遅すぎた言葉
ハァハァハァ、と荒い息をつく黒装束。
グラウキエの街の屋根の上で繰り広げられる壮絶な戦い。尖塔に着地したシャンクシーションクはすぐさま飛び上がり、空中で身をひるがえし、両手のカタールを胸にクロスし、自身の心臓を狙って放たれた三つ又の槍を防ぐ。
槍を持ち、睨みつけてくる魚人族の若者。その実力はなるほど、油断ならないものであった。
シャンクシーションクはどちらかと言うと、戦闘に向いてはいない。彼自身の身体能力のおかげで、攻撃を捌くことはできたが、攻勢に転じられるほど力があるわけでもないし、防御能力は紙、といってもいい。逃げ足には自信があるし、暗殺も得意としているが、真正面から根っからの軍人を相手にするには分が悪い。
一方のリクターは、もともと青銀の鱗のおかげで防御能力もあるうえ、その上に軽装鎧をまとっている。
黒装束のカタールでは致命傷は与えられない。
しかし、水中が彼ら魚人の真の実力を発揮できる場所であり、陸上では本来の力を出し切ることができない。シャンクシーションクを目で追うことはできても、完全にその動きについて行けるわけではない。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
さすがにこれではまずい。ここで時間を費やすわけにはいかない。
シャンクシーションクの俊足をもってしても、この魚人族から逃れることはできない。
強靱な脚力を持つ魚人族は、まったくもって厄介な敵である。
「っ!」
槍の先端が黒装束を裂く。
戦端がわずかに彼の肉体に入り込む。感じた痛みは、大きくなる。
僅かに鈍くなった動きを逃しはしない、とばかりに魚人は突きを繰り出す。
これまでか、と思ったシャンクシーションクの前に飛び出す影。
それは、彼と同じ一族であり、同じくアンセルムスに仕えていたものであった。
「・・・・・・・・・・・が、はぁ」
吐き出された呻き。そして、死に絶える。
仲間の黒装束を見て、シャンクシーションクは戦闘を離脱する。
リクターは追おうとするが、槍の先に貫かれた黒装束は死してなお、リクターを食い止める。
何が彼らを突き動かすのか、リクターにはわからない。
だが、このままにはできない。
追おうとするリクターのもとに、同じように黒装束たちが現れる。
「そこを、退け!!」
若き戦神は唸り声をあげ、飛び込む。
仲間たちの死を見ながら、シャンクシーションクは進む。
赦せ。シャンクシーションクは心の中で言った。
すぐに、私もそちらに逝く、と。
レグナによってグラウキエ=コンクード内も下層部分は制圧されてしまった。
狂信者は魔族を殺し、自身にとって目障りな聖職者を殺し進んでいく。
「ふん、真の神の国を作るには、貴様らは必要ない。大宗主もな」
レグナはそう言い、長年の同僚だった者たちを手にかける。血の滴る大剣を振り、血を払う。
血を流すことを穢れ、と言うものもいるが、レグナはそうは思わない。
大宗主とて、そうやってグラウキエ大宗主国を作ったのだ。レグナも、同じことをしているだけだ。
神格を与えられた大宗主は、もはやただの老害。時代はもはや、自分のものとなったのだ。
偉大なるレア女神は、私を選んだ。
傲慢なレグナの妄想は、日に日に強くなっており、それはもう誰にも留められない域に達していた。
レグナはもともと武闘派であり、グラウキエの中でも彼に敵う者は大宗主くらいのものであった。大宗主は圧倒的過ぎるせいで目立たないが、彼もそこそこ名のある戦士数人を一人で圧倒できる程度には腕に自信がある。
「レグナ殿、これはいったい・・・・・・・・!?」
「アルミオン殿、か」
リナリーの父であるアルミオン司祭を見て、目を細めるレグナ。
アルミオン家は代々、大宗主と関係深い家。それはレグナにとって目障りで、邪魔な存在。
大宗主に近く、魔族に対しても穏健的なこの司祭をレグナは嫌っていた。
ぎりり、と歯を噛み、レグナは剣を振り下ろす。
無慈悲に振り上げられた剣は、優しい司祭の首と胴を断つ。
血に転がる首を一瞥し、レグナは進む。
最上層。グラウキエの支配者のいるべき場所へ。
レグナの中ではシナリオが進んでいた。
大宗主は魔族の共謀者と意見の違いで争い、死ぬ。
こうして、大宗主の代わりにレグナが国を取り治める王となる。
そんなシナリオが。
「くくく、はははははははは・・・・・・・・・・・」
渇いた笑みを浮かべるレグナは、最上層へと向かっていく。
リナリーは下層への階段を進む。
その途中、ダン、と言う音がして、続いて何者かの笑い声を聞いた。
なんとなく、その方向に行くと、そこに生きているものはいなかった。
死んだ司祭たち。その中を、怯えながらリナリーは進む。
そして、ふと足を止め、地に転がる首を見つめる。
「お父さん・・・・・・・・・!」
首を持ち上げ、リナリーは父を抱きしめた。
死んだ父親。優しく、自分の仕事に誇りを持っていた父。
どうして、こんなことに。
リナリーの中で、怒りが燃え上がる。
こんな世界、変わってしまえ。
(いけない)
こんな世界・・・・・・・・・・・・・。
(いけない!)
