ギーゼラ
お兄ちゃん、お姉ちゃん。どこにいるの?
寒い、痛い、苦しいよ。暗いよ、ここはどこ?
おじさん。みんなどこ?
一人は厭、独りは厭。
誰か、助けて・・・・・・・・・・・・・・・。
目を覚ました少女の全身に激痛が走る。幼い少女の身にはあまりにも辛すぎる痛み。泣き叫ぶ少女だが、声は出なかったし、目から涙が零れることもなかった。喉は致命的な欠陥のせいで声を発することも食べ物を飲み込むことも困難であった。目は包帯で覆われていた。包帯を取ろうとした手もろくに動かすことはできない。
「何、これ・・・・・・・・・・・・」
少女は問う。これは一体何なのだ、と。その声はヒューヒュー、と聴きにくいものであった。
あの日、魔族国で彼女は逃げていたはずだった。兄と姉のように慕う人たちとともに。そして、そこで。
「目が覚めたか」
その時、彼女の横たわる寝台の横の方から声が聞こえる。扉を開き入ってきたのは、騎士の礼服に身を包んだ女性であった。凛々しい女性は年齢的にはまだ成人前後、といった容貌である。美しいが、格好のせいで美青年にも見える。
少女は問いを発そうとしたが、それはできなかった。咳ごみ彼女は喉にたまった血反吐を吐き出したからだ。寝台の白のシーツを赤く染めた少女の背を押さえ、女性は言う。
「無理をしてはいけない。君の年齢で生きていることが奇跡と言ってもいいのだから」
女性はそう言い、優しく彼女を介抱した。少女は力なく横たわった。
クィルお兄ちゃん、エノラお姉ちゃん。
ここは、どこ?
少女、ギーゼラは何も映らない視線で虚空を見る。口に残るわずかな鉄の味と痛みが、これが夢ではないことを示していた。
ギーゼラを女性が見つけたのは本当に偶然だったという。
魔族国よりアルトリザリコンが浮遊した影響で彼女を埋めていた大量の瓦礫が吹き飛ばされ、少女が地上に現れたのだろう、と。
だが、少女は生き埋めにされたことと、その前に放たれた魔力の光により全身にやけどを覆っていた。それに加え、全身の打撲骨折、内臓の損傷、と大変に酷い状態であったという。
このままでは死んでしまう、と女性はギーゼラを自身の城に連れてきたのだという。ギーゼラの身体の治療は長い時間を要するという。女性のスキルにより、わずかではあるがギーゼラの負担は減っている、だろう、と言っていた。
ギーゼラ自身は話すことができなかった。筆談をしようにも文字を知らず、また手もろくに動かなかった。だから、専ら聞くことに専念していた。
彼女が城を持っている、というからどこかの国の王女なのかな。人間だとしたら、そんな優しい人がいるんだな。エノラお姉ちゃんのようだ、と。
クィルやエノラはどうなったか、を聞いてはいないが、きっとアルトリザリコンとともに旅だったのだろう、とギーゼラは思うことにした。あの二人のことだ。きっと、ギーゼラを探してくれただろう。けれど、見つけられなかった。だから、ギーゼラは二人を恨んではいない。何より、二人がいなければ自分はもうとっくに死んでいたはずであるから。
それでも、哀しみを隠すことはできなかった。
もう、知り合いはいない。みんな遠くに行ってしまった。ギーゼラを置いて、世界は回る。
そう言えば、と女性が口を開く。
「まだ名前を名乗っていなかったな。私の名前はレヴィア=ツィリアと言う」
その名を聞いた瞬間、ギーゼラの身体を恐怖が縛った。
レヴィア=ツィリア・・・・・・・・・・・『刻躁』の異名を持つ魔神。
およそ600年前、ラカークン大陸に存在したアノガイール王国を滅ぼし、魔神として覚醒した彼女。それ以前より彼女は剣聖として知られていた。世界最強の剣士としてアノガイール王からも期待をされていた。
理由は不明だが、彼女は国の中心王都を丸ごと消し去り、破滅をもたらした。
逃げなければ、と思ったギーゼラだがそれが本当だろうか、と疑わしく思ってきた。
彼女がうわさに聞く冷酷な魔神ならば、自分は生きてはいない、と。
その時、レヴィア=ツィリアの手がギーゼラの角を撫でる。優しい手つきで傷ついた角を撫でる。
「待っていろ。きっと、助けてあげるからね」
その言葉だけで、信用する理由は十分だった。
ギーゼラは安心すると、意識を失った。
ギーゼラ、こっちよ。
メウリエダ、どこ?
