03:幻影
「どうだ、SGの悪魔。いい苦しみだろう」
苦しみ。
男が歪めた口許には、サーチライトの光と、夜更けの闇が、陰影となって交錯する。悔恨の念と復讐への欲望が、年輪のような皺となって刻まれている。
暗黒の深みから這い出てきたような男の邪悪な笑みを、洋瑛はただただ呆然と眺める。
沈黙の夜風がプライドコータスの銀色の毛をなびかせた。
洋瑛にはもはや近田洋次郎という父の姿形はうろ覚えである。当然ながら父が作戦部隊を率いていたのは初耳だ。だが、10年前ごろというのは――、父親が洋瑛のもとから消えていなくなった時期でもあった。
目の前の男は愛する人たちを父によって殺されたのだろうか。と、洋瑛は自らの怒りの正当性を見失っていく。
ただ、愛しい右腕は、足下で骨となっている。
「訳がわかんねえ――」
混乱に収拾がつかなく、戦意が喪失していく。
「うおらあっ!」
突如、千鶴子が声圧を放った。
沈鬱であった気配は突発した炎のように一挙うごめいた。千鶴子が声圧のトランセンデンスであったことを知るよしもなかった男は、たちまち圧に飲み込まれて吹っ飛ぶ。
さらに――。
千鶴子の睫毛は張り立ち、目尻が切り開かれた。被筒を握りしめる。ヘルメットに白抜きに記された「11」の数字がサーチライトの真っ白な光線を跳ね返す。
引き金を引いた。空薬莢が矢継ぎ早に弾き出されていくとともに、銃口が火を噴く。激烈な銃声が轟き渡る。光闇の狭間を5.56×45ミリ弾丸が立ちどころに裂いていく。
しかしながら、プライドコータスは瞬く間に散っていた。小屋に打ちつけたはずの男の姿もなかった。
「圭吾っ! 藤中っ!」
銃身の唸りを受け止めながら、11番の闘女は咆哮した。
「ヒロを引きずり出して逃げんぞっ!」
すでに、バックパックを背負ったままの藤中と圭吾が飛び出してきている。
が。
ウィアードの王者たるプライドコータスの閃影が、夜空の流星のごとく牛舎の屋根を颯爽と伸びてくる。
鈍い衝撃音とともに千鶴子は弾け飛んだ。脱線して横倒しになっていく列車のようにして砂利の上を滑っていく。
「クズセンっ!」
と、藤中が進路を変えた。千鶴子に駆け寄っていった。リカバリーとして人一倍仲間に気を配る彼の両目は、倒れ伏した千鶴子を真っ直ぐに望み、滑りこんで飛びついていく。
「クズセンっ! しっかりするべさっ!」
藤中が千鶴子の頭を片腕に抱えると、彼女は睫毛を震わせながら血反吐を吐き垂らした。
「うああっ!」
圭吾が雄叫びを上げながら小銃のレバーを切り替えた。めったやたらに撃ちかけようとする。ものの、プライドコータスが圭吾の前を横切った。一挙の衝撃が圭吾の手から小銃を奪っていってしまう。
さらに、藤中が別のプライドコータスに補足されていた。
トランセンデンスで言えば、俊敏、瞬発、打撃に優れているプライドコータス。引き締まった白銀の巨体は影をも留め置かない。
洋瑛は目にしていた。
白い閃光が通り過ぎたと同時に藤中がそこから消えたのを、取り残されたようにして立ち尽くすままに目にしていた。
ドンンッ、と、鈍い音が起こる。
プライドコータスの前脚が藤中の体を牛舎の壁に押さえつけた。
転瞬。後方宙返りした。車輪のようであった。あるいはその円は日暈のようでもあった。藤中は顎を後ろ足で蹴り上げられたのだった。
夜空高くに跳ね飛んでいく。
プライドコータスは一瞬でそこから消える。
