11:マイベイビーズ
活発であるぐらいなのを差し引けば、何事にもいたって平凡な女子高校生は、ある日両親がひそかに語り合っていた話の内容でもって人生が変わった。
父親が母親にぽつりと漏らしていたのを、真奈はうっかりドア越しに聞いてしまったのである。
「もしかして真奈はトランセンデンスじゃないのか」
山田真奈は睡魔に襲われたことがただの一度もない。睡眠の欠乏によって体力が減衰することもない。ただし、線引が難解であるのは、ある一定の基準を越えた疲労は睡眠によってでしか回復できず、ゆえに幼少から外を走り回って活発であった彼女は、「寝ない」ということをしなかったのである。
無眠トランセンデンスの傾向が見られたのは高校受験に取り組んでいたころからだろうか。躍起になって受験勉強をしているうち、2日間寝ない、3日間寝ないのはざらであった。
当初、両親は頑張りすぎる娘を心配したが、本人は頑張りすぎていたわけでもない。受験勉強自体、苦ではあったが、体調に支障を来たしはしなかった。
「真奈はトランセンデンスじゃないのか」
国防軍の試験検査を受けるべきかどうか彼女は悩んだ。なにしろ、トランセンデンスが認められれば誰からも羨まれる英雄のSGである。それに高給取りでもある。貧しくもないが、裕福でもない両親に相当の援助が可能である。
だが、同時に彼女に不安をもたらせたのは、トランセンデンスは短命でいて必ず癌を疾患するという都市伝説であった。国防軍はトランセンデンスの平均寿命を一般国民に公表してなかったが、SGの神秘性、英雄像を助長させている噂のひとつに短命論はあった。
両親もそれを気にした。また、英雄SGとはいえ軍隊である。眠くならないというただそれだけで、一般の高校生が命を落としかねない兵士となってしまうのである。
SG。トランセンデンス。高額な俸給。短命。軍隊。
ただの活発なだけの女子高生は懊悩した。ただ、世にはSGすなわち英雄論がはびこっている。男性隊員を軒並み並べて敬礼を受けている女性SG将校の姿もテレビで流れるときもあった。
学校の友人たちも、秘密を告白してしまえば真奈をはやし立てた。
「パパ、ママ。私さ、トランセンデンスだと思うんだけど」
都市伝説がただのオカルトでなければ、どちらにしろ短命なのである。ならば……、という気持ちが真奈に生まれたのは確かであった。
父親は平凡な勤め人であったが、娘を思う気持ちは平凡ではなかっただろう。
「いいのかい? 一度認められたら、もう後戻りはできないんだぞ?」
真奈はうなずいた。悩みはしたものの、そこまで深くは考えていなかったかもしれない。意識してしまえば、憧れのほうが強くなってしまったのは否めない。
国防省に出向き、試験検査によって真奈にトランセンデンスが認められたのは、高校一年の夏のことであった。その瞬間から国防軍から両親に補助金が振り込まれるようになり、1期遅れで専門兵学校に入校する手続きも取られた。
荒砂山22期生に真奈と同い年であったのはほかに2人だけであった。残り32人はすべて1つ下であり、彼女の目には皆が幼く見えた。そして、ちまたの英雄像に比べると違和感であったのは、皆がそれぞれに陰を帯びている点であった。
持ち前の活発さで同期生たちとほどなく仲良くなれば――年長者らしい立ち居振る舞いで手下を寄り集めるようになり、有島や二本柳に家族の話を聞いてみたら、やはりトランセンデンスは短命であった。
(30歳前には死んじゃう――)
もっとも、同期生たちと比べればその実感は薄かった。両親は健在である。ほかは皆、両親がいない。同期生たちのはかとない陰の一因にはそれがあった。
彼女は少々の使命感でもってリーダー格であろうとした。陰帯びた彼らに青春というものを分け与えたいという思いは、高校生を1年間やっていたゆえにというのもあったろう。
しかし――。
ブラッディレイ作戦であった。
峠大尉から1人1人に選抜された理由が告げられている。
「本作戦は夜間にG地区に上陸し、旧玄福市役所を目指す。道々、ウィアードに遭遇する可能性は非常に高い。敵方をいち早く確認するためには睡魔に襲われない真奈が必要だ。それに荒砂山教官たちの報告によると貴様はリーダーシップに長けている。隊員たちを引き連れ、隊員たちを鼓舞するためには貴様が必要だ」
まったく想像につかない。しかし、「できません」などと言えるはずもなく、
「はい」
と、身も震えるのをこらえながら口許を結ぶしかなかった。
極秘作戦である。無論、口外無用である。作戦着手の日は約2週間後と峠大尉は言った。それまでに家族と連絡が取れるのかどうかも怪しい。
両親や友人たちの顔が真奈の脳裏に浮かぶとともに、後戻りはできない、と、言った父親の言葉が駆け巡った。
(自分がトランセンデンスだっていうのを気づかなければ、隠していれば、こんなことには――)
