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俺の親知らずを抜いていけ  作者: ぱじゃまくんくん夫
メッザ・ボーチェの章
41/58

05:最後の朝

 情報が漏洩しているのを見積もって、ブラッディレイ作戦の着手日は建前として無期限延期となったが、国防大臣や特殊保安群群長川島大佐、作戦本部長の刈谷少佐と作戦隊長峠大尉、そしてほか作戦隊員16名のみ、4日後の決行日を把握していた。


 この延期されたうちの3日間を利用して、作戦隊員は天進橋駐屯地を離れ、雪山で最後の訓練に入った。


 G地区北部の壁となり、放水路に川水を流しこむ連山の一峰の頂点を目指し、缶詰や干物などの簡素にしてわずかな食料と、火器類、通信機器、ほか、あらゆる装備品を身につけて、吹雪の中を進む。


 分厚い雲が衛星通信を滞らせており、峠大尉から作戦隊員たちのイヤホンに流れてくる声は低周波数トランシーバーからであった。


<警戒を怠らないのは当然だが、隣同士、声を掛け合うのも忘れるな。俺たちは二人三脚をしているムカデだ。1人が脱落したら、全員が脱落するからな。いいか、仲間には常に気を配れ>


 猛烈な風と固い雪が、視界を閉ざしている。昼中とは思えないほど、灰色の世界であった。ゴーグルは手袋の指先で拭っても拭っても凍ってしまい、フェイスマスクにも白い結晶がびっしりとこびりついている。


 遮るのは大自然の猛威だけではない。埋伏するSGや飛び交う銃弾も彼らの行く手を妨害する。


 ブラッディレイ作戦に雪山はない。実戦に必要ない事態を彼らは経験している。しかし、空腹のうちに、進めども進めども果てのない景色を仲間とともに進むのは、G地区という暗黒のもやの中をつらぬいていくには必要かもしれなかった。


 2列縦隊。肩を並べて隣を行く者が雪に足を取られて傾けば、咄嗟に手を出して腕を抱えてやる。抱えられたほうはうなずきながら、手袋の親指を上に向けて立てる。


<いいか。貴様らは選ばれた隊員だ。試練に選ばれたんだ。だが、試練ってものは栄光への一本道だ。歩け。くじけるな。貴様らはやれる。貴様らはやれるんだ>


 カスだのと罵倒して殴りつけるだけが脳だった峠大尉も、作戦隊長に様変わりしていた。まるで、父親か兄かのようにトランシーバーでしきりに戦うための呪文を唱えるのだった。


<俺たちには勝利と栄光が約束されている。貴様らは国民を救う英雄だ。俺たちは英雄となって天進橋に凱旋する。天進橋は貴様らのためにある。俺たちが歴史を作る>


 そして、峠大尉がSGのモットー、<ウィスダムトゥース、トゥーマイマザー>とつぶやけば、作戦隊員たちは呼応して皆が揃って言葉にする。


「俺の親知らずを抜いていけ」


 刺繍もほつれて体を成さなくなったエンジェルワッペンも、いつしか、その泥と血こそが彼らの象徴となっている。


 風が冷気を切る。粉雪が舞い上がり、行く道も来た道も真っ白闇に掻き消えている。


 夜目という超越能力を保有するにあって、洋瑛は遠視トランセンデンスの峠大尉と並んで先頭を行く。


 荒砂山の親友との思いがけない再会について、言うべきか言わないべきかの迷いはなかった。言う必要はなかった。洋瑛はSGで、悠はDであった。何を話したところで何も変わらない。自分も彼も押し流されるままに押し流されるしかない。自分も彼も、この世に生まれた時からずっと、この運命は変わらない。


(俺はSGとしてレイを殺しに行く。レイがどんな化け物だろうと、返り討ちに逢おうと、それだけしかできねえ。こいつらと一緒に天進橋に帰る。それだけしかできねえ)


 もし、悠と遭遇したら――。いや、遭遇してしまうだろう。


(そのときは――)