はた、と正気に返り、リナリーは物思いから醒める。
彼女の願いは、あまりにも危険だ。世界を、壊しかねない彼女のスキル。
大いなる責任の伴うそれを軽はずみに行使するな、彼女はそう自戒していた。
リナリーは、父の首の側に落ちていた父のペンダントを拾い上げる。
大宗主様の言った言葉に従い、私は生きよう。
そのためにも、信用できる人々と合流しなければ。
同じ魂の輝きを持つ人々と。
(同じ魂の輝き?)
自身の中でつぶやかれた言葉。それは、なんなのか。
ずきり、と痛む頭。
何かを、忘れている。
なにか、大事なことを。
レグナに従う聖堂騎士団の一団を相手に、クィルやエノラは人間や魔族の避難のために戦っていた。
「どうして、こんなことが・・・・・・・・・・!」
クィルは竜化した両手で騎士たちの鎧を裂く。
騎士たちを無力化するエノラ。しかし、騎士たちは妄執にとらわれ、スキルも魔力もなくとも、敵対者を殺そうとしていた。
かねてより、過激な思想を持っていた者たちは、この騒ぎでタガが外れてしまった。
魔神に、陰で暗躍する黒装束。こういった存在の持つ、悪しき魔力、思考は伝染し、狂気を招く。
やがて、世界は狂気に包まれる。
「こんな、こんなことって・・・・・・・・・・・」
クィルは呟き、血に塗れた頬には涙が光る。
人間との共存どころか、魔族と言う種族そのものが危機に陥っている。
遠い理想。
それは、夢のまた夢、なのか。
「ちくしょお・・・・・・・・・・・・」
理不尽。
それしか、考えられなかった。
「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおぉっ!!!」
セウスが見るのは、滅びゆく国の姿。
かつて幾度も見、そして、つい最近も目にしたばかりの国の死にゆく光景。
何時の世も、国は亡びる。
永遠の国がないように、平和もまた、永遠に存在しないのか。
闘争の歴史。人の作り出した業。
「これが、定めだというのか?」
「だとしても、我らは滅びるわけにはいかない」
セウスの言葉に、ハズメットは言う。
「ハズメット殿?」
立ち上がり、歩き出すハズメットの背を見て呟くセウス。
「どちらに?」
「この魔力の動きで、魔物どもが動き出しているようです。止めねば」
魔族を、そして一時とはいえ、自分たちを受け入れてくれた大宗主国の人々を。
羊頭の魔神はそう言い、セウスを見る。
「セウス殿、後を、頼みます。クィルやリクターを、我が子どもたちを導いてやってほしい」
「それは、あなたの役目のはずだ」
セウスの言葉にのろのろと首を振るハズメット。
「老兵は去るのみ。あなたと違い、私の力は衰えるのみ。もはや、この身にある力は少ない。ならば、有意義に使いましょう」
ハズメットはそう言い、セウスを見る。
「あなたなら、お分かりになるはずだ。民を想う私の想いを」
「・・・・・・・・・・・・・」
セウスは沈黙する。
「さらば、です」
ハズメットはそう言い、消えた。
セウスは沈黙して、階下へと降りる。
もはや、彼にできることは、ない。ハズメットの言葉。それに従うのみ。
笑ってしまう。何が、王か。
国を失い、こうしておめおめと生き続ける自分を自嘲する。
「私は、何もできないのか」
「そんなこと、ないよ」
ふと、声がした。
「セラーナ」
「行こう、セウス」
少女は王の手を取り、走り出す。セアリエルを片手に、青年は燃え上がる街を見渡した。
無の空間は崩れ、気付けばそこはかつて、二人が共に暮らした大地であった。
大宗主と魔神は互いに互いを見る。
少女の姿をした魔神と、若い姿を保つ大宗主。
かつて、二人がともに過ごしたベレフォールの地。荒れ果て、人も住めぬ魔神の領域。
あの日、二人の運命が決定的に擦れ違った場所。すべてが始まり、終わるにはふさわしい。
「すべてを決するには、最適の場所、か」
ロイはそう呟き、ボロボロのローブを見る。
何十にも重ねられた防御魔法の施された布も、もうその力を失くしていた。