藤中の体だけが廃棄物のように降ってくる。牛舎の屋根の縁に激突する。人形のようにして跳ね返って反転し、地表にどさりと落ちた。
あとはまったく動かない。うつ伏せになって、あたかもバックパックに押し潰されている。ヘルメットの「14」だけがサーチライトの光に浮き上がっており、彼の表情は陰の中に沈み込んでいる。
「藤中っ!」
洋瑛は駆け込もうとした。
が、消音器に掻き消された銃弾が洋瑛の行く手を遮った。砂利石が跳ね上がり、土煙が舞い上がる。
洋瑛が苦渋の選択で足を止めれば銃弾も止んだ。
砂塵が白銀の照明のうちにゆらめく中で、洋瑛が目を向けていけば射撃手はやはりウィアード使いの男であった。構えているのは圭吾の小銃であった。
男の両脇には、いったい、どのようにして操っているのか、プライドコータス4体が寄り添っている。
「何を考えてんだ……」
洋瑛が声を絞り出せば、圭吾は絶望を悟って腰から砕けて座り込んでしまう。
「へえ。SGのライフルは前と比べて変わってねえな。10年も経つっていうのに」
千鶴子は片膝を立てて起き上がっていたが、藤中の治癒がまだ行き届いていなかった。脇腹を押さえている。
「おい、近田のガキ。あっさりと死ねると思うな。おめえの親父といい、おめえが荒砂山でやったことといい、おめえはな、それなりの苦しみが必要なんだ」
そう言うと、男は洋瑛に向けていた銃口を圭吾に向けた。
「女房子供をおめえの親父に殺されたことについてはよ、おめえを責める気なんてさらさらねえさ。でもな、俺の育てた連中におめえがやったように、俺も同じことをしてやる。まずはよ、仲間がいたぶられるのを指をくわえて眺めてろ」
おそらく、この状況は男の言う通りに、洋瑛がいつも小動物をいたぶっていた事態である。
支配者であった洋瑛が、支配されている。
呆然自失。
ようやく、己の愚かさを把握した。
そして、自らの無力さに感じ入った。
そもそも、洋瑛は夜目のトランセンデンスに過ぎなかった。夜目のみであれば、G地区に入ってきてもいきり立つことはなかった。あのとき指鳴らしをしたいと思わなければ、もしかしたら、もしかしたら、違った結末があったかもしれない。
あのとき、あの音を鳴らさなければ、何もかもが違った結末だったのだ。
(俺が高速運動じゃなければ何も始まらなかったんだ……)
すると、
パチン
と、鳴った。洋瑛の脳裏に残っていたあの音が、洋瑛の脳内だけで鳴った。
瞳孔が見開く。両肩に重力が落ちてくる。しかし、やがて重みは吐息のようにして昇華していく。
洋瑛の目の前には、時間が止まっているかのような静けさが張り詰められている。
「あ――」
支配者であった男が小銃を構えたままに立ち止まっている。ウィアードの王者であるプライドコータスが片脚を上げたままに制止している。
隣の圭吾から、小刻みに震えていた吐息がなくなっている。
ブラックスクロファの吠え立てる声も、ここで激しく揺れ動いていた空気も、すべてが、止まっているかのような静寂に包まれている。
(嘘だろ――、おい――)
洋瑛は己の体を確かめるようにして、男にそろそろと歩んでいく。洋瑛が近づいていっても、プライドコータスたちはいっさい動かない。
隻腕の怪物が生まれたのは、この日、このときであった。
「このクソ野郎……」
洋瑛は小銃を奪い取る。左手だけで乱雑に握りしめたその銃身を、男の頬骨を目掛け振り抜く。
片手だけのさほど力の入っていない打撃であったが、叩きこまれた男はバネのように吹っ飛んだ。牛舎の中まで突っ込んだ。
