ここどこ。
私は重い鞄を肩から下ろして、大きく息をついた。
……疲れたぁ。
デザインの専門学校が、こんなに課題の連続だとは思わなかった。
まだ一年も通ってないのに、私、ついていけるんだろうか。
本当なら、愚痴ってないでサッサと帰宅して課題をやらなければならない。
明日も朝が早いんだし。間に合わなくなる。
でも……疲れちゃって。
少しだけ寄り道して、坂の上の神社まで来た。
お参りするわけじゃない。
私は、そこから見る景色が好きなのだ。
神社の石段から見る景色は、夜空の星と町の灯りでキラキラしてる。
目を閉じると、風が抜けて気持ち良かった。
石段に座って、しばらくボンヤリ明かりを見ていた。
——少しだけ、元気出たかな。
さて、帰ろうと立ち上がって、荷物を取ろうと石段を向いたら、後ろから何かに引っ張られた。
「えっ?」
体が宙に浮かんだ。
目の前に夜空が広がって、足が石段から外れる。
落っこちる。そう思った途端に怖くなって、ギュッと目を瞑った。
投げ出される感覚と軽い衝撃を感じた。
落下の感覚がなくなって、そっと目を開くと強張った顔の男の子が私を見ている。ずいぶん綺麗な少年だな、と呑気に考え、周りに人が大勢いることに気づいた。
しかも空は晴れて、青空が広がっていた。
え? 青空? 夜だったよね?
私は男の子の上に落ちたらしく、彼の体の上に座っていた。
驚いて上から降りたんだけど、少年は驚愕の表情のままだ。
周りに居た誰かが。
「人を召喚したのか………」
そう呟いたのが聞こえた。
☆
偉そうな真っ白の髭のお爺さんと、すらっとした中年男性が説明してくれた話によると。私は何かの魔法訓練で、間違って呼び出されたのだそうだ。
……魔法訓練ってなに。
「何が起こったのか説明はいいです。帰してもらえれば、それで」
お爺さんは苦い顔で黙ってしまった。
隣に立っている中年の男性にも、もちろん、訴えた。
だけど、答えは——。
「精霊の召喚で人が呼ばれたのは初めてのことで、どう帰すのか分からないんだ。今回の事は予期せぬ事故で、どうも前例がないんだよ」
それは要するに。
「帰れないってことですか?」
中年の男性が苦渋の表情で謝ってくれる。
「申し訳ない。なんとか、方法を考えたいとは思う。貴方の身柄はキチンと保護させて頂く。しばらくでいいので我慢してくれないだろうか?」
「…………しばらくというのは、どのくらいなのでしょう」
「方法が見つかるまでだが」
「それって、見つからなければ帰れないって事ですね」
お爺さんと中年の男性は黙り込んでしまった。
何なの、この展開。
☆
私は中年男性に連れられ、彼の屋敷とやらに連れて来られた。彼の苗字はアイアンと言うそうだ。アイアン家はもう、御屋敷だった。こんな家、映像でしか見たことない。よく見れば、男性は大変にハンサムな美中年だし、偉い人なんだろうな。
話によれば、あの少年は彼の息子らしく、魔法使いになる為の訓練を受けているのだという。
魔法使い。ここは、そういう世界なんだね。
テラスのある部屋に通されて、お茶を出され、くつろいで居てくれと一人になった。くつろげと言われて、くつろげるもんじゃない。
私は椅子に座ったまま、テラスの向こうの景色をボンヤリ見る。
周りは森というか、林というか。
空は抜けるように青い。
ここに来るまで車を見かけなかったから、排気ガスとかないのかな。
思わず溜息をつく。
これから、どうしたらいいんだろう。
想定外のできごと過ぎて、見当もつかないや。
考えてみれば、あのまま、放り出されないだけマシなのかもしれない。
私は、よく分からない場所から来たであろう、よく分からない人間なんだし。
予期せぬ事故かぁ。
仕方ないのかと思いながら、また溜め息が出る。
やっぱり、帰れないのかな。
通っていたデザインの専門学校は、すごく忙しくて、楽しいのかと問われれば即答できなかった。
忙し過ぎて、仲の良かった友人とも疎遠になっていた。
両親には、やっぱり申しわけない気がする。
けど、優秀な兄が残ってるし、きっと大丈夫だろうとも思う。
私は行方不明者とかに、なっちゃうんだろうけど……。
居たたまれなくて、テラスに出て座り込む。
メソメソしたって仕方ないんだ。
そう思うのに——。
気づけば涙が溢れ出してくる。
困ったな。
すごく、心細い。
その時、頭の上から、とても甘い声が聞こえた。
「何で、こんな所で女の子が泣いてんだ?」
声に顔を上げると、えらく美形の青年が私を覗き込んでた。
柔らかそうな黒髪、少し垂れた大きな目、形のいい眉、通った鼻筋に、流麗な顎の線。
私はビックリして声も出ない。
彼はしゃがみ込んで、私の頭に手を置いた。
「どうした? なんで泣いてるんだい?」
耳をくすぐられるような、甘い、甘い声だった。
長い睫毛に縁取られた、魅惑的な目が私を見つめる。
泣くのも忘れて、青年に見入ってしまう。
誰だろう、この美形の人。
彼の後ろから、さっきの男の子が歩いてきた。
綺麗な顔に苦い表情が広がってる。
「その人、泣いてんのか」
「ディアン? この子、誰だ?」
青年は少年を振りかえって不思議そうに見た。
少年は彼の問いかけを無視して、私の手を掴んだ。
彼は私の手を強く引いて立たせると、引っ張って歩き出す。
「おい。ディアン、どこに行く気だ?」
「小屋! ついてくんなよ」
テラスを抜けて庭に降りて行く。
グングンと私の手を引っ張って、早足で歩いて行くんだけど。
「……あ、あの」
「見せたいモノがある」
身長はあたしと同じくらいか、少し高い。黒いフード付きマントと白いシャツ、黒いズボン。まるで中世の絵から飛び出したような格好だ。
身体付きは、まだ華奢で幼いけど、彼の手は思いの外に大きい。
広い庭を横切って、物置き小屋のような小屋へ入って行く。
中は外観から感じるより広く——右も左も本、本、本。
壁という壁が本で埋まっている。
紙と埃と微かな油、そしてインクの匂いに包まれる。
棚に収まっている物だけじゃない。
あっちにも、こっちににも、棚から溢れた本が重ねられている。
少年が私の目を真っ直ぐに見て言った。
「これは全部魔法書だ。まだ読んでないヤツも沢山残ってる。方法が分からないなら、探せばいい。まだ見つかってないなら、見つけるまでだ。必ず帰してやる。時間はかかるかもしれないけど。だから………泣かないでくんないか?」
この子は、それを言う為に小屋へ私を引っ張って来たのか。
「俺の名はオブシディアンだ。周りはディアンって呼ぶ。君は?」
「………凛」
彼は涙の止まった私を、ホッとしたように見て笑った。
「約束する。リンは俺が元の世界に帰す」
彼は握ったままの手に気づくと頬を赤らめて離した。