「ロイ」
愛おしく呼ぶ少女の声。
その声とは裏腹に、襲いくるのは無慈悲な攻撃。
音、というにはあまりにも強い。
大宗主の肉体を砕く音。神格を有するがゆえに、簡単に死ぬことを許されぬ大宗主。それを知って、彼女は遊んでいる。
ロイが完全に屈し、自分のものとなることを受け入れるようにするために。
「ルルー!」
「ロイ!」
傷む肉体を無理やり動かし、拳を突き出す大宗主。その拳は華奢なキュレイアの手をへし折り、少女の腹を抉る。
だが、瞬く間に回復した傷。痛みすらも感じていない魔神は、口から放つ声で大宗主を吹き飛ばす。
「ロイ」
そして、馬乗りになり、大宗主の首を絞める。
「どうして、どうして私を捨てたの・・・・・・・・・・どうして、どうして・・・・・・・・・・・・私は、こんなにあなたを愛しているのに」
血の涙を流し、呟くキュレイア。
魔神、というよりもただの少女。弱い弱い、少女。
大宗主は、暗くなりつつある視界で彼女を見る。
彼女は、変わらないな。
こんな自分を、いつまでも・・・・・・・・・・。
「る、るー」
呟く。愛しい名を、己の罪の名を。
『運命なんだから』
夢見がちな少女の、その声が、顔が、瞳が、髪が好きだった。
ルルベリア―という少女のすべてが愛おしかった。
けれど、彼女は遠かった。
いや、遠ざけたのは自分。
私と彼女の間に、距離なんて、なかった。
望めば、なんだってできたのに、しなかった。
それは、私の罪だ。
ロイは、弱い力で少女を抱きしめた。
ふと、その首に入る力が弱まる。
ロイは精いっぱいの力で儚げな少女の身体を抱きしめ、弱弱しい声で言う。
「すまない、ルルー」
「・・・・・・・・・・・・もう、おそいわ」
涙で声は、声にならない。
少女は言う。
「もう何もかも遅いわ。私はもう、人間じゃない。何もかもが遅い。気づいたころには、全部終わっているのよ、何もかも」
残酷よね、そう言う少女の眼には光の滴があった。
魔神のものではない、心の弱い、人間としての涙がそこにはあった。
狂ってもなお、その思いはただロイだけに注ぎ込まれてきた。
自分は何時も逃げてきた。彼女の想いから、自分の想いから。何千年もの時間を。
けれど、もう終わりにしよう。すべてが終わってしまう前に。
大宗主は手を差し伸べた。不思議と、心の中は穏やかであった。
戦う意思を見せないロイに、ルルーは戸惑いを見せた。そんな彼女に、彼は口を開いた。
「ルルー、遅くなんて、ない。一緒に行こう・・・・・・・・・・・・・いつか、君が言った遠い場所へ」
「嘘よ、今更何よ!!」
悲鳴が、ロイを襲う。
「そうやって、また私を・・・・・・・・・・・・!!」
「私は!」
彼はその悲鳴に消されないように、強く叫ぶ。その声に、魔神は圧倒されてしまった。
「もう逃げない。君から、自分から」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「信じてくれ、ルルー」
「・・・・・・・・・・・・信じて、いいの?」
か弱く、彼女は言った。弱弱しい少女。亜麻色の髪が、瓦礫の山の上で靡いた。
ああ、とロイは頷く。
ああ、どうしてもっと早く、言えなかったのだろうか。
たった、これだけのことを。
ロイは彼女に近づく。
歩くごとに、身体は悲鳴を上げる。それは、まるで今までの彼の罪に対する罰のようであった。
こうして、滅びを前にしてやっと、自分に素直になれるのだ。
人間とは、度し難いものだ。
彼女の耳に、自身の口を寄せて彼は言った。
「・・・・・・・・・・・・・・・永遠に、君だけを愛している」
少女の目から、涙が零れだす。
止まらない。何百、何千年と言う思いが、溢れて、止まらない。
「・・・・・・・・・・・・・・・ロイ」
血だらけの二人は、見つめ合い。
何千年もすれ違ってきた思いを確かめるように、手を絡める。
「困りますな、それでは」
その二人の耳に、そんな声が響き。
大宗主の胸から、銀色の刃が二つ、生える。
