55 情けなくとも
崖から飛び降り、着水し流れた先の森で野営すること早二日。こうして森の中で生活する上で、シャルティエルは気がついたことが幾つかあった。
まず一つ。自分は思いの外神経が図太いということだ。シャルティエルはこれまで生きてきた中で森の中で生活するなど、したことがない。それどころか、野外活動などといった事も、ほどんど行なったことがないのだ。着の身着のままで生活することも、何日も湯浴みをしないことも、そこらの草や木の実を口にすることも。
温室育ちの令嬢として生きてきたのだ。当然といえば当然である。ましてや屋外で用を足すなどもっての他である。しかし、それらの野蛮とも思える行動に、シャルティエルはたいして忌避感を抱くことはなかったのだ。眉をひそめることはあってもその程度。心底拒絶するという感情は生まれなかった。森の中という不自由な空間であるはずなのに、それにたいしての不満もあまり感じなかった。
こうして体験して思ったことと言えば、存外悪くないということだ。無論これが生死が関わる危機的状況ならば話は変わるのかもしれない。いや、それでも変わらないのかもしれない。シャルティエルは自らの命を放り投げた身だ。だからある意味吹っ切れたのかもしれない。どうせ一度は捨てた命だ。ならばどうにでもなるだろうと。
続いて二つ目。キースが思いの他子供っぽいということである。シャルティエルは最初、キースのことを落ち着いた壮年の男性だと思っていた。冒険者という者たちは、荒くれ者の集まりという印象であったが、キースはどちらかと言えば物腰が柔らかく言葉遣いも丁寧で、粗暴とは反対の存在であった。だが、こうして一緒に森の中で生活してみると、そういった一面だけではなく、どちらかというと、やんちゃというか、悪戯っぽいというか、そう、どこか子供っぽい行動を取るのだ。
燻製肉の時もそうであったのだが、また別の時、森の中で取った木の実をキースから手渡されたので、それを食べてみるとものすごく酸っぱかったのだ。そのあまりの酸味に苦悶の表情で悶ていると、そんなシャルティエルの姿を見て悪戯が成功したとでもいうように笑ってみせたのだ。
そのような悪戯などされた事のないシャルティエルにとって、耐性のない悪戯にふつふつと湧き上がるいいようのない感情。そんな様子をみてさらに笑ってみせるキース。やることが完全に子供のソレなのだ。その後ご機嫌取りの為に狩りで仕留めた獲物を振る舞われたのだが、それだったら初めから悪戯などしなければよいのにと、シャルティエルはそう思わずにはいられなかった。
そして三つ目。これがシャルティエルにとって一番の予想外であった。
シャルティエルはいつの間にか己の容姿を気にしなくなっていたのだ。
シャルティエルに対し、キースは良くも悪くも普通の女性と同じように接していた。最初こそ丁寧な口調で接していたが、シャルティエルが命を粗末に扱ってからは、意趣返しとしてその丁寧な言葉遣いを止めた。それからは貴族令嬢だとか、そういったものと一切関係なくキースはシャルティエルに対し遠慮せずに接するのだ。
そしてそれはシャルティエルの火傷の跡があっても同じである。まるでそんな火傷の跡など見えないとでもいうかのように、いたって普通に接してくる。これまでこの火傷の跡を見た人たちは、その傷跡に様々な感情と視線を向けてきた。同情や哀れみ、嫌悪や忌避、その感情は様々だ。長年傍で支えているセルバでさえ、後悔や悲しみ、懺悔などの念がその瞳に含まれていた。
だがキースの瞳からはそういった感情の色が見られない。最初こそ憐憫の色が少し見て取れたが、今はまったくといっていいほど消えている。むしろその瞳に映るのは、楽しさ面白さであったり、嬉しさや快いであったり、良い感情しか含まれていない。まるでシャルティエルと接するのが楽しいとでも言うかのように。
そうしてキースと接していくうちに、いつの間にかシャルティエル自身、己の容姿に対し気にしなくなっていたのだ。それは必然だったのかもしれない。相手がまったく気にいていないのだ。だから自分も気にしなくてもよい。明確にそう考えたわけではない。だが無意識の内にそういう思考になっていったのかもしれない。その事に気がついた時、シャルティエルは心の底から驚いた。こんなことは今まで一度もなかった。これまでこの醜い身体を呪わなかった日はない。自分で自分を忌避していたのだ。しかし今では、そのことすら忘れていたのだ。
そうした理由もあってか、シャルティエルはこの森での生活が、少しだけ、ほんの少しだけではあるが――――楽しかった。
――――――――――
「よもや、その非常食を食べて嬉しそうにしている人間を初めてみたぞ」
あの不味い非常食を口にして、うっすらと笑みを浮かべているシャルティエルに、キースは唖然とし、そして心底感心した。人間なるようになるのだと。
