶暴化した霧の山脈の魔物たちが山を下りてきて国々を襲っているという。大陸を囲むアウラ海からも魔物が押し寄せてきており、逃げ場のない人々は死を待つのみであるという。
「レイラ」
木漏れ日が木々の間から差し込む。
黒髪の少女の声に、騎士の礼服に身を包んだ少女は振り返る。日課の素振りをしていた少女の額には微かに汗が光っていた。
束ねた金髪を少し鬱陶しそうにしながら、騎士の少女は黒髪の少女を見る。
「なに、エノラ?」
記憶喪失の少女は自身をこの村に導いてくれたクィルの思い人である少女を見る。
穏やかな笑みを浮かべた黒髪黒目の少女が、レイラを見る。
「朝ごはんよ」
「ああ、もうそんな時間か」
「本当に、剣を振るの、飽きないものね」
クスクス笑うエノラ。けれど馬鹿にしている風ではない。エノラも一応剣術は学んでいる。その彼女からしても、レイラの剣は無駄がなく、洗練されている。記憶がない、というが記憶があったころはどこかの国の騎士であってもおかしくはない。彼女とはエノラよりも付き合いの長いリナリーも、それ以上のことはわからないし、レイラ自身もまだ思い出せないのだという。
「わかった、すぐいくよ。クィルは?」
「もうすぐ帰ってくるわ」
そう言い、エノラと並び歩きだすレイラ。
世界情勢は不安定だ。世界の魔力のバランスが崩れ、魔物が我が物顔で民家にまで現れるようになった。
そのほかにも種族関係なく暮らすこの村には、住む場所を失い野盗のようなものが寄ってくることがある。
クィルやリクターといった者たちがそんなものから守るために、定期的に見回りに言っているのだ。今はクィルが見回りに行っている時間帯であった。
「それにしても、大変なことになったね」
「本当にね」
二人が言葉を交わす。
レイラもエノラも、この集落を作るためにいろいろと苦労を重ねた。言葉は少なかったが、その中に秘められた思いは決して軽いものではない。
「こんなにも荒廃した世界に、希望はあるのかな」
レイラの呟きに、エノラは頷く。
「そこに人がいて、諦めなければ、希望はすぐそこにあるわよ」
そう言い、エノラは自身の腹を撫でる。
レイラはじっとその腹を見る。まだ膨らんではいないが、そこには新しい生命がいるのだということを、エノラの友人であり自身の友人でもあるリナリーとセラーナから聞いていた。神官としての教育も受けていたリナリーに、同じように孤児院で教育を受けたセラーナが言うのだから、間違いはないであろう。
お腹の子どもの父親は、言うまでもなくクィルである。
とはいえ、エノラは人間で、クィルはインヴォテールと言う魔族。つまり、二人の子は種族の壁を超えた子供、ということだ。
希望のない世界において、二つの種族の血を引く、ということはここに住む人々にとっては希望なのだ。
クィルとエノラの夢、あらゆる種族の共存。それを象徴する存在、ともいえる。
愛おしそうに、自身のお腹を撫でるエノラ。愛おしき人の子どもだ、その想いはひとしおだろう。
「名前、決めたの?」
「まだ。生まれるまではまだまだ時間があるもの、ゆっくり考えようってクィルとも話しているの」
笑うエノラに、「そっか」とレイラは呟く。
やがて、彼女たちの家が見えてくる。
「二人とも!」
手を振って出迎えるのは、魔女の格好をしたオレンジ色の髪の少女、セラーナ。
彼女の後ろから出てきた水色の髪の少女、リナリーも微笑んでいる。
「おはよう、二人とも」
「お帰りなさい、レイラ。エノラ、あなたもお腹に赤ちゃんいるんだから!」
呼びに行くのは他の人に任せなさいな、と言う言葉をセラーナは飲み込む。
もう、というセラーナに笑うエノラ。
「運動しなきゃ、ね?」
「そうね、まだまだ生まれるまでは時間もあることだし、エノラも体力つけなきゃね」
リナリーがそう言い、さぁさぁと手招きする。
「クィルもそろそろ来るだろうし、準備も大体できてるから」
そう言い、皆で家に入っていく。
様々な苦楽を共にした彼女たちはとも、と言うよりも家族のような関係に落ち着いていた。クィルやリクターといった魔族も分け隔てなく暮らしている様子は、集落の多くの人を最初は驚かせたが、今ではそれが自然になってきていた。
皮肉なことに、こうして世界が終わりを迎えそうになって初めて分かり合えたのだ。もう少し、早くにわかり合えていたら、このような結末はもしかしたら迎えなかったかもしれない。エノラは心の隅でそう思ってしまう。
しかし、過ぎたことを後悔しても仕方はない。未来を見据えよう。この子のためにも。
エノラはお腹を撫で、我が子に聞いた。
「あなたもそうでしょう?」
反応はないけれど、エノラには子供の声が聞こえたような気がした。
父親になる、と聞かされたクィルは気が気ではなかったが、今はだいぶ落ち着いていた。何より、生まれるにはまだ時間がある。
まだ青年であるクィルは、エノラとの間の子どもに喜んだが、こんなご時世に、と言う思いもあった。こんな時だからこそ、とセウスは言った。
「希望があるから、人は強くなれるし、進むことができる」
そう言った砂色の髪の友人にそうだな、とクィルは返し、集落を見渡した。
平和な日々。華美ではない、質素な暮らし。魔物や侵入者に怯えながらではあるが、それでも外の世界と比べれば、だいぶ平和であった。混沌に満ちた世界で、これほど穏やかに過ごせる場所は他にあるであろうか。
「今日も、特に問題はない、な」
「魔物避けもうまく機能しているようだ」
セラーナが設置した術式が集落を覆っているので、よほどの魔物が来ない限りは安心だという。だが、油断はできない。つい先日も、変異した魔物が結界内に入り込んできていたからだ。幸い、本格的に荒らされる前に被害は食い止めることができた。
「そうだな」
風が青年の髪を揺らす。彼の後ろで、セウスは静かに目を閉じ、風の奏でる音を聞いた。
ある時、集落に客人が訪れた。客人は一晩の宿と情報を求めていた。
クィルたちは彼女と話した。中央大陸から来た、というそのエルフの女性はあるものを探しているという。だが、生憎クィルにはそれがわからなかった。
その女性は一晩村で過ごすと、早朝早くに旅立ってしまった。槍を構え、独りどこかに。
彼女と入れ替わりでセウスが帰ってきた。彼は数日をかけてラカークンの様子を探りに行っていた最中であったのだ。
エノラは椅子に座り、愛する人の頭を撫でる。疲れて眠るクィルの頭を愛でるように撫で、エノラは子守歌を歌う。
このまま、何事もなく、ずっとこの時間が続けばいいのに。そう思う。
だが、同時にそんなことがあり得ないのだと、本能が囁いていた。
事実、それは迫ってきていた。滅びは刻一刻と、彼女たちに近づいてきていたのだ。




