第32話:現代知識と『無理のない』経済改革
東部商業都市の代官に就任してからの数ヶ月間、私は前世の事務・経理スキルをフル稼働させて、街の財政改革に乗り出した。
まず最初に着手したのは、『帳簿の近代化』である。
「皆さま、これが『複式簿記』と呼ばれる新しい記帳方法です。左側(借方)と右側(貸方)に同じ金額を記入し、常にお金の『出所』と『使い道』のバランスを確認します」
私は文官たちと、都市の主要な商人ギルドのトップたちを集め、黒板を使って徹底的な経理指導を行った。
これまでのこの世界の帳簿は「単式簿記(お小遣い帳のようなもの)」が主流で、お金がいつの間にか消えていても気づきにくいという、どんぶり勘定の極みだったのだ。
「ええと……つまり、現金が減った分だけ、在庫という名の資産が増えたことを同時に記録する、と?」
「その通りです! これにより、誰かがこっそり中抜きをしたり、無駄遣いをしたりすれば、左右の数字が合わなくなり一発でバレる……いえ、不正を未然に防ぐことができますわ」
最初は慣れない作業に戸惑っていた文官たちも、複式簿記の「すべてのお金の流れがガラス張りになる」という圧倒的な透明性と論理性(と私のスパルタ教育)に、数週間で完全に適応した。
「お嬢様、この複式簿記……恐ろしいほど完璧です。先月まで不明瞭だった『使途不明金』が、あっという間に炙り出されましたぞ!」
「ええ。その使途不明金、主に前任の役人たちが夜のお店で使っていた『接待交際費』ですね。今日から全額カットします」
私は、ニコリともせずに経費の削減(という名の粛清)を断行した。
「浮いた予算は、すべて『インフラ再投資ファンド』に回します。都市のメインストリートの石畳の補修と、下水路の清掃に当ててください」
私が目指すのは、短期間でボロ儲けするようなギャンブルではない。
インデックス投資の王道――『毎月一定額を、手堅い優良銘柄にコツコツと積み立てる(再投資する)』ことだ。
数ヶ月が経過すると、その「堅実な再投資」の効果は、目に見える形で都市に現れ始めた。
「ルルーティア様! メインストリートの補修が終わったおかげで、他領からの荷馬車が雨の日でも泥濘に足を取られず、スムーズに街に入れるようになりました!」
「市場の商人たちも、輸送コストが下がったと大喜びです。先月の市場の取引額が、前年比で二割も増加しました!」
文官長が、興奮冷めやらぬ様子で報告書を束ねて持ってくる。
(ふふん、当然の結果ね)
私は執務机で紅茶を傾けながら、内心でドヤ顔を決めた。
道路が綺麗になる。
↓
物流がスムーズになり、商人たちが集まる。
↓
街の取引が活発になり、結果として都市に入る『税収』が増える。
↓
その増えた税収を、さらに新しいインフラ(今度は郊外の道路や橋)に再投資する。
「利益が利益を生む……これぞまさに、アインシュタインも人類最大の発明と呼んだ『複利』の力よ!」
「アイン……誰ですかな?」
「いえ、こちらの独り言ですわ」
私は文官長に向かって、完璧な令嬢スマイルを向けた。
無理な重税を課したわけではない。
突拍子もない魔法のアイテムを作って売り捌いたわけでもない。
ただ当たり前に帳簿を綺麗にし、無駄を削り、浮いたお金を街のためにコツコツと使い続けただけだ。
しかし、その「当たり前」を完璧に継続する現代の経済概念は、この異世界の都市において、魔法以上の奇跡をもたらしていた。
「代官様万歳!!」
「ルルーティアお嬢様こそ、真の知の女神だ!」
私が時折、視察のために街を歩くと、領民たちから歓声と花びらが降り注ぐようになった。
スラムの清掃や下水道の整備も進んだことで、街全体が清潔になり、子供たちの顔にも健康的な笑顔が戻っている。
「……お嬢様。あんた、ホントにすげぇな」
護衛として私の後ろを歩いていたシオンが、呆れたように、しかし深い敬意の込められた声で呟いた。
「血を流すこともなく、ただ紙切れ(帳簿)と数字を弄っただけで、たった数ヶ月でこのデカい街を完全に掌握しちまうんだからな。……旦那様も、帝都で鼻高々だったぜ」
「ふふっ。お父様は少し自慢しすぎですけどね。でも、これはまだ基礎工事が終わったばかりよ」
私は、綺麗に舗装された大通りを見渡しながら、次なる一手を思い描いていた。
「資金の『再投資』のサイクルは完成したわ。次はいよいよ、我が公爵家が誇る技術力と組み合わせて、この街の物流速度を『爆発的』に加速させるわよ!」
基礎が固まれば、次はそこに圧倒的な技術を乗せる番だ。
私は、帝都にいる『ゼニス魔導工房』の職人たちをこの東部商業都市へ呼び寄せるための、新たな指示書をしたためるのだった。




