57 魔獣
「……まだ残りがいたか。やっぱそう上手くはいかないものだな」
焚き火で暖をとっていたキースとシャルティエルであったが、キースが苦い顔をして周囲を警戒する。
「キースさん……」
シャルティエルがキースの服の裾をぎゅっと掴む。キースは上からそっと優しくシャルティエルの手に触れる。
「大丈夫、問題ないさ」
あれ以上いないと思っていたフォレスト・ウルフだが、どうやらその認識は甘かったようだ。匂の痕跡を消すために色々とやったが、それらもたいして効果が見られない。始めから追跡されていたとみて間違いないだろう。
「数は……さっきよりも多いか」
ざっと見渡すだけで十数匹は確認出来る。実際の数はおそらくそれ以上。これだけの数キース一人で凌ぐのは難しいのかもしれない。だがやらなければならない。問題はシャルティエルをどう守り切るかだ。
「だが、まぁやるしかないだろう」
一人小さく呟く。出来るできないの問題ではない。やるしかないのだ。
シャルティエルの手を引き大きな木の側まで移動する。そしてその木を背にするようにシャルティエルを移動させる。
「さて、根性くらべといきますか」
襲いかかるフォレスト・ウルフと対峙するキース。やるべきことはただ一つ。
決して倒れぬこと。
ソフィアの力によりキースが死ぬことはない。だが、それは決して無敵というわけではない。いくら死ななくても手足を失えば動くことは出来ず、血を流しすぎれば気を失うだろう。そうなってしまえば、例えキースが死ななくてもシャルティエルは無残にも食い殺されるだろう。だからキースは、決して気を失ってはいけない。たとえどんな傷を負っても、どんな致命傷を負っても。
一匹、また一匹。次々と襲いかかってくるフォレスト・ウルフを切り捨てていくキース。倒した数が増えるにつれその身に受ける傷も増えてゆく。腕に食いつかれ、足に食いつかれ。だが決してキースは山刀を手放すことはしない。食いつかれても、次の瞬間にはその刃をフォレスト・ウルフへと突き立てる。相手は獣、牙で食いつけばそいつは無防備な体制となる。その瞬間を決して逃さず、返す刃で確実に仕留める。ただひたすらにそれを繰り返す。
食らいつかせるのは左腕。左腕をわざと差し出し相手に牙を突き立てるさせる。そしてその瞬間を狙い仕留める。すでにその腕は肉は裂け骨が見え隠れしている。だがそれだけだ。どれだけ腕が傷つこうが死ぬことはない。予め腕の根元を布で強く縛っているのでそこまで出血することもない。キースは始めから左腕を犠牲にする覚悟で戦いに望んでいた。
「とはいえ……キツイことには変わらない……ってなぁ!」
飛びかかってきたフォレスト・ウルフを下から切り上げる。撒き散らされた血が身体へと降りかかる。だがそれを気にする必要はない。すでにその身は血に塗れている。それはフォレスト・ウルフの血なのかキース自身の血なのかはわからない。ただ言えることは、キースはまだ立っている。それだけわかれば充分だ。
「はぁ はぁ はぁ」
ひりつく喉から絶え間なく息が吐き出される。呼吸をする度にその口から血が滴り落ちる。額から流れる汗とも血とも分からぬそれを拭いながら、キースは油断なく周囲を警戒していく。
切ったフォレスト・ウルフの数はすでに二桁を超えている。だが周りには未だ多くのフォレスト・ウルフが存在し、こちらに襲いかかるべく隙きを狙っている。絶え間ない攻防にキースの体力は徐々に削られていく。
「はぁ……はぁ…… こういう時、戦いに適したスキルでも持っていれば、なんとかなるんだろうな。本当自分の無能さに悲しくなるってもんだ」
だからこそ万年D級冒険者。それは覆しようのない事実。こうしてその事実を突きつけられば、乾いた笑いしも出てくるというものだ。だが、だからといって諦めるというわけにはいかない。