峠大尉は最後にこう言った。
「貴様たち13人と俺たち4人、これら17人は誰1人欠けてはならない。1人でも欠けてしまったとき、16人は死ぬ。1人は16人のために、16人は1人のために、ウィスダムトゥース、トゥーマイマザー、親知らずを抜いていけ」
「私、生えてないよ」
と、言ったのはワイルドキャットだった。悲壮感を台無しにした彼女はラットローグに、
「キャプテンはそういう意味で言ってんじゃねえんだ」
拳骨を落とされ、笹原少尉が笑ったものだから、つい皆も笑ってしまう。
真奈も笑ってしまう。笑ってないとやってられなかったし、やってられなくて笑えた。
やってられなくて――。
すでに朝日は昇りきっている。珍しく午後まで訓練は無しとなって、自他ともに作戦隊員たちとなった彼らはぞろぞろと兵舎に戻っていく。
ラットローグもブルースカーも付いてこないというのに、管理本部棟をあとにしたとき、最初、誰にも言葉がなかった。足の運びも重くして、まぶしいばかりの路面にうつむきがちでいた。
「仕方ないね」
と、真奈が最初に口を開いた。顔を持ち上げて、皆に笑って見せた。
「もう、どうしようもない」
たとえば、彼女のそれは荒砂山にやって来た当初に抱いた少々の使命感だった。死ぬかもしれない、どうなるかわからない、大きな不安に彼女の胸は押し潰れそうであったが、口をついた言葉のとおり、どうしようもなかった。やるしかなかった。ともすれば、彼女は与えられた役割を果たすしかなかった。
口もききたくない連中ばかりだが、後戻りはできない。
「大丈夫でしょ。愛ちゃんは強いし、葵ちゃんの耳があれば敵が来たってすぐにわかるんだし」
「でも――」
「大丈夫大丈夫。死にそうになったらさ、由紀恵ちゃんと藤中が直してくれんだし? クズセンが吹き飛ばしてくれるんでしょ?」
由紀恵は視線を笑顔の真奈にちらと持ち上げ、千鶴子は青に伸びた空を見上げる。
「重たい物はカピちゃんと軽部が運んでくれるし、弾が飛んできても片岡が盾になってくれればいいんだし」
「盾って。真奈先輩さ、痛いんだよ?」
「あんたが盾になって雪村が狙撃する。それで終わりじゃん。ね、近田?」
真奈が問いかけると、ポケットに手を突っ込んで歩いていた洋瑛は、首を上げてきたが、彼らしくもない思いつめた眼差しで前方の真っ直ぐを見つめ、つぶやく。
「そうだな」
ブラッディレイ作戦の主眼は隠密行動にあり、最大の目的は旧玄福市役所への奇襲であった。
12年前に近田洋次郎少佐が帰らぬ人となった結果と、Dが吉沢琥太郎のような高速運動トランセンデンスを惜しみなく諜報員としていたのを踏まえると、敵方にはそれと同等のトランセンデンス、これを上回るトランセンデンスがG地区の戦闘員として存在している推察ができた。
「我々の作戦行動が知られてはただちに壊滅する」
と、田中中尉は作戦隊員たちに教える。ブラッディレイ作戦部隊として自己認識を果たした16~18歳の作戦隊員たちは、皆が防弾服をまとい、バックパックを担ぎ、スマートデバイスを左手首に装着しており、同じく作戦実働時と同等の身なりでいる峠大尉や副隊長たちの説明を天進橋駐屯地の外れに広がる森林の中で受ける。
「旧玄福市役所までの道のりは、森に身を潜め、建物の影となりながら進まなくてはならない。だが、森林はウィアードに遭遇する可能性が非常に高い」
隊員たち全員の小銃には消音器が装着されているものの、それ以外の火力は使用できない。
「ウィアードと遭遇した場合、アタッカーとカバーアタッカーの戦闘をいかに補助するかに限る」
旧市役所に到着するまでにDに発見されるのもさることながら、ウィアードによって食い殺されてはお話にならなかった。
市役所への奇襲演習とともに、作戦訓練はこれに比重が傾けられた。そして、峠大尉、田中中尉、笹原少尉、ラットローグ曹長たちは、もはや作戦隊員たちの教官ではなくなった。彼らとともにある隊長、副隊長たちとして、同じく訓練に加わった。
「田中中尉、よろしいでしょうか」
と、片岡が意見を求める。教官に対する意識ではなくなっていた。それはたぶん洋瑛が峠大尉に食い下がった恩恵かもしれなかったし、峠大尉たちが打って変わって自分たちと同じ格好、同じように小銃を構えているからかもしれなかった。
そして、田中中尉も発言をすぐに了承した。
「キャプテンや副キャプテンたちはHMDを着けていますけど、自分たちは着けないんでしょうか」
片岡はどちらかというとSG専用のハイテク機器を装着したがっているというわけで、生真面目な考えからの疑問ではない。
「貴様たちには無用だ」
峠大尉が言う。HMDは敵情報を得るに有利であるが、対象物データが軍システムに登録されていないかぎり、トランセンデンス種別はわからない。データがなければ、対象物の各運動能力の測定を5段階表示するだけである。
