追憶 祝福されぬ者 2
ねえ、母上。
どうして僕を見てくれないの?
ねえ、父上。
どうして兄上たちのように、僕を愛してくれないの?
ねえ、どうしてみんな、僕をそんな目で見るの?
彼らは侮蔑を込めた瞳で、口を開くことさえ億劫だ、と言う顔であった。
そんな中、口を開いたのは父だった。
国王は、自分の息子に、いや人間に向けるような瞳ではなかった。
『それは貴様が祝福されなかったからだ』
お前はいつか、神に仇名すかもしれぬ。
だから、我々が管理してやるのだ。
有難く思え。
目覚めた時、俺は死んだのか、と自問した。
だが、この煩わしい身体は俺のものであった。
死ぬことすら、赦されないのか。
そう思った俺は、自分が毛布で覆われ、どこかテントの中で休まされていたことに気づく。
「・・・・・・・・・・・・・・?」
ここはどこだ、と体を起こした俺はテントを見る。
僅かに置かれた荷物。
俺の横には誰かが座るためのものか、布が拡げられていた。
「・・・・・・・・・っ」
僅かに頭痛がして、空腹感が俺を襲う。
テントの入り口が開き、誰かが入ってくる。
「ああ、起きたのね」
若い女の声であった。
俺はそちらを伺う。
彼女は俺より三、四歳ほど年上だろうか。
少し日に焼けた健康的な身体で、踊り子のような露出度の高い服装であり、その上に申し訳程度に服を着ている。だが、前は全開なので、その下着のような踊り子服が目に飛び込む。
金の結わえた髪を揺らし、人のよさそうな顔の少女の手には、粥の入った器があった。
「君、森で倒れていたのよ?病気に、空腹に、疲労に、っていろいろと大変な状態だったのよ」
そう言い、布の上に座り、粥を横に置く。
食べられる、と聞いてきたので、頷くとそう、と器を渡す。
まだ暑いから気を付けて、と言う彼女に返事もせず、俺はそれを喰う。
食べる、と言うよりは飲み干すようにあっという間に俺は完食する。
「思ったよりは、元気そうね」
そう言い、花の咲くように笑う少女。
俺はそれにも答えず、自身の体調を確認する。
そして、俺は彼女を見る。
「ここは、どこだ。あんたは誰だ?」
「ここは、旅の一座のテントよ。私の名前はナターシャよ」
よろしくね、と笑う彼女だが、俺は笑いもせずに彼女を見る。
その冷たい目に、わずかばかりに眉を寄せる少女。
「ねえ、あなたの名前は?」
「・・・・・・・・・・・」
名乗る名前など、俺には存在しない。
そう思っている俺は口には出さない。
「世話になったな」
そういい、俺は立ち上がる。
この身ひとつで旅する身。荷物など、ない。
それに俺は常に一人。旅の一座、という境遇の者たちとはいえ、ともにいることなど考えられない。
俺の苦痛を理解できるものは、この世界で俺一人なのだから。
「ちょっと、どこに行くのよ!」
彼女は俺の手を握り、俺の足を止める。
俺の身長よりわずかに大きい少女は「あなたまだ子供でしょう?」と言う。
「あなた一人なんでしょう?このまま放りだすなんて、危なっかしくてできないわ」
「・・・・・・・・・・あんたには、関係ない」
「関係あるわ!」
少女はそう言い、俺の前に立つ。
「旅をしているからね、私たちは出会いっていうのを大切にしているのよ。こういう偶然の出会いもね。すべての事柄は必然である、ってね」
「運命、とでも言いたいのか?」
ふん、と笑う。運命。俺の大っ嫌いな言葉だ。
神様とやらが紡ぎだすクソッタレなシナリオ。それに果たして俺の運命とやらは組み込まれているのかすら、疑問だ。
「どけ。俺とお前にこれ以上の関わりはない」
そう言い、押しのけようとする俺だが、くらり、と眩暈がし、よろける。
言わんこっちゃない、と少女が受け止め、俺を寝かせる。
「無理しないで、子どもは寝なさい」
「俺と変わらないくせに」
「でも、私の方がお姉さんだからね」
そう笑った少女の顔は、優しい顔であった。
今まで、誰からもむけられたことのないその顔に、確かな安らぎを感じながら、俺の意識は再び眠りの世界へと落ちて行った。
ノイズが奔る。見たことのない絵の羅列。
『偽りの神を討て』
『強すぎる光は、時に嫉妬を生み出す』
『この、裏切り者め』
『造物主に刃向う、か。それが貴様と言う存在の性か』
『繰り返される輪廻の果てに絶望するがいい。無限にな』
夢を見た気がしたが、思い出せなかった。
起きた俺は、身を起こし、隣を見る。