「自分だけ生き残りでもしたら、目覚めが悪いにも程があるからな……」
山刀を握る手に力を入れる。大丈夫、まだ力は入る。体力も削られはしたが動けなくなる程ではない。十分持ちこたえられる。
フォレスト・ウルフがキースへと飛びかかる。左腕を防御にその勢いを止めるべく受けの構えを取ろうとするその瞬間――――――
「グォォオオオオオォオーーーッッッ」
森の中からの咆哮。突然の出来事にキースは驚き、一瞬フォレスト・ウルフから目をそらしてしまう。だが、キースよりもその咆哮に驚き動揺するものがいた。
フォレスト・ウルフだ。今まさにキースらに襲いかかろうとしたフォレスト・ウルフたちは、その咆哮を耳にし、あきらかに怯えの様子をみせている。耳をたたみ尾を丸め、身体を低くし震えている。
森の向こう、咆哮がした方向から何かが近寄ってくる気配を感じる。その気配を察知したフォレスト・ウルフは逃げるようにその場から立ち去っていった。あれだけ執拗に襲いかかってきたフォレスト・ウルフが逃げ出すほどの存在。それが森の茂みを掻き分けるようにしてその姿を現した。
「……ふぅ……とことんツイてないな」
そう思わずにはいられない。目の前の存在を前に、キースは一人愚痴をこぼす。後ろにいるシャルティエルは言葉を発することはせず、ただ怯えるようにキースにしがみつくことしか出来なかった。
「……ヒュージベア……気軽に遭遇する奴ではないんだけどな……」
ヒュージベア。その名の通り巨大な身体を誇る熊の魔獣だ。キースの倍は軽く超えるであろう体長、それに見合うだけの重量。そしてその凶暴なまでの牙と爪。その危険度は先程のフォレスト・ウルフと比べるまでもない。巨木のような身体、人間の胴体よりも分厚いその太い腕。人間などその手を軽く振るだけで紙屑のように引き裂かれるだろう。
「グゥゥゥウ」
凶暴な魔獣が、その鋭い牙をむき出しにしてキースの方を睨みつける。
「グググゥゥゥウウ」
そんな奴が二頭。森から姿を現してくる。
「ヒュージベアは群れないと聞いていたんだがな……。まだ若い個体なのか、それとも番なのか。どのみちツイてないことには変わりないか」
ヒュージベアがその巨体を誇示するように体を大きく見せるような行動を取る。立ち上がったソレはまさに壁と言えるだろう。人を簡単に圧殺することが出来る壁が殺意をもって襲いかかってくる。笑えない冗談だ。
立ち上がったヒュージベアがキースへと襲いかかってくる。動く速さはフォレスト・ウルフとそれほど変わらないが、圧力が桁違いである。まともに攻撃を喰らえば一撃で戦闘不能になるだろう。ひりつく感覚を全身に感じながらキースは攻撃を回避する。
幸いな事に、ヒュージベアはフォレスト・ウルフほど連携した攻撃をしてこない。というよりも、こいつらは個別での攻撃を仕掛けてくる。本来ヒュージベアは個で活動する魔獣だ。だからこそ、キースもなんとか一人で対応することが出来ているのだ。これが連携でもされればキースは今頃ヤツらの腹の中だろう。
二頭のヒュージベアと向き合い、その意識を自分へと向けさせる。威嚇し、殺気を放ち、その視線を、意識を、殺意を、すべて自分へ向けさせる。後ろへは欠片の意識も向けさせない。
「どうしたデカブツっ! さっさと食い殺してみろよ! そんな事も出来ないのか? 情けねぇなっ!!」
伝わるはずの無い言葉、されどもキースは構わずヒュージベアを挑発する。奴らの言葉などわからない、だがその唸り声、咆哮、それらの感情はなんとなく伝わるものだ。だからこちらも同じように、感情をぶつけるだけだ。言葉が伝わらないのはお互い様なのである。