 わからない。避けているのではない。考えても考えてもきりがなかった。殺さなければいけないのだろう、しかし、そのとき悠に銃口を向けられるか、引き金を引けるか、洋瑛にはその自信がなければ、冷酷さもない。


(わからねえ)


 けれども、進むしかない。


<停止。進行停止>


 と、最後方を行く田中中尉から無線が入ってきた。


 隊列は足を止める。


<二本柳より、敵の物音あり>


 皆が一斉に背中のバックパックを下ろしていき、すべての者が凍結防止のカバーに括られた小銃の被筒に左手を添える。


 二本柳は五本の指を折り曲げたり伸ばしたりとサインを送った。後方の田中中尉が見たままを全員に伝えてくる。


<Kに足音あり>


 アルファベットはAからKを0から11の時計盤表示に見立てて方向を示している。すかさず、隊員たちが下ろしていったバックパックを杏奈と圭吾が土嚢にして積み上げていき、進行方向に対して11時の方角に小銃を構えながら、雪上に匍匐していく。


 その間、聴覚トランセンデンスの二本柳が革手袋の指でサインを送り続けている。


 無線トランシーバーは衛星も低周波も送受信可能に設定されているのは峠大尉と田中中尉のみである。交信錯綜からの混乱を防ぐため、また、若すぎる彼らは戦闘時の興奮で冷静な判断を失いかねないので、作戦隊員たちの大半は通常、受信のみの無線設定にしている。


 ゆえにほぼ口を開かない。兵器のようにしてただただ銃把を握る。


 二本柳だけがひっきりなしに指を動かし続ける。


<敵は3名と把握。作戦部隊に向かってゆっくりと進行中。その距離およそ800>


<敵は気づいている。500に入ったら一斉掃射だ>


 峠大尉の無線に反応することもなく、ゴーグルの氷雪をぬぐいぬぐい、じっとして、そのときを待つ。


<残り550>


 洋瑛には足音も何も聞こえない。風のうねりだけである。見つめる先は雪ばかりである。


<515,510>


<撃て>


 その一声とともに洋瑛は引き金を引いた。たちまち銃声が連続して渦巻いた。視界を遮る猛烈な吹雪の果てに模擬弾を撃ちまくり、その15丁の衝撃が地表の積雪を舞い上がらせ、鼓膜をひたすら打ち付けてくる。


 ヘルメットの上を銃弾が飛んでいったのがわかった。敵方のSGも応戦してきている。


<片岡、有島、ポニー、左翼から迂回前進しろ>


 片岡が屈み腰になって立ち上がると、有島と由紀恵が片岡の陰に隠れるようにして急造陣地から飛び出していく。


<撃ち方やめ。小銃手各自バッドガール。60秒後に雪を吹きとばせ。左翼は伏せろ。小銃手、各自タクティカルリロード>


 洋瑛は引き金から離した指先でリリースボタンを押し、弾を残している弾倉をそのまま捨て落とした。吹雪の向こうで銃声が鳴り響いてくるのを聞きながら、ジャケットの裾をめくり上げ新たなマガジンを引っ張り出しくる。


<声圧で視界が開ける。各自、補足次第、すぐさま一斉掃射。残り30>


 新たな弾倉を装填する。槓桿を引いて撃鉄を起こし、銃口を構える。


<残り5、4、3、2、1>


 千鶴子はすでにマスクを下ろしていた。わっ、と咆哮した。


 声圧が雪つぶてを吹き返していく。それは綺麗な筒となって吹雪をくり抜いていった。その筒の先に目をこしらえていた遠視トランセンデンスの峠大尉が指令を出してくる。


<補足。方角A。撃ちまくれ>


<アタッカー! 頭を低めろっ! 死にたいのかっ!>


 田中中尉の無線が有島たちの顔を雪の上に埋めさせ、洋瑛らは引き金を引く。歯をくいしばって打ち響く銃声に耐える。


<撃ち方やめ。アタッカー、ABに突っ込め>


 左翼の有島たちが体を起こし、片岡が射撃を唸らせたまま雪の深みを踏みしめていく。すると、二本柳が右手を上げてサインを送った。


<被弾! 敵より被弾の声! 3名すべて被弾!>


<構わん。有島、ポニー、突っ込め。殺しても構わん。制圧しろ。小銃手も援護。アタッカーに付いて前進>


 皆が一斉に立ち上がり、銃口を持ち上げたまま、雪中白闇を進んでいく。


(有島――)