また、瞬間的な判断を求められる近接戦闘で情報を提供されつつ行動するというのは、慣れが必要だった。
「正確な情報が正確な行動をもたらすわけじゃない。正確な判断が正確な行動をもたらす。貴様たちはそれがまだできん」
森にはウィアードに見立てて、身体能力系トランセンデンスのSGたちが散って埋伏した。作戦隊員たちは模擬弾を装填した小銃を構えながら森の中を進み、洋瑛や真奈が周囲をテレスコープで覗いては、二本柳の聴覚で判断しつつ、しんとして静まった緊張感の中を行く。
この全体様子を天進橋主塔の温度感知カメラがズームアップしている。
作戦隊員たち、仮想ウィアードのSGたちの動きを森からも主塔からも離れた管理本部塔の一室のパソコンディスプレイで把握しているのは、ブルースカー曹長である。
彼女は森に縄張りを持つと考えられるウィアードの生態活動を踏まえて、衛星無線でSGたちに作戦隊員たちへの攻撃を指示した。
別のモニターには峠大尉たちが装着している小型カメラの映像が流れている。SGの襲撃を受けて、峠大尉や田中中尉が作戦隊員たちに呼びかけている無線交信も部屋を響かせる。コラボレーター、サポーターが射撃し、アタッカーたちが飛び出していくが、SGたちに組み伏せられてしまう。
「やられちゃいましたね」
部屋にたった1人、ブルースカーはつぶやいた。作戦隊員たちを慄かせるあの猟奇的な笑い声はない。モニターに映されているのは峠大尉に叱責を食らっている作戦隊員たち。しかしながら、彼らの目は教官の暴力に怯えていただけの昨日までとは違う。ひとつひとつにうなずきながら、峠大尉を食い入るように見つめている。
「峠さんは甘いんです」
ブルースカーは無線マイクに顔を寄せた。仮想ウィアードのSGたちを呼びかける。
「警官みたいな制圧をして、あなたたち甘いんじゃありませんか? 半殺しにしてあげなさい。峠さんや田中くんの前歯の一本でも折ってあげなさい。こんな機会はなかなかありませんよ」
すぐさまSGから返信がくる。
<うるせえな。そんなことをしたらあとが怖いだろう>
「ウィアードは人間の言うことは聞くかもしれませんが、人間のお喋りはできませんよ」
無線の返信はなく、交信者は代わりにほかのSGが映しているカメラに向かって親指を下に突き出して見せてきた。
ブルースカーはモニターに向かって中指を立てたあと、マグカップの中身がなくなっていたので、ポットからお湯を注ぎ、ティーバックを浸けていく。訓練を再開していく様子を眺めながら、鼻先にマグカップの湯気をくゆらせた。
「SGらしい安物の匂いです」
19年前、国防軍はまだG地区解放作戦を断念しておらず、対するDも供給される国家支援が確立不透明だったこともあり、両者の暗闘はある意味で今よりも激しかった。
放水路に天進橋を架けるか架けないかで国防軍とDが揉めていたとき、当時、牛追坂と黄羽にしかなかった駐屯地の官舎に住む5人のSGの子がDにさらわれ、人質となった。
国防軍はSGの上陸作戦だけならず、空挺部隊も動員して、人質救出にG地区に入ったが半数以上が死傷し、生き残った者は同じく捕虜となってしまう。敗退をきっかけにSG部隊は特殊保安群に再編され、天進橋駐屯地が開設された。
この事件のとき、巻き添えを食らって子供たちの3人が死亡し、ブルースカーは顔半分と体の3分の1に火傷を負っている。
命に危険のあったブルースカーはすぐに解放されている。
国家を恨み、子供をさらっておきつつ、その小さな人命には自らがボートを出して放水路を越えてき、岸辺に待機していた救急車にそのまま乗せたというあたり、Dたちの不可思議な点ではあるが、ブルースカーは当時6歳、幼少のころのほかの記憶はなくしていても、あのときだけは鮮明に覚えている。
言わずもがな、ブルースカーの半生は復讐心に取り憑かれてきている。いつか必ず行われるだろうG地区解放作戦のために自らを鍛え続けてき、精鋭教育に心血を注ぎ込んできた。上官たちはたびたび結婚相手を推薦してきたが、断固拒否した。もっとも、醜女で狂気のブルースカーに積極的になる男もいなかったが。
しかし、ブルースカーは作戦隊員に選ばれなかった。峠大尉の指名で作戦隊員の教育に当たるだけであった。
当然、彼女は峠大尉に作戦隊員に自薦する。作戦本部の刈谷少佐にも詰め寄った。答えはノーだった。
「作戦はキミのためにあるのではない。だが、キミは作戦を自分のためにするだろう」
ならば、作戦隊員たちを痛めに痛めつけて脱落させてやろう――。
「逃げ場所のない子たちは脱落することもできなかったようです」
ブルースカーはマグカップの紅茶をすすりながら、体温感知モニターを眺める。
「天に進む橋とは、あちら側からこちら側なんです。あなたたちは帰ってこれるんですか? 地獄から天国に」




