アイアン家
ディアンは本の小屋からアイアン家まで送ってくれて、そのまま小屋に戻って本を読むと言った。
あの子が私をここに呼び出したっていうのは、ちょっと信じられないや。
それが魔法っていうのは、もっと信じられないけど。
アイアン家では白髪の混ざった優しそうな女性が待っていた。彼女はアイアン家の家政婦さんで、ララという名前だそうだ。
「よろしければ、お風呂に入られませんか? 緊張や疲れが緩和されますから」
彼女はそう言って微笑む。本当に優しそうに笑う女性だった。
案内されたのは、屋敷からすぐ歩いていける別棟の小屋だった。
小さな脱衣所みたいのがあって、引き戸を引くと中の浴室はタイル張りで、陶器の湯船が置かれている。
引き戸にはつっかえ棒をするんだと教わった。
鍵の代わりなんだろうな。
お湯がたっぷり張ってあり、微かにラベンダーの香りがした。
たぶん、これってすごく贅沢なんだろう。
湯船には釜の類が一切ついていない。
水道の蛇口も無ければ、無論シャワーもない。
何処かでお湯を沸かして運び入れるんだろう。
ここには、ガスも電気も無いのかもしれないな。
「でも、石鹸はあるんだね……石鹸だよね?」
茶色いくて四角い固まりからは、蜂蜜の匂いがした。
うん。心もとないけど、泡が立つよ。
学校帰りのまま召喚されたから、お風呂はすごく嬉しかった。
浴室を出ると、あたしのシャツとジーンズが消えていて、濃紺のワンピースが置いてあった。下着の類もかわっている。
これを着ろということだろうか、他に着るもの無いしなぁ。
たっぷり生地の使われた上品なデザイン。スカート丈も長く踝まである。
襟や袖に細かい刺繍がしてあって——高そうだな、コレ。
着替えて脱衣所からでると、ララさんが目を細めて頷く。
「勝手とは思いましたが、前の服は洗わせていただきますね。それに、あまり女性の着る服には見えませんでしたし。やはり。こちらの方がお似合いですよ。ええ、お可愛らしい」
「そうでしょうか。あまり着慣れないんですけど」
いつもジーンズで、スカートすら滅多に履かない方だったし、ワンピース、少し恥ずかしいんだけどな。
ララさんにソファーへ連れていかれ、肌にオイルを塗るようにいわれた。
オイルからもラベンダーの香りがする。
彼女が髪を隙ながら、オイルを塗り込んでくれるんだけど。
「えっと、ララさん、自分でやれますから……」
「やらせて下さいな。女の子のお世話は久しぶりで嬉しいんですから。いえね、私には娘がいるんですけど、嫁に行っちゃってるし。孫は男の子でね。こうしてると思い出して懐かしいです。その服も娘のお古で申し訳ないんですけど、あ、下着は新しいので心配しないでね」
彼女のふっくらした手が優しく髪や頭皮を触る。
「石鹸の後は肌や髪がきしみますからね。リンさんは綺麗な髪をしてるわ。濃いブラウンなのね。そういえば瞳もブラウン。とても黒に近いけど、光の加減で変化するのね。とても素敵よ」
ララさんのお喋りは柔らかく、あたしは聞いているウチにボンヤリしてきた。
ああ、そうだ。向こうは夜で帰宅は九時を回っていた。
課題に追われて、連日の睡眠不足も祟ってる。
ダメだ。
……とてつもなく、眠い。
「リン。リン……」
名前を呼ばれて目を開くと、ディアンが覗き込んでいた。
「あれ?」
「食事なんだけど、起きられるかい?」
ハッとして飛び起きる。
私はララさんが髪を梳いてくれてたソファーで、そのまま眠り込んでしまったみたいだ。
ああ、眠って起きても、やっぱりこの世界なんだね。
「 ぐっすり寝てたね」
「ごめんなさい。向こうは夜だったから」
「…………そう」
彼は複雑そうな表情をした。
「起きられるなら、食堂に案内するよ」
ディアンは自分が召喚してしまった事を気にしてるんだろうな。
あんまり私の世界の話をしない方がいいかな。
☆
食堂はひくほど食堂だった。
でかい、広い、って意味だけど。
「君はリンって言うんだってね」
あの、すごく甘い声の人が食堂に立っていて笑いながら言った。
アイアンさんより、線が細くて体も小柄な人だけど。
布地をたっぷり使い、ふんだんにタックの入ったシャツブラウスを着てて、黒地のタイトなズボンを履いてる姿は、なんていうの。すごく、色っぽい。