「クソッタレっ!」
洋瑛は銃身を振り上げる。銃床をプライドコータスの頭に叩き落とす。その頭は鈍い破砕音とともに砂利の上にめり込む。銃床の打ち落とされた頭部はくっきりと陥没する。
「死ねやっ!」
隻腕の怪物は暴れた。プライドコータスたちの腹を蹴り上げ、頭を踏み潰し、銃床で何度も叩きぬき、白毛が美しい獣たちの骨という骨が粉々になるまで暴れた。
ところが、おさまらない怒りのままに暴れている最中、ガツン、と、重力の痛打が両肩から全身へと襲いかかる。
突然の重みに耐え切れず、洋瑛は片膝をつく。
(なんなんだよ――)
ブラックスクロファの吠え声が耳に入ってくる。プライドコータスの頭部から鮮血が噴き上がる。プライドコータスどもが洋瑛の回りで悲鳴を上げてのたうち回る。
己の仕出かした状況がいまいち把握できていなかったが、のたうち回っているプライドコータスを目の前にして小銃を突きつけようとする。しかし、片手ではうまく操作できない。
「チビ圭っ! 代わりにやれっ!」
と、尻餅をついて亜然としている圭吾の前に放り投げた。
「早くしろっ!」
圭吾は目を丸めたままうなずくと、腰を抜かしたまま小銃に這いつくばっていく。
その間にも洋瑛はプライドコータスの頭を蹴飛ばしたり、足を踏み折ったりした。白毛の体のあちこちに血液を飛ばしたプライドコータスどもは、血の混じった唾液をこぼしながら小刻みに痙攣する。
圭吾が小銃を構えてようやく駆け寄ってくる。
「早く撃てっ! ぶっ殺せっ! 血だるまにしろっ!」
圭吾は足元のプライドコータスたちに引き金を引いた。獣どもはたちまち執拗に撃ち込まれる弾丸によって息絶えた。
洋瑛はウィアードの駆除を見届けなかった。すでに藤中のもとに駆け寄っていっていた。千鶴子がしかめた顔つきで足を引きずっているのには構わず、洋瑛は藤中の肩を片手だけで抱き起こす。
「藤中っ! おいっ! 藤中っ!」
藤中は瞼を閉じてまったく動かない。呻きもせず、表情を歪めもしない。人間の活力が洋瑛の手にはまったく伝わってこない。ただただその身は重力に委ねられている。
「おいっ!」
何もこたえない。洋瑛は目を泳がせ狼狽しながら、藤中の首に指先をあててみる。
脈がない。
「クソ! クソッ!」
涙をにじませながら、洋瑛は藤中の右手を取り、藤中自身の体のあちこちに掌を押し付ける。
「どこだよ。どこが悪いんだよ」
「ヒロ。駄目だ」
千鶴子が脇腹をおさえながら歩み寄ってくる。
「荒砂山で習っただろ。死んだ人間を治癒してもダメだし、死んだ人間は治癒能力が働かないし――」
「嘘つけバカ野郎。お前がちゃんと勉強しているわけ――」
洋瑛は唇をひどく震わせる。
千鶴子は視線を伏せてしまった。
「おいっ! 藤中っ! 起きろ! 起きろっ、クソハゲっ! 藤中っ!」
ブラックスクロファの吠える声だけが鳴り響く。
「お前の勝ち分どうすんだっ! お前がブラックジャックで勝った分どうすんだっ! 俺が泥棒していいってことかっ! なあっ! おいっ!」
「ヒロ――」
千鶴子が洋瑛の脇にゆっくりと腰を下ろしてくる。
首を振った。
「嘘だろ?」
千鶴子は首を振る。
と。牛舎から物がなだれる音がした。
ウィアード使いの男が片手に鍬を持って現れる。頭から血を垂らしており、鍬の先を引きずらせながら、足取りぎこちなく歩み寄ってくる。
洋瑛は真っ赤な目でわめいた。
「ぶっ殺してやるっ!」
が。