隣では無防備に、その露出の高い服装で毛布一枚で寝るナターシャの姿があった。
別に、女とこうして同じ場所で寝ることは珍しくはない。
路上生活中に付け入った女の家で盗みを働いたり、といったこともしてきた。
別に、どうということはないはずだった。
だが、少女の眠りながら浮かべる笑みを見て、なぜか俺は呆然とそれを眺める。
この感情がなんなのか、俺は知る由もなかった。
テントの外に出た俺を、旅の一座の面々は心配そうに見てくる。
一座は四十人ほどの集団で、半数以上が二十代から十代の若者である。
曰く彼らはこのラカークン大陸を巡る放浪の一座であり、踊りから吹奏、馬術や武芸と様々な技能を有しているらしい。
高い身体能力も相まって、こうして旅をしていても並の魔物程度はいなせるらしい。
まだ小さな子供が物珍しそうに俺に寄ってくる。
うっとおしく、そういう扱いにも慣れていない俺の戸惑いを悟ったのか、大人が子どもを引き離し、俺に苦笑する。
「ごめんなぁ、こいつら君が珍しいんだろう」
そう苦笑した父親らしき人物はまばらに生えた髭を撫でる。
「ナターシャのやつ、まだ寝てるのか」
「・・・・・・・・・・ああ」
俺のぶっきらぼうで、敬意の欠片もない声を聴いて、彼は厭な顔もせずに笑う。
「そうかあ、あいつ、いろいろと君の看病やら世話やらしてたからなあ。感謝しろ、なんて恩義せましいことは言わないが・・・・・・・・・・なんて、卑怯な言い方だな」
ははは、と笑い、まあそんな娘なんだ、と俺に言う。
何にも言えない俺に彼は言う。
「何はともあれ、しばらくは君もここにいるといい。まだ体調は完璧じゃないだろう?」
その言葉に、俺は頷くほかなかった。
「太陽の神様、ヴォ―ヴン様は月の神、ゲシュトゥ様とは犬猿の仲でした。二人は互いの思い人である、紅乙女のアテンシャ女神を巡って喧嘩をしました」
ナターシャがまだ小さな子供たちに童謡を聞かせる。
今、彼女が語っているのはいわゆる「創世の神話」の一つである。
今あげられた三人の神のほかに、クオンタ、レア、アポクリフ、ゼレチア、マキノといった12人の神が登場し、さらに全能の神が登場する。
世界は全能の神が作り出したものであり、この全能の神こそがすべての生命の父と言われる。神、と言えば、まずたいてい指すのはこの全能の神である。
彼女が話す「創世の神話」の物語は、ヴォ―ヴンとゲシュトゥの二人のライバル関係もとい恋人争いの話で、昔から劇などで好かれる題材だ。
とはいえ、俺はこの物語が嫌いだ。
愛だのなんだの、俺には理解できない、と言うのがあるからだ。
俺が「創世の神話」で好きな物語。それはただ一つ。
反逆者アンセルムスの物語だ。
とはいえ、創世の神話の中でも、この物語を知る者は少ない。
神への反逆者の物語を好き好んで語るものはいない。
俺とて、王宮の書庫でたまたま見つけた古い本で存在を知ったくらいだ。
もっとも神を信じながらも、世の在り方に疑問を抱き、神に挑んだ最初の人間。
栄光ある天上の世界を追放され、罪深き地上に落ち、そこで魔物となった。
最初の魔物が生まれ、以後、地上に魔物たちが徘徊するようになった、と言われている。
「ねえ!」
俺が物思いに耽っていると、一人の子どもが寄ってくる。
まだ六歳ほどの子どもは、俺の胡乱な瞳を受けながらも、きらきらしながら俺に寄ってくる。
「お兄ちゃんも旅の人でしょ、なんかお話知ってる?」
その言葉にほかの子どもたちも興味津々、と言った様子で寄ってくる。
ナターシャがそんな子供たちを見ながら苦笑して俺を見る。
ごめんね、と舌を出し、手を合わせている。
子どもたちは、どうやら遠慮を知らないらしい。
子ども受けする話はあったかな、と思いながらも、俺は話し始める。
子どもたちは俺の話を聞いて、満足した様子で、親たちのけいこの時間だ、と言う言葉に素直に従い、散り散りになった。
「急にごめんね」
「いや、俺も、世話になっているからな」
そう返した俺の隣に、ナターシャが座る。
「でも、聞いたことのない話だったね。なんてお話?」
俺の語った物語は、アンセルムスの物語。
悲劇とも言える話だが、俺は子供向けに結末部分を変えていた。
アンセルムスは最終的には神に赦され、天上の世界で幸せに暮らした。以後、彼はその腕で世界の平和へと貢献していく、と。
そんな結末、あり得ないのに。