 天進橋の食堂のときの有島の嗚咽、荒砂山の公衆電話のときの有島の笑顔、生まれつきの殺戮兵器でもない彼女の姿が洋瑛の頭の中を駆け巡る。


(ユキ――)


 自分たちは人間じゃない、トランセンデンスだと罵倒されて、泣きじゃくった由紀恵。


(お前らはやれんのかよ。やるつもりなのかよ)


 吉沢琥太郎こと相馬悠が目の前から一瞬に消えてしまったことからして、G地区には壮絶な戦いが待ち受けていると洋瑛は認識している。


(俺がやるしかねえ――)


 誰一人、死なせたくない。もう、すべてを終わりにして、荒砂山のころに戻りたい。それはきっと皆の共通意識であろう。


<有島より報告あり。無事、制圧したとのこと>


<よし、よくやった。完璧だ。荷物を担げ。仲間のもとへ向かうぞ。カピバラ、奴等のぶんもソリに載せていけ>


 杏奈が挙手でこたえたのを洋瑛は視界にしていた。そして、杏奈が洋瑛に目を合わせてきたのも。


(俺はやるしかねえ)


 もしかしたら、G地区の親友を殺してでもやるしかない。






 2日目の夜半に山頂に到着し、3日目の夜にはすでに下山を完了し、午前0時前に天進橋駐屯地に戻ってきた。


 13人のどの顔も疲労で気力が削げ落ちていたが、しかし、再び目の前に現れた天進橋の主塔を、彼らは3日前とはまったく別物のように目に映していた。


 凱旋、という峠大尉の言葉が頭をかすめる。赤色灯を点滅させるその主塔は、まるで、自分たちの信念であるかのように闇のうちにそびえ立っている。


 なにしろ、彼らは辛い雪山を登り終えてきたばかりだった。雪山に比べ、天進橋は実に穏やかな夜だった。雪山での死闘に比べれば、それまで畏怖の象徴でしかなかった天進橋主塔が、あたかも、自分たちが目的を遂げたあとの成果であるかのように大きくそそり立っている。


「明日は丸1日休暇とする。ただし、晩飯を食ったあとの20時、研修室に集まれ」


 峠大尉のその言葉をもって、午前0時、解散となった。


 夜目トランセンデンスとして夜間、隊列をひたすら引っ張り続けてきた洋瑛はシャワーも浴びず、エンジェルワッペンのジャケットのままにベッドに横たわり、泥のように眠った。


 翌朝、6時前には目を覚ましてしまう。習慣だった。毎朝、ベッドルームのスピーカーを震わせていた起床ラッパも今日だけは止んでいる。


 洋瑛はベッドに仰向けに寝たまま、夜が明けていく空を窓ガラスの向こうに見つめる。


 暁光が仄かに差していた紫の雲路が、天つ風に流れるとともに皆紅へと染まりゆく。


 色のなかった空が青く染まっていく。色のなかった地上に光が広がりゆく。


 瞼をぼんやりと留め置いているうち、群雲の浮き彫りは金色となって燃えた。それは穏やかな輝きだった。


 洋瑛はじっとして朝を見つめていた。見つめながら、誰も知らない朝を見ているようにも思っていた。終わりの朝を見ているような気持ちでもあった。しかし、何かの感慨にふけっているわけでもなかった。ただ漠然として感じていた。何かが始まる朝を感じていた。


(母さん、俺は――)


 屈託のないまばゆさが、洋瑛の瓜実顔を明るく染めていき、始まりを予感した彼は黄金色の空にささやいた。


「俺は、天進橋を行くよ」


 20時の研修室で作戦指令が下されるのは、言われなくてもわかっていることであった。この朝をどうして美しく思ってしまうのかは、わかりきっていることであった。


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