魔族の隠れ里で、幼い双子の姉妹は隠れん坊をしていた。姉妹は双子であるために、隠れる場所も似通っていた。
ギーゼラは片割れを探す。
家の裏、大樹の上、周辺。だけど、どこを探してもメウリエダはいない。
彼女はだんだん心細くなってきた。
彼女の周囲から、何もかもが消える。隣の家、大きな大樹、父、母、そしてメウリエダも。
最終的にはギーゼラ自身の身体も消える。魂だけが残り、その魂も徐々に消えていく。
恐怖。
死にたくはない。生きたい、生きたいよ。
悪夢にうなされるギーゼラの頭を撫で、レヴィア=ツィリアは寝室を後にした。
ギーゼラは徐々にではあるが、回復の兆しを見せていた。
全身の火傷は治ってはいなかったし、打撲や骨折も完治していない。内蔵機系の損傷も残っていたが、それでも声は回復し、視界も開けてきていた。
深緑色の瞳はすっかり色が変わってしまっていた。濁った灰色の瞳に変化していた。鏡に映る自分は別人のようであった。包帯で覆われた顔の下には、どのような醜い顔があるのか、怖い。
「レヴィア、ありがとう。私、ギー、ゼラ」
まだ本調子ではないが、礼と自身の名前を告げたギーゼラをレヴィアは頑張ったね、と頭を撫でた。
レヴィア=ツィリアの姿は、とても恐ろしい魔神のようには見えず、人間の娘の様にしか見えなかった。
ギーゼラは自分のいるこの城が異なる次元にある場所なのだ、と目で見て感じていた。
城の外は灰色の空があり、ぐにゃりとねじまがっている。城の周囲の木々は時が止まっており、無人の広い白の中にはギーゼラと城の主以外はいない様子であった。
レヴィアに問うと、この城はかつてアノガイール王国の首都であった場所だという。
城の名を『アウンガル』と言うらしい。レヴィアは無表情に城を眺めていた。
彼女に何があったかは、よくはわからない。それでも、彼女が何の理由もなしにアノガイールを滅ぼした、と言うわけではないことはわかった。
時の止まったこの世界で、二人だけの生活をギーゼラはした。
レヴィアは自身のスキルの影響でこれ以上年老いることもなかった。だが、ギーゼラは違った。
その傷が治るには、長い年月が必要であった。幼い子供が、大人へと近づくほどの時間が。
この次元で数年ほどの時が経ち、ギーゼラはすっかり回復していた。
美しい少女へと彼女は変貌していた。
淫魔族の血をひく彼女は第二次成長により、背中からは大きな蝙蝠のような翼が生えていた。あどけない顔も、魔性の魅力を秘めた淫魔族のそれになっていた。
しかし、傷が回復しても彼女が外の世界に戻ることはなかった。
身体は成長しても、心はあの時の傷を抱えたままであったからだ。
外への恐怖、孤独への恐怖。外の世界は異なる時間で進んでいる。自分だけが世界において行かれたようで、怖いのだ。
ここならば、レヴィアがいる。ここならば一人じゃない。傷つけることも、傷つけられることもない。
意地の悪い神も、人間も何もいない世界。
ギーゼラは一人、脚を抱え、荒野を見回した。
ふと、荒野に誰か立っているような気がした。
「誰?」
問いかけるが、誰かがいるわけない、と彼女は思った。幻覚だ、と思った少女。
だが、そんな彼女が再び目を開くと、目の前には紅いドレスの女性が立っていた。そのドレスと同じ色の、紅い髪をなびかせている。その顔は、淫魔族の自分から見ても美しい。人間族のようだが、どこか違うような気がした。レヴィア=ツィリア同様、魔神のような気配を感じる。
「誰!?」
今度は先ほどよりも強く問いかけた。そんな少女を見て、美女はほほ笑んだ。
そして、消えた。
何だったのか、とギーゼラは虚空を見つめた。幻か。いや、それにしては・・・・・・・・・・・・。
些細なことだが、なぜか気になった。あの女性は自分に何を見ていたのだろうか。
考えてみても、答えは出なかった。
少女は一人、時の止まった世界を見上げた。