「創世神話の一つ、さ。ほとんどの人が知らない」
「そっか」
ナターシャはそう言い、俺によりかかる。
「ナターシャ」
「なに、まだだめよ。体調、よくなってないでしょう?」
その身体を見ればわかるわ、と少女は言う。
「栄養も偏ってるし、体温も低いのよ。もっと、ちゃんと食べなきゃ」
「・・・・・・・・・・・」
「ね、いい加減、名前教えて?」
少女の問いに、俺は答えることはできない。
ここにきて、四日たっても、名前を知らない俺に対して、「あなた」や「君」と言っている彼女だが、さすがにいい加減本名を知りたい、と思ったのだろう。
仕方ないな、と思い、俺は忌むべき、かつての名前を告げる。
「――――――――――」
「いい名前ね。さっきのあの、神話のアンセルムスに似た名前だね」
そう言い、笑う少女の顔。
少し紅潮した頬。まだ少女の域にありながらも、大人の色気を持つ身体。
太陽のごとく光り輝く髪に、紫色に光る魅惑の瞳。その瞳に宿る、穢れなき乙女の光。
それを見て、俺は自身の胸の中でドクリ、と大きく脈打つ何かを感じた。
それが何か、俺はようやく理解する。
ああ、知らなければよかった。
知ってしまえば、俺はここから離れられなくなる。
これが、愛、か。
俺は十五歳になっていた。
あれから俺はあの旅の一座とともに過ごしていた。一年、という時を経て、俺もだいぶ一座に慣れていた。
背はナターシャを超え、面立ちも少年、と言うよりは青年に近いものになった、と言われる。
うちの娘とどう、などと彼らは笑う。
だが、そんな彼らに俺はある隠し事をしているのだ。
俺が「無能力者」だということを。
俺は、この一座で安らぎを感じていた。
誰も俺に過度の期待も、軽蔑も抱かないこの環境。
心地いいこの場所を、失うことが怖かった。
だから言いだすことはできなかった。
俺が想いを秘めているナターシャに対しても、それだけは明かせないことであった。
知れば、彼らは俺から離れてしまう。
血の繋がっているはずの、父上や母上たち同様。
何もない俺が、やっと手に入れた場所。
俺がいてもいい場所。俺が存在することが赦される場所。
それを失うことに、俺は憶病になっていた。
もう、逃げ出したくはない。
とはいえ、そうやって結局俺は逃げているだけだったのだ。
「ねえ、――――――――」
ある夜、ナターシャは俺を野営地近くの湖面に誘った。
美しく輝く湖面に映るナターシャは美しい。
まるで、どこかに出てくる川の女神のようだ、とすら思うのは、俺が彼女に魅かれているためか。
そんな俺を見て、ナターシャはどこか悲しげに俺を見る。
「なんだ、ナターシャ」
「あなた、何か私たちに負い目、ていうのかな、何か背負っていない?」
彼女の目は、俺の心を見透かすように見つめている。
俺は、何を言っている、と誤魔化すように言うが、彼女はその目に宿る、純粋な光を絶やすことはなかった。
「ね、一年たったんだよ。一緒にいて。なのに、私は君のこと、何にも知らないんだ。何一つ」
そりゃあ、聞けば話してくれるけど、それだけ。
そう悲しげに笑う。
「ねえ、――――――、まだ、私が信用できない?」
「―――っ!違う、それは・・・・・・・・・・・」
俺の中の迷い。それが、この少女をこんなにも思いつめさせていたのか。
そう思うと、俺は申し訳ない気がした。
でも、だからといって、俺の、俺のことを行ってしまえば、彼女はどんな顔をするのだろうか。
「ね、私ね、君のことが、好きだよ」
紅い顔は月明かりに照らされてわずかにしか見えない。湖面に映った顔は、まるで俺の心のように揺れていて定かではない。
「聞かせて、君の想いを、胸の内を」
もし、君も同じ気持ちならば、と。
彼女のその想い。それから逃げていいのか。
ナターシャの泣きそうな顔。その顔を見てしまっては、もう言わないわけにはいかなかった。
「俺も、君が好きだ、ナターシャ」
だから、言おう。
逃げることは、もうやめよう。
「教えるよ、俺の最大で、もっとも嫌いな秘密、ってやつを」
そう言い、俺はナターシャを正面から見る。
「俺には、スキルがないんだ。―――――――俺は、神に祝福されぬ者なんだ」
そう言った俺の顔を、驚きの目で見るナターシャ。
沈黙が二人の間を漂う。
そして、彼女の口が、わずかに動き、沈黙を切り裂く。
俺は、月を仰ぎ、その言葉を待つ。