「それ食って喜びを見出すとはもはや言うことはなにもない」
「別に笑ってませんけど」
「いや笑ってたから。微笑んでたから。おじさんびっくりだよ」
「微笑んでません」
「いや、別に笑ってもいいんだぞ? クソ不味い食い物を食って微笑んでるとか、若干引かないでもないけど、笑顔でいるのはいいことだぞ?」
「だから笑っていません。変なこと言って捏造しないで下さい」
「いやおじさん見たから。事実だから。真実だから。おじさん嘘つかないから」
ものすごい目でこちらを睨みつけてくるシャルティエルであるが、その視線を受けている当の本人であるキースはそれを笑って受け流す。
いい加減危険な角度に眉がつり上がって来たところで、キースが折れる形で謝罪の言葉を口にする。少しからかい過ぎたか。
キースを睨みながら非常食を食べていたシャルティエルであったが、ふと疑問に思ったことを口にする。
「こうして森の中で焚き火をして野営するのはわかるんですが、あまり移動はしないんですね」
「ん? あぁ、そうか。シャルティエルはあまり野外での活動に慣れていないからそう思うのも当然だな。なんで移動もせずにここに留まっているのか。それが気になったんだろ?」
シャルティエルはコクリと頷く。
「基本的に山や森で遭難した時は、無闇やたらと動かずに、その場で留まっているのが一番なんだ」
「それは、何故ですか?」
「まず第一に、この場所が何処なのか把握できていない現状では、無闇に動くと余計に迷う可能性がある。更に森の奥深くに進んでしまう可能性もあるからな」
キースは自身の指を一本立てる。続けて二本目。
「第二に、無駄な体力の消耗を防ぐ為。こうした森での活動では、自分が思っている以上に体力を消耗するものだ。すぐに助かるという保証が無いのに、無駄に体力を消耗してしまうと、救助が来る前に力尽きてしまうからだ」
キースは更に指を三本立てていく。
「第三に、いざ救助が来る時に、遭難者がぐるぐると場所を移動していると、それだけ救助に時間がかかってしまう。これは当然だな。救援者はこちらに向っているのに、こちらが動いていては捕捉するのが難しくなってしまう。だからその場に留まって待っているのが一番なんだ」
そう説明すると、キースはさらに言葉を続ける。
「まぁ、これらは全て救援者が来るという前提での話になるけどな。もし救助がこないのであれば、その場に留まっていても意味がない。そういった場合はこちらから動く必要がある。たとえ危険だとしてもな」
そう、これは救助が来るという前提での行動だ。もし誰にも見つからず、知られずに一人で遭難したのであれば、キースはすぐにでも移動を開始したであろう。だが今回はキース一人ではなくシャルティエルも一緒な為、無理に動くと危険が増す可能性がある。だからこそ無理に動かずにその場に留まっているのだ。
「……救助が来るんですかね……」
「ん?」
「あの崖から飛び降りたんです。死んだと思われていても不思議ではないですよね。それなのに、生きているかどうかもわからない人の為に、危険を犯してまで救助に来るとは思えないですけど……」
「まぁ、来るだろ。あれだけ派手に存在を明かしたんだ。むしろ来ないと思うほうがどうかしてるぞ」
シャルティエルは自身の名を明かし見張り場を突破した。侯爵令嬢という身分であれば、いくら他国といえども無視できるものではない。まず間違いなく捜索隊が結成されているだろう。
「私は……」
キースの話を黙って聞いていたシャルティエルであったが、その表情は先程まで冗談を言い合っていたものとは一変していた。その瞳には光が失われ、声からは生気が失われている。
「私は……公爵令嬢なんかではありません……」
膝を抱え、うつむくようにして視線を地面へと落とす。
「……私はお父様に見放されました。すでに絶縁されており、イスティアノ家から私の名は抹消されています。今の私は侯爵令嬢などではなく、家名を剥奪されたただの娘に過ぎません。当然そんな私には何の力も権限もありません。ですので、公爵令嬢だから救助に来る……というのはありえません」
膝を抱えているその手に力が込められる。しかし、やがてその手も力なく開かれていく。
「ですので、キースさん。私に構わず一人で行って下さい。ここに留まっていても誰も来ません。だから残る理由がないんです。キースさん一人でならこの森でも苦もなく移動できるでしょう。足手まといの私を置いていって下さい。重荷になんてなりたくありませんので」
乾いた笑みを浮かべながらキースにそう説明していく。今のシャルティエルの顔は、崖から飛び降りる前の、何もかも諦めたような、そんな表情であった。
「シャルティエル」
キースはゆっくりとシャルティエルへと近づいてゆく。
コツンっ!