信じられない、と言った顔のルルー。
背後に立つのは、彼女に大宗主国を責めるよう囁いたあの、黒装束。
シャンクシーションク。
「・・・・・・・・・・・・・ぁ」
大宗主は痙攣し、倒れる。
「き、さまァ・・・・・・・・・・」
キュレイアの睨みを受けながら、シャンクシーションクは血に塗れたカタールを拭く。
「大宗主を引きずり出すことに成功しました。すべてあなたのおかげです、キュレイアさま」
普通ならば、シャンクシーションク如きが大宗主に接敵できるはずはない。
だが、いかに大宗主と言えども、キュレイアの前では隙を見せる。シャンクシーションクはどうにかして間に合った。途中、リクターの邪魔もあったが、これで目的は達せられたのだ。
「貴様!最初から、ロイを、殺すつもりだったのか!!」
赦さない、と激高したキュレイアの声が、目の前の黒装束を引き裂き、欠片すらも残さない。慟哭が一瞬でシャンクシーションクを葬った。黒装束は会心の笑みを浮かべ、消えていった。
キュレイアは目の前で倒れる大宗主に駆け寄る。
「ロイ、ロイ・・・・・・・・・・・・!」
「ル、ルルー」
「し、死なないよね、ロイ・・・・・・・・・?」
少女の言葉に、のろのろと首を振る大宗主。
元より、普通の人間であったロイ。永い時を生きているが、それは神の祝福によるもの。
心臓を貫かれ、命を削られてしまうのを、神の祝福と言えど、防ぐことはできない。ましてや、キュレイアとの戦闘の後では魔力も不完全。もはや、彼に残された余力はない。
近づくことのできない大宗主。それを引きずり出すために、キュレイアは利用されただけ。
全ては、このためにあったのだ。このための、策略であったのだ。
「ロイ、ロイ・・・・・・・・・・」
「す、まない、ルルー・・・・・・・・・・」
謝る大宗主に、首を振るルルー。
これが、報いか。大宗主は呟き、目を閉じる。
ああ、母なるレア女神よ。
彼女を、この国の人々を、救いたまえ。
「あ、ぁ」
そして、力が抜けていき、彼の手が堕ちる。
それを、魔神は呆然と見た。
そして、永遠に失ったものをただ、見た。
「ああアァアあぁぁあああぁあああああぁああああああああっぁァああァぁぁッぁ!!!!!!!!!」
絶叫が響く。
彼女という存在を封じ込めていた感情が壊れたのだ。
クライシュ大陸中にその嘆きの悲鳴は響き渡る。
山々は震え、人々は頭に響くその音に、苦しみを浮かべる。
悲鳴に近い場所ほど、被害は大きかった。
大地を裂き、弾き、壊す、圧倒的なそれ。
恐るべき魔神は、愛しきものの死体を抱きしめ泣いた。
彼は、また私を置いて行ってしまった。
ああ、こんな世界、いらない。
壊しちゃおう。
暗い瞳が、静かに光る。
ここにルルベリアーという少女は完全に死に、『慟哭』キュレイアが本当の意味で誕生した。
滅びの針が動き出す。
北の大地。
魔神ハウシュマリアがその慟哭を聞き、静かに立ち上がる。
魔神キュレイアが動き出したとなると、彼も黙ってはいられない。
世界すら壊そうとするその力に、彼は恐怖どころか、喜びを感じていた。
この戦乱に血が湧き、肉が踊るのを、確かに感じていた。
ハウシュマリアは、戦に生き、そして戦って死ぬであろう。その時を、ただただ彼は待っている。
「ククク、ハーイア。お前との約束も、これで反古にさせてもらおう」
そう言い、獅子頭の魔神は動き出す。
久方ぶりに歯ごたえのある敵と戦える。戦闘狂の中の血が騒ぐ。
遥か地中より、かの魔神は這い出てくる。そして、猛獣の如き雄たけびを上げ、東の大陸に向けて走り出す。
魔神ジャヒーリアは、静かにその様子を見ていた。
怒りに狂い、泣き叫ぶ乙女の姿を見て、彼女はただただそれを無表情で見る。
そうして、天に輝く光を見た。
「これで、満足かしら?あなたの望み通りね」
そう言った魔性の美女は、真紅の髪を翻し、空間の歪の中に消えた。
天に輝く太陽は、何も語らず、ただ無情に地上を照らす。