連発された銃弾が男の足をそこに止めた。間断なく注ぎ込まれた銃弾は男の頭を血肉の破片にさせていく。弾が切れると、男の体は倒れるがままに倒れていく。
銃身を構えているのは圭吾であった。
「わああっ!」
涙で頬を濡らしながら、圭吾は叫んだ。言葉なき声で吼えた。
洋瑛も千鶴子も圭吾のしように棒立ちしてしまう。
圭吾は弾倉を装填する。ブラックスクロファの檻に駆け込んでいく。やはり叫び声を上げながら、吠え立てる獣たち目掛けて滅多やたらに銃弾を浴びせていった。
夜の静けさは取り戻されていた。
洋瑛と千鶴子、圭吾は、ウィアード使いの根城と思しきプレハブ小屋の中に藤中の亡骸を運んだ。
蛍光灯が2つ並んでいるだけ。生活用品が溢れかえっており、雑然としている。
シミ汚れのベッドに藤中を寝かした千鶴子は、吐息を乱しながら事務机の前の椅子に崩れるようにして腰掛ける。
「ヒロ」
と、途切れそうな声で言った。洋瑛は藤中の死に顔を見つめるまま、彼女に背中を向けている。
「どういうことなんだ。どうやってプライドコータスを蹴散らしたんだ。ヒロが高速運動トランセンデンスって、なんだよ」
圭吾は膝を抱えて座り込んでおり、肩を震わせながら丸くなっている。
「ヒロ。正直に言えよ」
洋瑛は話す気にもなれなかったが、
「別に隠すつもりなんてねえ」
肩から上腕だけになってしまった右腕をさすりながら、ぽつらぽつらと語り始める。
ある日突然、指鳴らしによって高速運動化できてしまった。
荒砂山に紛れ込んできたブラックスクロファ単体もそれで制圧した。荒砂山を襲撃してきたウィアードの群れもそれで制圧した。
そして、ついさっき、指鳴らしをしなくても高速運動化できた。
圭吾が洋瑛の背中に憂いげな眼差しを注ぐ。
「でもどうして、あいつがヒロくんのトランセンデンスを知っているの。俺たちでも知らなかったのに」
「ヨッシーだ……」
洋瑛はため息のようにしてつぶやく。
「黙っていたけど――、ちょっと前に俺はヨッシーに会った。ヨッシーが天進橋の兵舎に忍び込んできた。教えたわけじゃねえ。ヨッシーは俺が指パッチンで高速運動できることを知っていた。だからあいつが、G地区の連中に教えたんだろ」
千鶴子も圭吾も声を失う。藤中に寄り添うようにしてうつむいてばかりの幼なじみは彼らの知っている気ままな洋瑛のように荒ぶっていなかった。毒針のような気配も失くしている。
「悪い。全部が俺のせいだ」
「誰のせいだなんて今更どうだっていいんだよ」
と、千鶴子は洋瑛の襟首を掴んだ。ぐっと引き寄せた。釣り上がる瞼で洋瑛を厳しく覗きこんだ。
「ただよ、ヒロ、なんで何も話さないんだよ。吉沢が忍び込んできたことぐらい、雪村にでも言えばいいだろうが」
洋瑛は襟首を掴まれたまま、逆らわない。視線の先をしおらしく逸らしていくだけである。
「1人で戦っている気になってんじゃねえよ。バカヒロ」
洋瑛は唇を噛み締めながら彼女に目を向ける。
千鶴子の瞳には光るものがあった。
「トランセンデンスはお前だけじゃないだろ、ヒロ」
洋瑛の二重のまぶたから自然と涙が流れ出る。
彼らは今夜、本当の意味で殺人者と成り果てた。本当の意味で業火の死地に入り込んだ。
藤中は死んだのだった。
死んだという事実だけしか残らなくなった。そこに過去は存在しない。
未来も。
そうともなると、過去も未来も幻影となる。
洋瑛は涙を流しながら目の前の友の死骸を見つめる。
在りし日の幻影を追う。
いくら追っても虚しくなるばかりの幻影を。