「……え?」
「え? じゃないだろう。何聖職者みたいな悟った顔してるんだ」
いきなり頭を小突かれたシャルティエルは、何が起こったのか理解出来ないといった様子である。
「君を置いて一人で助かった日にゃ目覚めが悪くてしかたがない。俺を不眠症にするつもりかバカたれ。それにな、君は俺に一人で行けというが、自慢じゃないが俺は冒険者としては下っ端もいいとこなんだ。こんな深い森の中一人で突っ走って突破出来るわけ無いだろう。野垂れ死んでしまうわ。俺はね、生き残りたいからこうして必死に野営しているの。死にたくないから。だから俺は例え情けないと言われようと、全力で救助に縋るわけ」
キースは腕を組み、これでもかと言うぐらい胸を張って主張する。
「俺は自分が助かりたいからそうする。生き残る為だったら何でもする。伊達に長いこと冒険者してるわけじゃないからな。たとえ無様でも生き残ってみせる」
その堂々とした物言いに、シャルティエルは毒気が抜かれるような感覚を覚える。唖然とするシャルティエルにキースはさらに言葉を投げかける。
「それにな、救助は来る。絶対にな」
「……なぜそう言い切れるんですか」
「俺と一緒にいた冒険者――イグナスって名前なんだが覚えてるか?」
シャルティエルは数日前の記憶を思い出す。キースと一緒に駆けつけた者がいたような気がする。確か少年のような容姿であったと。
「アイツな、アホなんだわ。裏表がなくて、バカ正直で、嘘がつけない性格なんだ。それでもって、正義感も人一倍あると来たもんだ。本当なんで冒険者なんてろくでもない仕事やってんだろうな。そんなわけで、アイツの性格からしてあの状況でこっちを見捨てるってことは絶対にしない、いや出来ない性格なわけよ」
そう言うキースの表情は、困ったような、諦めたような、それでいてどこか誇らしげな、そんな表情をしていた。
「不安があるとすれば、アイツ一人で突っ走ってしまわないかってことだが、まぁ大丈夫だろう。だから、アイツが救助隊を引き連れて救助に来るまで、俺はここで待っているってわけ。それがここに留まる理由。わかったか?」
「……そのイグナスさんって人を信用しているんですね」
「信用というか、諦めだな。俺としてはもう少し器用というか、小狡く生きてほしいと思っているんだが、あれはもう治らないだろうな。だから諦めた。そして俺はそれに縋る。実に情けないな」
ドヤ顔でそう発言するキース。その態度にシャルティエルは、自分があれこれ悩んでいるのがなんだか馬鹿らしく思えてきた。
「……自分で言ってて情けなくないんですかそれ」
「情けないな。でも構わん。俺は超人でもなんでもないからな。たとえ情けなくても這いつくばってでも生き残ってみせる」
開き直ったその発言に、シャルティエルは思わず吹き出してしまう。ここまで堂々と出来るのはある意味清々しいと。
「クス……。でもその考え、少しだけ憧れます」
先程までの諦めきった表情は既に消え、そこには僅かな笑みがこぼれているのであった。
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