キースの挑発を受けてかは、わからないが、確かに二頭のヒュージベアの意識はキースへと向けられている。後ろのひ弱そうな個体よりも、害をなしてきそうな個体に注意を向ける。ただそれだけなのかもしれない。だがキースにとってはそれがどれだけ助かったか。ほくそ笑まずにはいられない。
「お前ら本当単純で助かるよ! ついでにさっさとどっか行ってくれれば更に助かるんだけどなぁ!!」
振り下ろされる爪を横に転がり回避、体勢を立て直すと同時に山刀をヒュージベアの身体へ斬りつける。だがその硬い皮膚と、分厚い筋肉と脂肪で掠り傷程度しか傷を負わすことが出来ない。すぐにその場を離脱し体勢を整える。
もしこれがそれなりの剣であれば、もう少し傷を負わすことが出来たであろう。だが今キースの手元にあるのはこの山刀と小さなナイフが数本だけ。それ以上のものは望めない。キースお手製、奥の手刺激臭袋も、川に沈んだ際に使い物にならなくなっている。
「本当ついてない……なっと!!」
牙での噛みつき、爪からの切りつけ、それらの攻撃をキースはギリギリのところで回避し続ける。左腕を囮に、などはなから考えていない。一撃で引きちぎられるだろうソレを、受けれるはずがない。
大きく振りかぶった爪の薙ぎ払いを横に移動し回避、そのままヒュージベアへ近づきその頭部へ山刀を叩きつける。だが強固な頭蓋骨によりほとんど傷をつけることができない。
「ほんっとう硬すぎだろうっ……がよ!!」
振り抜いた自分の腕がしびれるとかどれだけ分厚い頭蓋骨だ。その丈夫さに腹が立つ。
「グォォオォオオオオ!!」
横にいたヒュージベアから殺意のこもった咆哮。そうとうイライラしているのだろう。ただ感情に任せただけのその叫び声。だがそれが幸いした。
叩きつけられる殺意にキースはその意識をそちらへ向ける。
いや、向けてしまった。
自分など軽く殺すことが出来る存在の圧倒的な圧力を持った殺意、無視することなど出来なかった。
「――――しまっ…」
直後、凄まじい衝撃。圧倒的な力がキースを襲う。とっさに左腕で守りを固めたが、たかが腕一本、守りなど無いに等しい。その衝撃を受けキースは後ろへ弾き飛ばされてしまった。
「ぐはぁっ」
油断したわけではない。が、結果としてキースは致命傷を負ってしまった。左腕はボロ布のように千切れており、身体には深い爪の跡が刻まれている。そこからおびただしい量の血が流れ出ている。おそらく内臓まで達しているだろう。
意識が遠のきそうになるのを気合で押し止める。だが、満足に動くことが出来ない。
「……がぁはっ げほっ 」
大量の吐血、どす黒い血が地面に撒き散らされる。こうなってはもはやどうすることも出来ない。
「……にぃ…げろ…」
必死に声を絞り出す。
「……にげろ……逃げろ…っ!!」
もはやそれしか出来ない。幸いやつらの意識はキースへと向いている。一人逃げることはそう難しくないだろう。
「…逃げろ…! 川へ…行くんだ!!」
少しでも痕跡を消せば、それだけ生存する確率が上がる。どうすれば良いかは既に伝えてある。ならば後は行動するだけだ
「……い…けっ!!」
キースの必死の思い、だかそれに反応する気配は感じられない。
何故!どうして!
不安と焦りがキースを襲う。
まさかヒュージベアに!?
いや、二頭のヒュージベアはキースの前にいる。後ろのシャルティエルは無事なはずだ。あまりの恐怖で動けなくなって、思考が停止してしまったのか。だとしたら不味い。動けない人間など、やつらにとってただの餌に過ぎない。
ぼやける視界を必死に動かし、後方へと視線を向ける。霞むその目で、なんとかシャルティエルの存在を確認しようとし―――
「………っぁ……」
ただただ、声にならない声で、キースはそう呟くことしか出来なかった……。
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