前髪が目に軽くかかって、少しうざったそうに搔き上げる仕草は、ちょっとゾクッとする。
やだな。立ってるだけで目のやり場に困る人なんか、初めて会った。
とっても睫毛が長くて、どこか中性的。本当に美形だな。
「俺はブライアンというんだ。オブシディアンの兄。弟が迷惑を掛けたね」
彼は軽く目を細めて、口元に笑みを浮かべてる。
ああ。この人はディアンのお兄さんなんだね。
美形なのも納得だなぁ。
「こんばんは。リンです」
ブライアンは、しみじみと私を見て笑った。
「ディアンは随分と可愛らしい女性を召喚させたもんだね」
彼は揶揄うように弟に流し目を送る。
ディアンが顔を顰めた。
「手を出すなよ。あんた女と見れば手を出すんだからな」
「ディアン、兄貴に向かって、あんたってなんだ。あんたって」
「違う呼び方して欲しかったら、素行を直せよ」
あらら。仲わるいのかなぁ。
まあ、兄弟って難しいよね。
私も兄貴いるから、何となく分かる。
そこに美中年のアイアンさんが扉を開けて入って来た。
「また兄弟で小競り合いか? いい加減にしなさい。さあ、席について。夕食を食べよう」
遺伝子ってあるんだな。
アイアン家の皆様は美形揃いでいらっしゃる。
上流家庭感もバシバシ流れてて——なんか。私は凄く場違いな感じだ。
食事の後でアイアンさんに呼ばれて、テラスのある居間に行った。
アイアンさんは昼間とは少し雰囲気が違う。
やっぱり、お仕事中と自宅は違うって事なのかな。
灯りがランプだというのも、あるのかもしれないけど。
「リン。君は幾つになるのかな?」
「私ですか。今年で十九になります」
彼は小さく息をついた。
「そうか。なら、ブライアンの二つ下だね。ご両親は、さぞガッカリされているだろうな」
「…………そう、かもしれません。でも、まだ兄が居りますので」
「そうか、お兄さんがいるのか」
アイアンさんは、立ち上がってテラスに立ち、私を呼ぶ。
目線の先にディアンの小屋がある。扉から灯りが漏れていた。
「息子を許してやってくれないか」
「………ええと。許すも許さないも。彼がそうしようと思ってしたわけではないんですよね?」
「それは、もちろんだ。しようと思ってもできなかったろう」
「それなら、誰かを許すというのは少し違う気がします。それに、彼は……必ず方法を見つけて私を帰してくれるって、そう言ってくれました。それだけで、今は十分です」
そう。たとえ彼に方法が見つけられなくても——。
なにしろ、前例がないとか、予期しない事故とか言われたし。
期待はしない方がいいんだろう。
まだ混乱してるし、帰りたい気持ちだってある。
けど——彼を責めても解決しないのは分かってる。
こういうの諦観っていうんだろうか。
私も少しは大人になってるってことかな。
アイアンさんが小さく溜め息をついた。
「ありがとう、リン。ウチには女性が居ない。妻が早くに他界してしまってね。ディアンは母親をよく覚えていないと思う。妻は娘を欲しがっていたもんだよ。私は君を娘と思っていいだろうか? ここを自分の家だと思って過ごして欲しい」
彼は目尻に皺を寄せて、優しい目で笑った。
いい感じの年の取り方だな。
格好いい。
こんなお父さんがいたら、デートしたいくらい。
「ありがとうございます。なんとか仕事が見つかるまで、よろしくお願いします」
アイアンさんが目を瞬く。
「仕事を見つけるつもりなのか?」
「え? そりゃ、収入がないと生活できないですから」
「いや。君の面倒は私が責任を持ってみるよ。アイアン家から嫁に出すつもりだ」
……よ、嫁って。
「それは、あの、当面はご厄介になるしかないんですけど」
今度は私が目を瞬く。
「私のいた世界では、女性も職業を持って自活してました。えっと、女性の自活は無理なんでしょうか?」
アイアンさんが思案気に首を捻った。
「…………ここでも、職業を持つ女性はいる。けれど、女性が一人で自活というのは難しいね」
ああ……女性の地位が違うのかぁ。
私がガッカリしているのが分かったんだろうか。
「まあ、もし、君にやりたい事が見つかったら、出来るだけバックアップしよう」
軽く微笑んで、アイアンさんは、そう言ってくれた。
ありがたい事だなぁ。私は彼に深々、頭を下げた。
「よろしくお願いします」




